黄色い蛇足@日立柏酒場裏

2019年9月以降は、https://reywa.blog.fc2.com をメイン(主たる)・ブログとします。

My opinion

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 ここでは、My statementとは異なり、何かの事件や記事に対する意見を載せます。外部的な何かに対応してのものと云う点がMy statementと異なります。
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 もう少し落ち着いてから…って思っていたものの、そんなにのんびりしていられない事態となり、また、毎日、展開が速くて、追いつくのだけでも、やっとな感じのする話題。説得する文章を考えていたのですが、私の考える結論だけは変わらないので、論旨の概略だけを先ず、示します。後で、文章をUPするかも。


(1) 放射能の測定は、同じところを毎日測る方式でなく、色んなところを測る方向に修正すべき(実施方針が、既に2011年10月25日に発表済み http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111025/t10013482241000.html )。

 看過出来ない濃縮例が出現している。例として、

 柏市根戸高野台にて、57.5マイクロシーベルト/h
  http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/society_kiji.php?i=nesp1319245663 (57.5μSB/hの値を報じたもの)
  http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20111024ddr041040004000c.html (原発の影響であり、雨水による濃縮と報じたもの)

 我孫子市の我孫子第一小学校、並木小学校などで10マイクロシーベルト/h超
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111025-OYT1T00150.htm

 「汚されちまった悲しみ」を感じざるを得ない。


(2)雨などによる濃縮、そして、その濃縮の程度が看過し得ない程度になっている箇所のある事が明らかになった現在、除染はやらざるを得ない。先ずは、高濃度地域から。
 (恐らく、同じ方向で実施する筈)  


(3) 流山市クリーンセンター、柏市南部クリーンセンターなどでは、ゴミの焼却灰の放射線濃度が高く、前者は保管量が増え、後者は操業停止。灰の放射線濃度が低いところも、フィルターの性能が低いだけで、再度、放射性物質を拡散しているに過ぎない。

 柏市南部クリーンセンターを操業し、灰を保管した方が、柏市北部クリーンセンターで焼却するよりもベター。

 松戸市でも、保管している焼却灰が溜まり続けている。


(4) 焼却灰、下水処理センターの汚泥、除染した後の土などを持って行くところが問題。他地域で受け入れてくれるところがあるのだろうか?「国が責任を以て」と言ったところで、受け入れてくれる場所が必要。

 <以下が提案の結論部となる>

 コンクリートで固めれば、外部で測定出来る放射能の値は低く出来るか?出来るのならば、コンクリートで外部を覆い、ブロック形状などで保管した方がいい。そうでないと、段々に作業をする人たちの安全さえ懸念される事態になる。
 コンクリートの下部、上部に噛み合わせの+または井の形を作って、簡単にずれない様にして、重ねて保管したら?重くて移動が困難になっても、それは簡単に盗めないと云うセキュリティ上のプラスも出て来る。
 コンクリートだけで放射能を防ぎ切れないなら、ブラウン管のガラス(鉛を含む)を、コンクリートと対象物の間に挟み込むって手もあるけど…コンクリートにひびが入った場合、雨水による鉛の溶出も心配しなければならなくなるのが問題。
 コンクリートにひびが入ったときの対応も考え、コンクリート内側に鉄やプラスチックでの内枠が必要。

 作業場は、流山クリーンセンターの横辺りを買収して、出来ない?最終処分に関しちゃ、地域内で考えざるを得ない場合も出て来るだろう。上記のコンクリートの強度を設計して、田中調整地の外側堤防の西側(多くは柏市。堤防の内側)部分に、並べ、堤防と同じ高さまで積み、堤防と合わせ、国道16号バイパスの盛土基礎にしてしまったら?
 国道16号バイパスについちゃ、外側堤防(越流部があり、どんなに頑丈にしても防災上のプラスは無い)よりも、農免道路部を利用した方がコスト上プラスと私は考えるに至っているが、放射性物質の埋め立てと云う別の目的が出て来れば、話は別。
 コンクリートのひび割れを考慮するのであれば、基礎に、もう一枚コンクリートの布基礎を敷くか。

 田中調整地の外側堤防の内側(西側側面)なら、洪水で流される訳ではないし、住居からも、それなりに遠い。農作地が隣接しているが、コンクリートで覆って、放射能の直接の影響は無い様にする事は出来るだろう。或る程度は、これで保管場所が確保出来るのではないか。東京都などの焼却灰も受け入れる事が出来るかも。
 それ以上に保管量が増えたら…国道16号バイパスの盛土を、農免道路部分に、もう1本通すか。上に積めば、調整地の面積をさほど削らずに済み、調整地の機能をそれほど減じる事なく済ます事が出来る筈。

 もっと増えたら…利根運河の国道16号以東を、流水の導管を通した上(流山市部分の親水公園としての機能を維持する為)で、そのコンクリートで埋める。利根川近くと、流山市近くの部分は、堤防と同じ高さまで土で封じ、水害に備える。国道16号バイパスとして、道路に流用。堤防の土があるので、周囲への放射能の影響は阻止出来る筈。問題は、コンクリートにひびが入った場合、下の導管を通って、汚染物が流水に漏出し、それが江戸川に流れる可能性のある事か。漏出は、そんなに大量になる筈は無い筈だが。

 また、流山クリーンセンターと東葛病院の間に輪中の様に盛土で堤防を築く基礎にしてもいいかも。現在の江戸川堤防は一箇所が壊れたら、それで流山〜松戸の低地部分(市街地部分だ)が浸水する構造になっているので、そのリスクを一部限定する為。それを都市軸道路の基礎にする手も。
 
 以上は、他用途である道路の盛土基礎に放射性物質の保管コンクリートを埋める事で、保管場所を確保すると共に、行政コストを無闇に増大させないって事を意図したもの。反対の意見も沢山あるだろうけど、他力本願では解決出来ない問題だと考えている。

 まあ、端緒は「思い付き」だが、どう考えても、この方法以外に現実的な対応策を、今のところ私は思いつかない。一応は、検討してみて欲しい提案と「私は」考えている。コンクリートで覆っても防げないほどの高濃度放射性物質は、こんな保管方法ではダメだろうけど、低濃度なら対応可能じゃないか?こんなに大量の放射性物質や除染後物質が柏市近隣で出るものか?って方が現実的な問題だと思うが。

 なお、受け入れに関しては、充分な対応をしないと、焼却灰や除染と関係ない産業廃棄物なんかが持ち込まれる可能性もあるので、行政経由のものに限るか、住民登録と合わせての市役所でのチェックと、一回当たりの量の制限、トレース出来る体制の整備(産業廃棄物などが持ち込まれた場合の、復旧費用と損害賠償の確実な取り立て体制)、なんかが必要になる筈。

 2011年の女子サッカーW杯の日本代表の優勝を受けて、女子サッカーW杯の開催国に立候補すれば、開催国になる事も夢ではないと伝えられる。これから決定される最も早い開催年としちゃ、2019年らしい。でもって、問題としちゃ、

(1) 東京に女子サッカーW杯に使える様なサッカースタジアムが無い。
(2) 2019年にラグビーW杯開催があり、同年開催となってしまう。

て事らしい。

 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 逆に、考えてみれば、こんな事もある。

(A) 2019年のラグビーW杯開催は決定している事項であり、東京にラグビーW杯開催に使えるスタジアムが無いのは、上の(1)と同様。どう対応するのか?

(B) 2019年開催だと同年開催だが、1回分ずらした2023年なら同年開催ではなく、スポンサーの問題もクリア出来るし、スタジアムもラグビーW杯で整備したものが利用出来る。

 この二つの事を考え合わせると、日本は2023年の女子サッカーW杯に立候補する積もりで準備した方がいいのではないか?何と言っても、現時点でこうした大会の立候補に乗り出す事は、福島第1原発の収拾の見通しが明確でない事から考えると、あまりに不誠実だと考える(2020年の東京オリンピック開催についての私の主張 http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60788139.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60788162.html 参照)。

 ラグビーW杯のメインスタジアムの要求規模や、女子ラグビーW杯のメインスタジアム(決勝戦)の要求規模がどれほどなのか判らないが、女子サッカーW杯については、2011年の今回大会でも3万人ほどでOKだった筈だから、将来の大会といえども男子のW杯の様に8万人とかオリンピックの様に10万人とかいった規模ではないだろう。であれば、2019年のラグビーW杯開催が決定事項である事から考えても、2023年の女子サッカーW杯の開催を目指してもいいだろうと考えるのだ。

 勿論、今回の日本(なでしこJAPAN)の優勝のインパクトは大きく、今回直ぐに立候補するのが、開催だけを考えるのならばベストであるとは思う。が、福島第1原発の収拾(収束)が見えない現在、それは急ぎ過ぎだと思うのだ。万が一、これから女子サッカーが急に弱くなってしまい結果を残せないのならば、そんな国は開催には値しないだろう。4年間、待ってみようではないか。

 ストレステストと云う聞き慣れない用語(それまでは、金融検査でたびたび報道されたが)が原発でも話題になっている。

 が、これは、話題になった当初から、「コンピュータ上でのシミュレーション」を意味していた。それに加えて、まだ「どの様に行うか?」も、はっきりと決まっていない代物(一次検査と二次検査に分ける事は決まったが)。

 原発には解析用のシミュレーションソフトが既にある。それを使って、「想定外」であっても実際に起こった出来事など(東日本大震災)の範囲までシミュレーションを行おうとするものだろうが、これは定期検査とは何の関係も無い。定期検査ってのは、物体としての原発の状態を確認するものなのに対して、ストレステストは、コンピュータ上でのシミュレーションなのだから、運転中でも可能。今でも、やり方さえ決まっていれば全原発に於いて、出来るもの。

 これを、定期検査と絡めて「ストレステストを終了しないうちは運転を認めない」てのは、論理的には、かなりおかしい。

 勿論、「ストレステストで問題が見つかったら、運転を中止する」のは判るが、既にストレステストのやり方が決まっているなら、直ぐにでも実行すべき。それを定期検査と絡めるのは、無闇に原発の停止期間を長くするだけ。それで影響が何も無いなら、それでもいいのだが、現実には電力不足で「国民の生活」に大きな影響を及ぼす。

 こうした「国民の生活」を考えない、論理的におかしな政治的決定は、高速道路料金でもあった。高速料金の際は、右往左往で、実際にどういった方向に行くのか判らないし、どういう論理なのかも判らない場合があった。論理的一貫性が無いのは、民主党政権の党内の政策決定過程の問題でもあるんだが、菅直人自身も言った事を都度変更しちゃう人なので、そのブレが更に増大してる傾向がある。

 とにかく、ストレステストとの定期検査と関係づける、現政権の頭の構造は、よ〜判らん。

〜 「その1」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60788778.html )から続く 〜

(3) 墓地は、現在、公共のものでない限り、宗教法人にしか認められないものと認識している(個人で自分の親族の墓地を作る事が可能か否か、は知らないけど、そんな事を考える人が少数派であるのは間違いなかろう)。

 そうした中、主に寺が墓地を担っている。これは、江戸時代に寺(仏教系)に住民の登録・台帳(正式名称は何だったかな?)の管理を任せた江戸幕府の制度に由来するもの。この江戸時代の制度のお陰で、仏教の寺は葬式仏教と言われるものに成り下がった。

 現状では、墓地は、寺の経営維持と石屋の売上拡大、それに加えて金融機関の融資先の開拓の3者の思惑で、新設が相次いでいる状態。墓地の新規需要がある事は、(1)に書いた様な事情があり、間違いない。でもって、3者の思惑で墓地面積は拡大する訳だが、これは、長い目で見れば人口移動に伴うものであっても、むやみに墓地面積が拡大する事は、(2)に書いた様な事情で、望ましい事ではない。
 江戸時代までは、江戸では、墓地の移動は、そう珍しい事ではなかった。墓地であった土地が、何かの際(大火など)に、いきなり住宅地になる事はよくあった。そうした際には、埋められた骨などは そのままで、その土地は他用途に使われ、墓地は新しい土地に移って行った。なので、ビルの建設に際し、基礎工事などの際に大量の人骨が出て来るのも珍しい事ではない。が、契約関係がしっかりした現在、墓地はそう簡単に移動出来ないだろう。であれば、細かな土地に権利関係が入り組む墓地は、都市計画上の隘路とも成りかねない。都市計画上の道路予定地などに墓地を建設する事を差し止める権限を地方自治体に与える(立法措置が必要となる)べきだ。

 また、需要があるのだから、供給があっても当然なのだが、その需要の在り方には一考が必要。「近くに墓が欲しいが、墓が無い」からの需要だが、本当に今の様な墓地でなければならないのか?1家に1台(基?)お墓が無ければならないのだとすると、公共の墓地で対応は出来ないだろう。が、違う形なら公共の墓地で対応出来る場合もあるだろう。信仰があって、墓をそこに求めるならそれは幸せだが、信仰も無いのに、墓が欲しいだけでそこに墓を作って、本当に幸せか?幸せならば、それはいいのだが…。
 墓をそこに作ったからと言っても、今の日本は転勤も多く、移動も多い。だからこそ墓を作ったのだろうが…子孫がまた、どこかに移動するって考えないのかな?田舎から大都市圏に出て来て、みなそこに住んで行くと想定している(まあ、子供はその周囲に住んでいるのだろう。だからこそ、なんだろうが)が、更に、その子孫になったとき、同じ都市圏にいるとも限らないだろうと思うんだが…。名古屋から東京に移って、そこを終の棲家と思う場合もあるだろうし、その逆も。この程度ならまだいいけれど、もっと遠い場合もあるだろう。そのときにも、同じ墓が代々受け継がれて行くとでも思ってるのだろうか?自分は、そうしなかった癖に。私は、そうした態度を幾分不思議に思うばかりだ。

 私の考えるのは、草木葬の様な形で埋葬し、そこを公園化する事。埋葬場所は、GPS測定して記録に留めればいいと考える。それならば、埋葬者の増加に伴って、墓地の敷地が延々と拡大し続ける事は防げる。次第に、土地の高さは上がって行く事になろうが、200〜300年のスパンで埋葬を可能にする程度の計画を以て行ったらいい。全員が、そうした形の埋葬を受け入れる必要はない。そこは、個人の信仰や埋葬観に従えばいい。以前の様な墓がいい人、以前の様な墓に入る事を望む人は、そのままに置けばいいが、「新たな埋葬場所が現在住んでいる場所の近隣に欲しいが、墓が無い」と云う人、もしくは「信仰も無い寺の墓地を維持するのが煩わしいし、それを守って行く気も無い」と思う人の墓地として考えればいい。場合によっては、以前の墓を移す形での埋葬(何十年も昔に亡くなった人の埋葬)を受け入れてもいい。
 こうした事を公共が行えば、以前の形の墓園には、営業が抑制される事になる。が、信仰ではなく埋葬する場所を求めて寺の墓地を求めているのなら、そして、そうした者が寺の墓地を求めなくなるだけなら、「民業圧迫」とは口が裂けても言えないのではないか?(もはや宗教者と言えない類の者は、平気で言うかも)

 敷地の一定区域を自分たちの子孫で占有する形でないのなら、埋葬費用も安く出来る筈だ。少なくとも、管理料は不要だろう(公園なら、管理料を納めない者への制裁措置も採り難い。たとえ、公園の入場料を万人あるいは部外者から徴収するとしても)。現在一般的な永代供養料より安く出来るし、管理料も不要、おまけに墓石代も不要(と言うか、墓石は作らせない意向)。どうしても墓石らしきものが作りたい人は、管理者(地方公共団体なんかを想定)の承認を得る事を前提に、彫像などの芸術品を寄付させて台座に「○○の思い出に」なんて刻ませる事で替えればいい。かなりハードルは上げてしまって、構わないだろう。彫像などに関し地震などの安全面に配慮するのは、当然で、故人の彫像レベルは原則認めない。美術館収蔵レベルのものしか認めない事にしたら、いい。

 こうした事を行うには、火葬場の仕様も変える事が望ましい。現在の火葬場は、遺骨の形を留める為、かなりの低温で焼く。その為に、火葬の時間も結構掛かる。こうした事情で災害時には火葬が追いつかない事になる。が、草木葬の様な形で一緒に埋葬されるのであれば、高温で焼いて、頭蓋骨などの形を留めないものを遺骨としても構わないのではないか?そういう火葬場であれば、処理能力は格段に高まる。災害時にも、ある程度対応出来るかも知れない。関西では、遺骨の結構な部分を再処理に回して、貴金属などを回収しているのだが、そうした事も考え合わせ、処理態様を決めたらいい。そこら辺は、個人の葬送に関する感情も絡んで来るだろうが、どこまでが合意出来る範囲だろう?現状では、国民の多くは、葬送について、事前に本当に真剣に考えているとは思えない節もあるのだが。

 あと、私の考える、もう一つの方法は遺骨で作るピラミッド。遺骨(リン酸カルシウムと考えていいのか?)を集めてピラミッドの形で積んで行く事。遺骨を集め、ブロック化し、それを積んで行く。せいぜい150m程度のピラミッドにする事で、200〜300年、1つのものを作り続ける事を想定。遺骨を圧縮して、ブロック化。私の感じている懸念は、一番下の部分のブロックを、以降重ねられるもののの重さに耐えられるだけのものに出来るのか?って事。そうでなければ、補強剤を間に挟むか、エジプトのピラミッドの様に重量を軽減する為、内部に空洞を作る事になる。埋葬後200年程度経った時点で、ピラミッド自体を防潮堤とかスーパー堤防、道路の基盤材や盛り土部分の素材とする事あらかじめ認める約束にしておけば(人々の葬送感情が絡む)、死後に皆の役に立つ事になるし、ピラミッドが無闇やたらに林立する事にはならない筈だ。
 ここでピラミッドにするのは、幾何学的な形だから、と言うに過ぎない。現状でも、遺骨を集めて仏像にしている寺はある、しかし、仏像では、宗教観から認められない者も出て、地方公共団体なんかが営々と運営して行く事が難しくなる。だから、ピラミッドと言っているに過ぎない。都道府県2つに一つ(北海道と沖縄を例外として。場合によっては、都道府県に一つ)程度の割合で敷地を確保すれば、いいだろう。関東では3つか4つ。まあ、形はピラミッドと言えど色々ある訳だし、前方後円墳形でも構わないのだが…。
 問題点としちゃ、多くの人の遺骨を集める事になるので、お彼岸の様なシーズンだと、参拝者を捌く事が可能か?って問題も出て来る。交通規制と公共交通の設定(バスなど)は必要だろう。全部が全部、そうした埋葬を選ぶ訳でも無かろうし。周囲を公園化しておけば、通年での観光や参拝へ向かわせる事も出来ない事ではなかろう。テロの標的になりやすいかも知れない、って懸念もあるけど。
 私の想定する場所は、関東だと、九十九里浜地域や、ひたち海浜公園付近だったりする。でも、そうした地域だと、液状化で基礎が傾かない様な工法も必要だけどね。基礎からして、遺骨ブロックを活用したらいいんじゃないだろうか?コンクリートや遺骨ブロックで何年間ほど運営出来る代物になるだろう?

 以上の2つの方法は、火葬を事前に想定しているので、土葬を選ぶ者には対応出来ない。が、現在の日本では、土葬を選べるのは限られた慣習的地域(北海道の函館近辺の特定地域)とか、イスラーム教徒など。そうした者は多数派ではないし、土葬を可能とする区域が限定されととて、国の補助を得られないとしても、それなりの場所でそれなりの費用を掛ける葬送しか選べなくとも、それが宗教的差別に該当するとは考えていない。


(4) 以上の考えは、主に将来に向かって書いたもの。

 が、今回の東日本大震災の被災地で墓地も流されてしまった土地のうち、葬送感情が許すのであれば、(3)の様な墓地を海岸沿いに作り、公園化する事も考えてもいいかも知れない、と思っている。全ては、そこに住む者の葬送感情が第一優先であり、強制的に進めるべき事項ではないのは当然の事。

 葬送感情と言うが、土地によっても、時代によっても様々。慣習的に土葬が主流で現在でも土葬を許可する土地もあるし、関西では遺族が引き取る遺骨は、実際の遺灰の一部であって、他は産業廃棄物扱いでリサイクル(貴金属などが取れる)に回っていたりする。また、江戸時代の江戸では、町人の墓地は比較的頻繁に土地替えされ、埋葬された遺骨は新たな墓地に埋め直される事は無かった。だから、今でも建設現場で人骨が大量に出て来たりする事が稀ではない。葬送感情も段々変化して行くものだと考えた方がよい。
 そうした中で、行政が対応するとしたら、何をするか?って事だ。個々人の宗教感情で従来通りの墓地に埋葬する人が主流であっても構わない。どういう部分を行政なりが担うか、って問題。

 こんな事を考えたのは、実は、東京都千代田区千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑が発端。靖国神社は誰一人として遺骨を納めていない(実は墓碑はあるが…)が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑では10万人を優に超える遺骨が、あの狭い土地内に実際に納められている。遺骨の一部を選んだ訳ではなく、遺骨が全部。2度に渡る焼きと、圧縮を経ての話だが、10万人を超える遺骨も、あの範囲に収める事が出来るのだ。勿論、個々の遺骨は容器で区別される事なく、一緒になって埋葬されているのだが。そう考えれば、葬送感情さえ許せば、墓地は、そう広い土地が必要な訳ではないのだ、って気付いた次第。この様な話を知ったのは、もう数十年前の話になるのだが…。それから万人単位で遺骨(南方などで収集したものを含む)が増えている筈。

 いつものこのブログの傾向だと「基地」の打ち間違いだと思われるかも知れないけど、タイプミスではなく「墓地」。

 もう少し考えをまとめてから…とも思っていたのだが、そう考えているううちに数年が過ぎて行き、東日本大震災が発生した。現時点での考えをレジェメかメモとしてUPしてみる積もりで書きます。
 恐らく、基本的な考えは、変わらないのではないか、と思うから。記述部分も多くなると思うけど、それでもレジェメかメモ。先にそれだけでもUPしてみる事で、他人様から反論やら批判やらを頂ける機会もあるだろうし。

(1) 私は、現在の墓地の状況に、いささか懸念を感じている。核家族化が進展した事で、墓の新規需要はあるが、それでは以前からの各「○○家の墓」は継続して行くのか、と言えば、その存続も不安。

 と言うのは、核家族で「○○家の墓」を作って、作った当初の夫妻は、それを子孫が守って行ってくれると思っているかも知れないが、少なくとも各家庭に二人の子供がいない限り、それは困難。と云うのは、自分の入る墓を一つに決めてしまえば(分骨して複数にする事も可能ではあるのだが)、子供夫妻が一緒の墓に入るとすれば、片方の親の墓は、孫にとっては祖父母の墓でしかなく、親の墓ではない。祖父母との思い出の量が墓参の量を決める事になる。では、その更に子孫は、どうか。思い出のない世代しか生き残っていない状態になったとき、その墓は打ち捨てられる事になるだろう。

 永代供養と云うものがあるが、当初の永代供養料を納めれば、そのまま墓を維持して貰えるか、と言えば、そんなに簡単なものではない。多くの墓では、管理料を滞納すれば、何年かすれば合葬される。合葬される事によって、墓のスクラップが進み、そんなに墓が増加する事は無い、との意見もあるかも知れない。が、それは常に調和の下で行われる訳ではない。このままだと、墓はこれからの数十年でピークに達した後、急速に打ち捨てられる事になる。現在とて、そうして打ち捨てられた墓の墓石が不法投棄されていたりする。


(2) 墓地の増加自体も、都市計画上、好ましいものではない。墓地は公共の管理のものや以前からあるもの以外、宗教法人の管理となり、墓地になった途端、非課税になるものと考える。非課税の土地は、当たり前の事だが、税金を納めない。そうした土地が地方公共団体の中で増えて行くと、地方公共団体の財政上、好ましい結果は生み出さない。墓地の敷地の総量を一定割合に制限する条例は、あって然るべきと考える(あまりに現状からの増加が少ないままでの条例での制限は、却って墓地の高騰=取り敢えずの収入増、などをもたらすので、抑制の為には、現状からある程度の幅での墓地造成を認める事とする条例化が必要。取り敢えず、既存住宅から一定距離離す条例もあって然るべき)。

 石屋や宗教法人の現時点での利益を何とか上げる為(宗教法人のいくつかにとっては、過去からの法人の維持に欠かせないものの場合もあるだろう)、墓地の新設を行う事が多いが、これが未来の為にいい事であるか、は、それぞれの場所で検討しなければならないだろう。墓地の増設は、好ましいと思われない場合も多い筈。

 墓地は、新たに作るときは忌み嫌われる事が多いが、以前からの墓地の近くに住む事には、あんまり抵抗の無い人もいるみたい。この差は、私には不思議な事と思われるんだが…。

 また、災害対応で言えば、日本の多くの墓地は、地震に際しては危険地帯と化する。それは、明治以降の墓石の形態が、膠(にかわ)で上の墓石を止めただけのものが多いから。江戸時代までは、上の墓石と下の土台は一体型のものが多かった。が、明治以降、膠で繋いだだけのものが多く、そうした墓石は、大地震の際には上の墓石が「飛ぶ」。新潟県中越沖地震の際には、そうした事で1名(猪俣孝 氏)が亡くなったし、甚だしきは墓石が丘陵地の上から飛び、傾斜地の下の家を直撃した例もあった(新潟県中越沖地震@柏崎市 2007年)。
 現時点での墓石がそうした形を維持するのならば、最低限の制限として、新たな墓地を作る際には、そうした墓石は隣接地から離す事だ。条例などで計算式を設定したら、いい。墓石上部重量×2,400ガル(ガル加速度なので、計算可能)で土台からの高さで隣接地に達しない様にする必要があるだろう。実際には、下に付いた後で更に転がる。それを防ぐ為に、防ぐ事の出来る強度のフェンスや樹木を設けるのが妥当と思う(これは墓石重量×2,400ガルをそのまま当てはめるのがいいだろう)。2,400ガルは、今までの地震で測定された最大値相当だが、墓地は地盤のしっかりした土地に作られるものでもなく、むしろ地盤の弱いところに作られる傾向もあるからフェンスなどは3,000ガル相当で計算した方がいいかも知れない。そしてフェンスで防げるならば、その分、隣接地から離す距離を縮める配慮をしてもいいかも。でもね、フェンスにはフェンス自体の耐震強度が必要になりますし、何より心配なのは、フェンスなどの経年劣化。鉄などで作った場合、錆などで劣化して行く場合がある。これを防ぐには、条例で、あらかじめ罰金を設けておくか、フェンスが劣化した場合のフェンス強化命令権限と従わない場合の墓石の撤去権限を地方公共団体に与えておく事が妥当と考える。

 デンマークなどには世界遺産指定を受けている墓地公園まであるのに、何故、日本の墓地は、この様な危険地帯と化しているのか。それは、様々な歴史的経緯によるものだろうと思ってる。日本は草生す地。それ故、草が生えてもそれに埋もれない様な墓地である事が望ましかった事情もあるだろう。それに加えて、仏陀の墓とされたストゥーパから卒塔婆の形が生まれ、それが木となったり(今の所謂「卒塔婆」)、墓地の粗型となったのではないか、と私は勝手に考えている。これが、明治以降、膠で固定される様になったのが危険の始まり。昔は、墓石を伴う様な墓は少なく、多くは貴人の個人の墓であった為 固定式であったのに、明治以降庶民まで「○○家の墓」として作る様になった為、骨壺など(これは地方により様々な形態がある)を納めるのに便利な様に膠で固定する様になったのだろう。
 なお、標識として墓石を考える事で思い出すのはモーリタニアの世界遺産の地。彼の地では、砂漠の薄い上皮層を剥ぐと頁岩の現れる地があり、頁岩(割れやすい)で住居を作る土地があるが、そうした地の墓地は、墓石が砂で埋まると、その上にまた墓石を置いたりする。

 現在から百年ほど経ってから首都圏に大地震が襲ったなら、多くの墓石が「飛び」、そうしたときに「打ち捨てられた」墓は対応が採られず、そのままになり、墓として活用されている墓地の墓参にも支障を来す事態は、容易に想像出来る(まあ、時間が経過するうちに、何とか墓石を元通りに出来るかも知れないけど)。首都圏での大地震は、百年後と言えど、多くの住民に耐え難い生活を強いる事だろうし、墓にまで考えが及ぶのは長い時間が経ってからになるだろう。新潟県中越沖地震の際も、墓立て直しのボランティア活動があったが、それが比較的早く始められたのは被災地が直下型地震で限定されていて、住民の数も限定されていたからに他ならない。


〜 ヤフー・ブログの記事の文字数制限5,000字を超えた為、記事を分け、以下は「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60788781.html )に続く 〜


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