|
私が東京スカイツリーに上って確認してみたいポイントの一つが吉原でした。吉原と云う名は、戦後、住所から消されて行きました。今の台東区千束3〜4丁目の一部が該当します。町割が周囲と異なるので、見付け易いのではないか、と考えていました。 興味深い歴史としちゃ、吉原は、周囲よりも地面が高くなっていますので、キャスリーン台風の際、台東区の山手線東側が軒並み浸水被害を受けたのに、吉原だけ浸水被害を免れた事。ほんの少し(1m程度?)しか違いは無い筈ですが(それも、北東側にだけ周囲と差があり、南側は大差無いと思われる)、それでも、浸水被害の地図で、そこだけぽっかりと被害を免れているのです。 恐らくは、お歯黒どぶと呼ばれる周囲の堀割を江戸時代に作った際に、掘削で出た土を吉原の内部に盛ったのでしょう(区域外は、当初は、ほぼ田んぼでした)。それに加えて、吉原は、江戸時代、何かと云うと火事の被害に遭いました。火事の後は、吉原は、仮営業区域として江戸市街地に近い場所を与えられるのが通例で、これは営業上却(かえ)って都合が良かったので、内部で放火があったのでは?とする推測も広く流布した様です。この燃え滓(かす)も、吉原内部に埋め、その上に新たな遊郭の建物が建てられたものと考えられます。 江戸時代、町割は、火事の後などは、結構頻繁に変更され、墓地だった筈のところに、その後、建物が建てられる、などの事例はいくらでも見られます。だからこそ、今になって、高層建築などを作ろうとして地下を掘った際に、人骨が大量に見つかる、などの事が結構あります。個人の土地所有が確定している明治以降よりも、遙かに頻繁に、江戸の町割は変更されています。 そんな中、明暦の大火の後、吉原は、火事の後の仮営業の時期が長かったとは言え、ずっと一つの区域が一つの目的で使われ続けた珍しい区域の一つなのです。 …て事で、東京スカイツリーの天望デッキに上った際、吉原を探したものの、これが結構難しい作業でした。と云うのは、町割とは云っても、東京スカイツリーの上から道が見えるのは、東京スカイツリーに向かっている道だけで、そうでない道は建物に遮(さえぎ)られて見えないから。 それに、吉原の辺りで特徴的な建物として私の記憶しているものが、ほぼ皆無だったのも影響しています。南千住などは認識出来るのですが、そこから少し外れると、よく判らなくなってしまう。で、当てずっぽうで写して来たものの、多くは、吉原まで写っておらず、後からの特定作業さえ出来ない状態。 そんな中、1枚、夕景の中に、吉原と思われる区域が写っていました。確定とまでは言えないものの、ほぼ間違い無いのではないか、と思ってます。それは、これ。 この記事の画像は、PCの場合、カーソルを合わせた際に右下に表示される+マークをクリックすると、別ウィンドウで大きく(実際は、UPした際の画像の大きさで)表示されます。画像自体にカーソルを合わせただけでクリックしても、別ウィンドウで画像は表示されますが、その大きさは、記事に表示されているもの同じとなりますので、ご注意下さい。 スマホの場合は、画像自体をクリックすれば、画像が拡大表示されますので、画像の範囲を移動させながら部分を見て行く事となります。 上の画像では、判り難い? では、補助線を引いてみます。赤い○の中。 夕景の中、早々と看板に照明を入れているからでしょうか、そこの区域だけ照明が他の区域と異なって輝いています。 解像度が十分ではないので、個々の店舗まで判別出来ないのが残念ですが。 〜〜〜 〜〜〜 オマケ。 上でも写っては いるのですが…吉原と言えば、舟運の便が考えられ、今戸橋のところから、水路が整備され、その掘削した土と真乳山を崩した土とで、その舟を曳く為の通路、場合によっては人も通う通路を作りました。これが、山谷堀。 今は、埋め立てられ、親水公園となっています。 で、今戸橋のあった地点(地上350mの天望デッキから撮影)。 左側に真乳山聖天があります。右側に見える白い建物は、台東区立の体育館「台東リバーサイドスポーツセンター」。 近くの、桜橋(歩行者専用橋)との位置関係(地上450mの天望回廊から撮影)。
白い建物が共通しているので、桜橋の方が上流にあるのが判る筈。 桜橋の対岸にある陸上競技場や野球場は、台東区の施設。春の桜の季節には、堤防脇が、桜も枝を目一杯伸ばし、野球場のナイター照明でたらされ、見事な夜桜を楽しめます。堤防に横たわって見ていられるのも一興。 昔は、今戸温泉と云う銭湯が近くにあり、体が冷えたら、そこで一風呂浴びて帰る事も出来たんですが、201年10月14日を以て廃業したそうです(http://www.kt.rim.or.jp/~tsukasa/sento/Diary/tokyo/taito/imado.htm )。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年11月05日
全1ページ
[1]
|
先日、東京スカイツリーに上って来た事は、 に書いた通りですが、上る前に少し気にしていたポイントで、比較的見付けやすかったものとして、葛西臨海公園、東京ディズニーランドがあります。 特に、他とまとめるものも無かったので、一つの記事としてUPしておきます。 この記事の画像は、PCの場合、カーソルを合わせた際に右下に表示される+マークをクリックすると、別ウィンドウで大きく(実際は、UPした際の画像の大きさで)表示されます。画像自体にカーソルを合わせただけでクリックしても、別ウィンドウで画像は表示されますが、その大きさは、記事に表示されているもの同じとなりますので、ご注意下さい。 スマホの場合は、画像自体をクリックすれば、画像が拡大表示されますので、画像の範囲を移動させながら部分を見て行く事となります。 観覧車のあるのは葛西臨海公園です。その手前に流れているのが荒川(荒川放水路)。川の向こう岸に走っているのは、首都高 中央環状線、これが河口側(右側)で繋がっているのは、荒川河口の荒川湾岸橋。 首都高 中央環状線は、中川が荒川に寄り添う様になったところ(上記 先行記事)から、河口まで、荒川と中川の間を分ける堤防の上を走っています。この堤防は、河口から少し上ったところで終わりますので、それに伴って、首都高 中央環状線は、荒川+中川の河口の向こう岸に移ります。 河井臨海公園の観覧車は、東京スカイツリーから見ると、首都高 湾岸線の向こう側にあります。荒川湾岸橋の南寄り。画像では、新荒川橋の東京スカイツリー寄りにも見えるのですが、ここら辺は、錯覚のレベル。 でもって、この観覧車の左側に視線を移して行くと、東京ディズニーランドにある筈の「なんとかマウンテン」の一つと思われるものが確認出来ます。この右側に堤防らしきものが見えますが、これは旧江戸川に対するもの。葛西臨海公園と東京ディズニーランドの間には、旧江戸川が流れてます。 なお、東京湾を挟んで、向こう岸に当たるのは、市川市と袖ケ浦市に広がる、コンビナート群。地図で見ても間違いないところ。 ここから視線を左に移すと、次の画像で、先の画像と合わせて、河口から5つ目の橋まで写っています。 河口直ぐの1つ目の橋、荒川湾岸橋は、どこまでの範囲を荒川湾岸橋と呼ぶのか不明ですが、湾岸道路と、その上を高架で走る首都高、そして、JR京葉線が通ります。2つ目の橋は道路(都道10号線)と東京メトロ東西線。ここまでが、一番上と上から2番目の画像に写っている橋。 3つ目の橋から、直ぐ上の画像となりますが、都道10号線の橋「葛西橋」。4つ目の橋は、都営地下鉄 新宿線。5つ目の橋は、都道50号線の船堀橋。ここまでが、直ぐ上の画像で確認出来る範囲です。 6つ目の橋は、首都高7号線 小松川線の荒川大橋。この首都高7号線 小松川線の高架が、手前左を斜めに走っているものと考えます。 でもって、一番上の画像の画像の辺りの夕景。 実は、この画像だけが地上450m地点の天望回廊から撮影したもので、この記事の他の画像は、下の夜景も含めて、地上350m地点の天望デッキから撮影したものです。と言われても、差が分からない。この程度離れていれば、たかが100mの高さの差などほとんど見分けが付かない程度の角度の差でしかない、って事らしい。 地図で見ると、新木場と葛西臨海公園は、荒川を挟んで隣同士にも見えるのですが、新木場や東京ゲートブリッジが錦糸町の先に見えるのに対し、葛西臨海公園や東京ディズニーランドは、私の中で斜め左の方に意識されていたのが不思議と言えば、不思議。ほんのちょっとした角度の違いにも思えるところなんですが。
昼間は、そんな事を気にする事も無く、「あ、葛西臨海公園だ」「あ、東京ゲートブリッジだ」「あ、新木場だ」と撮影していたのですが、再度見て行くうちに、それが錦糸町の向こうにある事に漸(ようや)く気付きました。で、撮影した画像。 手前に錦糸町駅、左端向こう側に葛西臨海公園の観覧車、その右に荒川湾岸橋。一方、錦糸町駅の向こう側、右寄りには東京ゲートブリッジが小さく写ってます。対岸の房総半島の夜景も。 |
全1ページ
[1]



