|
昨年2017年の4月15日、那珂川町馬頭広重美術館に「徳力富吉郎と広重の富士三十六景」展を見に行った帰りに、那珂川町の富山、舟戸の両区域に、イワウチワ(岩団扇)を見に行きました。美術館の開館前に、アイス(ここの名物)を食べに、「道の駅ばとう」脇の、那珂川町観光協会の建物に入った際、こんな看板があったから、です。実は、カタクリ山公園(旧・小川町域。場所は、https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60513435.html 参照。那珂川町は、旧・小川町と旧・馬頭町とが合併して誕生したもの)のカタクリの咲き具合を知りたくて、ここに行ったんですけどね(カタクリは、ほぼ終わりだと言われました。尤も、舟戸でカタクリの咲いているのを見ましたが。でも、そのカタクリの開花を見て、考え直してカタクリ山公園を訪問するには至りませんでした。舟戸のイワウチワを見ていて、帰る際に雨に降られてしまった事も一因)。 この記事の画像は、画像にカーソルを合わせた際に右下に表示される+マークをクリックすると、別ウィンドウで大きく表示されます。 那珂川町の、富山、舟戸の両地域にイワウチワの自生地(でしょうね)があります。入山料 200円は、1日のうちでハシゴをしたとしても、それぞれで必要です。チケットは、那珂川町観光協会で印刷された、同じものですが、チケット売場は、それぞれ1箇所で、その都度発行していますので、ごまかしようは、ありません。 場所は、先ずは、那珂川町観光協会で聞いてみる事をお奨めします(電話でもOKだと考えます。私の記憶が不明確なので、ここでは記しません)。ついでに、咲き具合も。現地に行けば、案内板や案内貼り紙がありますので、それに従って行けば、到着出来る筈。そう広い道ではないのですが、交通量は、さして多いものではありません。 先ずは、富山区域の現地案内板。 富山、舟戸、両方ともに、結構な山道ではありますが、富山は、下の方の道でもイワウチワを見る事が出来、下の道だけならば、急な階段を上るのも少ないと考えます。一方、舟戸の方は、急な山道を上って行った先にしかイワウチワはありません。けれど、全区域を通じての上り下りは、舟戸の方が小さくて済みます。富山の、この案内板の脇には、この様なご挨拶が掲げられていました。 案内板には、春蘭も記してありますが、私は見つけられませんでした。 富山の、ショウジョウバカマ。さして背丈の高いものでは、ありません。 富山のショウジョウバカマは、入口から一寸入ったところに集めて植えられていました。 富山の、イワウチワ。こちらも、背丈の高い植物ではありません。 これは、咲き始めの状態だと考えます。 開花して暫くすると、花弁の色が変わって行くそうです(現地で聞きました)が、「次第に、色づいて来る」のか「次第に、白っぽくなる」のか、記憶にありません(笑)。 イワウチワは、小さな野草です。そして、富山は、かなりの急斜面にイワウチワが生えています。こんな感じ。 この2つの画像の中でも、たくさんのイワウチワの花が写っている筈ではあるのですが、ほとんど認識出来ません。それほど小さなものです。しかし、他の雑草に紛れて見えなくなっている事は無く、一面イワウチワが咲いている様に見えます。きっと、秋の終わりか冬の初めに、入念に下草刈りをしているものと考えます。 次いで、舟戸。富山の自生地から、同じ小川沿いの道を(車で)遡ったところにあります。こちらの駐車場は小規模なものが分散していますので、帰りに迷わない様、注意(私は、雨が降り始めたところで、焦ってしまい、迷ってしまいました。駐車場からの道は案内板があり、迷いはしませんが、駐車場は分散していて、自生地からの道の分かれ目のどちらにも駐車場がありますので)。 舟戸の現地案内板。 舟戸では、下の方の道からでは、ほとんどイワウチワを見る事は出来ませんでした。 舟戸のショウジョウバカマ。富山と違いがある訳でもないと思いますが、こちらは、特定の場所に集められている様な感じでは、ありませんでした。カタクリの咲いているのも発見。 舟戸のイワウチワ。 こちらの斜面は、富山よりは緩い感じ。 目立たない山野草の部類かも知れませんが、大切に育てている(少なくとも、周辺環境の整備を行っている)両地域は、見に行く価値があると思います。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年03月11日
全1ページ
[1]
|
本日2018年3月11日は、東日本大震災の発生から7年。つい先週も、初対面だった人が仙台在住の人で、その人から、東日本大震災時に仙台にいて、住んでいたアパートが全壊、その後、住む家を探すのに非常に苦労した、てな話を聞きました。今では、私の従弟の一人も、仙台で勤務していますが、大震災発生当時は、そこに住んでいた訳ではありませんでしたし、知れる範囲の事も限られてはいます。想像出来る範囲の話ってのもありますが、実際に生活していた人には、それを超える色んな状況が降りかかって来ていたんだ、って事を改めて感じました。 私の両親の住む新潟県 柏崎市でも、そうですが、いったん大災害(柏崎市の場合は、東日本大震災の約3年半前の2007年7月の新潟県中越沖地震が挙げられると思います)が起こると、その後は、同じものを取り戻す事は出来ません。否応なく、「新しい」状況に向かって行かなければなりません。復旧と言いますが、同じものを取り戻す、なんて出来ないのです。 私の祖母の場合も、関東大震災発生後、数年経ち、祖母の父親が亡くなったので、縁者のいる柏崎市に避難して来た(その前に住んでいたのは、東京の銀座)、てな縁もあります。そこで結婚し、外地(今の朝鮮)に渡り、今度は結婚相手が戦前に亡くなったので、柏崎市に戻って、戦争期間中をそこで過ごし…てな具合で、「過去を取り戻す」なんて、現実には、出来ない相談。 で、もって、被災地から、それなりに離れている私たちが忘れちゃならない事は、被災地で「過去を取り戻す」事が出来ないどころか、まだ、(避)難民としての生活を送らざるを得ない人たちがいる、って事。新潟県 柏崎市も、原発がある(現在、稼働はしてないけど)所為か、東京電力関係で福島県から移って来た人たちが、かなり大勢いらっしゃるそうです。 2017年3月に、仙台市にある宮城県立美術館にルノワール展を見に行った(https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/64565696.html 参照)帰り、自動車で常磐自動車道を南下していた際に撮った画像。今でも、そう線量は変わっていないのじゃないかなぁ、って思います。まあ、2018年の3月11日じゃなく、2017年に出しておくべき画像ではあったんですが、たまたま今日が3月11日だったので。 制限区域(帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域、って別もあります)内でも、全ての区間が同じ様な線量って訳ではなく、最大値を示していたところの数値ですが(浪江IC〜広野ICの間の1箇所)。制限区域内では、交通ルートが限られていますので、宮城県内の常磐道より交通量が多かったりします。 |
全1ページ
[1]






