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朝起きた時点で、北海道で震度6強の地震が発生したってニュースを目にしていたのだけれど…内陸で起きた地震なので、震源近くでは大きな影響があるとは言え、北海道全域で電気供給が停止している由。単純に驚いた。 |
無題
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ど〜でもいい話題なんですが…。 2017年12月31日に自動車走行距離が123,456kmになった事をブログにUPしました(https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/64858346.html )が、先日、群馬県立近代美術館に行った帰り、加須IC近辺で13万kmを超えました。 この日は高速の割引を使う積もりで、ETC割引適用のある土日を選んだのですが、早い時間帯に出た為に往路は高速を使わずに、ほぼ開館時刻に到着。帰りは、高速に乗る積もりだったのに、駐車場から出る際に自動車の途切れるのを待つのが嫌になって反対側(左側)に出て行ったのですが(←単なるバカ)、そこから高速のICに向かうのに適当な道が見つからず(←カーナビの案内を無視し続けた。頭の中では東に走ってる積もりだったが、実際には南に走ってた。国道17号線に合流した時点で気付いた)、そのまま一般道で戻って来てしまいました。で、加須ICの脇の交差点で、走行距離が13万kmを超えているのに気付いて撮影したのが、上の画像。 〜〜〜 〜〜〜 この日(2018年8月18日)は、猛暑からいきなり涼しくなった日で、往路、国道16号線で江戸川を渡る際(恐らく朝7時台)の気温表示が21℃でした。空も、秋の空。 絹雲。 道の駅おかべ で、百日紅(サルスベリ)と空。 道の駅おかべ で、ふっかちゃん。 道中、熊谷市で見掛けた車。
ウーバーの法人としての営業用の車なのか、ウーバー専用で白タクシー営業をしてる車なのか、単にウーバーに憧れてる人の乗ってる車なのか、気になりました。ナンバーは、熊谷でした。 |

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NHKで速報が入って来た。「ちびまる子ちゃん」の作者、さくら ももこ さんが亡くなった、って。享年 53。 |
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2018年8月5日、彦根城に行って来たのは、https://blogs.yahoo.co.jp/ubiquitous_budda/65051883.html の記事で書いた通りですが、この天守、2018年8月現在、補修工事中でした。この補修工事に伴い、黒門山道も通行止めとなっています(玄宮園は、山崎山道もしくは表門山道が案内されています)。従って、井戸郭には工事期間中、立ち入れません。 2017年10月21〜22日の台風21号で、天守南面3層目の漆喰壁と多門櫓北面の漆喰壁が17mにわたり剥落した、との事で、この補修工事中との事です。工事期間は、2018年3月29日〜2018年11月20日(http://www.city.hikone.shiga.jp/0000011922.html では、2018年4月23日〜2018年11月30日とされています。差異の由来は不明)。 多門櫓北面の被害の様子は、https://www.asahi.com/articles/ASKBR4R2KKBRPTJB01D.html などに画像が掲載されています。ついでなのか、天守東面の漆喰も上塗りする、とも(東面については、今のところ、産経新聞だけが掲載している模様 https://www.sankei.com/west/news/180508/wst1805080013-n1.html )。 東面を工事しているのか、は不明ですが、天守前広場から。左側が所謂、天守南面。 所謂、天守東面は、上の画像だと、正面側に当たります。 南面から。 一方、天守前広場からは、多聞櫓北面の工事は見えません。天守前広場(本丸)からは、裏側になる西の丸側から。 右側の足場が天守南面の工事用、左側の足場が多聞(多門)櫓北面の工事用です。恐らく、この多門櫓北面の足場の基礎になっているのが、西の丸から井戸郭への黒門山道そのものなんだろうと推測します。 この様な工事は「興を削ぐ」とも言えますが、今でしか見られない光景であると共に、少し遠い地から見たとき、天守閣のどの面が見えているのか、理解出来、位置関係をしっかり把握出来る、って云うプラス面もあります。 私の場合、玄宮園(表御殿に対して、隠居御殿として拡大したもの)の見学途中でデジカメの電池が切れてしまったので、周囲からの光景は、あんまり撮っていないのですが、例えば、玄宮園から。 奥の方に天守が見え、多門櫓(本丸などの辺縁部に建てられている)も見えていますので、一つ上の画像の左側から見えている事が判ります。この場合、多門櫓の位置で、天守閣との方向が判りますが、南面、東面、西面の違いを判断する際に、この工事用の足場がどこに見えているか、は、重要な判断要素になり、二の郭(内堀と中堀の間)や、三の郭(中堀と外堀の間。尤も、現在は、外堀はほぼ埋め立てられてしまっている)などを歩いている際、天守が見えるところでは、自分と天守との位置関係を把握するのに役立ちます。まあ、彦根市街地からの場合、大体において、駅の方が東側だけれど。 先に言った様に、私は二の郭、三の郭yや彦根市街地から見た天守の画像を撮影して来れなかったのですが、同じ様な事は、城郭内でも言えます。 初歩的過ぎる例ではありますが、太鼓門前から。 左側石垣の上に天守閣があります。左側に足場が見えてますから、左側が南面。 太鼓門をくぐって、後(うしろ)を振り返って。 まあ、この太鼓門て、天守の直ぐ近くなんですけどね(笑)。それに多くの人にとって、まだ天守を真正面に見る前にここをくぐるから、最初にくぐる段階じゃ、天守との位置関係って言われても、天守自体が まだ あやふやなまま…けども、再度通ったときには、はっきりと位置関係は把握出来ている筈。 ちなみに、彦根城の天守って、上で南面とか東面とか言ってましたが、正確に東西南北を向いてはいません。東面と言っていた面が、大体南東方向を向き、南面と言っていた面が南西を向いている形。多門櫓北面は、ほぼ北向き(天守閣から斜め45度程度の角度になります)。ついでに言うと、私が現地で見ていて気付いた訳ではなく、帰宅後書籍から得た知識ですが、天守は水平面で考えたとき正方形ではなくて、上に言う南面・北面が、東面・西面に対して長い、長方形であって、比率は、70:41.35(ここでの単位は尺。実測値)なんだそうです。 オマケ。天守閣3層目から見た玄宮園(池のあるところ)。3つ上の画像の位置を反対に見ている事になります。
野球場のあるところは、金亀(こんき。彦根城のある山は、今は彦根山とも呼ばれるが、もともとは金亀山)公園(彦根市の市立公園が狭義のものだろうけれど、広義では、滋賀県立総合運動場も含むらしい)で、中堀・外堀(後者は、今は全面埋立)に続く松原内湖を埋め立てたところ。芹川もかつては、この松原内湖に注いでいたそうです(江戸時代初期に彦根城築城関連工事として、善利<これも、読みは「せり」。当時、濁点が普及していなかった事から、正しい読みを「ぜり」とする説も>川は付け替えられた)。芹川を付け替えた理由は、治水や周辺地の干拓と共に、南からの攻撃に対する防衛線としての意味を見出す説もあります。 |
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2018年8月4〜5日は、私は滋賀県の琵琶湖東岸地域にいたのですが、2018年8月4日、佐川美術館からラコリーナ近江八幡に向かいました。2018年7月31日21:00〜BS日テレで放送された「ぶらぶら美術・博物館」建築の日本展@森美術館の回で紹介されていて、興味を持ち、機会があれば訪問してみたい、とリストアップしていたもの。但し、私のカーナビではラコリーナ近江八幡では登録されておらず、「たねや」で検索すると、多数出て来て、土地勘の無い私には、どこが該当するのか判らない始末。ウェブで検索した住所も、そのままでは出て来ず、枝番無しの おおよその住所を登録したところ、隣のヴォーリズ記念病院の方に誘導されてしまいました。どうやら、ラコリーナ近江八幡が2015年1月9日にオープンした、まだ新しい施設だった為、私のカーナビDVDに登録の無かった事が原因の様です。 ラコリーナ近江八幡は、1872年創業の和菓子屋に端を発する「たねや」グループが本社と共に、フラッグシップ店として建設したものらしいです。現在、洋菓子の「クラブパリエ」なども運営していますが、wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/たねや に拠ると、洋菓子製造自体が、近所に住んでいたヴォーリズの奨めによるもので、ヴォーリズとはもともと縁の深い企業だった様です。とは言え、「たねや」創業の地にラコリーナ近江八幡がある訳ではなく、ラコリーナ近江八幡がヴォーリズ記念病院の隣にあるのは、「たねや」グループが、その地を選び取ったと云う事でしょう(ちなみに、「たねや」の販売店舗は先述した様に、あちこちにある)。 なお、彦根城のところでも、ヴォーリズ洋館てのが出て来て、気になって検索してみたところ、https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・メレル・ヴォーリズ などで、色々と面白い事が判りました。私には馴染みの無い名ではありましたが、この人、近江兄弟社の創業者でした。近江兄弟社なら、私も知ってます。 ヴォーリスは、もともと米国の人で、建築を学んだものの、YMCA活動にのめり込み、滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高等学校)での英語教師として赴任。が、仏教の力の強かった近江の地でヴォーリズの伝道活動が社会的に衝突を生じる事態となり、英語教師としての契約更新はならず、当初契約の2年で教師の職を去る事に。で一度、米国に帰国。が、翌年(1908年)再来日し、京都で設計事務所を開設(設計者としての業績は上記wikipediaのページや http://www.omi8.com/vories/sakuhinlist.html に詳しい。関西学院大学や神戸女学院大学などに設計建築物が残る)、伝道活動でもあるYMCA活動も継続。伝道活動の安定的な資金を得る為、近江兄弟社(設立当時は、ヴォーリズ合名会社)を設立(1910年)し、メンソレータム(米国メンソレータム社から日本での販売権を取得。後に経営破綻時に、この販売権を失った。現在、メンソレータムはロート製薬が販売し、米国メンソレータム社もロート製薬の子会社。近江兄弟社は、現在、メンタームを販売)を販売(1920年〜。この年、ヴォーリズ合名会社を解散し、W・M・ヴォーリズ建築事務所と近江セールズ株式会社設立。後者が後の近江兄弟社)。YMCA活動として、結核療養所「近江療養所」(現在のヴォーリズ記念病院)設立(1918年)。1919年、子爵(元・播磨藩主)令嬢 一柳満喜子(母は、日本で最初に洗礼を受けた4人の華族女性の一人)と結婚(結婚式は、自らが設計した明治学院大学礼拝堂にて)。一柳満喜子の次兄が、広岡浅子の娘と結婚した広岡恵三であり、ヴォーリズの結婚には広岡浅子の後押しがあった由。後、1941年(太平洋戦争開戦の年)、日本に帰化(戦争中は、日本に留まる)。戦後、藍綬勲章(社会公共活動での功績により)、黄綬勲章(建築業界に対する功績により)受章。ついでに言えば、同志社カレッジソングの作詞作曲者でもあるらしい。ヴォーリズの両親共に、日本でヴォーリズを助け、日本で死亡(母親は終戦後)。ヴォーリズは、近江八幡市の名誉市民第1号となり、ヴォーリズの葬儀は、近江八幡市民葬と近江兄弟社葬との合同葬として執り行われた由(http://www.omi8.com/vories/ryakureki.html )。 なお、ヴォーリズは、戦後直ぐに、近衛 文麿・元首相の密使として、マッカーサーに会い、昭和天皇助命に尽力した事が、死後(20年ほど経ってから)知られる事となりました(https://www.omi8.com/vories/gensui.html 、wikipediaにも記載あり)。 ラコリーナ近江八幡自体より、ヴォーリズの説明が長くなってしまいましたが、近江療養所の場所に現在のヴォーリズ記念病院は建っており、ヴォーリズ夫妻の墓もこの近隣。近江八幡市の象徴が八幡山である(ツイデに言えば、西の湖を挟んで東にあるのが、安土城で有名な安土山。安土山が近江八幡市と東近江市の境界を成す。東近江市の更に東隣が彦根市)にせよ、この地を選び取るに当たって、ヴォーリズの存在が無視された訳でもないでしょう。 て事で、八幡山を背にして建つ、このラコリーナと云う名ですが、イタリア語で「丘」を意味するそうです(つい、ハゲって意味かと思ったよ。https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエルルイジ・コッリーナ 参照)。私は、イタリア語は解しませんが、la collinaらしい。英語にcollisionて語があって、不整合・矛盾を意味しますが、これは複数のものの重なり合いに由来する言葉ですので、同根かと思います。 http://taneya.jp/la_collina/blog/2014/03/28/ラ%EF%BD%A5コリーナの名が生まれた日/ に経緯が記されています。ラコリーナ近江八幡の設計者である藤森照信 氏への最初の依頼の際も「丘を創りたい」との依頼だったそうです。でもって、草屋根の原案を出した際、藤森氏は「まさか実現すると思わなかった」そうですが、依頼者の方が「やります」との事(「ぶらぶら美術・博物館」での藤森氏の言)で、実現した建物。「ラコリーナ近江八幡」(2017年。北田 英治・写真/藤森 照信+たねやグウープ・編著/たねやグループ・発行。以下、この記事では「写真集」として引用)て写真集も出ているのですが、私が20分程度しか滞在しなかった際の画像を、ここで紹介する次第です。 先ずは、駐車場から入ると、こんな具合。 この記事の画像は、結構大きなサイズのままUPしてあります。それ故、次の手順で、別ウィンドウで大きく表示する事が出来ます。
PCの場合:
よく紹介されているのは、真正面から撮った、こんな画像である様です(「ぶらぶら美術・博物館」中の映像から。もともとは展覧会でのパネル画像)。(1)画像にカーソルを合わせる。 (2)右下に+マークが表示されるので、その+マークをクリックする。+マークではなく、画像自体にカーソルがあったままの状態でクリックすると、別ウィンドウは開きますが、画像の大きさは記事中と同じままですので、ご注意下さい。 スマホの場合: 画像をクリックすれば、一部が拡大表示されますので、その枠を移動させながら見る事になります。 でも、駐車場から入ると、正面に草の茂る広場があり、もう別世界。なお、駐車場との間には、生け垣があり、駐車場とは視界が隔離されています。手前がラコリーナ近江八幡建築群のある方で、向こう側、生け垣の向こうが駐車場。 駐車場からの通路は真正面だけではなく、http://taneya.jp/la_collina/access.html の図に拠ると、10本の入口と通路が草広場内に設定されている様です(写真集 p.136に拠ると、9本。どちらが間違っているのか、2017年オープンの後に、増設されたのか)。 世間で「草屋根」と称されるもの。 屋根の上に芝生が載ってます。常に、なのかは知りませんが、芝生には灌水されており、屋根からは水が滴(したた)っています。 なお、上の画像の左側の屋根の先からは、私のみたとき、水は滴っていませんでした。屋根の長さの差が水の過不足の境目なのか、もともと灌水してるか否かの差なのか、は判らず終い。 上の画像では、屋根は木組みですが、何らかの防水措置はなされている筈(写真集 p.124によると、銅色のステンレス板。が、同 p.143の設計図に拠ると、混むアスファルトルーフィング+SUS銅板とされている)。建物内部では、屋根部には木炭を嵌(は)め込んだ鉄筋コンクリート(恐らくは、その上にアスファルトなどでの防水措置を施している筈。写真集 p.145の設計図に拠ると、アスファルト防水)になっている様ですし、正面に見える建物の裏にある別棟では、屋根自体のコンクリートも見て取れます。 コンクリートの下部に、木組みが見えますが、コンクリート自体にも鉄筋が入っている筈です。コンクリートは圧縮の方向の力には強いものの、引っ張り方向の力には弱く、これを補う為の方策が鉄筋。コンクリートだけでは、地震の際に割れて崩落する虞が出て来てしまいますから。 尤も、この木組み自体、生半可なものではありません。 敢えて、こんな木を使っている訳です。 これは、撮影に伴って生じた歪みではなく、柱自体が傾いてます。特に左端の柱。 さて、先ほどの建物を過ぎると、そこには隔離された広い、別世界が。 360度にちょっと欠けるパノラマ写真。先の建物は、右端に写ってます。先の建物の姿が裏からはきちんと写っていないので、この広場の向こう側から写したものを。 先の建物の裏側が、真正面に写ってます。屋根裏を写した建物は、その左側。 銅屋根の建物は、「たねや」グループ本社。一般の人は入館出来ません。銅屋根って事ですので、そのうち酸化銅の青錆(緑青)が浮かんで、ここも「あをによし」の体を呈するのでしょうか?何年掛かってそうなるのか知りませんが、今こその風景。 でも、この色は純銅の最初の色ではありません。純銅は、新しい10円玉(純銅ではありませんが)みたいな色の筈。むしろ金色に近い。この本社の屋根は、銅に何かの金属成分が合わさっての色なのか、それとも、最初に焼いていて、酸化銅の初期状態を作り出しているのか。まさか、2年ちょっと(たねやグループ本社が竣工したのは、2016年6月らしい。http://taneya.jp/la_collina/blog/2016/06/13/本社引っ越しいたしました%EF%BC%81/ 参照)で純銅っぽい色がここまで変化した??…でも、一つ前の文章で示したページを見ると、引っ越した当初の画像と2018年8月の上の画像を見較べてみても、そう違った色になっていませんよね? 回廊。この屋根も、上にあったパノラマ写真で判る様に、草葺です。 最初に記した建物は、左奥に。 この奥(一つ上の画像では、手前右に相当)には、山羊小屋が。草をほどよく食べて、見た目を整えてくれてます。 …って訳ではなく、拡張エリアらしい。まだ工事中のところ。しかしながら、子供でしか通れないくらいの小さな入口です。 新店舗建設予定地は、広く採られています。まだまだ完成形ではなく、広がって行く様です。図では、敷地の右側1/3ほどは、灰色で「新店舗建設予定地」とされてます。 この図は、HP http://taneya.jp/la_collina/about.html にも掲載されてます。そちらの方が見易いと思います。この図には、直ぐ上の建物は既に掲載されてるんですけど、何も説明は付されていない状態。 拡張に関しては、どこかの段階で、駐車場の拡張も必要かと思います。現在でも、土日祝日に関しては、 【土日祝のご来店について】 特に11〜16時は、駐車場・店内が非常に混み合う状況です。駐車場満車により敷地内へのご入場もできない場合がございます。 また、駐車場の出入りに時間を要する場合がございます。誠に恐れいりますが、ご了承の上、ご来店いただきますようお願いいたします。 なんて説明が、公式HP http://taneya.jp/la_collina/access.html に記載されているくらいですから。 私は、この説明を事前に見ていたので、16:00過ぎに訪問しました。16:20頃、現地到着、まだまだ、結構な賑わい。でもね、売ってるものは、今のところ、ほとんどお菓子やケーキ類。私も欲しいものは、みなも欲しく、まだまだ行列も。 来場者の多くはカップルや家族連れ、女の子同士で観光で訪問してるらしいグループもいたけど、そんな中、中高年のおっさん一人はいかにも場違い。20分もいずに、早々に退散した次第です。 ここは、まさに別世界。夢の国。ゴミ箱さえも、こんな。私の寝床にこそ、相応しい?
Sesami StreetのOscar、ギリシャのDiogenesに並ぶ、レイ豚? でも、おいら入らないな、この大きさじゃ。 |



