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特に誰も取り上げていないようなので、不肖このあっしが。
本日の朝日新聞土曜版beに取り上げられていた記事からであります。
未だに完成しないサグラダ・ファミリア教会
スペインはバルセロナにあるこの教会を知ったのはもうずいぶん前のことですが、当初は完成に300年はかかる(!?)と言われた、なんともものすごい建築であります。
この、今も続く建設に日本人が深く関わっているというニュースも何となく記憶しておりました。
外尾悦郎(59歳)という方で、大学で彫刻を学び、この教会に出逢い感動。
何とか自分もこの建設に関わらせてくれと懇願。
最初のうちこそ、外国人の若造に何が出来る、と見下していたスペインの石工達にも、次第にその技術と思い入れの深さに彼を見直すことになり、今や無くてはならない存在になっているのだとか。
彼が中心になって完成させた「生誕の門」 2005年世界遺産に登録
以下、彼のインタビュー記事に圧倒されましたねえ。
元々自分は外国人。そんな自分がここで働く以上、まずは「あいつは役に立つ」と思われることが先決だった。
一回ごとの契約で仕事を請け負っていたので、教会側が納得できる作品にならなければ「もう明日から来なくてもいい」と言われかねない。
だから毎回、真剣勝負。どんな経歴があろうと、誰の紹介があろうと何の意味もない。ここで彫れるのは最後かもしれないと覚悟を決め、「自分が今できるのはこれだ」という作品を作り上げてきた。
これを読んで、あっしが思ったのが、何故か禅の教えである「一期一会」の心でしした。
あるいは、曹洞宗の祖、道元が中国への留学中、真夏の午後の暑い盛りに、せっせと椎茸を干していた老僧の言葉でありました。
わし自身が苦労してやってこそ尊い修行になる
たとえそれがどんなにかつまらない思われるような雑務(※ 掃除や、食事の支度)であれ、それらは全て己を磨くための修行。全身全霊を込めて行え、と。
さすがの道元禅師もびっくり。同じくあっしもびっくり、でありました。
むしろ、人間の出来ていないあっしなんぞは、むしろこーいう雑務なんかをおっつけられますと、
おい、おい。あっしを誰だと思ってるんだ
なーんて、愚痴、不平不満を思いっきり表に出し、もう完璧に手を抜いて適当にやっております。
然るに、これではいけないのだ、と。
今後は、誠心誠意、心をこめて全力で、みんなのために会議用資料をコピーするとか、天井の切れかかった蛍光灯を交換するとか、トイレのトイレットペーパーを補充する、とか・・・。
で・・・。
そんなあっしが、心をこめてコピーした資料に平気で落書きなんかする奴もおるんですが。
いずれ天誅がくだるであろう
などと、気分はもうノストラダムスですねえ。
などといった、余計なことは置き、
この外尾さん、もう完璧にガウディに乗り移られているような・・・。
あるとき、僕が造った模型を見たスタッフから「これはガウディのいつのデザインだ」と聞かれたことがあった。最高の褒め言葉です。
ガウディに近づこうとするのではなく、ガウディと同じ視点で見ることが必要だと気付いた時、ガウディが自分の中にいて、同時にガウディの中に自分がいるという感覚が芽生えた
もはや、すごいとしか言いようがない
ここで、あっしはまた禅に深く傾倒していたという、明治の弓聖と呼ばれた阿波研造のエピソードを思いだしました。
これがまたすごいもので、たまたま来日していたドイツ人の哲学者オイゲン・ヘルゲルを前に、真っ暗闇の中で矢を的のど真ん中に当て、さらにはその当たっていた矢を二番目の矢で真っ二つにしてしまった!
阿波研造
面食らったヘリゲルに阿波は言ったとか。
的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある
※ このヘルゲルという方、ついには阿波に弟子入りし、自らも5段まで昇進した、というから、さらにびっくりであります。『日本の弓術』なんて本も書いてます。よっぱど感銘したらしい。
さて、何が言いたいかと言いますと、阿波の説いたのは、修練を積み精進すれば、もはや自分と矢は一体化し、狙うその的とも一体化してしまう(?)という極意、究極の境地、であったらしいのですが(※ すいません。あっしが、勝手にそう解釈してます)、
ガウディの遺志を継いだ外尾さんという方も、要はもはや「ガウディ」になっている?
彼の上司であるスペイン人が「ソトオはガウディを模倣しているのではない。ガウディを理解し、彼と同じ目線に立って表現しているのだ」と言っている、とか。
例えばこの右側の天使の弾くハープに当初は金属製の弦が付けられていたそうですが、彼は「見る人が彫刻の世界に引き込まれた瞬間、天使の指先にあるはずのない弦が見えればいい」と強引に取り外させたそうです。
安易な言葉で言えば「心の目で見てください」と?
どーも、このことからしても、あっしは禅の思想を感じてしまいます。
さてさて、
ガウディ自身が、
必ず跡を引き継ぐ者たちが現れ、より壮麗に命を吹き込んでくれる
と、生前に語っていたそうですから、ガウディ自身も本望ではなかったかと思います。
そして、外尾さん自身も、いずれは完成するであろうこの教会を見られなくとも、やはり彼の遺志を継ぐ者が現れる、と思っているようです。
いやー、感動しました。
この方「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」という者の一人にも選ばれてますが、ことさら日本を強調しなくてもいいと思います。
世の中には、こういう人がいて、こういう生き方があるんだと。
人間の出来ていないあっしは羨ましい限りです。
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『彼の上司であるスペイン人が「ソトオはガウディを模倣しているのではない。ガウディを理解し、彼と同じ目線に立って表現しているのだ」と言っている、とか。』
前からソトオさんが好きでした。
後世に自分の作品が残るので、ガウディのプランを無視する者も出てきました。
それを、ソトオさんは、最後まで抗議し続けました。
でも、死んだガウディは、生きている芸術家を止めれない。
もう、この教会は、ガウディ一人の手を離れたのでしょう。
石造りを断念し、大部分をコンクリート造りにするを導入したので、建築スピードが速まっています。
<生きている間に完成する>でしょうね。
そうしたら、再び訪れたいと考えています。
2013/6/12(水) 午後 4:37 [ イエスちゃん ]
さすが、師匠、よくごぞんじですねえ。
あっしも、行ってみたいです。
2013/6/12(水) 午後 9:30 [ ねずみ男 ]
外尾さんが心配している鉄筋とセメントの使用率が上がっている。
わたしもそのことをしんぱいしていっます。
セメントは劣化するんですよね。
ガウディは考えてもいなかったのではないかな。
2004年に訪れた時鉄筋とセメントを見ていやな気持ちになった私、だって今までの苦労が無になってしまう。
先を急がず完璧な仕事をしてほしいなあ。
トラバさせてくださいね。
2013/6/15(土) 午後 0:12
日本人の職人(?)はじっくり時間をかけて本物(!)を作る。
だからこそ、諸外国から評判が高い、と聞いたことがあります。外尾さんもそういう方のような気がします。
ましてガウディの霊に乗り移られている方(?)のようですから、完璧な仕事をして欲しいと思います。
外尾さんにはいろいろ教えられます。
2013/6/15(土) 午後 2:33 [ ねずみ男 ]
素敵な作品ですね。こういうのが魂がこもったと言うんでしょうね。
ねずみ男さんは いろんなことに気づいてる。
それこそが 勝ち!だと思います。
2013/7/28(日) 午前 0:23 [ ferini815 ]
優れた芸術作品というものは、最初は理解できなくとも次第にじわじわと見る者の心の中に染み込んでくるらしいです。
しかし、その最初の時点で放り投げてしまう(試合放棄?、退場?)と、それまででしょう。
あっしの経験では直感的に「すごい!」と思うものもありますが、何年もたってからそのすごさに気づく、というものも少なくない。
そのためにも常に自分の感性を錆させないようにしておく、とか。
要は、自身の知的(?)好奇心を最大化しておくことが大事かと。
まあ、あっしの場合はやや暴走気味ですが。
2013/7/28(日) 午前 8:53 [ ねずみ男 ]