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巾着田については、昨年2009年から何本も記事をUPしてます(左の検索窓に「巾着田」と入力して検索するか、ヒガンバナ関連記事一覧のhttp://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/59853654.html 参照)ので、もう追加する様な事も無かろう、って思ってました。 ヒガンバナについちゃ、「やり過ぎ」「モンスター」てな感じのところです。ヒガンバナ国内随一の名所である事はもう疑い様の無いところなのですが、それに駄目押しすべく、木のウロにヒガンバナを植えてみたり、って事など(昨年2009年は私の知る限り、1箇所だけだったのに、今年2010年は何箇所も見掛けました)、色々やってくれているところ。 でも、今までの私の記事を見ていて気付いたのですが、巾着田の画像として紹介したもは、内周方向から外周方向を見たものがほとんど。まあ、外周方向から撮影すると、駐車場が写ったりする、って事情はあるので、それはいいとしても、巾着田は、円周の様に続いているのに、それを縦に撮った画像の紹介が極めて少なかった事に気付きました。ですので、そうした画像を主に、ここで追加紹介したいと思います。 ☆★☆★☆ 巾着田は、高麗川の蛇行に沿って、円周部分に生えてます。上流部の田んぼの畦に植えられていたものが洪水で流され、ここに堆積した、とか、何とか説はありますが、この辺りが高麗神社ゆかりの地であり、朝鮮(高句麗)からの渡来人によって切り開かれた土地である事などから、私は、「古代の人々が意図的に植えて行ったものであろう」と考えています。 それが忘れ去られ、1980年代だったか、市有地となっていたところの雑草を例年と時期をずらして刈ったところ、その後暫くしてヒガンバナが一面に咲き誇る光景が目撃され、名所化。その後、人の手を加え、ヒガンバナの名所として整備され続けた、って事だろうと考えています。 そう考えるのは、日本の古代には水稲栽培文化と陸稲栽培文化があって、その並行的な存続期間が従来考えられていたよりも長らく続いてきた事が近年の研究で明らかになって来ていますが、水稲栽培文化は、段々に進化・発展して来たものではなく、小川(1m〜1.5m程度。巾着田の脇を流れる高麗川は、この基準から言うと、大き過ぎる)の制御技術などを伴ったセットとして日本に移入されたものだったらしい事が明らかになっているからです。恐らく、ヒガンバナも(下手すると、金木犀も)、こうしたセットの技術の一環として、日本に移入されたものだったのではないか、と考えるのです。 でなければ、毒を持ったヒガンバナのうち、3倍体(通常、雄雌のある生物では染色体は2倍体)の彼岸花の雌株だけが日本にあるのを説明し難い。たった1株から増えたのだとすれば、説明は出来、劇的ではありますが、通常、そんな持ち込み方はしないでしょう。人間が意図的に導入したのだ、と考える方が、私には納得出来ます。安易に増えない様に、しかし、その毒を以てネズミやモグラなどを避け、畦を保護出来る様に、3倍体(この事は意識されていたとは思いませんが)の雌花だけが持ち込まれた、と考えるのです。 古代にそんな事が?と思われるかも知れませんが、縄文時代後期に導入されたとして2,000年前程度。それまでに中国には2,000〜3,000年程度の文化の累積が既にあった訳です。おまけに、日本語の関西言葉の特徴は、中国語(地域によって、異なりますが、中国系統の言葉)を話す人々が、日本語の中に来て日本語を話したと考えるとき、初めて一貫して理解出来るものであり、大和朝廷は、そうした環境の中で成立したものです。天皇の血統には、母系に古代朝鮮との交流があります(日本書紀に明記されているし、昭和天皇の韓国大統領を迎えてのお言葉の中にも、その事実は出て来る)。 日本語の源流は「決して」中国語ではありませんが、中国文化や朝鮮文化の影響を以て古代日本は成立しています。「その後の時代でも、遣唐使船は何回も遭難しているではないか?そんなに交流は容易(たやす)いものではなかった筈だ」と思われるかも知れません。しかし、遣唐使船は季節が悪いのです。古代より冊封体制と言うか、朝貢外交を行うに当たり、ある特定の日(陰暦元日)に中国皇帝に謁見する様に日本を出る必要があり、それ故、渡り易い時期と別にスケジュールが決められていたからです。現に、三内丸山遺跡(青森県にある縄文時代の遺跡)では、中国との貿易が認められています。現在よりも、温暖化が激しく、それ故、台風なども大規模だったと考えられる縄文時代に於いてさえ、そうだった訳です。 メソポタミア文明とインダス文明の間には貿易関係のあった事が認められますし、後年、バスコ・ダ・ガマは喜望峰を回るのは大冒険であったものの、喜望峰を回った後は実質約2週間(2ヶ月だったかなw)で、現地の定期航路路線に沿ってインドに到達しています。 古代だったからと言って、未開だった訳ではありません(実は「悲しき熱帯」で書かれたアマゾンの人々も、未開民族ではなく、泥を使った都市文明を築いた人々の末裔だったりする)。 私は、以上の事について、トンデモ学説を紹介している積もりはありません。「学問の大道」(「王道」ではないし、新約聖書に言う「狭き道」でもない)に従った、常識的な説を述べている積もりです。 ☆★☆★☆ さて…この巾着田が古代の人々の作為を受け継ぐものだとすれば、現在観光名所化した巾着田の100年後の姿は、如何?色んな展開があり得るでしょう。 現在は、日本に受け継がれた3倍体のヒガンバナの雌株を主としていますが、中に白いヒガンバナも入れて、アクセントを付けています。けれど、ここにもし、中国で普通に存在するヒガンバナ科ヒガンバナ属の雄株が入って来たとしたら、どうなるでしょう?3倍体(XXX)がXとXXに分かれた場合、ヒガンバナの雄株の花粉のXやY染色体を持った花粉を受粉し、種を付け始める事は大いに考えられます。…すると…、彼岸花は際限なく増えてしまう事に成りかねません。近所にある球根作物や根菜類の畑にそれが落ちると、下手すると、混入事故で人が死亡する可能性も出て来ます。 また、巾着田では、赤の系統をメインとした光景が消え失せて行く可能性もあります。下手に白や黄色の株を導入し、それが雄株であった場合、ハイブリッド(白のヒガンバナ属=リコリスには、中国で出来た園芸品種が数多くあります)が巾着田に繁茂し、赤一色の世界は失われて行く可能性があります。観光地としちゃ、それも一興なのですが、雄株が日本に繁茂して行くと、種(タネ)で増えて行く事になり、しかも球根部分に毒があるものだから、駆除が課題とされて行く事になります。そうなった場合、巾着田は人間の手で終わりを迎える可能性(除草剤などでの駆除)もあるのです。 様々な移入生物の害が問題となっていますが、日本のヒガンバナについては、古代の知恵を無にする事の無い様に願いたいものです。既に自然界にあるものだからと言って、安易にリコリス(ヒガンバナ属)の雄株(雌株も同様ですが)を日本に輸入・移入しないで貰いたいものです。 ☆★☆★☆ その他、日本には、輸入動物などで、もし自然界に逃げたら、取り返しの付かない事になりかねないものが結構います。例えば、プレーリードッグ。今は簡単に輸入ができない様になっていますが、過去、簡単に輸入出来た時代があり、家庭で飼っているところがあります。しかし、これが逃げて日本の自然の中で繁殖を始めた場合、川の堤防が無力化する虞があるのです。 もともと、プレーリードッグはアメリカの大平原で繁殖していたものですが、日本の自然の中で繁殖し始め、巣穴を堤防に作った場合、堤防に穴を開け(プレーリードッグの巣穴は地下1.5m程度に達します)、洪水の際の決壊の可能性を増す事になります。そうすると、重要河川(1級河川は国管理ですが、この見回りは1日1回だった筈)では、堤防表面および周辺をコンクリートで固めるなどの措置が必要になり、日本の自然の破壊に手を貸す事になります。現在の堤防は、土を固めたものが主流であり、それでも対応出来ているのですが、これをコンクリートで固めるなどと云う事は、膨大な費用が掛かるばかりでなく、そこで失われる自然(そうした土手で繁殖する生物類などもいますから)を考えると大きな代償を払う羽目になると考えられます。 地球温暖化により、降雨などは激しくなる事が予想されています。そんな中、堤防の決壊可能性が大きくなる事は避けなければなりません。現在の環境の中、治水事業は上手く行っている方です。しかし、ひとたび堤防の決壊可能性が大きくなれば、人の住めない地域が急拡大する事になりますから(災害にあった途端に、国あっては財政的な理由で、個々の国民にあっては2度目の被災時に経済的な理由で、そこを復旧する事が困難になります)。 営々と明治以来積み重ねてきた努力(江戸時代までの治水と現在の治水は方針が異なりますから、ここでは明治以来の事のみ注視します)を無駄にしてはなりません。 リコリス類の雄株の輸入問題から遠いところに来てしまったかな? …て事で、100年後には消え失せているかも知れない、真っ赤な巾着田に戻りましょう。このブログが、私が死亡したなどの理由で更新が停まったとき、どのくらい維持されtりるものなのか?不明ですが…ここにUPしたからと言って、恐らく100年後まで残ってないだろうな…(笑)。でも、集団(マス)としての情報が100年後にまで伝わって、上に書いた私の疑念を検証する事になるかも知れない。それを信じて、UPしてみましょう(?_?)/ 。 ☆★☆★☆ 〜 記事の全体が5,000字を越えてしまったので、記事を分け、以下、「その2」(http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/59934792.html )に続きます。タイトルに「紹介画像」と付いているのに、ここでは画像無し(爆)。失礼!
画像は、全て「その2」にあります。 〜 |
埼玉県
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2010年10月3日に埼玉県日高市の巾着田に行きました。この事自体は、 でも書きました。巾着田自体は、検索すれば他の方の記事でも結構、画像などを見る事が出来ます。でも、ここでは、他の方の記事では、あんまり取り上げられていないと考える様なものを取り上げてみようか、と。 ☆★☆★☆ 先ずは、普通の巾着田の画像。 この記事の画像は、カーソルを合わせクリックすると、別ウィンドウで大きく表示されます。 単に、デジカメのパノラマ画像機能で繋げただけの代物。自動パノラマと言ってますが、繋ぎ目は、やはり少しギャップが出来てる…パノラマって、何で同じ場所を検知してるんでしょう?ジャイロ(水晶振動子を利用?)かな?Wiiやauケータイ(スポーツ関連機能が付いてます)も同じ部品を使ってるんだろうと思いますけど。 かなり大雑把に言えば、巾着田の風景なんて、どこも同じ様なものな訳で…。 ☆★☆★☆ 次に、今回、出来れば見てみたい、と思って出掛けた、主目的の一つ。日和田山から見た巾着田。http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58522880.html の一段上の画像を体験してみたかったから。 日和田山は、次の画像の真正面の山。内周に生えているのは、コスモス(秋桜)。 巾着田は、巾着を絞った部分が北端で、日和田山は、その絞った部分の北西にありますので、巾着田の内周部、特に両端からは、この日和田山が見えます。 上の画像の木は桜でして、春は、秋桜の部分に菜の花が咲き、桜と好対照を見せるそうです。 でもって、日和田山の山頂からは…残念ながら、巾着田は見えません。山頂部は、木が、ある方向に切り開かれ、視界が開けているのですが、その方向に残念ながら巾着田は無い。 見えるのは、山腹(山頂ちょっと下)の「見晴らしの」何とか、って名付けられた部分から、です。 上の画像の、恐らくは、この部分。木が剥げて見えてます。 岩場になってます。地図で見ると、金刀比羅神社の前の岩場、って事になる様です。確かに、社と鳥居がありました。 一方からあるものが見えるって事は、あるものの方からも見えている、って事ですから。「花を見ている。花も見ている」(川端康成のノーベル文学賞受賞時のスピーチから)ってところかな。 で、そこからの風景。 ヒガンバナの季節に行けば、もっと赤が強く見えるかな?とも思ったのですが、木の陰に赤が覗く、てな程度でした。双眼鏡を持って登ったので、木の陰の赤は確認出来ましたが、この画像(拡大しても)からではあんまりはっきり判らないかも知れません。 むしろ、その右側(西側)に広がる、山の光景の方が印象的でした。 富士山の方向だそうですが、富士山は残念ながら見えませんでした。 この光景を見る事が出来る場所へは、「女坂」と呼ばれる道を通れば、苦もなく着く事が出来ます。犬連れでも、手綱を引き寄せる事なく到着可能。そこから山頂までは、ちょっとした岩場もあったりしますが…。 でも、私は、登る際には「男坂」と呼ばれる方を通りました。男坂の下から見た光景は、こんな。 この画像では、どう山道が通っているのか判らないかと思いますので、山道の部分を示す為に補助線を引いてみます。 こちらは、結構、急。途中のところから下を見ても、こんな。 まあ、明らかに70歳代と思われる方も登ってましたが、私より遙かに元気そうだった…(笑)。 帰りは、男坂を下る勇気は無かったので、女坂を下ったら、その容易さに唖然としてしまいましたが…。 ☆★☆★☆ 今年2010年9月4日、巾着田にドレミファ橋が完成しました。これ。 高麗川の内周から外周部を望んだもの。かつては、飛び石の様に石が連なっているだけだったと聞きます。私も昨年2009年に行った際に、それらしきものを見ていますが、誰かがイタズラしたんだろうと思ってました。直してやろうか…って思ったくらい(笑)。 地元の方の中には、「風情が失われた」ってお嘆きの方もいらしゃる様ですが、もし、この先を遊歩道として整備して観光に供する積もりなら、この程度の事はしておかないと…。 外周部から巾着田を望んで。 ヒガンバナの部分だけを取り出してみます。 ドレミファ橋の途中から、高麗川上流を望んで。 この橋の他に、巾着田では、木製トラス構造の「あいあい橋」が架かってます。これ。 この場所は、遅咲きエリアなのですが、昨年2009年の記事 http://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/58522880.html の画像と較べてみても、昨年2009年9月22日に行った際と大差ない咲き方の様に思えます。今年2010年は、ヒガンバナの開花が遅れていたものの、2010年9月29日に巾着田は満開になったと聞いています。私が行ったのが2010年10月3日ですから、急速に咲き揃った様です。もっとも、遅咲きエリアの中には、まだ咲いていないところも広く存在してましたけど。一方では、もうそろそろ終盤かな、と思えるエリアもあり、ヒガンバナの花の盛りが余りに短い事は残念に感じます。 この橋の対岸から、巾着田を望んで。 高麗小学校側から。 歴史民俗資料館(旧・公民館)の2Fから。 ☆★☆★☆ また、昨年2009年は、1箇所だけだった様に記憶している、木のウロに土を盛ってヒガンバナを植えたものが、今回(2010年)は、あちこちにありました。そのうちの一つ。 ☆★☆★☆ これは、日高市立高麗小学校(臨時駐車場になってました)の体育館脇に掲げてあったもの。 結構、役に立つ掲示じゃないかなぁ、と思います。 ☆★☆★☆ 今回、私はまたもや車で、巾着田に向かいました。昨年は昼頃に川越を通過する様な時間帯で、朝ドラの川越観光の客もいて、川越から巾着田まで渋滞続きでした。そで、今年は行くときは電車で、と思っていたのですが、2010年10月3日、たまたま権現堂堤を目指して出発したところ、朝早かった所為もあり、余りに道が空いていたので、目的地を変更し、巾着田に向かったもの。5:59に千葉県柏市の自宅を出て、ガソリンスタンドに寄ったものの、8:15には巾着田に着いてました。一般道で、です。 でも、良かったのは、ここまで。帰りは、国道16号までの間、渋滞に巻き込まれてしまいました。 JR常磐線 柏駅〜西武鉄道 高麗駅なら、電車で約2時間。高麗駅から巾着田の間も、地元の方の露店などが出ていて楽しめます。柏からなら電車で行くのがベター。 今回、私は高麗駅〜巾着田の間も歩いて来ました。ヒガンバナの色んな種類(赤も白も黄色も)の球根なんかも売っていて、今度行く機会があったら買って来よう、っと(今回は、庭のどこに植えるか?を考えていなかったので、パス)。 最後に、巾着田と高麗駅の間に架かっている橋から。
日和田山から見た巾着田の右端に当たり、巾着田脇を流れる高麗川の最上流部に当たります。高麗川が堰き止められていますが、魚道なんかも付けられてます。 向こう側には、巾着田の赤いヒガンバナが見えているのですが、画像では確認するのが困難かも。この画像の右側に当たる右岸にも、巾着田ほど大規模ではありませんが、ヒガンバナが植えられています。 |
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埼玉県 日高市 高麗本郷の通称「巾着田」に今年も来ちゃいました。 朝、権現堂堤に行く積もりで車で千葉県柏市の自宅を出たのですが、朝6時頃だった為、道が空いていて、途中で経路変更。一般道を通ったのに、朝8時過ぎには、巾着田到着。 でも、デジカメの充電を怠っていた様で、デジカメは直ぐ電池切れに。 そこで、ケータイから速報記事のみUPします。 上の2つの画像は、外周部のヒガンバナ(彼岸花)。下の画像は、内周部のコスモスです。 いつもながら、ヒガンバナについては、「やり過ぎ」感が一杯なところです。まさに、モンスター。 新潟県上越市の群発地震は心配なれど、今は、こんなところにいる次第。 |
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私は、埼玉県民(春日部市民)だった事もあるのですが、千葉県に対する思いと違って、あんまり負い目を感じる事なく過ごして来ました。それは、埼玉県には一度切り1市(約4年間)に住んだだけだったのに対し、千葉県には、連続せず3度3市に住み、今のところ、都道県別に見ると、千葉県に住所を置いた期間が一番長くなっている所為かも知れません(20年間を超える)。 |
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現在、越谷市のJR武蔵野線 越ヶ谷レイクタウン駅前のイオンレイクタウンは、商業施設面積が218,483平方メートルで日本一です(延べ床面積は364,843平方メートル、敷地面積は261,633平方メートル http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3 参照)。 |



