黄色い蛇足@日立柏酒場裏

2019年9月以降は、https://reywa.blog.fc2.com をメイン(主たる)・ブログとします。

単なる感想

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自ら、「見聞が狭い」と認めるけど、自分なりの意見を書ける書庫として「単なる感想」を作ります。ここでは、「My opinion」より確実に見聞の範囲が狭く、それが妥当なものかどうか疑問があるけど、自分なりに感じた事を書いて行きます。
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(1) 米国のイーストマン・コダックが連邦破産法11条(章)の適用を申請した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120119-00000066-reut-bus_all

 米国は連邦国家で、米国の成立以前には「分割不能」とされた国家主権自体が分割されている。ある分野は、連邦が管轄するが、それ以外の分野は各州が管轄し、そこで最終決定される。だから、州の管轄分野は、どこまで行っても各州の問題。各州の最高裁が最終判断を行い、連邦機関が介入する事はあり得ない。だから、連邦国家の司法については管轄(jurisdiction)が大きな意味を持つ。
 でも、市場としての基盤を拡げる必要から、当初予定された州際通商(inter-state commerce)条項(連邦憲法で規定)を拡張する事などで、連邦は、その権限を強めて来た。FBIまで、この連邦通商条項によって成立している。200年に亘る米国連邦憲法は、そうした運用を以て、維持されて来たもの。規定の文言だけを見て判断する訳には行かない。これは、判例主義と呼ばれる法律の存立根拠に関わるものを反映した結果でもあり、英国は、条文上は未だに国王による独裁国家。主権は、国民ではなく、国王にある(笑)。但し、そこで言う国王権限は、resis im parliament(議会に於ける国王。現在は女王なので、regisではなく、reginaだが)であり、条文上は議会主権と言ってもいいもの。主権の在処は、国民ではない。条文の文言だけに注目してはイケナイ。なお、英国は成文憲法ではないと言われるが、それは、法典(code)としての憲法を持たないと言うだけの事であって、関連する各法律が憲法としての意味を持つ。つまり、議会の議決だけで憲法改正が可能って事でもある。何でもかんでも、自分の国の制度だけで他国を見てはイケナイ。

 長々と書いたが、これを必要としたのは、米国では会社法は各州の権限範囲なのに、破産法の一部は連邦法である矛盾があるから。会社を作るのは、各州の法制によるが、破綻する際は一部で連邦法が適用出来る。まあ、市場としちゃ、米国は一つの市場ですから、きっと州際通商条項を根拠に作られたものなんでしょう。ちなみに、米国の大企業の大部分は、デラウェア州立法人だったりします(デラウェア州の法律に基づいて作られた法人て事)。税法の所為ばかりではなく、使い勝手の良さから、ケイマン諸島(ここにファンドが集まるのは、税法故)みたいな感じで集まったもの。別にデラウェアに歴史上の端緒がある訳ではなく、ある段階で、そう宣言するもの。
 破産法が連邦法である事には、それなりの意味があります。米国は市場としちゃ一つですから、債権者は連邦全体に渡る場合が多い。ただでさえ、企業の活動事業領域と別に宣言だけでデラウェア州立法人になっちゃう会社もあるのですから、債権者が他州の会社や個人に渡る事は多い訳です。

 で、連邦破産法11条ですが…Chapter 11ですから、11章って訳してもいいものですけど、この条文のかなりの部分は、日本で言えば破産ではなく、事業再生規定。日本の法律で言えば、民事再生法に当たります。今までの債務を制限し、事業の再生を目指すものです。諸行無常と嘆くのは簡単ですが、「破産法」と云う名に惑わされはイケマセン。


(2) 連邦破産法11条は、事業の存立基盤が大きく変わる場合には、数多く申請され、適用されて来ました。最たるものが航空会社。今や米国に本社のある全ての航空会社(LCCを除く)が連邦破産法11条適用の過去がある事になった筈。昨年2011年までは、アメリカン航空だけがこうした経緯無く存立出来ていたのですが、昨年2011年11月29日にアメリカン航空も、米国破産法11条の適用を申請しました。

 この債務再編の意味のかなりの部分は、退職者などの医療負担です。米国は、信頼出来る国民医療保険が無い唯一の先進国です。1929年の大恐慌前に、フォードなどの大企業は、給与レベルの他社との格差を批判された事で、給与支払を増やすのではなく、退職後の医療負担などを保証する事で人材を集める戦略を採りました。そして、国民全体へ適用される医療保障は、少々なおざりになりました(高齢者層への医療分野の社会保障は、米国でも今は存在します)。
 会社が同じ様に存立出来るのであれば、大きな問題は無いのですが、今や会社の存立基盤は、人生の長さより短い期間で構造変化を起こす事があるのです。そこで、債務整理の一環として、大会社でも退職者の医療負担をカットする必要が生じている訳。米国では、高齢者の医療分野での社会保障が全く無かったならば、大きな社会問題になった事でしょう。が、社会保障があるから、何とか事業再編が可能な訳です。

 この理屈は日本でも同じ。後期高齢者医療制度を単純に批判する勢力がありますが、こうした制度は必須だろうと思います。但し、制度は、まだ未整備であり、不断に改革して行く事が必要ですが。私の嫌悪するのは、後期医療制度を導入した自民党に見られる、現在の姿勢。
 民主党の「後期高齢者医療制度の廃止」なるマニフェストは噴飯物であり、何らの改革にはならないと考えます。この意味で、長妻昭に、厚生労働大臣だる資質の無かった事は明らか。彼は、年金改革担当の無任所大臣にでもしておけば、良かったのです。まあ、その後も資質に欠ける人が続いてはいますが。
 嫌らしいのは、自民党の方も含みます。この後期高齢者医療制度を導入したときの衆院の厚生労働委員会の委員長は、私の住む千葉8区の桜田義孝(現在、国会議員ではない)ですが、彼はチラシなどで「官僚に欺された」のだと公言しています。そして、どうするのか、との問いには「改善します」とかの無策のまま。何も考えていないか、イイカゲンな事をやり、また何かあったら「欺された」とでも言うのでしょうか?
 それ以外では、片山さつきなんかは「突き抜け方式」を言っていた事がありました。会社の健康保険で対応可能な層は、会社の健康保険に任す、って事。しかし、マトモに考えれば、この裏では、後期高齢者医療制度の負担金は払わなくてよくなると云う事なのでしょうか?後期高齢者医療制度の負担金を払って、なお退職者を支え続ける事の出来る会社や健康保険組合って、どれくらいあるのでしょう? 後期高齢者医療制度の負担金てのは、健康保険の構成員の年齢構成が若い組合の「自分だけがよければ、それでいい」って事を許さない制度でもあります。成立年限の浅い会社や、事業分野では、安い健康保険料や、健康保険料をそう落とさない場合は、手厚い保証が出来た訳ですが、年齢構成だけでそうした事が出来る事を許さない、って事。本当に給与水準が高い場合だけ、手厚い医療保障が出来る、って事です。
 全ての産業分野は、グローバル競争の中で、またイノベーションの進展の中で、産業自体の大胆な変革が必要であり、また、そうせざるを得ないのです。大会社が大会社のまま存続出来る保証なんて、そう高い訳ではありません。こうした歴史認識があれば、会社の制度を退職後もそのまま適用させ、それで良し、とする様な単純な頭では、世の中を上手く回す事は出来ません。
 片山さつきは、代ゼミ時代から秀才と謳われた方ではありますが、女性として世の中を渡って行く過程で、今までの制度を変えて行くって努力よりは、今までの制度で一番になる事に力を注いで来た様に見えます。「同じ土俵」で、同じ様に戦い、のして来た。しかし、その事で制度の根本を考える事には意を注ぐ事が少なかったのではないでしょうか?片山さつきの言動を見る限り、「タダのオッサン」に過ぎません。制度の根本を考え、先を見据えて対策を採る姿勢に乏しい。

 何よりも、公務員共済の年金や医療保険は、郵政職員が離脱した「途端に」破綻する運命にあります。郵政職員の人数が多過ぎる為、離脱した途端に「賦課方式」で回して来たものが破綻する。ですので、竹中平蔵が主導した小泉改革でさえ、郵政職員は、そのまま公務員共済制度に残る様になっていました。
 そうした基礎の上に立っているのに、また、福島第1原発や今までの財政で「失敗した」経営の従業員であるのに、あたかも「成功した」大企業の水準の年収を保証される公務員の給与の在り方は、これでいいとは思えません。国会議員も同様です。

 イーストマン・コダックの連邦破産法11条の申請から、こんな事まで及んでしまった訳ですが、事業分野の時間軸での変転を、どう考えて、制度を構想するか?って事です。そして、全てをリセット出来る連邦破産法11条の適用を支える社会的背景を考え、同じ様に考えるべき分野があるのではないか?と考えを及ぼす事でもあります。

 NTTが退職者の半数を超える賛成を基に年金の支給水準の改訂(低レベルへの移行)を申請したのに、判例の従来基準に合わないとして申請を認めなかった判決に関しても、法律(国会は、法律改正により、法律に関する判例を変える権限を持ちます。憲法に関する判例を変えるには、憲法改正でしか対応出来ない場合が多いでしょうが)で対応策を打つ事が必要でしょう。このままでは、大企業は、早晩、事業再編が上手く行かず、日本の法制の下での「破綻」に繋がるか、あえぎながら生きて行くしか、ありません。退職者でも反対者がいる事を重く見、財産権の保護として年金を捉えるだけでいいのでしょうか?
 また、東京電力の様に、何とか生きながらえさせて貰っている企業が、原価包括方式や財産権の保護の名の下で、他よりかなり恵まれたレベルの年金や給与(特に賞与)を貰い続けるとすれば、数年内に東電職員や東電退職者を狙ったテロが頻発する事になるでしょう。、私たちは、そうしたテロが起こった場合に、「起こっても当然だ」との感覚を持つ事になりかねません。そうした場合、東京電力職員や役員、退職者に対するテロは歯止めが利かなくなります。東京電力や国家公務員は「社会に生かされている」と云う意識が、今や余りに低くなっているのではないでしょうか?

 テロが頻発する様になれば、そして国会が何も決められないままでいれば、軍事クーデターの発生もそう遠くないと考えています。これについては、別稿で書く事にします。

 〜〜〜〜〜

 何か書いてる途中で、心が落ち着いて来た(笑)。これで全て論じ切ってる訳でもないけど、取り敢えず、ここまで(爆)。ここでUPしてしまう。読まされる方は、堪ったもんじゃないとは思うけど、まあ、これが私のブログ(←投げやり)。
 アルコールでも飲んで寝て、明日に備える事にしよう。

 また、何か思いついたら、書き足すかも(←しょ〜も無い)。

 文体が(1)の最後の辺りで変わってるのは、そこら辺で何時間かの休憩が入ってるから(笑)。まあ、解説と説得との差もあるかも(←書いた当初は無意識、って事)。

 先ずは、このニュースを。
 
http://www.j-cast.com/2011/12/19116832.html
http://www.j-cast.com/2011/12/19116832.html?p=2

 こんなインタビューって何時放送されていたのだろう? 私は、試合はきちんと最後まで見たが、こんな場面は見ていない。通例でも、試合が終わればさっさと見なくなる(注意は他のところに行く。セレモニーは無視)ので、TVから流れていたのに、画面を見ず内容も聞いていなかっただけなのだろうか。
 …と思ったら、録画が残ってた。でも、その中でも、この場面は無い。て事は、試合に続く「総集編」て中での出来事なんだろう。

 とにかく、関西芸人って言われる人たちの通例なのだが、結構な割合で、「仲間内でのローカルな笑い」って傾向があり、一見したところでは面白くも何ともない種類の笑いがある(まあ、それを笑いに変えるのも「芸の内」なんだろうが、失敗している事も多い)。私は、明石家さんまに関しては、ここ数年「さんま御殿」と「恋いの空騒ぎ」(後者は、もう終了した)だけは録画して見ている事が多かったのだが、「さんま御殿」のうち、仲間内でのネタなんて面白いとも思えなかった。が、そこは関西芸。仲間内でその空気を共有する事こそが、「笑い」に繋がるって構造。「仲間」を確認し合う為の手段としての「笑い」。
 大阪人でない人間は、ノリツッコミなるものを「バカなヤツ」と冷笑しているが、まあ笑ってやれば大阪人は喜び、仲間と感じてくれる(笑)。

 しかし、こうした文化はローカルなもので、ひとたび違う土俵に立つと、全く笑っても貰えないし、バカとしか思われない場合って多いものだ。外国のお笑い番組を見ても、面白くも何ともない場合って結構多い(実は、私の場合、日本の番組でも、そうなんだけど)。

 明石家さんまは「サッカーが好き」て事を公言してるが、どう好きなのか?は、今一つ理解出来ない。少なくとも、戦術には興味は無さそうだし、個々のプレイに言及しても、何がどう好きなのか。は伝わって来ない。ヒーローたる選手の名を連呼するだけ。でも、好きなのはウソではないと思う。
 けれど…今回、下手すると、世界のサッカー界の中で「一番軽蔑される、有名な日本の芸人」になる可能性もある。少なくとも、大好きだった筈のメッシからは、「軽蔑すべき人間」に分類されてしまった様に思える。それは、明石家さんまにとって「嬉しい事」なのか、どうか、。少なくとも、そのうち、自分で自虐ネタにするのは、ほぼ間違いないと思うが。

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 これで思い出す事がある。エジウソンが柏レイソルにいた2回目のときだったと思うが、バックスタンドでエジウソンの名が判らなかったのか、日立台で「黒人、がんばれぇ」って声を上げた関西人(アクセントで関西人と判る)が、いた。そのとき、観客席から、その言葉に関する笑いが上がった。彼は、それを支持と受け止めたのか、ほどなく、また、少しためらいながらも「こ、くじ〜ん」。一部観客席は凍った。が、笑った人間も。
 そこで、3度目「こっくじ〜ん」。観客席は、笑いも上がったものの、し〜んと静まりかえって行った。懲りもせず、笑った人もいたけどね。私は「早く止めろよ」って思いながらも、黙ったままでいた。

 今となっては、「止めろ!バカ『関西人』!」って大声で叫んでやれば良かったなぁ…て後悔してる。けれど、当時、その場では、そこまで頭が回らなかった(それ以上続ける様なら、席に行って止めさせようと、3度目の際には腰を浮かせて、場所と本人を確認したのだが…4度目は無かった。見た目、普通の人でしたけどね)。

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 この、笑いと支持の「ローカルさ」こそが、大阪の一部に存在する、笑いの一つの特徴。あんまり相手の事なんか考えず、勝手な一部の支持で、惰性のごとく続けて(場合によっては、突っ走って)しまう。仲間である事を確認し合う為の笑いと、承認された事を喜びとする感情。
 まあ、こんな構造は、関西人に限らず、どこにでもある構造だけれど、この手段としての「笑い」の適用範囲は、関西人、特に大阪人の一部の特徴。
 だけど、「お笑い芸人」なんか、そうした一部の支持で自分を振るい立たせながらでないと、「お笑い」ってもの自体を続けられない、過去の記憶を必ず持ってるものだ、とも思いますけどね、今回の明石家さんまのメッシへのインタビューに対する反応は、きっと明石家さんまを深く傷つける事とは思う。けれど、それを自虐ネタにして周囲の笑いを獲る事で、明石家さんまは、その傷を乗り越えて行くだろう。そうした循環こそが、芸人の心を折れさせない為の、確立されたパターンなんだろうと推測するばかり。それが無ければ、今に至る前に、さっさと引退してしまっていたのだろうだから。

 恐らく、このインタビューの前に収録していたものなんだろうが、2011年12月20日に放送された「さんま御殿」の3時間スペシャルで、さかんに「すべった」経験に言及していたのが、何かの因縁があったかの様に思い出される。

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 でも…トヨタの方はスポンサーとして圧力を掛けて、来年以降のFCWCの中継番組から明石家さんまを降ろした方がいいかも知れない。同じ人間が再び出ている事が知れたらバカにされるだけだし、続けば、スポンサーの評判にも影響するから。明石家さんま にとって、それくらいは、甘受すべき事だと思う。

 一方、日テレ側は、「誰を喜ばせようとしたのか?」について、もう一度、猛省すべきだろうと思う。少なくとも、視聴者第一ではなかったし、選手第一でも無かった、
 「セレモニーの最中にスタジオに呼びつける」てのは、当初から予定されていた段取りだった(明石家さんまが試合開始前に言及してる)訳で、そうであればこそ、もう少し考えるべきだった。

 報道では、金正日(キム・ジョンイル)は急死とされているけれど、私には、そうは思えない。恐らく、死亡は、この2ヶ月ほどは、もう秒読み状態だったのだろうと考えている。

 理由は、ただ一つ。リ・チュンヒ(漢字で書けば、李○姫だろうが、チュンは忠だろうか?だとすると、芸名?もしかして、職階が上がる事で改名した?海外勢からは「金正日の口」とも呼ばれて来た)が、2011年10月19日以降、TVに出て来なかったのに、今回、朝鮮中央TVの「特別放送」を伝えた事。今までは、何かに備えて「待機」していたのだろうと考えている。
 リ・チュンヒが姿を見せない事自体がニュースになり、病気か粛正か、と話題になっていたのだから。まあ、金正日が いつ死ぬとは判らなかったものの、「いつ死んでもおかしくない」状態だったのは間違いなかったのではなかろうか。

 この事に関連しての記事としては、
http://www.j-cast.com/2011/12/19116893.html?p=1
http://www.j-cast.com/2011/12/19116893.html?p=2
なんかを参照されたい。

 なお、TV朝日にも北朝鮮関係の国内情勢を伝える際に、いつもナレーションをするアナウンサーがいる様に感じるのだが(笑)。

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 スカパー!の中継を担うアナウンサーに倉敷保雄(くらしき・やすお。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%95%B7%E4%BF%9D%E9%9B%84 参照)と云う男がいる。一部に熱烈なファンのいるアナウンサーではあるが、私は、このアナウンサーをあまり好きではない。と言うか、どちらかと言えば、嫌いな部類に属する。

 明日2011年11月20日の、清水エスパルス 対 柏レイソル@アウスタ、のスカパー!での中継の担当が、この倉敷保雄だそうだ。NHK BS1でも中継があるので、私は、きっとBS1の方を優先して見るだろう(どちらも録画の用意はしてあるが)。

 私が、倉敷保雄を嫌いな理由を以下に述べる。倉敷保雄を好きな人はゴマンといるらしいから、ここで敢えて私が「嫌い」と述べても、倉敷保雄が、そんなに傷つく事も無いだろう。


(1) アナウンサーは、先ず事実を伝える事を第一にすべきだと考えている。だが、この倉敷保雄は、以下の2点で、その原則に反した言動をしている。

 A) 実況で自分の評価を先に述べ、論拠を示さない「事が多々ある」。

 解説者ならば、評価が先に立つ事も許されよう。が、倉敷保雄の場合、自身の「評価」を実況の中で述べ、論拠を示さない事が多い。それ故に、あたかもアナウンサーが解説者の様になってしまう場面がある。

 アナウンサーもサッカー実況で経験を積むと、評価に思い至る事も多いに違いない。が、アナウンサーが「評価」だけを先にしてしまうと、解説者が何の為にいるのか判らなくなるし、解説者の中には、敢えて違う「評価」をしない様にする人さえいて、解説者の能力を活かし切る事にならない。実況の中で、反論や議論を好まない解説者も多いのだから。
 簡単に思い浮かぶ「評価」は、自分の思い描く「あって欲しいパターン」に合致しているか否か、だけの問題である事も多いのだ。

 人によっては「事実」と「評価」の差は見分け難いのかも知れない。私も明日の実況を見れば、きっと実例は直ぐにいくつも出て来るのだろうが、倉敷保雄の言葉は、なるべく記憶から追い出す様に心掛けているので、今すぐに過去の実例を思い出す事が出来ずにいる。
 が、「評価」だけ、しかも、その論拠を示さずしては、事実の報告と云う実況の第一の役割を放棄しているに等しい。この人は、サッカーの本質をどう考えているのだろう?あたかも美しい理想型があって、それを追い求めている様にでも誤解しているのではないか?

 私の考えは異なる。サッカーは、極めてルールが簡素なゲームだ。そのプレイ・スタイルはいくらでもある。たった一つの正解など、あり得ない。いくつもの方法論で、挑む事が出来るものだ。それは方法論の違いであって、最終的には一つの理想型に収斂する、なんて考えもあるかも知れない。そうかも知れないが、実際には、そうした収斂は、日本のサッカーには、いまだ生まれていない。ヨーロッパのサッカーには、国ごとに合意されたプレイ・スタイルがあり、そこに向けて、子供からユース、代表まで統一されているかの様に思える事もあるのだが(ベルギーの遠く離れた布陣から、正確なパスで繋ぎ、攻めるサッカーなど。パパ・オシムがジェフ千葉でやった事は、布陣から言えば、これに近いし、ブッフバルトの浦和レッズも、これに近かった。「距離感」なんて言葉を多用するサッカーとは異質なもの)、日本では、その様な収斂は現実には、見当たらない(Jリーグでは、「パス交換を主体とした中盤」が理想型とされている様な感覚もあるが、そこから得点に至る論理は未完成)。高校サッカーの現実は、敢えて、その様な収斂ではなく、却って、拡散、多岐に渉るチェレンジに向かわせている様な面も見える。
 サッカーの現実は、私の考えでは、論理のせめぎ合いだ。様々な論理が現れ、一つの体系で収まらない両システムの間での現実の闘いが発生したりする。体系がどうあろうが、現実に約90分間の試合の後には、何らかの決着を見る。それがサッカーだ。もし、「評価」出来る力があると自身でお考えならば、各チームの考えている論理体系、それを解説し、それを「各チーム」、「各選手」が「各プレイ」で実現出来ているのか否か、そして、その体系間の論理矛盾と、それが、現実にどう決着したか、まで述べて欲しいものだ。アナウンサーの一元的な「評価」で全てが決するものではないのだ。倉敷保雄の実況は、こうした理解からは大いに外れている。きっと、別の論理体系があるのだろう(笑)。


 B)プレイから外れた事実の指摘では、太鼓持ちに徹する。

 これは、熱い心を持つ事では他に比肩する者の少ないと私も評価する、松本育夫の解説でさえ感じたものなのだから、こんな事をするな、って言っても、それは「ファンサービスの類だ」って言い返されるかも知れない。が、ときに反吐の出る様な場面が存在する(松本育夫の場合は、「盛り立てて行こう」と云う明確な意思と、目的への明確な自己統制があった。が、倉敷保雄の祭は、単に「その場のチームへの贔屓」を表すに過ぎない)。

 はっきりどの年だったと明確に記憶していないが、柏レイソルから佐藤由紀彦が戦力外通告となった2007年(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/50579504.html からの続き記事参照)だったかも知れない。私は、各チームのホーム最終試合に興味を持って、各チームのホーム最終試合のザッピングをしている最中に見た光景だったと思う。浦和レッズの中継で、どこのチームもそれぞれにある選手との別れの場面を見て実況を担当した倉敷保雄が「浦和レッズは特別なチームです」なんて何回も繰り返していた。サポーターって実は、そんなに多くのチームの中継を見てはいないものだ。倉敷保雄の言葉に乗せられ「浦和レッズは特別だ」なんて思うサポーターが生まれない様に願ってはいるが…サポーターのリーダーがエルゴラのインタビュー記事で「浦和レッズは特別だ」なんて言葉を吐いているのを見て「あぁ…」と思ったものだ。この「特別だ」と云う思いは、いい方に働く事もあるが、上手く行かない場合は得てしてマイナスにしか働きはしない。自分たちのチームに生じている、どこのチームにもある問題点を、見つめる事が出来なくなる事もあるものだ。浦和レッズは、今、マイナスのスパイラルに陥っているのかも知れない。本当に、自分たちの問題点を認識出来ているか? 選手の資産効率の悪さ、経営上の採算分岐点の高さを、どう考えているのか。

 とにかく太鼓持ちのごとく「浦和レッズは特別です」って繰り返した倉敷保雄に、私は嫌悪感を抑え切れなかった。他のチームの実況では、そうしたタイプの言葉を聞く事が無かったので、尚更だった。


(2) 選手名は現地発音に近くするそうだが、選択が恣意的で、説得力が無い。

 倉敷保雄の実況の一番いい点は、「パスの渡った選手名を頻繁に呼ぶ」点だ。これは、画面の小さいところで見ている者にとっては、プレイの理解の大きな助けになる(ときに間違ってしまったりするが、それは、ご愛嬌w)。

 しかし、倉敷保雄の流儀として、選手名の発音を「現地音に近くする」との原則を持つそうだが、実況時に何の説明もしないまま。李忠成が韓国籍だった時代に「イ・チュンソン」を「イ・チョンソン」と呼んでいたと記憶するが、何の説明も無ければ、侮辱にしか感じない(朝鮮半島出身者に対して、かつて「チョン」と蔑称された文化的背景への連想をもさせる)。ましてや、李忠成は、韓国語はさして上手くないのに、敢えて、この表記にしていたのだ。そんな者に対して、現地名に近い発音なんてものが、どれだけの意味を持つものだろう?
 一方では登録名「アルセウ」を「アウセウ」とは発音してなかった。本人の希望は「アウセウ」(アルファベット表記はAlseu。ブラジル語は、ポルトガルの本来発音に較べてアクセントの来ないLをウに近く発音してる。ポルトガル語も、近年はマーケットとしてのブラジルに着目して、ブラジル語へ接近する方向性があるそうな)。

 笑ってしまうのが、私が倉敷保雄を好きになれない最大の理由かも知れなのだが、倉敷保雄は「柏」のイントネーションさえ正しく言えない。「柏レイソル」は正しい発音が出来るが、単独の場合の「柏」(私が間違ってるとは思わないが、「柏レイソル」の「柏」部分と同じイントネーション)は単独の場合の「鹿島」(「鹿島アントラーズ」の「鹿島」部分とはイントネーションが異なる)とはイントネーションが異なる。が、倉敷保雄は、単独の「柏」と単独の「鹿島」を同じイントネーションにしてしまう。「こんな事も出来ずに、何が『現地発音』か」と思うばかり。かつて、磐田が自分の土地のイントネーションをしつこく正していたのを憶えておいでなら、その違和感は理解出来るだろう。憶えていないのならば、サッカーに携わる者としては無知との非難を避ける事は出来ない。

 倉敷保雄は、大阪府出身らしい。関西言葉では、一つの単語のイントネーションは、どこにあっても同じ(この特徴は、日本語で、現在「関西言葉」に「のみ」見られる特徴。声明言語としての特徴を関西言葉が持つ事と、このイントネーション普遍の特徴から、現在では、関西言葉は中国語の背景を持つ者が既に存在していた日本語を話すに至った経緯から発生した言葉と考えるのが、言語学的な学説の主流派となりつつあるか、なっている)。が、今の日本の共通語は東京言葉を基礎にしているから、ある言葉のイントネーションは後に続く言葉で変わってしまう。単語としてのまとまりでイントネーションが決まる。アナウンサーの経験があるのだから、この程度の事はご存知だろうと思うのだが、「柏」のイントネーションを間違うのは何故だろう?知らないだけなのだとしたら、無知にもほどがある。また、関東の言葉の特徴を知っていて、それ故「独立語と合成語のイントネーションは異なる」と思い込んでいるのだとしたら、それも、アナウンサーとしては無知に過ぎる(なお、日本語では「です」「ます」などの最後の「す」は母音が抜け子音だけになるのが規範的な発音だが、日本の現・首相=野田佳彦は、それを知らないらしいw)。
 「鶏肉」の「かしわ」の本当の関西での本当のイントネーションを私は知らないのだが、それとの関連か?だとしても、無知かつ無恥。八塚浩が「日立総合グラウンド」と「日立台公園」を混同してアナウンスした事があるのだが、その程度の知識で、実況をしてしまうのが問題の端緒。そして、その後も指摘を受けないか、指摘を受けても直していない事こそ、本当の問題なのだ。

 私は、倉敷保雄が柏レイソルの実況をするたびに、そして、それを聞く度に苛立ってしまう。出来れば、倉敷保雄には柏レイソルの実況をして欲しくないものだ、とさえ感じている。でも、以上の事を直してくれさえすれば(そんな事は今更、可能なんだろうか?)、結構、好みのアナウンサーに変わる可能性もある。
 が、以上の特徴を備えている限り、倉敷保雄は、「将来に向かっては駆逐されるべきタイプ」のアナウンサーなんだろうと考えるばかりだ。

 以上の事は、このブログの中のどこかで書いたかも知れなのだが、検索しても出て来ない。きっと、以前はUPするのを止めたんだろうと考え、今UPする次第。

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 ニュートリノの速度を地球上の2点で測定した結果、ニュートリノの速度が光の速度を上回るとの結果が出て、2011年11月18日の再実験でも、この結果が再度確認されたそうです。
共同通信の記事では、
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011111801001332.html

 前見た朝日新聞の科学記事では、抜けていたと記憶する両点間の距離が730kmと明記されているのは新しい情報。でも、朝日新聞の記事では書いてあった、速さの違いが、この記事では抜けていて、更に、私の方でも記憶してはいないので…ちとイメージが掴めないままでいます。
 …と思ったら、wikipediaでは、既に明記してあった、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E9%80%9F によると、光速より2.48×10-5(およそ40322.58分の1、統計誤差: ±0.28、系統誤差: ±0.30)速いという実験結果だそうです。

 私は、これは、地球、延いては太陽系の、絶対速度を測定しちゃったものではないかと思ってるんですよねぇ。地球だって動いてる…てのは、今や常識ではありますが、それは、太陽との関係に於いてのもの。太陽系だって、銀河系に中、もしくは、私たちの住んでいる銀河だって動いてる。今回の実験結果は、太陽系が光速の2.48×10-5(およそ40322.58分の1の速度で動いてるって事を示したんじゃあるまいか?だからこそ、ニュートリノが予想数値より早く着いたんじゃあるまいか?これは、絶対距離を意識したニュートリノだったからこそ、と考える事も出来る。
 ちなみに、光速の2.48×10-5って計算してみると、約7,434m/s「でしか」ない。人工衛星の速度も、このくらいのものはありそうなんだが…。

 でも、そうすると、今までの光の計測結果は、どうなるの?って事が問われてくるだろう。光の速度が一定てのは、20世紀初めには判っていた事だったんだが(アインシュタインの特殊相対性理論の発表は1905年)、それは何をどの様に計測した結果だったんだろう? どこかで大昔、読んだ記憶はあるんだが…忘れた。
 アポロの置いて来た反射鏡に対してレーザー光線を発射して、月と地球の距離を測定した事もあったが、あれは光の速度を一定としての結果だから、光の速度を測った訳じゃない。光の速度を測ったものとしちゃ、現在の最高精度の測定って、どんな形でいつ行われたものなんだろう?

 そう言えば、あほくさい事に、現在、電気の速度がお金に一番絡んでいるのは証券取引の世界。プログラムによる、取引が盛んになっている為、証券取引所のコンピュータと自社のコンピュータとの距離が問題になり、コンピュータををどこに置くか?が問題になって来る。ピコ秒なんて単位での差を競い、出来るだけ、自社のコンピュータを取引所の近くに置きたいと、証券取引関連のコンピュータは、狭い範囲(東京証券取引所なら、東京)に集まって来ている。段々、災害には弱くなっている。

 もし、太陽系が光速の2.48×10-5(およそ40322.58分の1)なんて云う速度で移動してるんだったら、今までの宇宙の想定していた姿は、若干変わる。先ず、私たちの考えていた時間てものが、それより遅く流れる時間が周囲にある事を教えてくれる。また、光のドップラー効果を基に考えていた宇宙の姿に修正が必要になる。

 まさか、こうした事を想定してない、ましてや公転や自転まで想定外にしている、なんて事は無いとは思うんだけど、もし、それを想定していないんだとしたら、それはまさに、サブプライムローンを組み合わせる事でリスクを分散する、って事を「リスクをゼロ」に見なした様々の金融商品の構造に似たもの。

 まあ、私の様な部外者は、暫くは、様子見って事が許される。結論だけを聞くと、びっくりする様な話ではあるけれど、もう少し経過を見て行く事にしましょう。結構な精度を要求される測定なんだし。
 昔驚いた「発見」(後に誤解と判明)では、1秒に百万回回転するパルサー発見なんてものがありました。実は、その測定を記録していたソニーのVTRだったかカセットテープだったかが(テープ側に予め埋め込まれていたものだったのか、機器側が録音時に埋め込んだものだったのか、今となっては記憶が曖昧なんだが…)、同期処理として、1秒間に百万回の信号を埋め込んでいたのを、天文学者側が精査の結果「発見」したに過ぎなかった、なんてもの。

 でもさ、もしニュートリノが光速より早いんだったら、それは、私たちが内容はよく知らないままで、しかし慣れ親しんだ(笑)、特殊相対性理論の「想定外」を意味する。光速が何故、その速度で上限と考えられるのか、と云う、新たな理論と、ニュートリノが何故、その上限を超えるのか、と云う、新たな理論が出て来ない限り、合理的な説明は出来ないまま。
 

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