黄色い蛇足@日立柏酒場裏

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民主党政権

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 民主党政権になって、鳩山由紀夫、菅直人と、やはり1年程度で辞任する流れが続いた。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と5人の首相が、夏に辞任し、6人目が決まる手筈になる。
 2011年8月29日に、民主党の新代表が決まり、その人が首班指名を受ける事になりそうだ。首班指名の場まで、混乱が続くだろうと予想する人もいるらしが。

 次の首相は、大多数の国民から「期待」を持たずに選ばれる人になる。少なくとも、私は、そう感じてる。立候補を表明する人はいるが、告示は明日2011年8月27日であり、最終的に立候補するのか否かまで、明確ではない状態が続く。どんな政策を以て首相になろうとしているのか?も未だ明らかでないままで、出馬に向けて動いてる。その人が何をどう進めようとしているのか?多くの国民の側では、明らかではない。「民主党も、ここまで落ちたか」てな感想を抱く他ない。
 かと言って、現在の野党の総裁や代表に、首相を託すほどの人材を期待する事も出来ずにいる。

 今の報道を見る限り、小沢一郎を巡っての発信ばかりだが、その小沢一郎たるや、民主党の党員資格停止になっているので代表選には出馬出来ない。この事が、首班指名の場で最後の波乱が…って予想まで出る背景の様だ。
 私は、以前から書く様に(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60144356.html から始まる3部作を参照)、既に小沢一郎には何らの期待を抱いていない者だが、まだ小沢一郎に期待を抱く人はいる様だ。「いっそ、小沢一郎に任せてみて、その実態を見てみたらいいのに…」とは思うが、それは現状、小沢一郎の党員資格停止ゆえに、簡単には行かない状況。私は、小沢一郎に期待していないので、小沢一郎が首相になったところで日本がよくなるとは思っていないが、小沢一郎が首相になって破綻すれば、きっと実態を見極めずに小沢一郎に期待していた人たちの思いは砕かれ、日本の政治は新たな地平に進む事が出来るのに…とも思うのだ。

 そんな中で、前原誠司が代表選への出馬を表明し、この2〜3日間の動きの目となりそうな感じだ。小沢一郎は前原誠司に対して不支持の姿勢らしいが、そうであれば、もし前原誠司が首相となった暁には、小沢一郎の支持を必ずしも気にせず行動出来る。前原誠司は代表選で敗れるかも知れないが、その際は、前原自身の存在感は維持される。いずれにしても、今の状況は、前原誠司にとっては損な状況にはなっていない。

 けれど、私は、前原誠司には、首相としては、首相たるに必要な資質であって、決定的に欠いているものがある、と感じている。その事について、以下、書いてみたい。前原誠司が、その資質を補う事の出来るのは、人事で内閣官房長官か補佐官に、その欠けている資質を補う事の出来る人間を配するしかないだろう、と感じているが、それが可能か、どうか。まあ、結果は数日で出る。国民の一人としちゃ、ある程度長期的な目を以て、これからの数日の行方を見守るしかない。

 前原誠司に決定的に欠けている資質とは何か? それは、「国民を説得する」と云う資質である。これは、前原誠司が説得の時間軸の感覚を持たずに、最初から最後まで同じ発言、同じ姿勢で終わる事による。これは、ある意味では「ブレない」って事でもあり、賞賛される資質なのかも知れない。が、時間が経過しても、大して考えに、少なくとも発言に発展の無い事を考え合わせると、自分の考えを規制する意識が強く、その意味で「馬鹿」なのかも知れない。
 管直人の場合、考えるところを、具体的に整合性を検討して述べるのでなく、最終形を示し、でも、そこへ至る道筋に考えを及ぼしていないので、常に腰砕けになって来た。実は、前原誠司も同じ様な性癖が見える。が、管直人の場合は発言からそう時間をおかずに発言を修正してしまい、信念を疑われたのに対し、前原誠司の場合は、最初の発言と同じものを最後まで続ける事で、今までは常に、それが「討ち死に」の形を取って来ただけの違いだ。
 管直人は口先八丁の人間なので、言う事が直ぐ変わる。が、前原誠司は言う事は変わらない、だから、「討ち死に」するしか無かった。私は、こんな人間に日本の将来を託そうとは思えない。一緒に「心中」するのが落ち、って思うから。
 きっと、これは、自殺した裁判書記官だった、前原誠司の父親の性格をも受け継いでいるんだろう。尤も、私の見る限り、前原誠司の父親より、前原誠司本人はチャランポランではある様なのだが、建前の世界では、そんな真っ直ぐな性格が出て来てしまっている様に思える。

 具体例で示そう。

 先ずは、代表時代に「中国は軍事的脅威」と言った事。この事実認識自体に私は異論を挟む積もりは無い。現在では私も、戦前の日本とのアナロジーで「中国は軍事的脅威」であると考えている。が、野党第一党の代表として、どこかの書生のごとく、思っている事をそのまま口にするだけでいいのか?向こうに相手側を見て、自分の言動を、そこへの効果も考えながらコントロールする術を備えていない人間の行動としか思えない。当時、前原誠司は43歳を超えていた筈(民主党代表になったのが43歳時)だが、この青臭さは、社会経験の薄さと紙一重にも思える。

 次に、永田寿康の国会での質問に端を発する、堀江貴文の偽メール事件(詳細は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%95%8F%E9%A1%8C 参照)。その内容を信じたのか「信じる程度の疑いがあり、調べるべきだ」と考えたのかは不明だが、真偽を仔細に検討もせず、国会を10日間ほど騒がせた。今から考えれば、国会で永田寿康が質問(2006年2月16日)してから、前原誠司が謝罪会見(2006年2月28日)をするまで13日間程度の話だが、安易な行動と、一度口の端にした後では検証を進めないで突っ走る姿勢は、軽薄の誹(そし)りを免れない。この件からの経過があってだろう、永田寿康は2009年1月3日、自殺した。前原誠司は、自殺での被害者遺族と言うだけでなく、自殺の原因に関与する事になってしまった。まあ、永田寿康の資質にも大きな問題があったのは疑いようも無いが。
 このときの前原誠司の言動も、社会経験の薄さから来るものか?情報の取り扱い方、行動の起こし方に問題がある様に感じられてならない。

 第3に、国土交通相就任時の「マニフェストに書いてあった事項だから、八ッ場ダム建設は中止」との発言。これは、最初の「中国は軍事的脅威」発言と同様、多くの人や社会を動かす為に、自己の発言を効果的にコントロールする、って方法論を、まだ身につけていない事を明らかにした事例。こんな事を初めに言えば、関係者が硬化するのは、「普通の人間ならば」容易に想像出来る事。そうした想像力を欠いているのか、真っ直ぐ過ぎて、そうした駆け引きさえ出来ないのか?
 だが、その後も八ッ場ダムの建設を中止すべきと考える論拠を具体的に説明し、国民を説得する姿勢は見えず、ただ「マニフェストに書いてあるから」と繰り返したに過ぎない。せめて、論拠をじっくり説明する姿勢は不可欠だった筈だ。この姿勢を欠いた前原誠司は「首相としての資質」どころか、「政治家としての資質」に欠けているのではないか?とさえ考えられる。

 第4に、外務大臣に就任して間もなくの、海上保安庁の巡視艇に中国漁船が体当たりした事件で、「(尖閣諸島に)領土問題はない」「日本の国内法に基づき粛々と対応する。それに尽きる」と言った、短い言葉を繰り返すだけだった。どんな事案で危険な行為なのか?を積極的に説明する事もしなかったし、撮影動画は「検察庁が押収している」として外部に発表しなかった(これは、鳩山由紀夫の母親からの政治献金でも、鳩山由紀夫が多用した理屈)。実際は、海上保安庁には動画のコピーがあり、それが流出する事になった。私の考えるところ、これが外交問題化する事は容易に想像出来る事(領事などの役割は自国民の保護)であり、充分な説明をすべきなのに、こんな舌足らずの説明で事足りると思う方が、おかしい。
 前原誠司がTVなどに出演すると、待っている間、他に話している人を見るでもなく、真っ直ぐ前を向いている様子がよく映し出されるが、近代剣道の弱点をそのまま現していおる様で、私は嫌悪感を抱いている。宮本武蔵は「五輪書」(オリンピック精神を説いた本ではない、単なる兵法書、剣術書の趣)で「観見二つの眼を以て」と書く。Watch and seeの意で、全体状況と局面を同時に見ろ、って事。これに対し、前だけしか見ないのは、対戦相手が一人だけなら何とかなるかも知れんが、相手が複数(乱打戦など)になった際には、これでは敗れる。まあ、前だけ見ている事から、ここまで敷衍するのも、自分の言ながら、どうかと思うけど、さ(笑)。
 結局は、この公務執行妨害罪で逮捕した中国人船長は、検察が政治的判断で釈放する事となった。シナリオを描けない前原誠司の惹起した、当然の結果でしかない。

 第5に、自身の在日韓国人からの政治献金事件。以前、鳩山由紀夫首相の母親からの政治献金を巡る国会質問で、前原誠司は「自身の政治資金報告書を見ていない」事を明言している。実は前原誠司の政治資金報告書は全体額が1千万円に満たないが故に、総務省管轄ではなく、京都府選挙管理委員会管轄となっており、ウェブで閲覧する事が出来ない。640万円程度と聞いた事があるが、その中の10万円が、古くからの知り合いである在日韓国人からの献金だったって事。たった640万円(多かったとしても1千万円未満)なのに、「我関せず」で秘書に任せ切りで知らんぷり、ってのは、余りに粗雑な態度。
 クリーンだ何だ、って言ってるのが、自分が関知していないだけだとしたら、それは、「人として不十分」の誹(そし)りを免れない。
 その後の処理も、大した言い訳もせず、直ぐ辞任。辞任すりゃいい、ってものではない。どうして、そうした事態に至ったか、それを防ぐにはどうしたらいいのか、法律の方が問題だと考えるのなら、どうしたらいいと考えるか、そう云った諸問題に触れる事なく辞任するのは「潔(いさぎよ)い」のかも知れんが、何か困った事態になったときに、この人は説得し、説明する事が「出来るのか」についても、疑いを抱いてしまう他ないのだ。

 以上5つの事案を考えるとき、私は、前原誠司は、「国民を説得する」って経験が余りに乏しい政治家で、そうした能力に疑念を抱かざるを得ない人間だと感じてしまう他ないのだ。自分がリードを採る事の出来る演説(2005年9月17日の民主党代表選など)では感動的な演説が出来たとしても、現在の様な困難な事態に当たり、本当に「国民を説得して行ける」のか、疑問を感じているのだ。

 尤も、「では、他の候補は、その点大丈夫なのか?」と聞かれると、確信も無いんだけどね。結局は、もし前原誠司が首相になったら、人事に万全を期し、自らの性格の欠陥を補う様な官房長官、補佐官、顧問を周りに配して欲しい、と願うばかりだ。
 それが出来ない限り、前原誠司が首相になろと、首相としての賞味期限が2年間を超える事は無いだろう、と考えている。

〜 記事の文字数が、ヤフー・ブログの文字数制限5,000字を超えてしまったので、記事を二つに分け、以下「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60889901.html )に続く 〜

内閣不信任案 否決

 小沢一郎が、民主党から71票を集めたとか言っていたが、それだけでは、更なる予測不能要因が出て来ない限り、可決に至る訳でもなく、結局、民主党の代議士会で菅直人首相が「東日本大震災からの復興にメドがついた段階」で辞任する意向を表明した事で、内閣不信任案は、反対293票、賛成152票で否決された。
 民主党内からは、小沢一郎(党員資格停止中)が棄権、松木謙公(小沢氏側近ともされる)と離党表明をした横粂勝仁が賛成、後は反対票を投じた。

 菅直人の退陣時期に関して、鳩山由紀夫は「2次補正の成立までということではなく、早期編成のめどがついたときだ。6月中にめどがつく」なんて述べてますが、きっといつもの確認不足でしょうね。詰めが甘いのは、鳩山由紀夫のいつもの事。菅直人側では、今年中なんてイメージじゃないかと思いますよ。
 日本経済新聞が今朝2011年6月2日付朝刊で書いていました(と記憶してるが、記事が見当たらない…)が、菅直人が「通年国会」を言い出したのでさえ、内閣不信任案は1回の国会で1回しか提出出来ないとの慣習上のルールで、内閣不信任案否決の効力を最大限引き延ばそうとしているとも考えられるとか。

 下手すると、菅直人は、今年いっぱいは居座る積もりかも知れませんよ。更に言えば「東日本大震災からの復興にメドがついく」なんて事は、暫くはあり得ないので、退陣表明とされたものが、そのまま反故になる可能性だってあり得ない事じゃない。この言動の一貫性の無さこそが管直人の特徴でもあり、信頼を得られない理由なんですけど。菅直人の退陣が問題になる次の時期としちゃ、9月危機でしょうか?民主党代表選から1年の区切りの時期であり、6月2日にこの様な表明をした事との関連性が問題になるでしょう。
 それに加えて、「8月までに全ての仮設住宅を建設」とした事の成否が問題になる可能性も高いです。建設適地が乏しく、なかなか進まない仮設住宅の建設ですが、実は発注とも取れる「要請」後、建設が滞るなか民間賃貸住宅への入居などが進む事で数が見直され、地震発生直後の戸数から2万戸近く数が減らされています。政府側は、数の要請を「まだその段階では発注ではない」としているので、仮設住宅建設業者は、資材発注を既に行ってしまい、在庫増に苦慮してる状態。もともと大きな利益を見込める事業ではない事もあり、大手が在庫をかぶるしかないのか、ともされています。そんな状態で仮設住宅が予定通り進んでいないとなれば、批判は免れないでしょう。また、仮設住宅も出来ていないうちでは「東日本大震災からの復興にメドがついた段階」とは言えない、って理屈も立つでしょうし。もともと、いい加減な基準なんだよね。内閣不信任案討議の際、本会議で大島理森も言ってたけどさ。

〜 「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60144378.html )から続く 〜

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 政治家を見るとき、我々が注意しなければならない事は、以前も書いたが、「自らの期待の投影」。一部共感出来る政策を語る政治家に対して、その政治家が言ってもいない、その政治家の主張と異なる、自らの考えを、その政治家に「投影」してしまい、支持を与える事。自らの期待を、その政治家に「投影」した結果だ。
 小沢一郎に期待する人は、自分が、そうした事をしていないか、注意深くチェックしてみる事だ。その上で小沢一郎を支持するのなら、別に私に、どうこう言う資格は無い。それは「意見の相違」に過ぎないので、意見を戦わせて合意点を探る、って過程(意見集約過程)に入るだけの話。
 
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 政治家を次々見捨てていると、任せられる政治家がいなくなる、って懸念を抱く人もいるだろう。が、心配する事は無い。国民一人一人が政治家としての何らかの資質はあるのだ。政治を既存の政治家に任せず発言する事、それだけでも現実の政治に何らかの地殻変動を与える事にはなる。それは、どう影響があるのか、判然としない状態でも、何らかの影響はある。隣の一人にしか伝えられずとも、それを何回も繰り返す事で、伝わる人も何人かはいるだろう。それを皆が少しずつ繰り返していけば、歴史が変わる。勿論、皆が同一の方向を目指している訳では無かろうが、そうした事が繰り返されれば、日本の政治風土は変わる。
 それは、必ずしもいい事だとは限らない。個々の国民の政治的発言、政治的討論を繰り返す政治的風土である米国では、真剣な国民の間の政治的対立(共和党 対 民主党)がある。かつては、日本も結構な政治的対立を含んだ社会だった(1960年代頃まで)。今でも、韓国には、国民和解が要求されるかも知れないほどの、保守 対 改革の対立がある。が、社会に歴史的変動が要求され、何らかの価値を選んで行かざるを得ない状況が目の前にある。それは、何かを捨て、あるいは、何かを後回しにしなければならない状況でもある。そうした状況が目の前にあるとき、政治的意見の相克が起きるのは論理的必然であり、政治的な対立が起きるのも、理の当然。そんな状況で、(どんな人間にも、能力の欠落はあるのだが)能力の欠落の大きい世襲政治家(例、世耕弘成など。世耕は、社会経験は積んでいるが、政治家としての識見には欠ける。世襲故に政治家になれた典型例)に任せておける余地は少なくなりつつある。米国には「選挙区の叛乱」と呼ばれる、既存政治家の大量落選の季節があった。日本も、そろそろ、そうした季節を迎えざるを得ないのではないか?

 そうしたとき、既存の政治構造の中でしか生きて行けない、小沢一郎とか、鳩山由紀夫なんて人間は、政治の世界から去る事になる筈だ。このとき落選すべき政治家の第一候補は、小沢一郎の取り巻き、第二に、松下政経塾で下駄を履かせられて政治の世界に進出した人間であって、構わない。社会でまともに働き、人々の信頼を勝ち得た人間が、ある程度の年齢で政治の世界に入り、政治の世界で能力を発揮する事、そして若くして政治の世界に入った、社会的には大した経験も能力も見識も無い既存政治家は、その下働きをする、そんな当たり前の政治が、日本に現出する事を望んでいる。

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 小沢一郎は、「政権交代」を第一の目的と言っていた。二大政党制の確立こそが、日本の民主主義の成熟、進化に資する、と言う。であれば、一応の「政権交代」が成った後、その功労者であるが、旧来の政治構造の象徴である小沢一郎を、退出に追い込む事、それもまた、日本政治の成熟であろう。あたかも、西南戦争で西郷隆盛が討たれた様なものだ。あそこで、日本の内戦は終わりを告げ、新しい明治日本の確立に向かう。
 今こそ、Newly declining country(新興退行国。新興国=newly developing countryを意識しての対義語)としての日本の現実を見詰め、価値判断を国民に問い、国を再生して行く政治が求められているのだ。今、その覚悟を以て進まなければ、間違いなく日本は没落し、国民の生活は更なる困窮に向かう。単に立ち止まっているだけでは、現状を維持する事すら覚束(おぼつか)ないのだ。

〜 「その1」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60144356.html )から続く 〜

 小沢一郎には、大きな欠点がある。それは、今の民主党も、野党時代に、そうした訓練をきちんと積んで来なかった事で、民主党の欠点ともなっている事だが、「意見の集約過程」が機能不全に陥っている事。昔の民主党の、青臭い議論の積み重ねを進化させる手もあった筈なのだが、小沢一郎代表時代に、そうした方向性に蓋をしてしまった。そして、鳩山由起夫 首相・小沢一郎 幹事長の時代に、政策調査会を潰して党に一元化なんて事をやった挙げ句、意見集約過程が機能不全に。現在の菅直人内閣だって、選挙を意識し過ぎた挙げ句「何をやってるんだか判らない」自己矛盾に満ちた方針が次々と出て来る。小沢一郎がもし首相になってしまえば、小沢一郎を取り巻く集団には、意見集約過程ってものが存在していないに等しいのだから、側近政治をやって行く事になるのかも知れない。いずれにしても6ヶ月ほど経てば、具体的政策が国民の求めるものと乖離している事が明らかになり、それを押し通すにしても、批判を受けて修正するにしても、数年も存続する事は出来ない筈だ。尤も、今や首相ってものは、資質の無い者が次々と就き、それが明らかになるのに半年も掛からず、あと半年はレームダック状態になって過ごすのが通例の様になっている。菅直人は、結構のんびりと構えていた様だが(最近「仮免許から本免許に」なんて言ってた事からも、明らか)、もう既に支持率の面から見れば政権の最終決戦を迎えつつある状態。これからの数ヶ月を乗り切れなければ、菅直人政権も「何もしなかった政権」として命脈尽きる事になる。だからこその小沢一郎を政治倫理審査会に引っ張り出す事を辞さない、菅直人の反撃(意を呈しての岡田克也・幹事長の態度)なのだが、時期として間に合うか、どうか。政界再編は、現状で民主党が政権を獲ったときからの論理的必然である訳だが、それを見極めるのに、これだけの時間が掛かったのは、時機遅れではないのか? もう菅直人が政権を獲ってから、6ヶ月が経過しようとしているのだ。民主党代表選が終わってからでも、今日で既に3ヶ月。もう少しすると、菅直人改造内閣が成立してからでも3ヶ月が経過する事になる。
 この段落で書いた事は、以前(2010年8月31日)UPした

民主党代表選を前にして 〜その1
http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/59788829.html

民主党代表選を前にして 〜その2
http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/59788831.html

の(2)、(3)で書いた事を再論したに過ぎない。でも、対象も同じ人で、書いているのも私と云う同じ人間なんだから3ヶ月足らずで意見の変わる筈も無い道理。

 ちと傍論が長くなってしまい、言おうとしている事の輪郭が曖昧になってしまっている。が、要は「小沢一郎の資質、人格を信頼して、小沢一郎に政権を委ねようとする国民は、少数でしかない」って事。この脈絡で、もう少し続ける。

 小沢一郎は、タイミングを間違えれば、政権を獲って解散したとしても、確実に選挙で敗北する。それが私の推測だ。では、勝利したら?そうしたら、私は、ひとまず「間違っていました」と謝るしかない。が、そうした可能性は僅かだと思ってる。
 もし、小沢一郎が政権を獲って、それで解散して勝利し、政権運営に乗り出すとしたら、小沢一郎の「政治主導」の正統性には、取り敢えず疑いを容れる余地は無くなる。が、きっと年月が経過するにつれ、上で述べた様な「意見集約過程の機能不全」が大きな問題になる筈だ。
 
 以上、小沢一郎の言う「政治主導」の正統性についての、お話。


(2) では、もし、小沢一郎が衆院選で勝利したら、日本を復活させてくれる様な事があるだろうか?
 私は、そんな可能性は極めて低いと思う。

 と言うのは、その政策が選挙目当てのものが多く、整合性が取れていないと考えられるものが多いから。真面目に国の行く末を考えているとは思えない。
 バラマキの2大要素と言われる、子供手当と農家の所得補償だが、いずれも小沢一郎が民主党代表だったときにマニフェストに入れられたもの。それ自体は、意味深いものなんだが、どういう文脈、タイミングで発動するか?が重要。子供手当は意義は判るが、更に、保育所などに優先して上積みしなければならないものか、どうか?そして、それよりも罪深いのが、農家への所得補償。これは、出自から言えば、FPPなどの農業環境の激変緩和措置として考えられた政策だった筈なのに、そして、最初は一定条件を備えた専業農家などに対してのものとして考えられたものなのに、他の政策と独立して(単独で)、兼業農家に対しても広げられたものとして発動されるに至った。その結果は、どうか?所得補償制度があるのだから、と米価などが劇的に低下してしまった。買い取り時に所得補償を見越して安く買い叩く、って事になってしまった。これは、国の支払いで赤字を賄ってくれ、って事。国に負担を押しつけるだけの状況。「政治家は結果責任を負う」と言われる。その意味は、意図した結果と違う現実が生まれても、その結果に対して、政治家は責任を問われる、って事だ。小沢一郎や、その周囲にいる人間は、その責めを負わなければならない。

 また、無責任に安全保障に関し「第七艦隊だけがいれば、よい」などと放言するが、もし米国駐留が無く、日本の自衛隊だけでだ国防を賄わなければならないとしたら、憲法を改正しないまでも、国防費は今の2倍程度は必要になる、と試算されている(まあ、現体制を維持したい防衛省の試算結果だが…)。米国に日本の防衛だけでないグローバルな意味の基地を提供している替わりに、日本は、米国のプレゼンスを得ているのだ。米国の傘から脱するべきだ、と言うのは、意味のある政策であり、日本の選択肢ではあろうが、それを主張するのであれば、予想される結果を国民に示して、国民の選択を問うべきだ。そうしないのは、だまし討ちか、あるいは、単に「頭の悪い」政治家として評価されるしかない。

 私には、小沢一郎の主張に整合性は「全く」無いと考える。


(3) ところで…小沢一郎の政策、主張、ビジョンは、明らかになっているのだろうか?私は、それも曖昧な気がしている。

 かつて小沢一郎は、「日本改造計画」と云う著作を著した。内容は、小泉純一郎ばりの自己責任に貫かれた、新自由主義だったと感じている。しかし、小泉純一郎は、「構造改革」を推し進めようとしたものの、途中で逃げ出し、後は安倍晋三などに任せた。小泉純一郎は長らく閥務などに無関係だった(森喜朗政権の際だけ、森派会長を務めた)故か、「人を見る目」が無い。小泉の意見を実現する為の布陣を構成する事は出来たものの、「後を任せる」人選に関しては、完全に「誤った」訳だ。それで、小泉改革は腰砕けのまま現在に至っている。
 しかし、一方、小泉改革の司令塔を担った竹中平蔵は、結果責任に対する意識に於いて、極めて「無責任」な人間である。最初から予想された負の側面は無視して、政策を推し進め、セーフティネットの構築に関して、明らかな「手抜き」を行った。竹中平蔵は、住民税脱税疑惑のある(正月にハワイに出掛ける度に、都度住民登録を抜いて、非課税者となっていた)事や、郵政民営化法案の法案成立前の内閣発行の折り込みチラシで、妻の顧問税理士が社長を務めるコンサルタント会社(ほとんどペーパー・カンパニー)に随意契約で請け負わせ、そのコンサルタント会社は、その仕事を広告会社に丸投げし、儲けを抜いた事など、決してフェアとは言い難い人間だった。そして、その周りにいた人間も、高橋洋一(財務省から内閣補佐官に出向)は、退官後、スーパー銭湯で窃盗で逮捕(鍵の掛かっていないロッカーから、他人の時計を盗み出した)、木村剛(金融庁出身。竹中改革での金融政策で顧問を務めた)は、日本振興銀行事件での証拠隠滅容疑で逮捕。人間性(humanityではなく、integrity)に問題のある人間ばかり。竹中は、最初から予想出来た(私の過去のブログ記事を見ただけでも、それが予想出来たものだった事が判る)負の側面に目を瞑(つむ)り、困窮する人間を無視したのだ。

 小沢一郎は、昔からの主張に変化が無かったとすれば、小泉改革の負の側面を補いながら、小泉改革の方向性を徹底すべきだったであろう。が、現実は、小泉改革に反対するかの様な様相を呈し、揺り戻しを画策している様に見えるだけ。私は、小沢一郎は「転向」したのだ、と思う。それか、もともと、そう言った核の無い人間だったか…。

 そうでなければ、民主党代表だったときに書き始めているとされた「新・日本改造計画」が、いまだ日の目を見ていない理由が判らない。安倍晋三、麻生太郎の様に、自分の方向性を明らかにせず、信任だけを得る事で政策上のフリーハンドを手にする事を意図しているだけなのでは、あるまいか?

 菅直人は、参院選時に打ち出した「消費税増税」で総スカンを食らってから、「嫌われる事を恐れる」いじめられっ子の心境に陥ってしまったかの様だ。総スカンを食らった事で、軌道修正するのは、決して悪い事ではない。しかし、「嫌われない様に」てな事を意識する余り、何をやろうとしているのか、よく判らない事態に至っている。
 一方、小沢一郎は今や、「嫌われる」事を恐れない政治家になっている。が、さすがに総スカンの状況で前を向いていられる様な政治家ではない様で、周囲には、取り巻きの様に政治家を置き、「保護して貰っている」。「将成りて、兵皆倒る」事態は…来ないだろう。将が成る事無く、皆倒れるのが精々かと思う。私は、それを願っている。

 整理し直そう。小沢一郎は、「国民に嫌われ」ても、自分の政策を押し通す覚悟のある政治家である事、それを疑う気にはならない。しかし、小沢一郎が何を優先し、何をしようとしているのか、その姿は見えない。そして、いざ優先するものを選ばなければならない事態に至ったとき、何を優先するか?が見えないだけでなく、選択した後に、何を優先したのか?そうして、何故そうしたのか?に関して、国民に説明し、国民を説得し、将来の進むべき方向を指し示す事が出来るだろうか?私には、自分の政治資金についてさえ、あの程度の言い訳でお茶を濁している小沢一郎に、そんな能力があるとは思えないのだが…。

 ☆★☆★☆  

〜 以下、「その3」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/60144408.html )に続く 〜

 私は、民主党代表時代の小沢一郎の言動を観察して以降、「小沢一郎は暗愚な政治家に過ぎない」と考え、何も期待せずに来ました。けれど、小沢一郎の周りに集まる政治家もいれば、小沢一郎に期待する国民も、まだ、います。

 小沢一郎の政治資金規正法違反の検察審査会の「起訴相当」の議決(審決?)には問題が多いと考えます。が、それは、政治資金規正法自体が抜け穴だらけの欠陥法律であり、それをもとに犯罪事実を考えざるを得ないところから来る状況も含んだもの。
 最近、西部邁氏の「小沢一郎は背広を着たゴロツキである」と云う著作が気になってはいますが、浅野書店 柏店(スカイプラザBF)で現物を ちらと読んだ限りでは、あれに1,500円超を支払う気になれなかった。そこで、以下は、私が小沢一郎を「暗愚」と評価する理由を書いてみます。反論を受けて、「小沢一郎は素晴らしい」と考え直せる様になれば、それもまた嬉しい事ではありますが、そんな事、あるのか知らん?


(1) 小沢一郎は、よく「政治主導」と唱える。確かに、今の菅直人政権は、何をやろうとしているのか判然としない事が多く、「政治主導」には見えない。が、小沢一郎の唱える「政治主導」の「中身」もまた、判然としないものの様に私には思える。

 小沢一郎の政治力の源泉は、周囲に自分の支持者たる政治家を集め、それで党の大きな部分を治め、民主党が衆院の過半数を占める事でその影響力が党全体に及び、ひいては国全体に及ぶ、と云う間接的な統治構造にある。決して国民から直接の信任を受けての力ではない。この点、田中角栄がロッキード事件後に経世会を通じて、自民党を間接支配した構造と似てはいる。田中角栄無き後も、経世会は、こうした支配構造を持ったし、森喜朗政権以降の清和会(現・町村派)も、同様の支配構造を持った。まあ、どんな政治権力だって、民主主義での議会では、そうした構造を持つしかないのは否定出来ないのだが、小沢一郎の力の源泉が議員の数にある事は、私の以下の論に於いては、意識しておくべき事になる。
 言ってみれば、小沢一郎の力の拠り所は、碁の陣地を取って行く様なものだ。これこそ、小沢一郎が1年生議員(当選1回の議員と同義)を雑巾がけのごとく扱い、既存の議員を上に置く、上下構造(縦の構造)を内部に持たざるを得ない原因でもある。その上下構造を当然のごとく内部に抱えなければならない事、それは、「論を持って戦う」と云う「議論」が、党の内部で、すっきりとした地平の上で行われていない事と相似である。大槻文彦は、日本初の国語辞典とされる「言海」に於いて、「デモクラシー」の項で「下克上とも解すべし」と書いた。これは、議論を通じて、上下構造(縦の構造)を無視して決着が為される事を指摘したもの。この意味での「デモクラシー」は、小沢一郎の頭の中には無いに違いない。
 小沢一郎と、その周囲にたむろする議員の利益は、小沢一郎を頂点とする「縦社会」を維持する事によって初めて最大化されるのだ。その「利益」が「国民全体の利益」と一致しているか、どうか?たとえ完全に一致していないとしても、方向性として一致しているのか、どうか?その事をこそ、我々は注意深く見て行かなければならない。

 さて、そうして見たとき、小沢一郎の唱える「政治主導」は、どんな様相を伴って、我々に見えて来るだろうか?
 恐らく、何かの方針を決定したとき、「官僚主導」でなく「政治主導」で方針を押し通す事、それは期待出来る。どんなに官僚が反対したとて、議会の多数を抑えているが故に、押し通す事は出来る。「ねじ伏せる」事が出来る、と言い換えた方がいいかも知れない。
 それが、小沢一郎の思い描く「政治主導」の姿であり、「官僚主導」の対義語に位置し、小沢一郎のイメージは、きっと、そこで停止してる。それ以上の貫徹した思いがあるとは思えない。

 では、何故「政治主導」が正統性を持つのか?何故、「政治主導」が「官僚主導」より「正しい」「あるべき姿」として認識されるのか?
 この問いを一度、小沢一郎に訊いてみたいものだ、と思う。小沢一郎は、「それが日本国憲法の想定している姿だ」と云う以上の事を言えないのではないか、と推測する。その言葉自体は正しかろう。では、何故、日本国憲法はそうした姿を「想定」しているのか?そもそも、それは、「よい事」なのか?官僚主導の方が、お馬鹿な政治家よりも日本の利益を考えて、よき政策を実施してくれるのではないか?
 まあ、最後の設問に関しちゃ、日本国民の「総意」として「官僚主導は嫌」と答えるだろう。それは、今までの政治に否を突きつけた、ってだけの意味であろう。そもそも、「省益」の様な形で立案する政策が対立する事の多い、各省(これが官僚の先ず存在する単位)に任せても何もまとまらない、って事もある。

 けれど、日本国憲法がそれを想定しているから、とか、国民から選ばれているから、とかのレベルで思考が停まっているなら、更に一歩を進めてみる事だ。国民一人一人は、自分の意思で自分の運命を決める事が出来る。それを自由主義国の憲法体制は保証している。その保証があるところに民主主義と云う名の政治体制が成立する。
 まあ、今の日本の選挙制度は、選挙区による、有権者の数、もしくは国民の数に大きな差があり、これが貫徹しているのか、疑問でもあるのだが(この意味で、日本国憲法の最初の改正は9条関連でなく、一票の平等から始めるべきだ、と考える)。

 そうして国民一人一人が自分の意思で自分の運命を決める事が出来る体制を保証する事の貫徹として、国民は自分の運命に大きな影響を与える議員を「総意として」選び、それらの国民から選出した議員で構成される議会で、国の意思を決定する。日本の行政権は、憲法の定めるところにより、議院内閣制を採るので、議会たる国会の多数決で行政府の長たる内閣総理大臣を選出する(議会の選出方法に歪みがあると、その先にあるもの全てが歪む)。
 国民一人一人が議員を選ぶ際には、色んなものが考慮される事になるだろう。議員に対する信頼やら期待、そして、政策。
 まあ、選択肢が限定され過ぎてる、アホな選択肢しかない、って…に問題があるのは認めるが、それは公職選挙法改正を待つか、日本の政治風土が更に一歩を進め、深化=進化する事が必要になるだろう。人類が更に一歩を進め、進化するのとどちらが早いか、判らないほどの気の長い話かも知れない。

 政策で言えば、国民の総意として、価値判断を行い、その結果が官僚の示す技術的な選択肢を導く。それが、憲法の期待する姿。
 一方、国民が「この人なら」て形で政策を委託し、その人間もしくは人間たちが政策を導く事で、官僚の示す政策を選択して行く、てな形もある。今や、現在の日本では、この形は望むべくも無い気がするが…まあ、憲法の想定する姿の一つの形態ではある。

 て事で、ここで話を単純化してみる。単純化されている事を意識した上で、当否を自分で検討してみて欲しい。「国民の総意」の形成過程の複雑さを捨象し、あたかも一人の人間の意思のごとく扱い、その結果を小沢一郎に直結させる、と云う単純化。

 政策で見てみよう。小沢一郎が何らかの、明確な価値判断を国民に迫っているか?2009年8月30日の衆院選でも2010年7月11日の参院選でも、民主党のマニフェストには個々の政策はあったが、将来的な方向性を選択させる様な「ビジョン」は無かった。
 その後の010年9月14日の民主党代表選でも、菅直人の主張は、茫漠とした抽象的なものが多かったが、小沢一郎の主張は、個別具体的なものを積み重ねていた。かつてのマニフェストを貫徹すべき、てな主張だったから。でも、小沢一郎の主張たるや、かつての2009年8月30日の衆院選で掲げた主張を、そのまま挙げたものが多かった。でも、具体的に財源やら何やらで、現実的に、その実現の困難が明らかになって来たときに「私なら、そのままやります」とだけ言われて、それをそのまま信じる事が出来るか?「では、どの様に?」と、その手段を訊きたくなるものなのだが、そうしたところへの言及は無かった。何でも出来る状況が目の前にあるなら、存分にやればいい。だが、現実の日本は、どれかを削って、どれかをその替わりに優先する事が求められているのだ。これこそが「価値判断」と言われる仕事。それを「全部、やります!」では、「政治家としてバカ???」と疑うしか無くなってしまう。
 小沢一郎は、私の目から見ると、政策を国民に問うてはいない。何かを約束して、その約束を盾に押し切る積もりだろうが、「政権を取った際に、現実に何をやるのか?やれるのか?どうやるのか?」が全く見えない政治家。
 価値判断を国民に問うている、とは、とても言えない。

 こうした姿は、もう一つの場合、人格、識見を見て、その人に委ねる、てな姿を想起させるのだが…小沢一郎ならば、てな信用を寄せる国民が、今の日本に、どれだけいると言うのか?小沢一郎が菅直人よりマシって考える人にとっても、現政権がふがいないから、その反射効果で小沢一郎を支持するに過ぎないだろう。小沢一郎を特に取り上げて、彼なら信用出来る、と思っている人が、どれだけいるんだろう?恐らく小沢一郎が政権を獲ったとしても、もし衆院を解散したとしたら、ある特定のタイミングでしか、小沢一郎は、国民の信任を受ける事は出来ない。それは、新政権の政策がまだはっきりしていない段階での「期待の投影」を受けている一時期のみ、だ。


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