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ベアテ・シロタ・ゴードンが2012年12月30日に亡くなった事を、遺族が2012年12月31日に公表した。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0101/TKY201212310642.html など。
wikipediaの彼女の項 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3 (wikipediaは書き換えられる可能性が常にある為、現在の内容を「その2」以下にコピペしておく)
にある通り、20歳代前半に日本国憲法の草案作成に関わり、両性の平等条条項を初めとする重要部分の一部を起草するに至った人物。20歳代前半である事や正規の法学教育を受けていないままで、この様な作業で大きな役割を果たした事について、批判する人も結構見るが、理の当然を受け入れられない人としか私には見えない。
日本国憲法の起草の過程について、私が結構な重要文献だと考えているものに、Theodore COHEN"The THIRD TURN MacArthur, the Americans and Rebirth of Japan "1983(大前正臣・訳「日本占領革命 GHQからの革命」上下2巻,TBSブリタニカ,1983)がある。この本が現在、法学教育において、どの様に扱われているかを私は知らない。が、日本国憲法の制定過程に関しては、欠かすべからざるものと私は考えている。この文献が、万が一、現在の法学教育で充分に参照されていないのだとしたら、それは、日本の法学教育の欠陥を現している事になろう。
この本には、国際法でラッサ・オッペンハイム(Lassa Francis Lawrence OPPENHEIM, International Law,1960)が第二次世界大戦後でも「占領者は、自己の軍隊の維持と安全に対する関心および戦争目的の実現のために一時的に必要とされたとき以外は、法律や行政を変える権限を持たない」と書いた考え方が戦争中にどう変質して行ったか(ちなみに、このオッペンハイムの考え方は現行の実際の国際法では採られてはいない。日本占領時の方針が国際法上、採られるに至っている)についても触れられ(ちなみに、市街地空襲についての考えも戦時中大きく変質して行った。この従来なら国際法違反の市街地空襲を最初に行ったのはドイツであり、次いで日本。第二次世界大戦での締めくくりは言わずと知れた、米国による東京大空襲、広島原爆投下、長崎原爆投下である)、その中でJCS(「日本占領支配に関する連合国軍最高司令官への降伏後における初期の基本的指令」)1038/15(だったと思う。私の記憶では、JCS1038bが重要なものと記憶されているが、手元に実物が無いし、数字が先に書いたものと入れ替わっている事が認められるので、記憶違いの可能性が大きい。JCS1380/15の重要性は、先述の文献で確認出来る)が戦時中に何年も掛けて(日本での先行する憲法討議も参照されて)準備され、そして、日本国憲法制定において、そこにニューディーラーの生き残り達が作業過程でJCS1380/15に明確に書かれていない条項が紛れ込んで行った過程についても詳述されている。著者のTheodore COHENは、GHQ労働課長を務めた人物であり、日本人と結婚し、戦後も長らく日本に住んだ人。
「日本占領革命」は、訳者の造語だが(違い事を表したものに憲法学者の宮澤俊義の「8月革命説」ってものがあるので、そう突飛な命名ではない)、私は納得出来るし、ベアテ・シロタ・ゴードンの貢献も素直に認める。これは、私が基本的に仏教徒だからからかも知れない(尤も、神道には縁が薄く、年賀参りなんかはしません)。仏教徒は、基本的には(違う系統も結構あります。私の宗教観については、どこかで一度きちんと書く事が必要かも知れません)、師を目指すのではなく、「師の目指したものを目指す」考え方だと私は理解していますから。日本国憲法も歴史の中で理の当然の様に出現した条項が多く、両性平等条項もそうしたものの一つと理解しています。
大日本帝国憲法(明治憲法)も当時としては、結構革新的なものだったけれど、長らく使っているうちに問題点を修正出来ずに、悲惨な結果を招いた。日本国憲法も、統治構造については色々と問題点が出て来ているし、文言の不統一(内発的制限の文言のあるものと、通信の秘密の様に制限の文言の無いものなど)が悪さをしているところもあったりします。が、「保守」を自称する人の結構な割合が、実は「人類の」伝統なんて考えてない人が多いのには驚く事が多かったりします。水戸国学流の日本理解のまま進展していない。もう水戸国学の成立年月の半分ほどが、水戸国学の完成後に流れているにも関わらず。
ちなみに、水戸国学の問題点と私の考えている事は、基本的に「文献」偏重の考え方であるにもかかわらず、「文献批判」の過程が脆弱である事。そして、その後のあるべき進展を行わなかった停滞としちゃ、柳田国男などの民俗学などの成果を取り入れ、文献偏重の結論を現実の広い認識に基づき、補強・修正すべきであったのに、それが充分に為されなかった事。
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さて、日本国憲法改正草案もいくつか発表されてますが…あんまりレベルの高いものは少ない、ってのが私の感想。谷垣偵一総裁のときに自民党草案骨子では、「天皇を元首と定める」「国旗、国歌を憲法に定める」なんてのを書いてましたけど、私も佐藤幸治(安倍晋三のブレーンとされる八木秀次は、佐藤幸治を憲法に於ける諸悪の根源の様に言うが、八木秀次の法律の論のレベルの低さは私でも指摘出来る)氏の言う様に、「これでは何も変える気が無い」(=目指すべき国歌ヴィジョンを持たない)ものと考えざるを得ない、と考えた。単に、現実にあるものをより強化・固定する為に憲法に入れる、って意味しか持たないから。
そもそも「元首」を憲法で今更定める意味はほとんど無い。最初に、元首を定めない憲法にしたときは、衝撃的なものだったかも知れない。と言うのは、元首としての地位が明記されていないが故に、外交プロトコル上、誰を元首相当として遇すればいいか(自国の元首と対応するモノは誰なのか)不明だったから。しかし、現在は外交プロトコル上、天皇を元首として外国から対応されるのが通例となっている。もう慣習として確立されているのだ。であれば、憲法で今更定める意味は、何も無い。憲法9条の様に、曖昧なものをきちんと定めると言う意味「さえ無い」のだ。
この点で、東浩紀らの唱える憲法改正草案骨子の様な「象徴元首」と「政治元首」なんてものの方が、より混乱を生ずるもの。アメリカ合衆国憲法が国家の要素として分割不能と考えられていた国家主権を連邦(federal)と州(every state)に分けてしまったのは、当時としちゃ画期的だし、暴挙に近いものだったかも知れないが、それ故もあり、内容をきちんと定めた。が、東浩紀らの唱える元首2現制は、何をどう考えろと言うのか? そもそも、元首ってものが外交プロトコル上、初めて意味を持つ事を認識しているのか? 私には、「象徴元首」やら「政治元首」やらの言葉は、単なる言葉遊びにしか思えない。漢字を並べると、それだけで何かを定義した様に思ってしまう人たちが多いが、この元首2元制は、言葉できちんと定義されているものなのだろうか?(←私は未確認)。 法は、常に、内実を以て定めるものなのだ。有り難がって、内容を色々に推測して補う、宗教の経文(お経)の様なものではない。
東浩紀らの憲法改正草案骨子の作成作業には、法学を学んだものは「全く」参加していないそうだ(現在は、違うのかも知れん)。だからか、「憲法には元首の規定が必要だ」って言われると、それをそのまま信じてしまい、「象徴元首」「政治元首」と云った、内容の不明確なものを作り出してしまう。当人達は真剣に考えた「積もり」なのかも知れんが…内実の検討を「現実に」真剣に行っているのか、私は疑うばかり。
そうは言っても、まあ、私は東浩紀らの憲法改正草案骨子を真剣に読んだ事はまだ無いのだが、以前「朝まで生テレビ」に出ていたときの発言だと、「両性平等条項などの人権条項は含まず、統治構造だけを示した」そうだ、が、権利章典(Bill of Rights。人権リスト)を含まない憲法は、そもそも近代憲法として認められはしない。そんな憲法は、何の意味も持たない。中国の憲法にさえ劣る代物。憲法ってものを何だと考えているのか、説明を聞いてみたいものだと思ってる。どこかの分野で優れた業績を上げている方でも、他の分野で素人にも劣るレベルの発言をする人って多いものだが…それにしても、驚く他は無い。明治憲法だって、他の国と伍して行く事を目的の一つとして作られたものだと言うのに、この人たちは、何の為に憲法を論じてるんだろう?
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以下、「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/62003714.html )に続く。
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