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私は、以前から、日本で「保守」を自称する方々の論理が、どうも教条的であって、その心のありさまがマルクス主義者と瓜二つなのを訝(いぶか)って来た。最近になって、その起源(出自)と理由が明らかになって来た様に考えるので、ここで、その仮説を披瀝する次第。
それは、日本の「保守」を主張する人々の論理の脆弱な面と裏腹なのだが、意見の多様性を怖れ、均一化に向かう傾向が見られる事。そこに、論理的な由来を持つ様に考える。「標準モデル」で「国民」を語るのが、それらの人々の通例。「国民」が多様な価値観を持ち、当然、多様な意見を持つ事を認めない…と云うか、そう云う事態に耐えるほどの論理的な強靱さを持たず、そうした事態に耐えるほその精神の強靱さも持たない。
恐らく、その理由は、そうした論理の出自に由来する。私の考えるところ、江戸時代に、日本の「国民」は分断されていた。藩により分断されていたし、何よりも身分により分断されていた。士農工商と云う身分は全く交流の無いものではなかったが、それらの間には、歴然たる規範の違いがあった。明治時代に「民法成って、忠孝滅ぶ」とされた民法典論争があり、あれを日本の慣習法たる家族法を移入法たる西洋法により破壊する事に抵抗した戦いだった、と評価する人々がいる。確かに、そうした面はある。が、当時、家族に関する法的規範意識がそれまでの属した身分により、様々に分裂していた事を忘れるべきではない。日本はある意味では、分裂していたのだ。この分裂を「国民」たる意識で統一して行く過程、それこそが明治日本の歩みだったとも言える。そして、そうした意識を継ごうとし、そこに捕らわれた者が、現在の日本の「保守」を自認する人々なのではないか?と考えるのだ。
私は、実は「保守」を自認する人々の意識の在り方に、ちと疑念を持っている。それは、「現在ある制度のいいところを壊さず、生かしながら新しい事態に対処して行く」と云う柔軟な態度よりも、むしろ「昔存在したよきものを目指し、現在を修正する」って態度を採る者が多いから。それは、改革主義者、修正主義者と何ら変わる事が無い。これが、かつて広く存在したマルクス主義者の言動と瓜二つに見える理由だったりする。そして、「現存するもの」を守るのではなく、「もう無くなったもの」を目指す態度故、それは、どこか宗教者のエロス(宗教的に、上を目指す)的態度に通じるものがある。だからこそ、学生運動のセクト主義宜しく、派内闘争、分派運動が盛んになって行くばかりなのだ。これは、米国の宗教を背景に持つ保守層の動きに通じるものがある。
私の考えるところ、現在の日本で「真の保守」と評していい政党は、日本共産党以外にないのではないか?とさえ考えているんだが(笑)。何より、「どっちが『真の保守か?』」などと云う論争は、誰かの覚えメデタイ事を競う様なもので、「真の政治家」のとるべき態度ではない。それは、宗教家の採って来た態度そのものだ。
「現在の美徳」を守ろうとする政治家なら、「生活が第一」の態度を貫く筈だ(スローガンの同一である事だけを以て、小沢一郎が真の保守政治家だ、などと言う積もりはない)。その意味で「日の丸」「君が代」なんてものを「国民の生活」より大事なものの様に言う政治家に「保守」と自称する資格は無い様に思う。
国民の意識のバラツキを認め、耐え、その中で、国民の生活を第一に、ヘンナ理念(マニフェスト第一主義も、そうした理念の一つ)に惑わされる事なく、国民の生活、美徳を壊さず、日本を新しい事態に対応させようと努力する人、そうした方だけが「保守」の名に値する筈だが…私は、そうした「保守」に値する方は、いまだ見つけられずにいる。与謝野馨が態度的には近いのかも知れんが、ちと…将来に向けての手法に私は違和感があり、大切な政治家だとは思うものの、与謝野香をそのまま支持する気にはならない。
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なお、明治日本の目指した「日本の伝統」は水戸国学が先導したモデル像である。当時の日本が、それをモデルとした事は致し方ないものだったとも思える。が、明治に年号が変わって100年を優に超えた現在、それを再考する精神的余裕は持っておいた方がいい。
水戸国学は、文献によった学問的手法を採っている。それ故に、古ければ古いほど朝廷を中心とした文献しか残っておらず(文字が官僚国家=律令国家の成立と軌を一にして導入されたものである事も関係する)、それは朝廷中心の理念に結実するのが自然な流れだった。それが明治の「国民国家」モデルになったにしても、現在は、もう少し学問は進んでいる。様々な層の様々な歴史、そして規範意識の変動を見る事が出来る様になっているし、歴史の把握に準用出来る学問的知識も増えている。そうした面を動員しながら、現在の規範意識から照射してみる事が重要な気がする。
そうした中で、「保守」を自認する方々の中で、明らかに宗教的態度が紛れ込んでいる方も見受けられる。例えば、天皇の継承者について男系を維持すべきか、女系を認めるかの議論の中に「Y染色体」などと云うものを紛れ込ませる類の人間(例:安倍晋三のブレーンとも云われた八木秀次など)。Y染色体は確かに父から男子にしか受け継がれないものだが、その中の何が天皇の継承に力があったか?を特定して議論する事なく、それを男系の論拠とする事には失笑を禁じ得ない(私は、天皇男系と天皇をいただく統治形態について、別の歴史的仮説を持っているが、それは別稿に譲る)。
八木秀次は、憲法学者としては、私の最も軽蔑する部類に属する者だ。彼は基本的に「法律学者」ではない。1980年代後半の早稲田大学の憲法9条を巡る神学論争の中で隙間に育った徒花だ。彼が「保守」を語るとき、エドモ(マ)ンド・バークをよく引き合いに出すのだが、私は、その論拠にいつも違和感を覚えて来た。私が愛読し、私の中を貫通している基本的態度はエドモ(マ)ンド・バークから得たものだが、その持つ意味は、八木秀次の語るものとは180°違うものだからだ。エドモ(マ)ンド・バークは、批判する際の論拠たるものを「生活の中」「伝統の中」に求め、具体的にそれを語ったのに、八木はお題目の様に彼の名を語るばかり。その語る「保守」の内容は換骨奪胎した水戸国学になってしまっている。そして、八木は、実際の日本の歴史、民俗、言語について語る事は滅多にない。せいぜい、朝廷、公家の史実に言及し、明治時代の国家建設の過程、ドイツ法史学を語るだけだ。ドイツの歴史法学の代表の様に言われるSavigny(サヴィニー、ザヴィニー)が当初、ローマ法の研究から入り、ドイツの歴史、民俗(グリム兄弟は彼の弟子に相当し、言語研究、民話収集は、その成果)の研究の中で、大きく主張の内実を変えて行った事と同様の事を、彼らはいまだ行っていない。「あたらしい歴史教科書をつくる会」のメンバーによる著作集は、どこか解釈を主張する書の赴きを持ち、具体的な事実への執念も無ければ、愛情も感じられない(まあ、私の感想だ)。八木秀次が「生長の家」を信仰する者だ、と云う事と関係があるのかも知れないが、その本質の違いは何だろう?てのは、心の片隅で(真ん中で考えるほどの重要性はいまだ感じた事はない)気になっていた。八木の引用が、エドモ(マ)ンド・バークだけでなく常に、私の体得した本質から少しずれたものである事は気にはなっていたが、私と八木が違う人間なのだから、そうした事も当然かとも考えた(常に、元の著作の本質的などこかを綺麗に捨ててしまっているのも、引用の裁量からすれば、よくある事ではある)。が、最近、その本質的な違いに気付いた。エドモ(マ)ンド・バークは英国の保守主義者。英国の保守主義者は、多くの場合、自由主義者であり、エドモ(マ)ンド・バークも、その例に漏れない。が、八木秀次は、エドモ(マ)ンド・バークを語り(騙り)ながら、その実、宗教的理念を語り、一方向に国民を集約しようとする。その違いの理由は何なのか?それは本質的なものなのか?と考えた問いに対する答えが、上の様な理解を導いてくれた。
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〜 ヤフー・ブログの記事の文字数制限5,000字を超えた故、以下は「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/59200204.html )に続く 〜
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