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フェティシズムとはつまり本末転倒ではないかと思います。
性的な意味でのフェティシズムは19世紀ビネーという心理学者が本来は性的な対象ではない単なる物に性的な魅力を感じるという困ったケースを言います。
このよーに、女性の履くハイヒールとかストッキング、さらにはスカート、さらには脚というものに対し、異常な執着を示すも本体(?)である女性存在には関心がない、という方もいるんだとか。
それらは、言うなれば「女性」という性的な表象イメージなのでして、本来であればその本体を喚起させる媒体イメージでしかないはず。
このような換気構造は、それこそ古典的な条件反射行動原理で説明ができるかもしれない。
犬にとってベルの音は本来何の意味もない刺激(情報)であったわけですが、食事と結びつくことによって、ベルの音がすると犬の脳が誤作動を起こして唾液を出すようになってしまう。
しかしながら人間はもう少し複雑でして、この例でゆくなら、ベルの音を聞いただけで食欲を満足させてしまう?
して、こーいう現象は決して性的なものだけではなく我々の生きている社会ではいろんなところで見ることができます。
例えばつい最近、ニュースにもなった寝台特急、言うところのブルー・トレインの北斗星が廃止になるということで、その最後の雄姿をカメラに収めたいと多くの鉄道ファン(※ だけではないらしい)が訪れたようですが、そして余計なことですがこういうファンを「葬式鉄」(?)と言うそうで、
こういう列車の廃止だけではなく、廃線になるなどというと大挙して押しかけてゆくらしい。
自分だけの画像に収めてゆっくりじっくり鑑賞したい(?)という心理は、あるいは人間の占有欲、所有欲とも関わっているのか、これもまた興味深い心理ではあります。
あっしも鉄ちゃんの一人ですが、しかしこーいう方向には進みませんでしたが、学生時代の仲間(鉄道研究会というサークルに加入していた)には、コツコツと鉄道写真を撮り続け、それこそ何十冊ものアルバムを持っていた奴もいました。(※ 今ならパソコンの画像保管でしょう)
この映像は自分が撮った、他でもない
自分だけのもの
なーんて、夜の夜中に一人で部屋の中でそんな映像を眺めてニターと笑っているのも、他人からすれば、ことそーいう趣味の無い女性からすれば気持ち悪いというほかないと思います。
このような心理を見事に表していると思うのが、ジョン・ファウルズという作家の、
という小説で、これは映画化もされました。
美しい蝶を集める昆虫採集家、コレクターのごとく、一人の男が若く美しい女性を捕え監禁するのでありますが、彼女を特にどーするということもない。
ただ狭い密室(それなりに快適)に閉じ込め、自分ひとりだけで鑑賞し、さらにはそんな自分に彼女が好意を抱いてくれることを求めているという狂人であります。
しかし、この異常な愛情なるもの決して特異なものとも言い切れないのかもしれない。
我々だって、恋する相手を占有し、それこそ独占したいと思うじゃないですか。
嫉妬という感情は、それが妨げられているがゆえに生じる心理でしょう。
あたしという女がいながら・・・
おのれ、恨んでやる!クソねずみ男
まさに「可愛さ余って憎さ百倍」の心理ですが、これってよく考えるときわめてエゴイスティックなものでしょうねえ。
相手の感情を全て自分の方に振り向けたい、と、それはつまり自尊心も絡んでおります。
自分がこれだけ相手に対し恋愛感情を抱いているのだから当然、それに応えるべきであり、そうでないならそれは自分を侮辱するものにして失礼千万、ということなのであります。
これだけあなたのことを愛しているのに
しかし、相手にすれば「勝手に好きになって」であり、自分の感情は違う方向へ向かっているという場合だってあるでしょう。
でも、そんなこたー許せないのであります。
理不尽だとか、相手の気持ち、その意思を尊重していないと言われようがダメなのであります。
そんな相手の誠意(?)のなさに、
道成寺
なびかぬなら・・・
いっそ殺してしまえ、ねずみ男!
なーんて物騒なことにもなりかねない。
然るに、こーいう、いっそ自分勝手な逆恨み的な犯罪、ストーカー犯罪なるものは時々ニュースになっておりますねえ。
別れた恋人や元奥さんを執拗に付け回す、とか。
このよーなことも、ある意味ではフェティシズムではないかと思います。
お互いに好意を抱き、尊重しあい、というのが本来の形でしょう。
しかし、ここにあるのは何度となく書いておりますような、極めてエゴイスティックな占有欲、いっそ所有欲でしょう。
それで望んでいたことが達成できるとは考えにくい。
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人間は生きてゆくために国家を作り経済を発展させ政治を行っております。
そのこと自体に誤りはないと思いますが・・・。
しかし、時として国家や経済や政治の方が個々の人間よりも優先される?
かつて、日本人は皆、天皇の末裔とされた?
確かに国家がしっかりしていなければ他国に攻め込まれ(?)、経済が発展しなければ生活できず、政治が滞りなく行われなければ安心して眠ることもできないのかもしれない。
しかし、そーいったことが手段ではなく目的となってしまうことはないのか?
例えば、今の政府は日本経済を発展させなくては日本の未来はない、としております。
しかし、少し前ですが、先進諸国の人間一人当たりが消費するエネルギーは象の消費するものに匹敵するという話を聞いたことがあります。
これはつまり、人の大きさをしてそれと対等のエネルギー消費量を基本とするなら、我々は必要以上の多大なエネルギーを消費、というよりもいっそ浪費(!?)しているということになる?
しかし、
限られた資源を有効に使いましょう、などという省エネスローガンとは裏腹に、実際は、
もっともっと消費拡大を
でしょう。
いっそ日本人なら一人当たりキングコング並みのエネルギー消費が求められる?
だったら、多少の(?)安全性に問題があろうと、その時はその時だと原発の再稼働だって必要となる。
仕事がなくなってもいいのか?
お前の老後はだれが面倒みるんだ?
なんだかんだと言ったところで給料が上がらなければどうしようもないだろ、と。
「足るを知る?」
おまい、そんな精神論で腹が膨れるか?子供を塾に通わせられるか?
いざという時の貯金はあるのか?
人並みの生活がしたいんだろ?
でも・・・。
その「人並みの生活」ってどーいうものなのか?
マスメディアが訴求する、言うなれば出来合いのプロト(原型)モデル・イメージに惑わされていないか?
こういうものが幸福なんだよ、という先行イメージに踊らされていないか?
幸せになるために、例えばお金が必要かもしれませんが、快適な住まいがあればうれしいですが、愛する伴侶がいれば辛い事にも耐えられるのかもしれませんが、しかし、それらが絶対に必要だということはないような・・・。
むしろ、そーいう手段に捉われてその目的を逸してしまうことはないのか?
30年ローンなんか組んで、夫婦共働きで必死になって働いて、子供を塾に通わせ、有名校に入れて・・・。
気がついた時には身体がボロボロで癌宣告されて余命いくばくもなし、とか。
まあ、いいか。死んで借金がチャラになる?
でも・・・。
もっと違った人生があったんじゃなかったのか?
旅が好きで、鉄道が好きで・・・。
のーんびり、ゆっくりローカル線の旅を楽しみたかったなー・・・。
ガン宣告され 夢は鉄路を 駆け巡る
世の中、社会のシステムというものは、それ自体の論理で動いております。
国家にしろ、経済にしろ、政治にしてもまた同じ。
それらが、個々の人間一人ひとりの生活とか幸せなんてことを考えてくれているわけではない。
ともすると我々はその論理に流されてゆくような気がします。
そして気がついた時は、自分がその歯車の一つでしかないことを知る。
して、その歯車は用済み廃棄で、いくらでも交換部品がある?
もしかしたら、これまで自分が幸福モデルだと思っていたものって、実はそう思わされていたものではないのか?
確かにそれを得て満足し、充足してもいたが、しかしそれって・・・。
映画「マトリックス」のよーな幻想イメージ、ヴァーチャル・リアリティーの世界ではなかったのか?
たとえそれがはかない幻想であれ、いっそその幻想に包まれていた方がいっそ幸せなのか?
いーんだよ。余計なこと考えないで、俺に従っていれば間違いないぞ
そ、そーなのか?
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目的と手段の取り違え!
それに尽きるでしょうね。
2015/8/30(日) 午前 7:37
> 香知柊桜さんへ
そもそもその目的は何だったのか、ということを忘れてしまうことが少なくないと思います。
2015/8/30(日) 午前 9:28 [ ねずみ男 ]
『そもそもその目的は何だったのか・・・』
この頃、<三歩>歩く間に、その目的が何かを忘れます。
<鶏のレベル>に、近くなっています。
その内に、その先の<ミミズのレベルに>まで・・・
<元の場所に戻って>考え直しますが、思い出す確率は半分。
残りは、闇の中に・・・
人生相談:
ネズさま、どうしたらよいでしょうか?
救って下さい!
お迎えが、確実に、直ぐそこに、来ています。ハイ
解決策は、それかも!
2015/8/30(日) 午前 11:52 [ イエスちゃん ]
師匠へ
何をおっしゃるウサギさんであります。
師匠は既にあっしの遙か先を行く大金字塔を打ち立てておられます。
「悩める者よ、キリスト教に、仏教に興味を抱いたものは我が後に続け」と、おっしゃっておられるではないですか。
つまり、ご自身の意思とは関係なく、後に続くものを叱咤激励するという教師、扇動師、あ、いや、先導師という役割を持ってご誕生されたのではないか、と。
最近、あっしはもしや師匠は現代に蘇ったイエス様なのではないかと思いつつあります。
そんな師匠について行くあっしはまさに弟子なのでありますから。
※ ただ、この弟子、悪魔にそそのかされたり、時々どこかへ遁走してしまうという困った性格なものでお許しを。
仮に洗礼したら「ペテロ・ねずみ男」とでも名乗ろうか、と。
2015/8/30(日) 午後 5:06 [ ねずみ男 ]
阿倍総理に勝手にしゃべらせるのやめましょうや。
2018/7/1(日) 午後 10:08 [ こその ]