黄色い蛇足@日立柏酒場裏

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日本試論

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〜 「その1」((http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58297578.html )から続きます 〜

 私は、取り敢えず、衆院の小選挙区制は維持してもいいだろうと考えています。小選挙区制は死票の多いシステムではありますが、政権を選択する機能は果たす事が出来る。そして、政党執行部を中心とする政党の力を存分に活かす事が出来るシステムだと考えるからです。もっとも、政党内部の硬直性に対して、選挙が何かを果たすと云う事はありません。そして、その小選挙区制で選ばれる議員定数ですが、私は人口(有権者数ではなく)100万人に対して1人で定数120人〜125人でも構わないとは思うのですが、取り敢えず現行の制度からの乖離を少なくする為、人口50万人に対し1人、総数240人〜250人程度から始めるのが妥当ではないかと考えます。
 そして、その半分120人を比例区などで加えると、360人程度の定数。比例区を加えるのは、死票の多さを緩和する為です。よく、「小選挙区で破った候補者が、比例区でゾンビの様に復活して来るのは不愉快だ」って話を聞きますが、議会は快楽の為に存在する訳ではありませんから、こうした議員側の話は笑止。議会の意味は、選挙に於いては、多数派を決める事。そして、その後の任期の間は、新たに起こって来た争点に関し、「国民の代表」として議論をし、対応策を決める事。対応策を決めるに当たっては、問題点と、それへの案を検討しなければなりません。問題点の摘出、そして案のプラスマイナスの検討に当たっては、出来るだけ多様な観点から議論される事が望ましい。この選挙後の対応を考える為には、国民の意見を出来るだけそのまま写し取る様な代表である事が望ましい。その為には比例代表制が望ましい。が、比例代表制の欠点として、多党乱立になりがちで、意見集約が難しい事態が生まれやすいって点があります。ですから、一番多数が過半数を占める様なバイアスを掛ける為に小選挙区制を「衆院で」採用する訳です。ですが、多数派の少数派への弾圧・無視は起こすべきではありません。ですので、過半数が決まった後は、それを壊さない様に、数を調整しながら、国民の意見の「写し絵」で補正する必要があるだろうと考えます。ですので、小選挙区制の定数の半数程度を比例代表区に割り当てるのが妥当なのです。それであれば、本当に多数であれば、多数である事のバイアスは充分に働きます。

 この比例区ですが、現在の衆院の様に地域ブロック制である必要はありません。全国1区であるべきだと考えます。そして、政党の優先順位をはっきり示させる事です。それでは、「上で書いた参院と差異が無いのではないか?」って意見も出るでしょう。この事については、全国1区の「拘束名簿式比例代表制」とし、小選挙区と別に比例区でも1票を投じる事が出来る様にする事で差を付けます。
 少し技術的ですが、技術的差異が選挙の場合、大きな意味を持つ。比例区で小選挙区と別の1票を投じる事が出来る様にする事で、比例区での議席を狙う場合、全ての小選挙区に立候補者を立てる必要は無くなります。そして、現在と同様、重複立候補を許容する。先に書いた様に、「落選した筈の候補が復活当選して来るのは不愉快だ」との感想も聞きます。が、誰にとって「不愉快」なのでしょうか?それは、小選挙区で当選した対立候補もしくはその対立候補へ投票した有権者です。小選挙区で落選した候補者へ投票した有権者は「不愉快」とは考えない筈です。これは民主主義の基礎に関する重要な論点を含んでいます。つまり、「民主主義」とは「多数の少数に対する支配」を目指すものではなく、「多数の少数者への支配」は飽くまでしょうがなく起こるものであって、出来るだけ少数者の意見を検討しようとする姿勢、それこそが民主主義の根幹だ、と考えるならば、重複立候補は認めるべきなのです。それが選挙の不効率を最小にする途(みち)だからです。どうやっても、落選者は出る。それは仕方ありません。が、少数者の意見を出来るだけ検討出来る様にする途を考えようとするならば、同じ当選者数を確保するに際し、落選者の数を最小にする方法を考えるべきだと思います。そうでなければ、選挙の社会的費用が大きくなってしまい、選挙への立候補自体を抑制する方向に働く。それは、現に(たまたま)議員の職にある者の利益を守る事でしかないからです。何故、当選した者が復活当選を忌み嫌うのか、この論理を理解していれば簡単に理解出来ます。
 また、同じ論理から「落選への投票」を行ってはならないって事も言えます。つまり、システムとしても、当選にプラスの一票を行使出来るにはOKだが、その替わりに誰かにマイナスの一票を行使して、他人のプラスの一票を相殺してはイケナイ、って事です。どうしても出したくない候補を落選させる為のこうした投票システムは認められません。もっとも、参院と云うもう一員を持つのであれば、衆院であれば、そうした選挙制度を作ってしまって「意見の集約」を図る、って事は検討の余地があるかも知れません。が、一院になった際には、民主主義制度の下であるのならば、そうした選挙制度は決して許してはならない制度です。

 その後、私の意見としては、小選挙区制度を前提としてですが、総定数の1割を、比例区での当選に先立って、まさに「小選挙区からの復活」に当てるべきと考えています。ここは、結構技術的な事も考えられるのですが、総定数の1割程度は、小選挙区で上位の投票数を得た者からその数に達するまで「当選」とする、って事です。これを比例区での当選の操作に先立って行う。
 小選挙区で1位を採れなかった候補ですから、必ず少数の側です。しかしながら、選挙区の事情もあり、他の選挙区の1位当選者よりも多数の投票を獲得する2位当選者ってのは存在します。それを「救済」する訳です。「救済」って云うと聞こえはいいかも知れませんが、「意見の集約の場」である衆院に、強制的に「少数意見」を注入する事になります。もっとも、衆院の主たる目的が「意見の集約の場」である事を崩す(傷付ける)事になっては第一目的を害す事になるので、そうした「復活」の数は技術的に制限します。最大数を制限する訳です。そうした中で2位得票者(3位得票者まで対象にした方が少数意見の注入の為にはいいのかも知れませんが、3位得票者が他選挙区での1位得票者より多数の得票を取っているなんて選挙区がある事は実は、選挙区割に大きな問題がある筈。それか特定の選挙区の投票率が特殊事情で余りに低くなった場合だけです)が、比例区での基礎投票数(総得票数を比例区での定数で割ったもの、とここで定義します)より多い(他選挙区での1位投票者より多い事を基準とする訳ではありません)得票者の中から総定数の最大1割までを「当選者」とする。もし、比例区での基礎得票数より多い者が総定数の1割を下回る場合は、総定数自体を少なくすればいい事です。無理矢理、総定数まで満たす必要は無いでしょう。

 こうした事が起きるのは、以下の様ないずれかの場合かと思います。

 A)選挙区割に大きな問題があり、選挙区での有権者数に大きな差が出てしまっている(現行は、これに当たります)。
 B)特定選挙区で、投票率自体に大きな差が出てしまう。(棄権者を尊重する価値はありませんので、棄権した事により他選挙区で意に沿わない候補者が当選したからと云って、それを云々する意味はありません。逆に、投票率が高ければ、もしかしたら自分の選挙区では少数側の代表であろうと、当選させられるかも知れません)
 C)対立候補と接戦であった場合。乱立で票が割れた場合は、A)の要因が無い限り、この制度を使っての復活当選は無理でしょう。

 「比例区で『惜敗率』を参考にするので、こうした形での復活当選は意味が無い」、って意見はあり得ると思います。が、比例区を拘束名簿式とするならば、当選の順位は政党側が決めます。同じ順位ならば惜敗率が優先されますが、優先順位自体に差があれば、優先順位の方が優先されます。比例区での「復活当選」では、党執行部の方針の方が優先されるのです。
 ここでは、政党の執行部の意見を無視しての、有権者側の投票行動による「復活当選」を認める、って事です。

 なお、上で「少数意見」「少数者」と言いましたが、飽くまで投票数に基づく訳ですから、「その選挙区での」少数側に過ぎない、って事だけは忘れるべきではありません。多数得票者が当選する、って原則は、いささかも傷付けられてはいないのです。

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〜 以下、「その3」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58297583.html )に続く 〜

 この記事は、私の頭にある内容を「私案」=試案として書いていますので、説明用に判り易く書くよりは、頭の中での検討過程をそのまま書き出す方を優先しています。ですので、後ろの末節部分に行くほど、技術的で、、また判りにくくなっています。読む場合は、その事を覚悟して下さい。

 恐らくは読み出した方の何割かは、最後まで読む気を無くし、途中で投げ出すものと思います。

 そのうち、ここで書いた事を、判りやすく書き直す機会もあるかも知れません。でも、先ずはUPしてみる事を優先します。

 ☆★☆★☆

 2009年8月30日の次期衆院選を待つ現在、自民党も民主党も、国会議員定数の削減を打ち出している様です。

 では、国会議員はどれくらいの人数いれば、いいのか?どれくらいの人数が適当なのか?

 先ず、現在の国会議員定数は適当なのか?ってところから始めましょう。現在の国会議員の定数は、衆議院(衆院)480人(小選挙区300人、比例代表180人)、参議院(参院)242人(選挙区146人、比例区96人。3年ごとに半数改選なので、3年ごとに改選される数は選挙区73人、比例区46人)。公職選挙法4条で定められています。
 これが多いか、少ないか、もしくは適当か?

 私は、参院はともかく、衆院については明らかに「多過ぎる」と考えています。それは、現在の状況を見るだけで判る。議員が多ければ、国民の代表である国会に意見を届ける事が出来る、って見方はあるでしょうが、現実に起きている事は逆です。国会議員の数が多過ぎるが故に、小選挙区から選出された議員であろうと、下手すると、泡沫議員。国会の中で多数を形成するのは本来は選挙の役割ですが、現実には、自民党の現状に見られる通り、選挙で選ばれた議員の中で更に多数派を形成する為に派閥(「政策グループ」?)を作っている。勿論、多数派の形成って云うのは、国会議員たる者の力の源泉ですから、どんなに国会議員の数を小さくしたとしても、起こって来るものではあると考えます。しかしながら、現実に起こっている事は大きく言えば政策の方向の差に基づくのかも知れませんが、個々の議題に関しちゃ、ほとんど政策の呈をなしていない段階での多数派工作を日々見せられているだけ、です。

 衆院が国会で参院よりも優越し、国の方向を決める。一方、参院は、衆院の議決に際して、再考し、審議する、ってのが当初のモデルかと思います(まあ、実際には、占領軍の一院制案に対し、貴族院のイメージから参院が残ったにしても、当初考えられたイメージはそうではなかったか、と)。しかし、小選挙区制の下で党執行部の権限が強まった現在、多くの議員は「数集め」、「数合わせ」に使われているだけで、あんまり存在価値がありません。、まあ、自民党は、政権と党の二重構造を持つ形での統治を行っており、その中でも党の総務会に至る各種部会で、個々の国会議員は自らの意見に基づき発言し動いてはいるものの、党と政権の二重構造故に、しれがそのまま政策になって行く訳でもない、って云う、かなり複雑な構造になってます。その上、小泉純一郎は、郵政民営化の際、党総務会の決定を自ら覆(くつがえ)し、党執行部と政権の対立まで演出して見せたのですから、複雑極まりない。

 政策の一貫性を保ったまま、党内議論を集約する為には、政権党であれ、衆院の多数派の数は、200人以内で充分でしょう。150人あれば、充分。それ以上いても、コミュニケーションの労力がかかるだけで前に進みません。大きな集団を組織しようとすれば、各班に分け、それぞれの意見集約に基づき動こうとするのは当然。あらゆる組織は、上意下達と下からの情報集約とがせめぎ合う中で行動を決定して行くものですが、2段階構造で意見集約出来るのは150名は限界に近いでしょう。が、現在の自民党は衆院だけで300人程度はいます。
 この150名で多数派を形成出来る程度の議院構成にしておくのが、日本の舵取りの効率化の為には有効だろうと考えます。「船頭多くして船、山を登る」、数が多ければ意見集約が上手く行く訳ではありません。
 って事で、私は、衆院の定数は300が上限だと考えています。150名で多数派を形成出来る、ってところを考えると、定数としては、240〜250名程度が適当かと。それ以上いても、「役には立ちません」。

 私は、実は、日本のあるべき姿としては、一院制の方がいいだろう、って考えを持っています。下手に参院を残すと、似た様な構成を持つ議院形態だと、参院支配の形になるのが理の当然だろう、って思っていますから。この事は、私のブログでは、2005年9月11日の郵政選挙の前(このブログを開始したのは、郵政解散があってからです)から言っており、実際には、そうした姿が現出しつつある、と考えています。少なくとも、参院議員の任期を4年(2年ごとに半数改選)とする憲法改正を出来るだけ早く行うべきだろうとは思っています。
 が、参院は現実に存在し、それは憲法改正を待たずには廃止出来ない。とすれば、現在の制度の中で、参院をよりよく機能させる道を探るのが、より現実的な対応でしょう。
 とすれば…私は、参院を「再考の府」として、より機能する様、改革すべきだと考えます。その為には、意見集約の効率化よりは、様々な意見が反映される様に選挙のやり方も変更すべきと考えます。

 現在の参院は、都道府県を単位とする中選挙区制(大選挙区とも言える。が、一都道府県を合わせた選挙区はなく、都道府県を最小単位とする為、一部の選挙区は人口が少ない故に小選挙区となっている。衆院は小選挙区)を敷き、それと別に、比例区を作っています。一人の人間が選挙区と比例区に重複立候補する事は出来ません(衆院では可能)。
 参院では、都道府県単位の選挙区を維持している為、選挙区ごとの人口比で大きなアンバランス(「一票の格差」)が起こってしまっています。私の考えでは、最高裁はこれを違憲と断じ、参院を裁判所の職権で解散し、全国を一区とした選挙をやり直すべきだろうと考えますが、現実にはそうはしていません。そして、参院の定数割もなかなか改正されません。
 であれば、次の公職選挙法改正では、参院は全国一区一本にすべきだと考えます。定数は、改選時100名で、定数200。これならば、一票の格差は起こり得ない。そして、現在の比例区同様、非拘束名簿式の比例代表制にしてしまうのです。そして、投票出来るのは1票のみとする。立候補者の名前を以て投票する事も出来るし、その立候補者の所属する「選挙時に登録した」政治団体の名前でも投票出来る。そして、立候補者に投票された票であろうが、その得票は、立候補者1名が当選するに必要な票を上回った際には、その立候補者が選挙時に登録した政治団体の他の立候補者の得票に(その立候補者の得票が多い順に)上乗せされ、選挙時に登録した同じ政治団体の者をより多数当選させる為の得票に化ける。その政治団体自体の名前での得票は、その政治団体の立候補者の個人毎の得票の多い順に、各立候補者の得票に上乗せされ、その者が当選出来る得票に達するまで、こうした計算を行う。
 こうすると、政党化がますます進んでしまうと考える人がいるかも知れません。が、実は「非拘束名簿式」と云うところがミソです。知名度のある人間、もしくは広範な支持のある人間は、自分の得票だけで当選出来る。桝添要一が良い例です。彼は、自分に入った100万票の得票を力の源泉に、自民党内で力を振るっています。そうでなければ、当選2回目の議員があれだけの影響力を持ち得ない訳です。桝添要一は、自民党と云う政権与党の中でその影響力を行使しようとしている訳ですが、逆に、利益団体や何かが自らの力の行使を狙って参院議員を送り出す事も、非拘束名簿式の100人の比例代表だったら可能となる訳です。看護師団体が、現在1名送り出す事が出来るかどうかの参院議員も、やろうと思えば、確実に1名を送り出せるかも知れない。そうした各種団体が選挙用に色んな徒党を組み、自らの影響力の最大化を狙って選挙に臨む事が可能になるのです。介護士や被介護者の団体の影響力なんて格段に大きくなるでしょう。高齢者の政治団体もあり得るかも知れません。徒党を組む事で、立候補者1名1名の知名度や支持の大きさを自らの徒党の影響力最大化に利用する事が出来るのです。
 もっとも、現状は政党化が進んでいるだけであり、これが更に進むだけだ、と云う意見もあるかも知れません。けれど、それとて、「1票の格差」が問題になりながら、政党として行動する現状よりは、マシ。全国一区ならば、「1票の格差」は問題になりません。公平な選挙です。そして、比例代表制の最大の問題とされるのが、多党乱立であり、意見集約が出来にくい事だと言われます。まあ、改選100名程度の定数では、あまりに少数の代表は選出されないでしょうが、それでも全国に薄く散らばる意見(それも1票を託すに値する「強い少数意見」)を1名の議員に託す事は出来る。そして、100名、全体でも200名の中での1名は、それなりの影響力を行使出来る筈です。「再考の府」であればこそ、多数意見の乱立の中で審査される事を意見の集約より重視してよい価値判断も生まれる訳です。
 もっとも、こうすると「地方の意見」が通りにくくなる、って批判は当然起こるでしょう。私は道州制支持者(単純な「地方主権」を主張する者ではありません。この事はいずれ書きます)ですので、「地方の意見」は道洲議会の中で反映すべきものと考えますが、もし可能であるならば、上の100名の比例代表の参院の中に、3年ごとに各都道府県から1名ずつ改選される「都道府県代表」を入れるのも手かも知れません。こうした参院議員がいれば、それは都道府県知事の隠れた対抗馬として機能する事になるでしょう。こうした選出方法は「1票の格差」を無視したものであり、私は「最善の策」とは考えませんが、現行の参院の選出方法が「衆院と異なった配慮の下、(実質的違憲状態であれ)許される」とする最高裁判決の考えを敷衍するならば、やってみる価値はあるのかも知れません(笑)。但し、こうした選出方法は、都道府県知事会の影響力を確実に落とします(既に明らかな「地方代表」の議員がいるのだから)し、道洲制の実現(少なくとも国会議決が必要な筈で、参院もその採決に当然加わります)には障害となる可能性も大きいのですが。

 上の様に、参院を「再考の府」として構成し直す中で、初めて、衆院を「意見集約の場」として効率化する途(みち)が生まれます。私は、将来的には日本国憲法を改正して、行政府の長は国会の多数派の中から選ばれる「内閣総理大臣」ではなく、国民から直接選出される「大統領」でもいいと考える者です(まあ、総理の器でなければ1年程度で辞めさせる事の出来る内閣総理大臣て制度の効用も捨てがたいのですが)。そして、そうした段階では、一院制の国会は全国一区の比例代表制であるべきだと考えています。
 しかし、それには憲法改正が必要。であれば、先ず考えるべきは、公職選挙法改正で済む国会改革でしょう。
 そう考えたとき私は、参議院は「再考の府」として非拘束名簿式の比例代表制にした上で、衆議院は、「意見集約の場」としての機能を最優先にした選出方法を採るべきだ、と考えるのです。 
 
 その為には、どうすべきか?

〜 ヤフーの記事の文字数制限5,000字を超えているので、以下、「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58297580.html )に続く 〜

〜 「その1」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58288057.html )から続く 〜

(6) 同一選挙区でも、その選挙区内の首長・地方公共団体の議員を一期以上務めた場合は例外とするのは?

 上で書いた様な事は、国会議員だけに限定して書いて来た訳だが、現実には、「世襲候補」は国会議員の親族だけに見られるものではない。親が地方公共団体の首長だったりして、その集票構造を使って親族が国会議員に立候補して来る場合などがある。国会議員の親族が立候補するのは制限されるが、地方公共団体の親族が立候補するのは制限されないとしたら、それはバランスが取れているか?
 例えば、東京都知事の石原慎太郎(かつては国会議員だが)の息子の石原宏高が東京3区から出馬した例(前回の郵政選挙で当選)、また森喜朗は、地元の市長の息子だった(売春防止法違反で逮捕された経歴があるが、この経歴が隠されていたのか、当選)。民主党でも、例えば秋田2区の寺田学なんかは祖父は秋田県議、父は秋田県知事だが、衆院総務委員会でNHKの「受動受信」の事を取り上げてのは、この人だと思うが、どうも議論がNHKの受信料の仕組みと、それに伴う徴収の際の詐欺的行為を混同しており、筋が良くない(=質が低い)。職歴を見ると立派に見えるが、こうした議員もいいる事を考えると、地方公共団体の首長などの親族も考え合わせるべきだろうとは思う。

 が、これを規制するにはどういう方法でやればいいと言うのか?私は困難だと考えている。では、地方公共団体の親族は立候補は許されて、国会議員の親族の立候補は許されないのか?難しい問題だとは思う。地方公共団体の首長の親族の同一選挙区および隣接選挙区からの理候補を制限する、って云う選択肢はあり得る。が、国会議員の親族と違って、地方公共団体の首長の親族は多くの場合、その選挙区に住んで育っている(国会議員の親族は、多くの場合、国会のある東京に住んでおり、江戸時代の各藩の長男が先ず江戸育ちであった事、そして、各藩を改革出来た殿様は多くの場合、長男で無く、江戸育ちで無かった事に注目すべき。江戸育ちが悪いって訳でなく、地元の現実を知っていたか否かの差)。この事を考えると、地方公共団体の首長なり議員の親族の国会議員への立候補は制限しない方が、日本全体の為には良さそうな気もする。ここは、価値判断の問題であり、もう少し検討する必要もあるかも知れない。
 一方、地方公共団体の議員や首長を経験した者は、地元での現実を見ているから、地方公共団体の親族と同様に考えても良かろう、と思っている。その際の地方公共団体の議員もしくは首長を経験した年数だが、ステップアップの為のかりそめのものにしない為、1期以上とした方がいいのではないか。議員の補選なんかで当選した場合は、4年に満たない任期は1期と数えないとするのがベター。地方議会が解散された場合(首長に対し、議会が不信任決議をした場合、首長は辞任するか、議会を解散する事になる)に、4年に満たない任期を1期と計算してよいか、って問題もあろうけど、それは1期と見て構わないと考える。予め予想して出馬した訳ではないし、再度当選するとも限らない訳だから。
 (2)−D)を認めると、国会議員の親族が、地方議会の議員→国会議員てルートを辿ろうとする誘因が働く事になるが、それはむしろ望ましいのではないか?国会議員の親族が何の経験もなく、「親族だから」と、いきなり国会議員になってしまう事(現実に起こっている多くの「世襲」事例)より、よほど望ましい事だと考える。
 地方公共団体の議員もしくは首長を2期以上経験した者であれば、たとえ国会議員の親族であろうが、国会議員としての資格は充分だろうと考えるけど、同じ地方公共団体の議員もしくは首長であって1期目の場合、通常の者は次の国政選挙で立候補出来るが、国会議員の親族は、次の国政選挙で立候補出来ない、ってのはバランスを失していると考える。普通の者は、そんな経験無しで立候補出来るけど、国会議員の親族は、立候補出来る選挙区が制限されるのは不平等ではないのか?って検討もする必要があろうけれど、集票構造に見る現実を見れば、大きな不平等とも考えられない。それよりは、国会議員の影響力があれば、地方公共団体の議員になる(それも1回当選するだけなら…)のも容易ではないか、って方が検討すべき事項の様に感じる。

(7) 国会議員が「12年間継続して同一選挙区から選出された場合」の立候補制限を設けるのは?

 これは、現在の国会議員の「世襲」が後援会なり選挙区に有利である状況の一端が、ここになるからだ。当選回数が党内(特に、自民党内)での力の大きさの源泉になり、選挙区からそうした有力議員を「育てる」事が地元への利益誘導の手段となって来た経緯があるから。
 当選回数が党内での力を増すのは、別に不思議な事ではない。同じ組織の内部であれば、長い年数いた方が、色々な人脈も築く事が出来、力は大きくなるのは、当たり前。でも、そうした議員を「育てる」為に、若い議員を当選させ、当選回数を積み増し、その事によって選挙区への利益誘導を図ろうとするとき、政治は硬直化してしまう。が、これが、現状でもある。
 なお、柏市議会議員で以前市長選に立候補した方(保守系)が「当地では、政治家を育てると云う意識が乏しく」云々と嘆いてらしたのを目にした事があるが、「何を甘えているのか?!」って思いましたね。政治家自身が「育てられる」事を期待してるなんて、笑止。まあ、それは極端にしても、若くして国会議員になる事が地元にも有利な状況は改善すべきだろう。

 とは言っても、今度は逆の不公平の生ずる可能性もある。一定期間(私は「12年」を主張)経過後に、選挙区を変わらざるを得ないとすれば、党、即ち、党首の力はますます強くなりかねない。そうした中で、現在は実力者になっている政治家でも、選挙区を変えた後で実力者になったのであり、常に冷遇されている、と感じる事になる選挙区が現れてしまうかも知れない。その可能性は否定出来ない。
 けれど、そうした「冷遇」の恨みが重なれば、それは政党間の勢力の変動に繋がる。硬直化した有力選挙区とそれ以外が、利益誘導の差を生む出すのよりは、日本の為によい事なのではないか?日本のいくつかの選挙区を知る国会議員が多くを占める様になるのは望ましい事でもある。

 もっとも、こうした事は常に「抜け道」(脱法行為)を探す動きが出る。特定選挙区間で候補者を交換しながら立候補を繰り返す事態が生まれる事は容易に想像出来るし、それが世襲候補と結びつく事もあり得る。が、それは現状と較べて悪い事なのか、良い事なのか?私は、現状よりはいいのではないか、と思うのだが。
 こうした事を防ぐ為に、国会議員の選挙区からの立候補年数を累計にする道も無い訳じゃないが、「継続」による硬直化を防ぐには「継続」で12年でいいんじゃなかろうか?何より、現行公職選挙法にはこうした規定なんて無いのだから、あまりにかけ離れた規定は実現可能性すら低くしてしまう事になりかねない。

 で、「12年」の年数の根拠だが、参院(任期6年)で2期。衆院では3期までは可能になるが、衆院の場合、解散があるので、次の選挙区と言っても簡単には決まりそうにないから、期の数に差が出ても致し方ないだろう。何より、任期自体に差があるのだから(笑)、一様に統一出来なくとも仕方ないと考える。


(8) で、実施時期についての説明。

 立候補制限を改正公職選挙法改3年後とするのは、即時実施や、成立から実施までの年数が短い場合、立候補予定者にあらぬ影響を与えてしまうから。「親族の世襲制限」に関しては、即時実施でも法の目的は貫徹出来るが、大した実力もない対抗馬を利するのでは意味が無い。国会議員の親族であろうが、きちんと準備して、他選挙区から立候補出来るだけの時間的猶予は残しておくべきだ、と考える。そこまで配慮出来てこそ、憲法の「職業選択の自由」を害するものではない、と言えるのではないか。

 また、「12年」の算定を改正公職選挙法成立後に開始させるのは、現行公職選挙法に同趣旨の規定の無い事を始めるのだから、その程度の時間的猶予があってもいいだろうとの配慮。もっとも、改正公職選挙法成立後に一斉に数え始めると、12年後に一斉国替えが発生する事になる訳だが…まあ、事前に判っていれば、対応策も練る事が出来るでしょ?(笑)

 ☆★☆★☆

 こうした事は、公職選挙法の立候補に関する部分だけでなく、同法の文書・図画に関する規制や、国会議員の定数や選挙の方法、そして政治資金規正法やなんかも考え合わせないと、一貫した政策にならないんだよね。って事で、近いうちに、そうした事についても、私の考えを書きます。

 私案=試案だから、現行規制から見ると、相当思い切ったものにはなると思うけど、今まで何回か書いてるから、それほど新味は出て来ないかも(爆)。

 ☆★☆★☆

 ここに書いたものは、試案=私案なので、私の書き放題。一貫した考えはある積もりだけれど、批判も大歓迎。
 出来れば、まとまった形で批判記事を書いてトラックバックしてくれると、嬉しいです。一面からだけの短文(コメント等)の批判では、逆から見れば成立しない様な事も書けちゃいますので。

 民主党が次の政権を獲る事が、かなり高い可能性のある情勢となって来ました。私は、今回2009年9月の総選挙では民主党に投票する積もりではありますが、民主党なら全て安心、なんて考えてやしません。飽くまで、他党、主に自民党(前回は郵政民営化を単一争点として戦ったのに、今回は「それに賛成でなかった」などと云う総裁のいる党だ)と比較しての投票であり、「次善の策」としての投票です。
 そこで、ここで私の考える「あるべき方向」、「直ぐにでも実現するのが妥当と考える政策」を書いておくものとしての記事。

 いくつかシリーズで書く事になるであろう、第一弾。

 ☆★☆★☆

(1) 民主党は、今回2009年8月30日の衆院選挙から、自党から立候補する国会議員候補の世襲制限を行い、自民党は次々回衆院選挙から(つまり、2010年7月の次回参院選挙は対象外)同趣旨でのでの世襲制限をする旨、今回2009年8月30日の衆院選挙のマニフェストに盛り込む意向の様だ。

 この「世襲制限」とは、「国会議員の配偶者または3親等内の親族が同一選挙区から立候補する事を一定期間制限する」ってもの。一定期間は、何年間になったのか私は確認していないが、民主党では「現(前)職国会議員の配偶者または3親等以内の親族が同一選挙区から引き続いて立候補すること」である事は確実な様だ。
 この事も、今回の衆院選の「一つの」争点には成り得るだろう。


(2) この議論について、「職業選択の自由を奪うので、自党の方針として打ち出すのは構わないが、公職選挙法の改正は憲法違反となり不可能」との立論がある。が、私は、そうは考えない。国会議員の(何親等とするかは別にして)親族の立候補を一律に制限するのなら、それは憲法違反を構成するだろう。が、「同一選挙区からの立候補」を「一定期間」制限する事は、イコールフッティング(equal footing。機会の平等)の問題であり、憲法違反を構成するものとは考えない。
 私は、「公職選挙法を」この内容で改正すべきだと考えている。

 その際の公職選挙法改正の内容としては、

 A) 現職(解散する前から見ての話。解散されれば、前職)国会議員の配偶者または3親等内の親族の立候補を
 B) 同一選挙区およびその隣接選挙区から立候補する事を
 C) 7年間「禁止」する。
 D) 但し、その選挙区での地方公共団体の議員、もしくは首長を一期以上(つまり、最初の任期の途中で辞職しての立候補は禁止)努めた場合は、例外として立候補を認める。

って内容にした方がいいと考える。ついでに、

 E) 国会議員が同一選挙区もしくは同一の地域を含む選挙区から12年間継続して国会議員として選出された場合は、次回の同一選挙区もしくは隣接選挙区からの立候補を禁止する

って内容も付け加えるべきだし、

 F) 選挙違反での立候補制限を現状の「同一選挙区」だけでなく、「隣接選挙区」でも「禁止」する

べき(そうするのが妥当)だと考える。

 で、

 G)その改正公職選挙法の実施時期は、採決の3年後とするのが良かろう。Eの「12年」の算定開始時期も、今までの選出の実績は算定せず、改正公職選挙法の成立時点から(国会自体の議決なのだから、これも3年後にするるのは行き過ぎかと考える)計算するのが良かろう。

 以下、説明。

 ☆★☆★☆

(3) 先ず、「世襲制限」だが、何故「配偶者または3親等内の親族」だけが制限されるのか?って問題がある。議員秘書なら、現職議員を継ぐ形で同一選挙区から出馬しても、いいのか?そうした場合の議員秘書と親族の違いは何か?って言われるかも知れない。
 だが、そこら辺は、割り切るしか無い問題。機会の平等を図る為に、どの範囲で制限するか?って事だ。この問題は、後援会などの政治資金の問題とも絡むので、そうした主題でまた取り上げる事になると考える。

 何故、同一選挙区(もしくは隣接選挙区をも含んで)からの「背世襲候補」の立候補を制限すべきだと考えるのか?
 それは、「選挙の闘いやすさ」だけを重視して国会議員が決まってしまい、結局は国会議員の質を落としていると考えるからだ。何だかんだと理屈を付けても、結局は、この認識に基づく。で、その原因として、機会の平等が害されている、って理屈を付ける訳だ。

 私は、安倍晋三を戦後の首相としては、宇野宗佑に次ぐ最低レベルの首相だった、と考えているが、彼の政権成立を考えると、どうしてもこの「世襲候補」ってものを考えざるを得ない。その後の首相も、同様だ(まあ、安倍晋三よりは遙かにマシだ、と考えているが)。
 現職国会議員が引退する場合、後援会も含めその選挙の構造、集票マシンとしての構造をそのまま活かした形で選挙を行う事の出来るのが、この「世襲」と云うもの。実は、議員秘書が継ぐ場合も同様なのだが、「世襲候補」や「議員秘書」が現職(解散後なら、前職)議員の支持を得て、もしくは死亡後に、立候補する場合は、選挙時の集票の構造はほとんど変わる事が無い。
 実は、私は、こうした構造自体が、前方後円墳時代に天皇と云うシステムを生んだ構造でもある、と考えている。前方後円墳時代の祭祀施設の継続期間を考えると、ほぼ1世代。親の世代の後ろ盾を以て、子の世代が後を継いで行く、って構造はシステムとして大きな安定性を持つ。現在の「保守」って自称する政治家は、現状システムの存立構造に関する省察なくして、長く続いて来たから、それを維持すべきだ、って云うオバカな政治家が多いが、「保守」であろうが、何を維持し、何を変えて行くべきなのか?を考えない政治家は、今の様な、社会を成り立たせる基礎的状況の変動の大きい社会(変動するのは、資本主義社会の本質であり、これがグローバルに広がって来たので、逃れようのない現実)では、残すべきものをコントロール出来ない、って意味で「保守」の名にも値しない、と考えている。
 とにかく、「世襲」「議員秘書」の前職議員の支持を受けての(もしくは死亡による)立候補は、結構システムとして安定性があり、永続性のあるものって、私は認識している。これがある限り、「世襲」候補が、その能力、実績、人望と別のところで選出され続ける可能性は大きい。一方、議員秘書ならば、ある程度の能力、実績、人望は、人々から審査されているものだろう。ここで、「世襲」と「議員秘書」を分ける事が出来るかも知れない。

 なお、ここで「世襲」と言っているのは、国会議員の「配偶者または3親等内の親族」であって、国会議員の甥、姪なども含む。死亡で国会議員の妻または夫が出て来る場合があるが、2005年8月1日自殺した永岡洋治・衆院議員の妻である永岡桂子が同じ茨城7区から出馬して2005年9月11日の選挙で当選しているのを見ても、同じ集票構造の永続性ってものは理解出来ると思う(まあ、あの選挙は郵政民営化を単一争点とした選挙で、自民党が圧勝した、って環境はあるし、小選挙区では次点であり、惜敗率による比例区での復活当選だった)。


(4) また、何故、同一選挙区でなく、「隣接選挙区」も含むか?
 これは、現在の小選挙区制度の実態を鑑みて、私が妥当と考える範囲。これは、(2)−E)で書いた、公職選挙法違反の立候補制限の範囲も同じ考え方によるのだが、「同一選挙区」だかだと現在の小選挙区制の場合、親族が強い影響力を持つ区域からの立候補が出来るからだ。

 いい例が、次回2009年8月30日の衆院選で、千葉6区から松本和巳(カズミ)が立候補する事。彼は、2005年9月11日の郵政選挙で親の松本和那の後継として千葉7区(松戸市の一部、流山市、野田市)から立候補して当選したものの、選挙運動員に報酬を支払っていた事から、公職選挙法違反(買収)で起訴され、有罪となり、公職選挙法の規定により立候補制限を受けている身。彼の辞職による千葉7区の衆院補選では、キャバクラでのアルバイト経験のある太田和美氏が当選したばかりの県議から転身して当選し、話題を呼んだところ。
 この松本和巳はマツモトキヨシの創業者である松本清氏(元・松戸市長。現・柏市の前の東葛市の一部を割り、松戸市に合併させた勢力のメインの方でもある)の孫であり、松戸市の自民党系市会議員なんかは、ほぼ松本氏の系列。前回、千葉7区で自民党が負けたのは、松本氏の系列議員が稼働しなかったからだと言われた。次回衆院選では、千葉7区からは前回の補選で落選した者が再度出馬するが、松戸市は小選挙区では分割されており、千葉6区にも選挙区がある(市川市の一部などと一緒)。松本和巳は、今度は、この千葉6区から立候補する訳だ。こんな具合で、同一選挙区からの立候補を制限するだけでは不充分だと考える次第。


(5) 立候補制限の期間を7年間とするのは?

 民主党の当初案でも、「同一選挙区からの立候補」を制限する期間は、こんなに長くなかったと思う。でも、7年間の立候補制限が妥当だと思う。そう考えるのは、国会議員の引退もしくは死亡後、次の衆院選、参院選での立候補を制限する趣旨。7年間と言うのは、参院の任期6年+1年の計算。引退後・死亡後の次の参院選と言うと、最長でも3年後なのだが、参院は同一選挙区から3年ごとに選挙を行うので、話し合いによって、次の次の参院選で立候補する道が残されてしまうから。こうした抜け道を許さない為に、立候補制限の期間は7年間とするのが妥当だと考えている。


〜 ヤフー・ブログの記事の文字数制限(5,000字)を超えたので、以下、「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58288070.html )に続く 〜

 2008年12月31日、ほぼ1日中、風邪で寝込んでいたので、2009年1月1日早朝は「朝まで生テレビ」を見ているハメになった(そんなに熱心に見ていた訳でもなかったんだが…)。そこで農業の問題も出て来たので、以前から考えて来た問題をまとめてみた。

 ☆★☆★☆

 現状の農地を巡る最大の問題点は何か?

 私の考えるところ、大きな問題点から

 1.耕作放棄地の存在
 2.食って行けない農業
 3.後継者の不在

があると思う。1の「耕作放棄地」は減反(米作地)の政策の影響も大きいと思うけれど、2〜3の問題はそれぞれ深い関係を持ち、また1を助長するに至っている。それだけで食って行けない農業、だから、親と同居し行ければ農業を手伝い兼業農家ともなるが、地元に仕事が見つからなかったり、転勤などがあれば、農業から離れてしまう。そして、親世代だけが残されれば、そのままでは親世代(現在の農業の就業人口の平均年齢は65歳)も農業を続けられる体力が無くなり、耕作放棄地が生まれる。
 一方、都市周辺の農地では、農地転換される事への期待から、耕作放棄地となっても後に得られるかも知れない売却収入を夢見て、そのまま土地を持ち続ける事になる。

 ☆★☆★☆

 私は、自分の生活自体、今年2009年に「破綻」する可能性だってあるので、未成熟ながら今まで考えて来た事を書いてみたい。

 ☆★☆★☆

 結論としちゃ、以下の6つ。

 (1) 農地の所有と使用を分離し、農地を貸す事をもっと広範囲に認める事。借りる相手にゃ、株式会社も含める。

 (2) 現在、農水省が法を準備中の農地の区画整理法(換地処分の拡大を通じ、所有農地を1箇所に集中させ、単位農地を拡大する)を推進。

 (3) 農地収用法を制定し、制定後3年後から災害などの要因以外で(老齢で耕作出来ない場合も含め)耕作放棄をしたまま5年を経過した土地を土地収用法と同様の手続きを経て、収用(正当な補償をする事が前提となる)出来る様にする。→ 農地として利用(他者への払い下げ可)。

 (4) (3)の制定と共に、農業委員会の運用を転換し、農地転換の手続きを厳格化する。宅地やその他用途への転換を制限。特に、都市部近くの農地では、都市計画変更を伴わない場合、相続予定者であっても農業従事を予定できない者の住宅の建設を認めない様にする。これによって、都市部周辺の農家の耕作放棄したままの土地所有や、売却益を狙っての都市計画への反対を多少とも封じる。

 (5) 株式会社の農地所有を認める。但し、株式会社が農地を耕作しないまま2年(災害で耕作出来なかった場合を除く。その他、正当な理由がある場合は更に1年を経過措置として認める)経過したときは、取得価額の8割、もしくは時価の8割の「いずれか安い方」で、市区町村が強制的に取得出来る様にする。この手続きにあっては、所有権移転時即座に対価を支払うのではなく、収用を決定した後、裁判所などを通じての競売を行い、その8割か、取得価額の8割を所有する株式会社に支払い、残余を市区町村が事務費として抜く事を無条件で認める。これによって、農作以外での株式会社の農地所有を事実上抑止出来る。
 株式会社の農地耕作が数十年経過した後の耕作放棄については、(2)と同様の手続きに移行する事も考えてもいいだろうが、当初の法制定時には入れずとも構わない。
 現在、仮登記され耕作放棄地となっている農地は、こちらの処理を適用しても構わない。

 (6) 耕作放棄地(3年を基準とする)への相続税の適用に当たっては、農地としての軽減を認めない。被相続者の所有農地の5割以上が耕作放棄地であった場合、相続農地全部について、農地としての軽減措置を外す。

 (7)現在農地に対して行われている固定資産税の軽減措置(1980年代頃に始まったんだっけか?)を、耕作放棄地(上の6と同様、3年を基準としていいと考える)に対しては適用除外する。
 …論理的根拠としては、キャピタル・ゲインを狙うものとして、保有価値に対する課税と考え対処する。土地収用法を作る事で、論理は一貫する筈。

 ☆★☆★☆

 上に書いた施策だけでは、「農地を借りて生計が立つ農業」のデザインを欠いているのは認めるが、こんなところからでも始めない事には仕方ないだろう。そこから参入して来る人が、その方策を考えて行くしかない。現状の様に、参入障壁がある段階では、それさえ望めないのだから。

 安倍晋三が「戦後政治の総決算」なんてスローガンを掲げた事があったが、あの人は、頭がとろいレベルの、首相の資質を欠く人間だから、あんな「ポーズだけ」(=口先だけ)の政策しか描けなかった。戦後政治の総決算と言うなら、その最大のものの一つである農地解放と、そこから生まれた弊害を、有るべき方向に戻す事も考えるべきだ。
 なお、「これじゃ社会主義だ」なんて考える人もいるかも知れないが、実は、農地の取引は今でも社会主義レベル。農地委員会の承認が必要だったり、農家以外には売却出来なかったりする(現実にゃ、それ相当の金額を貸し付けた上で仮登記する=実質上の売買、などの脱法行為あり)。これは、民法の教科書を開けば、どの教科書でも最初の方で書いてるのだが、では、それが実際にどう運用されてるか?は、あんまり法学部では教えてなかったりする。ついでに言えば、農地委員会てものは、農家、行政、あとどこかの3者の交渉の場みたいなもんで、ときに農地にショッピングセンターの設立が決議されちゃったりするもんでもあるのが実体だったりもする代物なんだが…。

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