|
民主党政権になって約2ヶ月が経過しようとしています。
このブログでは、国民新党結成のときから、そのケインジアン的政策(それも、常に財政出動優先)と国家のコントロール(=自民党政権との比較でみるとき、それが官僚であるか、政治家であるか、の違いはあろうが、政治家の裁量による方が遙かに悪い影響がある)による経済観に異議を唱えて来た積もりだが、国民新党の中で、鯨岡兵輔が落選し、亀井静香が党首となり、しかも政権内に入った事で、その悪影響は、見過ごせないところまで来ていると感じる。
亀井静香は、自民党政権にあったときから「オレが大臣だ」と云う姿勢で、政策を振り回し、「アレは、彼の性格だ」(確か、ときの経団連会長のお言葉。確か奥田さんじゃなかったか?)と言われた、お人。今の政権での「政権に政策を一元化する」なんて方針(小沢一郎・幹事長の方針?)の下、どうやって出来た政策なのか判らないままに、日本郵政会社と金融の行方を簒奪してしまったかの様だ。
亀井の金融政策の悪いところは、実際、論理的整合性を持たないままで、アドバルーンの様に言葉をもてあそび政策を打ち出し、それを国民の反響を見ながら修正して行く姿。言葉だけを捉えれば、かつての日本に存在した「金融社会主義」そのもの。大蔵省が金融行政の事細かな事にまで「行政指導」と云う名の指示をし、その結果、ほとんど何もしない金融トップを作り出し、金融の生産性と産業の方向を官僚が決めた姿。鳩山・民主党政権は「脱・官僚」を標榜しているが、実は、国民新党の諸政策は、「官僚支配」そのものの制度でしか実行出来ないものであり、亀井静香は「官僚支配」の制度を維持したまま「政治家」が「官僚」の位置にとって変わろうと言うに過ぎない。それが目指すべき「脱・官僚」なのか?違う筈だ。民間の活力を活かす方策こそが目指されなければならないと考える。
「官僚支配」による「金融社会主義」は、かつての様に目指すべき姿が明確であった時代には有効に機能したと思う。特に、1973年までの高度成長時代には特に有効だった。経済産業省の主導する産業政策と、大蔵省の主導する金融政策が両輪として機能した時代。この時代には、産業金融を担う日本興業銀行があたかも官僚の別働隊の様にして機能した。
そして、「省エネ」と云う方向が明確であった1973年から1980年代前半まで(ロンドンのThe Economist誌が表紙にSuperdollarと掲げたドル高への時代)は、そうしたものが最後の輝きを放った。
が、1986年以降、円高と日本に課せられた不平等条約たる日米半導体交渉(それを巡る日米構造協議も)の結果、「官僚」は経済活動に対する桎梏となったし、「官僚」も進むべき姿を指し示す事は出来なくなってしまった。日本が、産業的にも充分成熟したし、GDP(当時の指標はまだ、GNPだったかな?)も世界で無視出来ない規模になった。また、1986年以降のバブル時代を通じて、米国で1950年代に起こった大衆社会が、日本でも完成するに至った。日本社会は、既に先行モデルを見失ってしまった訳だ。
そこに「官僚主導の中進国国家体制」たる経済での1940年体制の有効性は終わった。1940年体制とは、世上流布させた野口悠紀雄さんの言葉があるので、それと定義が違うと言われかねないので、ここで大雑把に再定義(世上流布される前に少なくとも、1980年代初期の日銀内では当たり前の国家観だったと思うが)すると、「国家総動員体制を通じて国家が主導する経済体制を完成させ、それを戦後も使いながら復興と高度経済成長を作って来た」とする、国家(日本)の経済体制観。
円安で守られていた(外国の製品は高いので、国内に入って来ない)日本経済は、円の為替変動を通じて、グローバル化せざるを得なくなった。1980年代半ばまでの日本は、今から見れば、ある意味ユートピア。製品の品質は国内の競争を通じて高く、国内で暮らす限り、それなりの賃金と対応したそれなりの暮らしが出来た。が、その裏には、政治的な不公正・不公平も頑(最初、「癌」と変換された。言い得て妙)として存在した訳だが、政治的な1955年体制が機能して、それなりに有効な政策になっていた。万年与党の自民党が万年野党の社会党などの意見を取り入れる形での政治体制だったから。
亀井静香・国民新党の主張する政策は、こうした時代背景と体制を最高のものとみる時代遅れの国家観に他ならない。
「モデル無き世界」では、経済界のあらゆるところで、それぞれの経済主体が目指すべき企業モデル仮説を作り、それを実地に検証して行く中で、それを取捨選択し、残ったものを磨いて行くしかない。
既に、円の為替レートは、亀井静香の思い描く様な経済運営を許さない(それでは運営出来ない)レベルに達している。そして、産業は新興国(BRICsとかVISTAとか)の台頭もあり、グローバル競争の時代になっている。品質は疑問だが何とかOKのレベルの安い製品が日本に入って来たのが1990年代だったが、今や、商品はグローバル・マーケットを対象に世界上の至るところで生産され、そうした製品は日本にも当然の様に流入し、企業はグローバルに競争「せざるを得ない」時代になっている。これは、自民政権云々の問題ではない外部環境。
こうした外部環境(時代背景と言い換える事も出来る)の中で、「ルールに沿った民間の経済競争」を目指すのが民主党政権の「あるべき」姿だろうと思うが、国民新党、なかんずく亀井静香は、そうした姿に明らかに逆行している。
何とかして、亀井静香を政権から追放しない限り、日本は、これからの世界で没落して行く事になってしまう。民主党が参院での過半数を持っていないが為に、最初から国会内で政権を安定させる装置として社民党・国民新党との連立を選んだ訳だが、このままでは民主党政権そのものも危ないぞ。
ただでさえ、財政の赤字は増える傾向にある。行政刷新会議の「事業仕分け」なんてのを今やっているが、項目レベルで云々出来る「無駄」なんて高が知れている。本当の無駄は、プロセスの中にある。だから、予算執行のレベルでやらない限り、それは政治的には「削られた」側の不満のまま終わってしまう事がある。が、恐らく、予算執行のプロセスの中での無駄の排除は、やった結果が明らかになるのは早くて来年度予算が決算期を迎える2011年6月頃。そこまで政権が安泰か、どうか。
赤字国債の金額は増える傾向にある。そして、有効需要の創出として行った補正予算の中で、予算執行を止めたものがある。確かに、基金の抑制や、やっていない政策の凍結はまだいいが、国道予算の凍結は平時でやっとしても建設業の失業を招きかねないもの。それを今の時点でやると、建設業は民間需要が落ちているときだけに、失業者を大量に生みかねない。他のところで有効需要を、と言うが、それは産業間での雇用の流動を意味するのではないか?セーフティネットに問題があるままで、こうした政策は劇薬となる可能性が大きい。失業率は増える事こそあれ、減る事はないのではないか?
そこに亀井静香を政権内に抱えたままでは、金融社会主義への嫌悪から海外からの投資の退出=株価の続落、が懸念される。これから失業率の増加と海外投資の退出があれば、2010年3月の株価次第では、金融機関の安定が脅かされかねない。そうすれば、貸し渋り対策として始まった亀井静香の政策が、結果として金融危機と中小企業の倒産が相次ぐ自体を招き、当初の意図と違った民主党+亀井静香による危機を招きかねない。そして、2010年3月をグローバルに見たとき、こうした危機を現出しているのは日本だけになりかねない。他国は、少なくとも有効需要喚起策を継続してる訳だから。米国に二番底懸念があるにしろ、経済の悪化傾向は政策によって遅らされている。日本は、経済的にも「何とかしないと危ない」状況を「政治が」作り出してしまっている。
国民新党との連立を解消し、共産党の閣外協力を仰いだ方がまだマシな気もするんだけどな。
このままだと、参院選は民主党の過半数獲得は「あり得ない」気もする。もっとも、世間様の反応は、安倍政権のときを見ても、私の反応から少なくとも2〜3ヶ月は遅れる。同じ様に遅れたとして2009年1月後半〜2月前半。
自民党は、参院選に衆院選で落選した有名候補を擁立する意向があるそうだ。すると、民主党への自民党へも積極的な支持を打ち出せない有権者層は、そうした自民候補に「批判票として」投票する傾向が出て来る。すると、民主党は過半数を獲れずに伯仲状態を現出させる事に成りかねない。そこで小沢一郎が退出するのなら、私はそれもいいかも知れないとは思うんだが…。小沢一郎が民主党の党幹部(幹事長)から退かざるを得なくなったとき、きっと、政界再編の号砲が鳴る。
そうなったら、恐らく鳩山政権は、また1年で終わり、2010年9月は政局の季節となる。
日本経済の為に、亀井静香を政権から追放するなら、2009年2月末か3月中旬辺りが最終期限。それより遅れると、株価への影響が残る。が、その時点での内閣改造は政権の弱体化と採られる虞もあるから、早いに越した事は無い。
政局絡みで言うなら、出来るだけ参院選前まで引き延ばしたいだろうし、参院選後のポイ捨ても考えてるんだろうけど、亀井のお陰で足を引っ張られる事の方が多い筈。
選挙前に亀井静香と国民新党を切る事によって、その悪弊は亀井本人に帰す事(実質は「責任転嫁」)が可能になり、もし自民党が国民新党と組んだ場合は、自民党に悪いイメージが付くだけ。民主党側のイメージ上のマイナス要因は極めて少ない筈だ。問題は、国会運営上の安定性だが…(笑)。
☆★☆★☆
以降、この基本的考えに沿って、細かに主張をトレースした記事をUPするかも知れません。
民主党政権の財政的な問題は、現在見える「無駄遣い」排除から来年度の政策予算を生み出す手法や、補正予算での有効需要創出策の停止だけではありません。海外援助も現在、大盤振る舞いしちゃってます。今約束しちゃった海外援助だけで外務省予算は来年度大幅増せざるを得ない事態になっちゃってる訳ですが…。
民主党政権が上手く滑り出す事を、私は希望してるんんですが、余りにorganizerとしての能力を欠く方法が多い。時間軸を考えて、「何をいつ停め、その替わりに何をいつ始めるのか?」「その間に行政組織をどう動かし、都道府県をどう動かすのか?」を無視してるか、甘く見てる様な事例が多過ぎる気がしています。
柏レイソルなんかだと、私は応援するが故に、プレイの上で見られる細かな問題点(相手側にとっちゃ、攻めるべき点)をブログでは書かない、てな姿勢を取って来ましたが、政策では、そんな一方的な事はする気も無いし、する利益も無い。堂々と問題点は書かせて貰います。それが、私だけではない、「みんなの為にやる」政治ってものだと思いますから。
☆★☆★☆
とにかく現在の状況は、「亀井静香のよる金融政策の簒奪」に等しい事態。もっとも、こうした簒奪は珍しい事ではなくて、安倍政権も「政権の簒奪」に等しい事態だった訳ですが、安倍政権の場合は、少なくとも自民党内部の総裁選で選ばれたもの。正当性に疑念はありません。但し、「亀井静香の金融政策の簒奪」についちゃ、そうした正当性は全く見られず、連立によるもの。連立も民主制の現出形態であり、かつての自民党政権でも「公明党による簒奪」みたいなところはあった訳ですけど、今回は特に目に余る感じ。何らの意見集約を経ていないからな。
|