黄色い蛇足@日立柏酒場裏

2019年9月以降は、https://reywa.blog.fc2.com をメイン(主たる)・ブログとします。

単なる感想

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自ら、「見聞が狭い」と認めるけど、自分なりの意見を書ける書庫として「単なる感想」を作ります。ここでは、「My opinion」より確実に見聞の範囲が狭く、それが妥当なものかどうか疑問があるけど、自分なりに感じた事を書いて行きます。
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 過去に書いたテキストファイルを整理の為、見直しているうち、以下の様なものが出て来ました。尻切れトンボで終わってるけど、私にとって意味のある信念を含んでいるものなので、UPしちゃいます、いずれは、私の宗教観についての記事もUPしないと、結局は私の感性を説明出来ないんだろうとは思っていますし、やら天皇制(政治装置としての天皇の存在)についての私の考えを明確に書く事も必要だろうとも考えていますが、その一端を書いたものとしてUPする次第。

 このままで以前UPした事が判ったら、削除する積もりですけど、私の記憶ではUPしてないと思うんだよねぇ(尻切れトンボで放置したものと思う)。タイトルは、当初のまま。

 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

 今はTVの主要地上波(7チャンネル)の全ての番組を保存出来るHDDとかがあります。尤も、BSやらCS(スカパー!など)もあるので、地上波全てを録画出来ても、あまり有り難みが無い、って面もあるんですが。私の場合、そうした機器を使ってはいないけれど、毎日、結構な数の番組をHDDに予約録画しています。そんな中には録画予約を間違えたりするものも多いんです。多くは、ちらっと見て、ファイル削除してしまう事も多く(例えば、再放送などは見落としていた可能性も多いので録画はしてみるけど、見た事のある番組だと)、半数以上は、きちんと見ないままで削除する事になります。電気の無駄遣い、って気もしますが、録画予約を間違えたり、番組が変わったりしていて、たまたま有用なものが入っていたりする事もあります。

 有用な例としちゃ、私はNHK教育テレビ(Eテレ)の高校講座「地学」を録画設定しているのですが、恐らくこのお陰で、東日本大震災の発生から津波襲来までの録画を見る事が出来ました。Eテレも当日、急遽特別編成に移り、総合テレビと同じ内容を流し始めたのです。放送翌日だったかに、この録画に気付き、自分の情報の欠落を補ってました。

 高校講座「地学」は本年度2012年度からは、火曜日の14:30〜15:00に移ったのですが、これも録画予約してありました。で、さっき見たところ、「肉眼で見える一番遠い星はアンドロメダ銀河」なんて話が入ってました。視力も人ぞれぞれの筈ですけど、多くの人にとってはアンドロメダ銀河(230万光年)らしい。
 アンドロメダ星雲とも言われますが、それは北半球で見える、私たちの銀河系に一番近い銀河(渦巻銀河)ではありませんか。南半球では、大マゼラン雲や小マゼラン雲なんてものが、もっと近く(約20万光年)にあります。昔は、大マゼラン雲や小マゼラン雲が私たちの銀河系とは別の銀河だと判って距離が測られた後、私たちの銀河の衛星銀河だと考えられたもの(エドウィン・ハッブル著「銀河の世界」1936年)。しかし、その後、大小マゼラン雲は、秒速378km(時速136万km)で移動している事が判り、たまたま私たちの銀河に近いところに今いるだけだ、と考えられる様になりました(私たちの銀河の重さの推計値に基づく重力計算の結果)。ちなみに、マゼラン雲はまだ若いガスの集まりであり、移動に伴うガスの残渣がマゼストリームと云うガスとして電波望遠鏡で捉える事が出来ます(世界の天球の1/3以上を横断し、北半球でも南半球でも捉える事が出来る)。なお、この段落の内容は、高校講座「地学」ではなく、NHK BS3(BSプレミアム)「コズミックフロント」からの知見。
 今、銀河のバブル構造などと言われますが、全ては望遠鏡(電波望遠鏡を含む)での認識なんですね。まあ、見えているけど認識出来ない、ってだけでしょうが。「見えないものでも、あるんだよ」(「ゲゲゲの女房」。金子みすずも似た様な事を詩の中で言ってた様に記憶してますが…)ってか。私たちの肉眼で認識出来る星は、ほとんど間違いなく、私たちの銀河系の中の星なんですね。改めてビックリ。

 まあ、天動説だ地動説だって言いますけど、別に、どっちの体系でも、当時知られていた事項を矛盾無く「説明」する事は出来ます。単に、幾何学上の「認識」の話です。そして、そのレベルでは、どっちが世界をすっきりと説明出来るか、ってだけの話。しかし、そこに万有引力の法則(ケプラーの法則を理論づけるもの。ケプラーの法則は、ティコ・ブラーエの観測データから法則にまとめた)が加わると初めて、意味のある理論体系となり、新たな世界認識に至る。私には、何故、ガリレオが宗教審判(innquisition)に掛けられなければならなかったのか、理論的背景は理解出来ません。どっちでもいい話なんだけどなぁ(笑)。きっと当時の教会の方々は、幾何学の「お勉強」が、それほど出来なかったのかなぁ?
 ちなみに、江戸時代であれ日本人は地動説を何の苦もなく受け入れる事に、当時日本を訪問した方々が驚いている事が、彼らの記録に残されています。出島に来る様な日本人にだけ見られる現象でしょうかね?

 キリスト教では、奇蹟は神の御業と考えられ、聖人などは奇蹟が起こった事が証左として必要になるほど。法則は神が定めたものであり、それを停止出来るのは神しかいない、と考えるからです。でも、私の宗教観は、大きく違う。物理法則は、この世界にあまねく通用する、って考えてます。だから、この世界に特異点が見つかったとすれば、私の宗教観を修正する様な大きなインパクトのある事実となってしまいます。ブラックホールは特異点たるか?との問いは、私の宗教観に対しての大きな挑戦でしたが、私の宗教観には修正の必要の無い事が明らかになった。けれど、ダークマターは、宗教観に対する新たな挑戦かも(笑)。まあ、どこでも同じ様なものが見えるのでない事は、地球上を見ただけでも明らかなんですけどね。私は、小さい頃は、猿から進化した人間やら犬から進化した人間やら、色んな人間がこの世で混交していいる、って信じてたほど(爆)。もう少し長じてからも、アジアで生まれた人類やらアフリカで生まれた人類やらがいるんだろう、って信じてた。アフリカに共通の祖先がいる、なんて、「お勉強」で初めて知った事。
 以上の様な認識でいるので、人間の中で、特別に尊い方が生まれながらにいる、なんて露ほども信じてません。天皇だって、普通の人。それで何が悪いのか?って思ってますよ。同じ様に、シッダールタもイエスもムハンマドも、生まれた時点では普通の人。ついでに、遺伝子についても、遺伝的形質は様々で特別に有用な組み合わせを持った方(オリンピック選手の多くなど)もいるだろうけど、男女の遺伝上の組み合わせで、固有の有用性は薄れる、と考えてます。子供が親の遺伝的性質を受け継ぐのは当然としても、その有用性がいつまでも保存される、なんて考えてやしない。人間の遺伝的形質は、結局は集団としての種の保存の中に認識すべきものなのだ、って考えてます。天皇を特別視したいが為にY遺伝子なんてのを持ち出す連中を、私は嘲笑するだけです。Y遺伝子が男子に継承されるとして、では、その何が人をして特別だと思わせたと言うのか?論理は、そこで停止します(爆)。曖昧さの中に溶け込んで行くだけ。

〜 「その1」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/61662947.html )から続く 〜

 最近、私が文楽に通う事はめっきり減っているので、最近の事情は、そんなに知らないけど(東京でも閑古鳥が鳴き始めてるのか? そうは思わない。が、きっと平日公演だと、満席にはなっていないんだろうな…)、不満はあっても、それを超える魅力のあるのが文楽だと思ってる。
 確かに、何も知らない、興味もない人(橋下徹は、自分を、そうした類の人間だと言ってる)を呼び込む手段に工夫はあって然るべきだが、私が野球を結局は好きになれない様に、人間には好き嫌いはある。それでも野球を好きな人はゴマンといる。これだけでも、一人の好き嫌いの持つ意味の矮小さは理解出来る。相撲を好きな人、嫌いな人がいるのも世間を見ていれば、判る話。それを一人の好みで一方に決めるのは、何と愚かしい事か。
 自分の基準で全てを判断出来ると思ってる権力者の姿には呆れる他は無いのだ。それも、一度や二度の鑑賞でね。

 今の橋下徹の文楽に関する思考のレベルは、「保護」や「振興」なんて言う以前のレベルの問題だと思ってる。自分の語りやすい話に持って行ってるに過ぎない。

 なお、人形だけで言えば、宇崎竜堂が曲を付けて、国立文楽劇場などで演じた「ロック曾根崎心中」なんて挑戦もある。また、三谷幸喜も、現在、文楽の脚本を書いている最中の筈。別に、挑戦してない訳でもないし、古いものをそのままに演じているだけって訳でもないのだ。橋下徹は、その程度の理解でものを言ってるに過ぎない。

 権力者が浅薄(薄っぺら)な理解で、浅薄(薄っぺら)な言葉を語り、それに基づいて権力を行使しようとしているのは、かなり困った事態だと感じている。補助金は権力の行使。補助金を無くすなら、責任を持って、大阪市職員の天下りを引き揚げて欲しいものだ。そもそも、補助金てものは、米国で、連邦政府が、管轄外の州政府に対し、政策意図を達成する為に多用した制度。それを日本に持ち込んで、しかも(多くは「不要の」)人まで送り込むなんてのは、間違いだと、私は考えている。歴史的に間違ったものを正すなら、その点からだろう。
 例え、文楽協会の設立に大阪市(および大阪府)が深く関わっていたにせよ(←これは事実)、人を天下りで送り込むのは、もう止めた方がいい。それで、大きな人件費が掛かっているなら、尚更だ。そうした構造を無視して、補助金だけを云々するのは、片手落ちと言うものだ。そして、コスト削減の一環としちゃ、独立行政法人 日本芸術文化振興会(こちらも天下り、いますけどね)への移管を考えたら、いいじゃないか。例え、それが文楽の拠点の大阪からの離脱を一部意味するにしても。

 文化の価値を、政治家一個人が云々し、それを以て権力を運用するなんて、間違ってると考える。補助金を削減したいのなら、その補助金の使い道や、その運営などの仕組みの方を工夫する(云々する)のが政治家の行うべき道の筈だろうと、私は考えている。

 私は、橋下徹が「保守」政治家でない事(キメラ政治家である事)を非難はしない。が、政治家として論議すべき対象を間違っている事を非難する。そして、政治家の判断の使い道を誤っている事も。この点で、橋下徹は、政治家として甚だ未成熟であり、ポピュリズム(それが支持を受けるか否かに関わらず)を行動の基礎としている政治家である事を露わにしていると感じている。
 この程度の事は、歴史(人間の経験)と共に、法律を学んだ者なら、初歩的な例題でもある。以上の事は、橋下徹が法律家としての二流以下の人間である事の証でもある(弁護士懲戒制度の使い道も本来の在り方と異なったものをTVで訴え、損害賠償請求は退けられたものの、弁護士会から懲戒処分を受けた事も、弁護士として二流以下である事とポピュリズムを行動の基礎とする証左)。

 少しどころでなく、論理がすっきりしていない記述である事は、自分でも判ってるんですが…取り敢えず、「私の」感想。

 橋下徹・大阪市長が文楽を鑑賞して後のコメント
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120726/t10013890451000.html

 これについて。一度二度見ただけでの軽々しい発言に、嘲笑を禁じ得ないところ。「演出不足」とは何をしてくれって事なのだろう?

 私としちゃ、権力者の趣味に付き合わされて右往左往する伝統芸能の姿は見たくない。文楽協会は、大阪市から天下りを受け入れているが、その総人件費はいくらくらいになるのか?そして、それは従来の補助金額とされる5,400万円の、どれくらいを占めるのか? そして減額する予定額だと、どれくらいの割合になるのか? 先ず、そこから見て行くのが妥当かと思う。
 私は、文楽協会から大阪市職員の天下り(および大阪府職員の天下り)を追放すると、結構なコストが浮くのではないかと考えている。文楽協会の事務を独立行政法人日本芸術文化振興会(東京都にある、国立劇場の運営団体)に統合してしまっても、そう大きな障害は無いものと考えている。まあ、文楽協会は、色々な経緯(松竹が全ての興行権を有していた時代もあった)で、今に至ってるものなんだが(文楽の再統一には、大阪市は積極的に関与した。その際の興行主体が文楽協会)。

 そもそも…と起源論を言えば、文楽は大阪発祥だが、人形芝居自体は別に大阪に特異なものではなかった。色んな地域に、その地域独自の人形芝居が起こった(重要無形民俗文化財扱いになっているものだけでも、徳島とか八王子などにある。wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%A5%BD によれば、9つほどはある)。そのうちで、今に通じて、何とか職業、営業として生き残ったのが文楽に過ぎない。勿論、人形の態様や、曲は、それぞれの地域で大きく異なる。
 文楽は、語り(浄瑠璃)では大阪言葉を律儀に守っているが、大阪人以外から言えば、それは、どうでもいい事。文楽が大阪から出て、東京なりを本拠地として活動する様になろうが、私としちゃ何ら構わない。それは、大阪言葉の継承を困難にし、将来的には文楽から大阪言葉を抜いて行く事に繋がろうが(今でさえ、かなりの困難を乗り越えて、大阪言葉を守っている)、別に知ったこっちゃない。100年後に文楽が共通語で演じられていても、大阪人でない者は別に困りはしないのだ。これは、私は大阪と別に縁の無い人間だから言える事。大阪が文楽を守ろうとしないのであれば、別に、大阪から脱出して貰って構わない。
 今までの状況を見るにつけ、大阪の国立文楽劇場(大阪市)の埋まる割合より国立劇場小劇場(東京都千代田区)の入場者の埋まる割合の方が高いのだから。東京は「お勉強」として文楽を見る層が多く、若い人の割合も結構多かったのだが、大阪は東京に較べると「ダレた」(笑)客が多いとも聞く。「お勉強」が、文化にとって、どれほどの意味合いを持つか、は疑問ではあるが、客の入りだけを考えるなら、大阪から脱出する事も考えても良かろう。

 大体が、権力者の趣味に応じて、伝統的な作品を変更して行く事がいいのか? 私は、そうは思わない。では、何を基準にすべきなのか? これは、難しい問題。委員会方式がいいのかも知れないが、それで全てが解決する訳でもない。芸術関連の問題は、常に新しいものが起こり、古い勢力と対抗しながら育って行く。フランス絵画の印象派なんて、その最たるもの。
 こうした芸術の新しい動きに対応し切れなかった権力者の例としては、スターリン(自分でメロディを口笛で吹けない曲を弾圧した事で、ショスタコーヴィチなどが毀誉褒貶の人生を歩む事となった)や、ヒトラー(もともと画家だが、新しい芸術運動には理解が無く、弾圧した)などの例もある。
 だが、今回の橋下徹の対象としてるのは、伝統芸術。橋下徹が、伝統に対する畏敬の念も尊敬の念も欠き、「保守」の名に値しないキメラ政治家である事を、この事例は如実に示している(だからと言って、橋下徹の政治家としての価値が下がる訳ではない。政治家は「保守」である必要はない。単に、橋下徹を「保守」政治家と呼ぶのは間違いだって事だ)。
 客(市場)が全てを決めると言うのなら、大阪市脱出も考えた方がいいのかも知れない。所詮、関西言葉は、鹿児島弁と並んで、日本にそこにしかない、限定された声調言語だが、大阪標準語(大阪言葉、京都言葉には、それぞれ標準語が成立している。日本語全体としては、標準語は未成立)からの乖離具合なんて、大阪人にしか判らない代物。大阪言葉が壊れようが、残念に思うのは、数少ない人間なんだろう、きっと。大阪言葉は「保守」に値しない代物らしいし(笑)。大阪市から脱出するなら、温かく歓迎しますぜ(from 関東の柏)。全面的に企業の支援を受けて、「アサヒビール座」とか「朝日新聞座」なんてものになっても、何ら構いません(これは、かつて文楽が「朝日座」だった事からの連想)。数億円掛けてサッカークラブを運営する事に較べれば、その価値と、企業側の名声は遙かにデカイものになるだろうさ。

 とは言え、橋下徹の鑑賞したと言う「曾根崎心中」も、そう古い歴史を有する訳ではない。もともとは、近松門左衛門の脚本によるものとは言え、長らく上演されず、復活上演を果たしたのは1955年。私は、岩波ホールで「曾根崎心中」の映画(文楽を撮影したもの)を1980年代に見て、文楽に初めて興味を抱いた。祖母が文楽好きで、よくTVの文楽中継などを見ていたのを傍目で見ていたが、それまでは、古くさいとしか思わなかったのに。江戸時代のもの言いを楽々と理解出来るのに、それだけの時間を要したって事だけなのかも知れないが。
 まあ、曽根崎心中が長らく上演されなかったからって、どうこう言う事ではない。文楽は、不遇の時代を乗り越えて来たって事だ。能にしたって、観阿弥、世阿弥に端を発し、江戸時代までは盛んだったが、戦前(戦中へ向かう時代だけか?)は不遇の時代を過ごした。「家の芸」としか見なされない時代があった。今の様な尊敬される位置づけを得たのは、戦後の話。
 私見で言えば、私は「曾根崎心中」の中にある近代市民社会の萌芽(契約の遵守とか)としての契約ルールと、その契約ルールの中で心中に赴く事になる、「宿命」の様なものに惹かれる。解決策を見出さない閉塞感は、褒められたものではないが、近松門左衛門は、ジャーナリスティックな目で事実を書いた訳だ。この部分の描写は迫力がある。一方、「道行き」の段になると、もう自動的な流れであって、美文調だけで、私には何の興味も湧かない。
 そうであれ、全体として見れば、心を揺さぶるものがある(「道行き」を除いたものだとしても)。「古典」と言っていいものだろう。私は源氏物語の原文の女子高生みたいな、おしゃべり口調の文章が嫌いだ(だから、Arthur Waleyの名文の方が実は好きだ)が、それでも源氏物語の価値は揺るぎもしない。古典は、安易な好き嫌いを超えて、人々に訴えるものがある。私が嫌いで価値を認めないとしても、一方では、その価値を大いに認める人がいるのだ。
 実は、今の文楽を支える太夫の一人である竹本住太夫(人間国宝)は、近松門左衛門を「好きではない」と公言している一人。安易な理由からだ。五七調が崩れているからだとか。でも、それを改編したもので現在は演じられている。それで何が悪かろう? 常に起源の方が重視されて然るべきでもないだろう。近松の書いた、近代市民社会の法理と、そこでどうしようもない窮地に陥って行く人間ども。その構造を理解しない竹本住太夫の、近松理解を私は嘲笑してる(笑。住太夫は近畿大学法学部卒だが、そうした事には注意が向かない種類の人間らしい。あ、橋下徹も、法学部卒で、しかも弁護士だったっけw)。
 住太夫は、太夫(語り手)であって、語る言葉を何より重視する。大阪言葉の遵守を厳しく言うのも住太夫。その一方で、語る言葉だけに注目しちゃう嫌いがある。実は、私は、住太夫が人間国宝になったときは住太夫の後援会に入っていて、住太夫からお祝い(披露)の手ぬぐいを貰ったのだが…(後援会としてのお祝い金の徴収があったか?は定かではない。特に、自分で祝い金を送った記憶は無いw)。
 現在「曽根崎心中」は確かに文楽を代表する名作とされてるけど、そう云う一作品を鑑賞しただけで、文楽全てを語る事なんて、出来るんだろうか?(笑) 身の程を知らない人間ほど、威勢はいいものだ(爆)。

 その他、私が文楽で嫌いな点をあげつらえば、結構ある(笑)。時代物では、「○○実は△△」なんて例が、結構ある(歌舞伎に流れ込んで、歌舞伎でも同じ)が、これを楽しむには、最初から設定を知っていて、二重の立場での鑑賞を心掛ける必要がある。そうでないと、単に、最後で「どんでん返し」に遭うだけに終わってしまう。が、知ってはいても、こんなものは、楽しめる場合(名作中の名作だと「菅原伝授手習鑑」)とアホクサと思う場合と二通りある。あまりに、このパターンが多いので、時代物は好きになれないものが多い。廃止にして構わないよ、って「私が」思ってしまう演曲も、中にはある。
 また、文楽の曲は、同じパターンの繰り返しと、その組み合わせで成っているものが、殆ど。もう少し、曲調に色々あってもいいのに…と思う事もあるにはある。住太夫は三味線で挑戦を繰り返す鶴澤清治(人間国宝。越路太夫の相手方を務めた)を嫌い、上演で組む事は無かった。語りにくいんだとか。

 そんな不満はあっても、ねぇ。それを超える魅力が文楽にはある訳ですよ。生きてもいない人形を活き活きと使う様は、やはり魅力だし、それは大阪とは無縁で構わない部分。これは、仕草の構造を理解してないと出来ないもの。けれど、魅力は、人形だけでなく、語り、三味線、全てが合わさって達成出来ているもの(どちらかと言えば、私が惹かれるのは、人形よりも、語りや三味線)。
 私とて、時間が無いとき、一気に見たいってスケジュール上の都合で、午前中から夜まで座っていると(大体、「朝の部」「昼の部」「夜の部」を全て一日で、ってパターン)疲れて眠ってしまった事も多いんです。特に勿体ない事に、越路太夫(四代目)の引退(1989年。2002年に逝去)間近の頃は声量が衰えて来ていて、聞き取れず、寝てしまった事が多かった。それも、越路太夫の目の前の席で。当代随一の名人とされた人の最後の時期(引退時まで見ていた)を、そんな風に過ごした事は後悔しきり。当時は朗々と語る太夫が好きで、津太夫(四代目)が大好きだったっけ。住太夫の後援会に入るに至ったのは、津太夫が亡くなってからだった様な記憶がある。


〜 書き足していたら、ヤフー・ブログの記事の文字数制限5,000字を超えたらしい。そこで、残された部分は多くはないものの、以下は、「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/61663024.html )に続く 〜

 前原誠司(当時、国土交通大臣)が、円高の影響を無視して、来日観光客の数が減ったとして、前任(初代 観光庁長官)の本保芳明を解任し、大分トリニータ社長を引責辞任したばかりの溝畑宏を長官に任命した観光庁(これだけでも、前原誠司の政治的なセンスの無さは判ろうと云うもの)。その溝畑宏の長官就任も2年限りの期間付き任用だったそうで、今や観光庁長官は、井手憲文になってるそうです。溝畑宏が観光庁長官だったのは、2010年4月1日〜2012年3月31日。

 こんな事を改めて思い出したのは、五浦の六角堂に行って、そこで復興支援映画なる「天心」の存在を知ったから(資料館で、予告編を上映してました)。この記録映画のHP http://eiga-tenshin.com/official/archives/category/about_tenshin で恥ずかしい溝畑宏の姿が載っていたのが、観光庁の存在を思い起こさせてくれました。このHP、HPの記事の年月日表示が無いので、溝畑宏は観光庁長官のままだし、観光いばらき なるHPhttp://www.ibarakiguide.jp/seasons/film/film1.html でも、茨城県天心記念五浦美術館は、まだ閉館中になってます。一度UPしただけで更新されていないHPって役に立つのかなぁ?

 観光庁のHPって、秋田や奈良の紹介の英語版が、機械翻訳を、まともな監修も無く掲載した事などで、批判を浴びているんですが…ちょっと見てみたところ、千葉県版も、そう立派なものじゃなかった。
 例えば、南房総観光圏なるHP(観光庁のHP http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/kankochi/seibi.html からhttp://www.mboso-etoko.jp/ がリンクされており、その英語版 http://www.mboso-etoko.jp/navi/e/ )を見てみると、場所の表示は車での移動だけだし、Historic RoadのMuseum visit to learn maritime culture(http://www.mboso-etoko.jp/navi/e/c03.asp )では、Chiba Prefectural Awa Museumなんてものが掲載されてる。千葉県立安房博物館の事だろうが、これは、2009年3月31日に閉館しています。今は、館山市に移管され、館山市立博物館分館として「渚の駅」と呼ばれる施設になってます。まあ、千葉県博物館協会HPでも、http://www.chiba-web.com/chibahaku/39/ のページが残ったりしてますが(TOPページからのリンクは切られています)。
 また、Legend RoadのHakkenden tour colored with grand story of the pastのページ http://www.mboso-etoko.jp/navi/e/c05.asp での南総里見八犬伝の紹介では、歴史的な位置づけは述べるものの、その話の概略を説明してない。私たち日本人なら常識として持っている知識があるから判るが、そうしたものを持たない観光客には、これで興味が湧くとも思えない。誰に対しての案内なのか、疑問です。
 ちょっと見ただけで、これだけの不満が出て来るHPも珍しい気がします。

 観光庁って、業者向けの機関なのか??? これでは、本当に役に立っているのか、疑問に思ってしまうんですが…。
 FIFAワールドカップ2002年日韓大会の決勝戦が行われたのは、2002年6月30日でした(@横浜国際競技場=現・日産スタジアム。日本での第1戦は、2002年6月2日だったかと思います@埼玉スタジアム。韓国での開幕戦は、それより前)。あれから、もう10年経った訳です。試合後の折鶴の乱舞。
イメージ 1
下の方の白くハレーションを起こしているのが何なのか、今となっては謎ですが、向こう側の屋根に付いた照明なのではないか、と推測しています。

イメージ 2

イメージ 3
この記事の画像は、カーソルを合わせてクリックすると、別ウィンドウで大きく表示されます。

 もとは印画された写真で、それをスキャンしたもの。2枚目の画像の左側の線は、写真のカーブから来る、めくれによるものです(そんなめくれは、1枚目の画像の端にも残ってます)。でも、左端の人の、上から降って来る折鶴を捕まえようとする姿勢と表情をカットしたくなかったので、トリミングで削除せずに残してあります。

 もう10年が経つんだ、てのは2012年5月のうちに気付いていて、画像もスキャンして取り込んで処理していたんですが…その後、記事にするタイミングも失し、おまけに処理済みの画像も行方不明になり…今頃、UPする次第。七夕の日にUPした方が良かったかな?

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