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巷では憲法論議が活発でして、あっしも憲法の解説書を読んで勉強もしておりますが、そこで思うことは、例えば日本国憲法というものはあの戦争体験を経て、それこそ産みの苦しみを経てやっとの思いで成立したものなのだということでしょう。
そこに書かれている「国民主権」という言葉、これは思うにすごいことなのだなとも思っております。
この理念を確立した、先人達のの努力に感謝するしかないと思っております。
して、その内容を変えるということは、あくまで国民一人一人が判断して慎重に決めるべきであり、時の政府が勝手に安易な解釈を持って変更というものは、そもそも立憲主義政治の根幹を揺るがしかねないと、あっしも思っております。
※ 国際情勢とかそーいう問題は別次元で議論すべきことではないかと思います。
さて、そんなことを考えていた時、ふとかつて学んだ一つの古代社会におけるその王と一般人の興味深い関係性の話を思い出しました。
社会と言っても小さな、せいぜいが「ムラ」程度の共同体らしい。
皆の中から選ばれた王に、その社会の富(※ 農業生産物・穀物)が集中し、王こそが最も富裕ではありますが、しかし干ばつなどの天候不順にあって食べ物が少なくなると、王はその所有する余剰な名穀物を気前よく太っ腹で民衆に分けてやらねばならなかった。
同時にそれが王の義務でもあった。
また、王は常にあらゆる面で満たされ、それこそ望むものは何でも手に入れられ、恰幅よく太り元気ハツラツでえエネルギッシュであることが理想とされた。
オラ、オラ、オラー・・・!
男でも女でもかかって来んかい!
それを見て民衆は、
おお、我らの王様は今日も朝から元気でええのう
んだ、んだ。わしらも頑張るべ―
なーんて思っていたらしい。
しかし、その王様に衰えが見えだすと・・・。
これはその社会全体に沈滞ムードが広がってゆく。
おい、最近、王様は宴会を開かないらしいぞ
そういや、最近は新しい側室を娶ったっていう話も聞かないなー
じゃ、もうこの辺で今の王様には引退してもらって・・・。
なーんてこたーないそうです。
まして、その王様の息子がその後を継ぐということもなかった。
あくまで、王にふさわしいと思う方を民衆の中から選ぶのだとか。
んーと、じゃあ、その陰りの見えた今の王様は?
「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」とか?
いや。
殺されるんだとか!☠
引退して、それこそ日本の天皇が法皇になって裏で政治を操るというよーな変なことをされても困るので、そこは思い切ってチャラ(!?)にしてしまうのだとか。
もっとも、王は最初に王に選ばれる時、それは承知していたとされます。
だからというか、そうなる時を出来るだけ伸ばそうと一生懸命に努力した。
あっしは、この話を知った時、それまでいだいていた王という概念が大きく崩れたことを覚えております。
王というものは、絶対権力を有し、それこそ好き勝手なことができて、いずれは王位を子供に譲り、自分は引退してまさに裏でこれを操る・・・、なーんておもっていたら、それは比較的新しい、それももっとずっと大きな社会であって、むしろもっと古い、小さな社会にあってはこのような仕組みもあったらしい。
ここで、さらに思いだしたのが、なんとミツバチの社会であります。
ミツバチとかアリとかは社会的昆虫と言われ、それぞれに役割分担に支えらた社会を作って生きております。生まれた雌のほとんどが働き蜂となりミツを集めます。
一方、その雌の中から唯一、女王候補が選ばれ彼女には特別な食べ物であるローヤルゼリーがふんだんに与えられまして他の雌よりもはるかに身体が大きくなる。
雄はといいますと、ゴロゴロしているだけで、唯一女王様が懐胎旅行(新婚旅行?)に旅立つ時に御伴します。で、お役目御免で最後は巣から放り出されます。つまり用済み廃棄処分です。
ちなみにこの女王様、生涯にたった一度だけの外出を済ませますと、後は巣の中に閉じこもってせっせと産卵を続けます。言うなればそれが彼女の仕事であり役目なのであります。
「女王」と名前は付いておりますが、要はミツバチの社会における産卵担当なのであります。
別に偉いとか、権力を持っているというわけでもなく、ただ生殖を代表して行っているだけのことらしい。
その最後は、雄と同じく用済み廃棄で巣の外に捨てられます。
みな、引退して介護を受けて・・・、なんなら施設へなんてこたーない。
ある意味ドライで合理的ですが、そこに我々の勝手な感情をして判断を下すのはいけません。
そういう生き物だと考えるべきなのです。
ミツバチの社会にあってはあくまで存続こそが最大の目的なのであります。
しかし、これって、前にあげた古代社会の構造にもよく似ていると思います。
同時に、これって「国民主権」を理念とする我々の今の社会でも同じではないか、と。
王なり、その社会の統治者が偉いとか、好き勝手なことができるということではない。
何をどーするかはその全体が決めること。
王や統治者もまた用済み廃棄処分の対象でしかない?
というか・・・。
それこそが社会の基本的な在り方であるのに、人間はこの社会の基本的構造を歪めてきたのではないのか?
憲法というのはつまり、元々は我々自身が持っていたはずの社会構築理念を再提起したもの?
それに従ってこそ社会はスムーズに動いて行く。
となると今の政権はちょっと違うんじゃないかな、と。
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どーでもいいですが、総裁選はまたあの方で続投だそうですが・・・。
これって、もしかしたら今の状況及びその後の推移の責任を全てこの方におっつけて、と?
下手に代わったら、今後の事態の収拾の責任をとらにゃならない?
誰がそんな貧乏くじ(?)を引くものか、と。
先の先まで考えたら、一国の政治の行く末を案ずるよりも己が安泰が大事、ということなのか?
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社会現象
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フェティシズムとはつまり本末転倒ではないかと思います。
性的な意味でのフェティシズムは19世紀ビネーという心理学者が本来は性的な対象ではない単なる物に性的な魅力を感じるという困ったケースを言います。
このよーに、女性の履くハイヒールとかストッキング、さらにはスカート、さらには脚というものに対し、異常な執着を示すも本体(?)である女性存在には関心がない、という方もいるんだとか。
それらは、言うなれば「女性」という性的な表象イメージなのでして、本来であればその本体を喚起させる媒体イメージでしかないはず。
このような換気構造は、それこそ古典的な条件反射行動原理で説明ができるかもしれない。
犬にとってベルの音は本来何の意味もない刺激(情報)であったわけですが、食事と結びつくことによって、ベルの音がすると犬の脳が誤作動を起こして唾液を出すようになってしまう。
しかしながら人間はもう少し複雑でして、この例でゆくなら、ベルの音を聞いただけで食欲を満足させてしまう?
して、こーいう現象は決して性的なものだけではなく我々の生きている社会ではいろんなところで見ることができます。
例えばつい最近、ニュースにもなった寝台特急、言うところのブルー・トレインの北斗星が廃止になるということで、その最後の雄姿をカメラに収めたいと多くの鉄道ファン(※ だけではないらしい)が訪れたようですが、そして余計なことですがこういうファンを「葬式鉄」(?)と言うそうで、
こういう列車の廃止だけではなく、廃線になるなどというと大挙して押しかけてゆくらしい。
自分だけの画像に収めてゆっくりじっくり鑑賞したい(?)という心理は、あるいは人間の占有欲、所有欲とも関わっているのか、これもまた興味深い心理ではあります。
あっしも鉄ちゃんの一人ですが、しかしこーいう方向には進みませんでしたが、学生時代の仲間(鉄道研究会というサークルに加入していた)には、コツコツと鉄道写真を撮り続け、それこそ何十冊ものアルバムを持っていた奴もいました。(※ 今ならパソコンの画像保管でしょう)
この映像は自分が撮った、他でもない
自分だけのもの
なーんて、夜の夜中に一人で部屋の中でそんな映像を眺めてニターと笑っているのも、他人からすれば、ことそーいう趣味の無い女性からすれば気持ち悪いというほかないと思います。
このような心理を見事に表していると思うのが、ジョン・ファウルズという作家の、
という小説で、これは映画化もされました。
美しい蝶を集める昆虫採集家、コレクターのごとく、一人の男が若く美しい女性を捕え監禁するのでありますが、彼女を特にどーするということもない。
ただ狭い密室(それなりに快適)に閉じ込め、自分ひとりだけで鑑賞し、さらにはそんな自分に彼女が好意を抱いてくれることを求めているという狂人であります。
しかし、この異常な愛情なるもの決して特異なものとも言い切れないのかもしれない。
我々だって、恋する相手を占有し、それこそ独占したいと思うじゃないですか。
嫉妬という感情は、それが妨げられているがゆえに生じる心理でしょう。
あたしという女がいながら・・・
おのれ、恨んでやる!クソねずみ男
まさに「可愛さ余って憎さ百倍」の心理ですが、これってよく考えるときわめてエゴイスティックなものでしょうねえ。
相手の感情を全て自分の方に振り向けたい、と、それはつまり自尊心も絡んでおります。
自分がこれだけ相手に対し恋愛感情を抱いているのだから当然、それに応えるべきであり、そうでないならそれは自分を侮辱するものにして失礼千万、ということなのであります。
これだけあなたのことを愛しているのに
しかし、相手にすれば「勝手に好きになって」であり、自分の感情は違う方向へ向かっているという場合だってあるでしょう。
でも、そんなこたー許せないのであります。
理不尽だとか、相手の気持ち、その意思を尊重していないと言われようがダメなのであります。
そんな相手の誠意(?)のなさに、
道成寺
なびかぬなら・・・
いっそ殺してしまえ、ねずみ男!
なーんて物騒なことにもなりかねない。
然るに、こーいう、いっそ自分勝手な逆恨み的な犯罪、ストーカー犯罪なるものは時々ニュースになっておりますねえ。
別れた恋人や元奥さんを執拗に付け回す、とか。
このよーなことも、ある意味ではフェティシズムではないかと思います。
お互いに好意を抱き、尊重しあい、というのが本来の形でしょう。
しかし、ここにあるのは何度となく書いておりますような、極めてエゴイスティックな占有欲、いっそ所有欲でしょう。
それで望んでいたことが達成できるとは考えにくい。
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人間は生きてゆくために国家を作り経済を発展させ政治を行っております。
そのこと自体に誤りはないと思いますが・・・。
しかし、時として国家や経済や政治の方が個々の人間よりも優先される?
かつて、日本人は皆、天皇の末裔とされた?
確かに国家がしっかりしていなければ他国に攻め込まれ(?)、経済が発展しなければ生活できず、政治が滞りなく行われなければ安心して眠ることもできないのかもしれない。
しかし、そーいったことが手段ではなく目的となってしまうことはないのか?
例えば、今の政府は日本経済を発展させなくては日本の未来はない、としております。
しかし、少し前ですが、先進諸国の人間一人当たりが消費するエネルギーは象の消費するものに匹敵するという話を聞いたことがあります。
これはつまり、人の大きさをしてそれと対等のエネルギー消費量を基本とするなら、我々は必要以上の多大なエネルギーを消費、というよりもいっそ浪費(!?)しているということになる?
しかし、
限られた資源を有効に使いましょう、などという省エネスローガンとは裏腹に、実際は、
もっともっと消費拡大を
でしょう。
いっそ日本人なら一人当たりキングコング並みのエネルギー消費が求められる?
だったら、多少の(?)安全性に問題があろうと、その時はその時だと原発の再稼働だって必要となる。
仕事がなくなってもいいのか?
お前の老後はだれが面倒みるんだ?
なんだかんだと言ったところで給料が上がらなければどうしようもないだろ、と。
「足るを知る?」
おまい、そんな精神論で腹が膨れるか?子供を塾に通わせられるか?
いざという時の貯金はあるのか?
人並みの生活がしたいんだろ?
でも・・・。
その「人並みの生活」ってどーいうものなのか?
マスメディアが訴求する、言うなれば出来合いのプロト(原型)モデル・イメージに惑わされていないか?
こういうものが幸福なんだよ、という先行イメージに踊らされていないか?
幸せになるために、例えばお金が必要かもしれませんが、快適な住まいがあればうれしいですが、愛する伴侶がいれば辛い事にも耐えられるのかもしれませんが、しかし、それらが絶対に必要だということはないような・・・。
むしろ、そーいう手段に捉われてその目的を逸してしまうことはないのか?
30年ローンなんか組んで、夫婦共働きで必死になって働いて、子供を塾に通わせ、有名校に入れて・・・。
気がついた時には身体がボロボロで癌宣告されて余命いくばくもなし、とか。
まあ、いいか。死んで借金がチャラになる?
でも・・・。
もっと違った人生があったんじゃなかったのか?
旅が好きで、鉄道が好きで・・・。
のーんびり、ゆっくりローカル線の旅を楽しみたかったなー・・・。
ガン宣告され 夢は鉄路を 駆け巡る
世の中、社会のシステムというものは、それ自体の論理で動いております。
国家にしろ、経済にしろ、政治にしてもまた同じ。
それらが、個々の人間一人ひとりの生活とか幸せなんてことを考えてくれているわけではない。
ともすると我々はその論理に流されてゆくような気がします。
そして気がついた時は、自分がその歯車の一つでしかないことを知る。
して、その歯車は用済み廃棄で、いくらでも交換部品がある?
もしかしたら、これまで自分が幸福モデルだと思っていたものって、実はそう思わされていたものではないのか?
確かにそれを得て満足し、充足してもいたが、しかしそれって・・・。
映画「マトリックス」のよーな幻想イメージ、ヴァーチャル・リアリティーの世界ではなかったのか?
たとえそれがはかない幻想であれ、いっそその幻想に包まれていた方がいっそ幸せなのか?
いーんだよ。余計なこと考えないで、俺に従っていれば間違いないぞ
そ、そーなのか?
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NHK・ドキュメント72が好きでよく見ます。
何気ない平凡な人々の何げない日常世界から見えてくる現代社会の一断面、世相。
それを歴史的に捉えるなら、平成二十年代後半、あるいは21世紀前半の日本という国の生活風景、風俗。
それは例えば民俗学者柳田国男の「明治大正史世相篇」のごときもの。
あっしはよく、最新のファッションに身を包んで華やかな都会を闊歩する若い方々を見るに、言うなればシンボリックなデ・ジャブ(既視感)を覚えます。
昭和初期の最新ファッション
− 行く川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず −
鴨長明『方丈記』の一節であります。
繁華街を歩いている人の風景は同じでも、かつての方はもうそこにはいない。
一方にそういう皮相的な平面的社会からは見えてこない、もっと我々の生活の奥に入った所にあるもの。
かつては、「困った時はお互い様」なんて共同社会が一般的であったとされます。
これは、今でもその一部が残る地方の農業(漁業)共同体(「ゆい」など、田植えや稲刈り、灌漑工事、さらには冠婚葬祭においても協力し合う)にそのモデルを見ることができます。
一方、都市部においては、
落語でよく出てくる長屋の大家さんともなれば、「大家と言えば親も同然(店子と言えば子とも同然)」なーんて、面倒を見てくれた世話をしてくれた。
あるいは「向こう三軒両隣」なんて言葉もあったし、戦時下は「とんとん とんからりと隣組」なんて国家政策的な、いっそ強制的な地域共同互助組織が作られました。
この、岡本一平(※ あの岡本太郎のおとっつあんであります)の作詞が今にすれば何んとも味わいがあります。
あれこれ面倒 味噌醤油 ご飯の炊き方垣根越し
教えられたり教えたり
なーんとなくマンガ『サザエさん』の世界を髣髴(ほうふつ)させます。
隣に新婚さんなんかが来ますと、既にそこにいる奥さん連中(「ママ友」なんて、子供を介して繋がるものではない)が、それこそ「袖触れ合うも他生の縁」で言えば、言うところの「血縁」ならぬ「地縁」で何やかやと面倒を見てくれた、助けてくれた。
味噌醤油に始まり、ご飯の貸し借りなんてものまであった、とか。
えー、余談ですがこれが地方の農村部に行きますと、民俗学者赤松啓介の『夜這いの民俗学』なる本によりますと
案外、真面目な本なんですが・・・
あんたんとこの父ちゃん、今夜貸して
なーんてこともあったんだ、とか。
ちなみに、この指名された父ちゃんに国連常任理事国にあるような拒否権があったのかどうか、あるいは交換条件(?)があったのかどうかは忘れました。
話を戻しますに、これはまさに先の長屋のようなものか、と。
あるいは、そこに教養豊かというより、世の中の酸いも甘いも噛み分けたような「亀の甲より年の功」的なご隠居ならぬ自治会長(地区長)なんて方もおり、困ったことがあれば相談に乗ってくれた。
わしの現役の頃はなー・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。おい!
何の相談に行ったんだよ!?
夕焼けの詩(三丁目の夕日) 西岸良平
あっしも、学生時代、東京都心の、それこそ空襲をほとんど受けなかったであろう戦前からの面影を残す一画のボロアパートに潜伏・・・、いや過激派じゃないんですから生活していたんですが、まさにこのよーなマンガの世界でした。
して、そのよーな緊密な人間関係をして煩わしい、めんどくさい、うるさい、うっとおしい、とした人々もおりまして、そーいう方々は独立性を求めて郊外新興住宅や新しくできた高層マンションなんぞに移って行った。
しかしこの「独立性」なるもの、一方では「孤立性」というものにもなる。
して、歴史的に多民族同士がまじりあい、時には喧嘩(戦争)しあいながら、それぞれに独立自尊・他尊、言うところの個人主義を志向してきた欧米人とは異なり、もとはと言えば協力して事にあたって来た百姓、農耕民族の子孫である我々日本人はどうもこの「孤立性」に不慣れなものらしい。
ドアの外はそのまま見知らぬ他人の外社会
ひとつ屋根の下なーんて言ったって、隣にどんな人がいるかもよくわからない?
ねずみ男みたいな、しょぼくれたおっさんが脇に交通公社の大型時刻表を抱えて「今度は東北方面を攻めるか。ああ、東北線があっしを呼んでいる!たまんねーなー、おい!!」なーんてニタニタ笑いながら隣の部屋に入っていったー!?
絶対に関わっちゃいけません!
顔を合わしても挨拶なんかいけません
何かあったらすぐ警察に電話を・・・
「孤独は都会の中にある」なんて言った方もいた。
して、いよいよ便利屋さんの話ですが。
部屋の掃除だの、台所の換気扇の掃除だのはまあいいでしょう。
番組では怪我をしてそれができない、なんて家庭の主婦もいた。
買ったものの、自分では組み立てられない家具を組み立てて欲しい、なんてのも。
これもまあねえ。
笑ったのは、天井を這っているナメクジを取って欲しい、なんて依頼が。
これやって、確か五千円ぐらいであったか?
うーむ。
仮に、こーいう依頼が毎日10件も来れば日に5万円で、1か月で15万!?
元手もいらず、経費もさしてかからず(※ ティッシュでまるめて取ってました)
なかなか美味しい商売。
あっしもやるか!?
あのなー・・・。
そんなナメクジ除去の依頼が連続して毎日、毎日来るわけがねーだろーが。
それより、ペットで飼っていたキングコブラが檻から逃げ出したので捕まえて欲しい、なーんてのが毎日来たらどーすんだ?
で、行ってみたら。
飼っていたペット同士が喧嘩してる?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
お客さん・・・。キングコブラじゃなくって・・・。
キングキドラにゴジラにモスラじゃないっすか!?
トカゲと蛾の幼虫もペットで飼っているとは聞きましたけど、うちんとこは科学特捜隊じゃないんで。
この他、結婚記念日なのに急な仕事が入って妻に買っていこうと思っていた有名なケーキ屋さんのケーキを買ってきてとか、配達された電化製品(冷蔵庫)を設置して欲しい、とか。
で、ちょっと考えさせられたのが、いずれも年配の男性でして、一人は独身で母親と二人暮らしで家事は一切母親がやっていたものの亡くなったため、自分ではなにもできずに家事一般を含めて、便利屋のこれまた年配女性メンバーに裁縫仕事まで依頼する方。
もう一人は、それこそ介護(支援)を必要とするような方で、一人暮らしで足が不自由なため、いっしょに買い物に行って欲しい、とか。
こーいう、あえて言えば探せば公的機関によるサービス(援助)が受けられるかもしれないよーな方々も、そーいうことの利用の仕方を知らない、わからないんでしょうねえ。
これが、まだ濃密な地域社会ですと、必ずそこにはおせっかいな方がおりまして、そういうことを含めて面倒を見たり、関わってくれたりもしてくれるかもしれないんですが、これらの方々は自分からそーいう門戸を閉ざしてしまっている?
できるだけ他人に迷惑をかけないように
なーんてことをこの方は言っていたと思いましたが、かつての我々日本人にはこーいう奇妙な倫理観念があるように思います。
なればこそ、ある程度は金で買える、解決できるサービスとしての便利屋さんを利用するのでしょう。
でも、本当を言えばこのような、都会の片隅で暮らす一人暮らしの年配男性などには公的サービスを受けられるようにすべきなんでしょうが、いかんせん今の行政の機能ではこんな末端のところまで目が行き届かない?
して、これは政治の問題となってゆくのか?
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以前、聞いた話ですが便利屋さんにこんな依頼があったとか。
一人で食事をするのはあまりに寂しくて
だから、家に来ていっしょに食事してください
女性からの依頼であったそうですが、考えさせられましたねえ。
やはり、これはアメリカであったか、公園のベンチに座っていた年配女性の首から掛かっていた紙には、
誰か、私と話をしてください
あっしも、大学に入ったばかりの頃、大都会のど真ん中にいながら、1週間誰とも話をすることもなく、どーしよーもない孤独感に襲われめちゃくちゃ滅入っていたことがあります。
たとえ、今死んでも誰も気がつかない?
まあ、いまなら携帯電話(ライン)、ネットで繋がることもできますが当時はねえ。
でも、こーいうラインなんかも、実際にはうっとおしくなることもある。
いっそ、ほっといてくれと思うことだってある。
思うに、我々はぜいたくなもので、緊密な人間関係を煩わしいものと思い、これを切り捨てるような社会を志向してきましたが、その結果として、言い換えるなら得たものの代償に失ってしまったものもあることに気付くと、再びこれを求める?
しかし、今やそれは資本主義経済システムの中に絡み取られ有償(有料)ですからねえ。
老後破産なんて言葉がクローズアップされているようですが、
やはり現代社会は金次第!?
それが嫌なら、血反吐はくまで働きやがれ
日本経済発展に死ぬまで奉仕しやがれ
年金なんか当てにするのは非国民だ!
日本国あっての日本人だぞ!
その国を守らないでどーする?
今や中国が、北朝鮮が、ロシアが
鬼畜米英が・・・
特に、そこの・・・。
休日だからって、ヒマこいてつまらんブログなんか書いている、そこのおっさん!
道路工事の警備員のアルバイトでも探して行って来い!
ねずみ男、お前だ、お前!
あのさー
今日、いつもの道路工事現場の横を通りかかったらさー
ねずみ男みてーな顔した警備員のおっさんが何も言わずに頭下げてんだよ
最初はマネキン人形かと思ったぜ。キモ!
ああ、あのおっさんなー
警備会社で、つかえねーおっさんだから、ただ立って頭下げてろ、って言われた
らしいぜ
何でも、苦情処理ばっかりやってるから頭下げるのは得意なんだと
あっしを何だと思ってんだ!
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あっしは、トワイライト・エクスプレスとか北斗星の廃止とか、あるいはJR九州の七ツ星とかそーいうのにはあまり関心がありません。
新幹線や観光イベント列車もまた同じです。
こと、「観光イベント列車なんぞは邪道だ!」なーんてホンネを言うと、それで町興し、あるいは斜陽化する鉄道事業を何とか盛り上げよう、などという業界の方に怒られるでしょうが。
あるいは・・・。
野良猫を勝手に駅長に祀りあげて、なーにが功労者だ、と・・・。
※ なーんて言うと、ボロクソにひんしゅく買うでしょうけどねえ。
「走るホテル」なんて言われてました。
北斗星や観光イベント列車など、これらはいうなれば鉄道の花形であり、派手で鉄ちゃん以外にも人気がありますが、言うなれば「着飾った」、「脚色された」、「王侯貴族の」鉄道でしょう。
「よそいき」、「非日常」と言ってもいい。
ドレスアップして、それこそパーティに出席するような感覚?
あっしの関心は、むしろ身近な、日常生活空間における鉄道であります。
特急、急行ではなく、普通、いっそ俗に言う「鈍行」であります。
あえて言えば、それもローカル色豊かな地方路線が好きですねえ。
前から乗りたいと思っている静岡は岳南鉄道
そんな地方のローカル私鉄電車にのんびり揺られながら、景色を見たり、適当に途中下車してみたり・・・。
終着駅の周辺を意味もなくブラついてみたり・・・。
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あっしがまだガキの頃は、鉄道貨物輸送が大きなウェイトを占めており、いわゆる貨物列車が旅客列車と同じぐらいの多く走っておりました。
夏の夕暮れ時、あるいは凍てつく真冬の駅で列車を待っているとると、入れ替えや、通過してゆく貨物列車の機関車のもの悲しいホイッスル(汽笛)の音が心に響いたものです。
今でこそ、トラック輸送が全輸送量の6割以上を占めるとされ、生鮮食品に始まり石油や原材料、工業製品すらも鉄道から取って替わられてしまっている現実。
さてさて、貨車といえば、黒や茶色が多い貨車の中で、例えば鮮魚などを運ぶ貨車は白く塗られておりました。
こーんな鮮魚を積んだ特急貨物列車なんてーのもありまして、例えば下関や東北は三陸などから、そこで水揚げされた魚介類を東京や大阪へ運んでおりました。
たまたま、冷蔵トラックで四国や北海道の魚介類を運ぶ長距離トラックの動画を見て思ったんですが、ドライバーには過酷な労働を強いて(※ その割に、それほど高収入ということもない)、決められた時間までに届けられなければ、ドライバー自身が多額な違約金を払う、なんていう話を聞いて、これも大変なことなのだな、と思ったもの。
時間に追われ、昼も夜も関係なく走り続ける以上は睡魔などとも闘い、さらには事故の危険も付いて回る。
また、そーいった事故や警察の取り締まり、あるいは渋滞などは死活問題で、言うなればギリギリの状態をかいくぐって運ぶというのは、相当に神経を消耗させるものらしい。
また、燃料である石油価格の高騰はもう業界にとっては死活問題でだとか。
さらに、今ではドライバーのなり手が減っており、高齢化の危機にあるとか。
まあ、確かに3Kの仕事のようですし。
ドライバー自身の方も、長くはできる仕事ではない、なんてねえ。(※ 内臓疾患、腰痛、痔などの職業病も深刻なのだとか)
映画なんかだと、面白おかしく、いっそ楽しく描かれておるようですが、実際はもっとずっと過酷なものらしい。
政策的なものなのか否か、日本の貨物輸送は先にも書きましたように、鉄道からトラック輸送に大きくシフトしてきたようです。
効率性(※ 鉄道輸送に比べ積み替えなどが少ない)や輸送費の廉価さということもあって、かつては鉄道が主体であった危険物(石油など)もトラック輸送になっているものもあるようです。
それがゆえに、その使命を終える貨物列車や、貨物鉄道も少なくなく、こーいうのが大好きなあっしのよーな鉄ちゃんは、もう涙、涙なのであります。
先にあげた、岳南鉄道なんて、その路線そのそばには大きな製紙工場があり、そこで作られた紙製品を例えば東京なら飯田橋にあった貨物駅に運んでいたのですが・・・。
青く塗られた独特の貨車の紙輸送貨物列車
これが、臨港鉄道、専用鉄道なんてものになりますと衰退の一途です。
こーんな線路のそばで、草っぱらに寝転がって、一日中、走ってゆく貨物列車を見ていたって飽きない。全然、飽きない!
いっそ、もう。
生きていて良かった!
北アルプスに登るとか、湘南の海でサーフィンするとか、ハーレーでぶっ飛ばすとか、・・・・。
おいしいグルメツアーに出かけるとか、東京スカイツリー、大阪ユニバーサル・スタジオに行くとか。
いっそ、若くてきれいなおねーさんと戯れるとか・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ま、それはそれで捨てがたいんですが・・・。 (おい!)
それよりも、貨物列車を眺めているのが好き!
こーんなところで、入れ替え用のディーゼル機関車の甲高いホイッスルなんか聴きますととねえ・・・。
も、もう、たまりまへんなー・・・
ねえ、そんなこといいから・・・。
どこかへ行きましょうよ。美味しいものでも食べましょうよ
なーんて、それこそきれいなおねーさんに言われてもですねえ。
るせーな。消えろ!
なーんてねえ。
※ アブナイ人ではありません。基本的に人畜無害です。
まずもって、新幹線の中で石油かぶって焼身自殺するようなことはないと思います。
あんなことやるのは、神聖なる鉄道に対する冒涜以外の何ものでもない!
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夜間中学なんてものを耳にしたのはもうずっと前のことです。
当時、すでに定時制高校、あるいは大学の夜間部(ニ部)というものは知っておりましたが、義務教育の公立の中学にも通えない人がいるのか?
なーんて思っておりました。
この映画も見たいんですが・・・
巷の記事によれば、公立の夜間中学の他に、私立の(※ ボランティアやNPOが運営していたりもする?)自主夜間中学(※ 実際には私塾?中学校卒業資格が得られるわけではない)に通う人々の数は全国でなんと9200人!?
文部科学省は、今後は各都道府県に一つの公立夜間中学の設置も検討しているとか。
また、そこに通う方々の6〜8割が外国人(日本に住んでいながら日本国籍のない人も)だそうです。
紹介記事によれば、例えば戦後の混乱期に、家庭などの事情で満足に学校(小学校すらも!)に通えなかった高齢者の方も少なくないようです。
あるいは、不登校になってまともに中学に行っていない方、とか。
以前、これは大阪の在日の女性でしたが、娘に勧められてこの夜間中学で学んでいたおばーさんの新聞記事がありました。
生まれてこのかた、学校に行ったこともなく、日本に生まれ日本に育つも文字も書けなかった。
そんなおばーさんが、ここで苦労してやっとひらがなを覚え、それを黒板に書いた時、先生がちゃんと読んでくれた時、飛び上るほど嬉しかった、なんてあって、泣けましたねえ。
映画 『学校』
学校に行けなかったのも、文字が書けなかったのも、彼女自身が悪いわけじゃない。
たまたま、その生まれた社会的条件がそういうものであった、ということ。
今日でも、ブラジルなどの南米から仕事を求めてやって来た方々の、日本で生まれた子どもは、母国語はもちろんのこと、生まれ育った日本の学校にも行けずにいる、なんて記事を目にしたことがあります。
して、親子で学んでいた中国から来た方もいた。
子どもは漢字、お母さんはローマ字を学んでました。
印象的だったのは、これは高齢者の男性でしたが、英語を学ぶようになって、
JR − Jpan Railway
「国鉄」ってのは知っていたが「JR」が、なんだかわからなかったが、これって「日本の鉄道」ってことだったのか!
なーんて知って、すっごく感激しておりましたねえ。
おお、そんなことぐらいで感激してくれるのなら、ここは、鉄ちゃんであるあっしが、さらに高度な(?)英語の鉄道略号を・・・。
SL − steam(蒸気) locomotilve(機関車)
EL − electric(電気) locomotilve(機関車)
さらに言えば「EC」は電車で、客車は「PC」で・・・。
※ こーいうのを、ごく一部のマニアにしか受けない、クソの役にも立たない知識、と言います。
やはり、ここで学ぶ方が、
学ぶと世界が広がって、楽しい!
おお、そーなんだよ!
そ−いうことなんだよ!!
SLが蒸気機関車だとわかれば・・・、いや、さらに「キハ58系気動車はねえ」などと、言えば、鉄ッちゃんの世界でも、大きな顔ができるという・・・・・・・・・・。
昭和を代表する急行がた気動車(ディーゼルカー)。日本全国を走っておりました。
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あ、いや、別に鉄ちゃんの世界で大きな顔をしたいということではないですよねえ。
学べるということは、実はありがたいこと
アジアやアフリカの貧しい国なんかでねえ、学校に行きたくとも行けないような子ども達がゴロゴロしているという現実。
NHKでやってましたが、今や大国に仲間入りしたような中国も、山間部などに行くと、昔と生活はほとんど変わらず、小学校にすら行けない、なんて子どももいるんだとか。
谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』という詩の中に、成長するにつれ、そして学ぶに従って、自分の周囲の世界がどんどん広がってゆくというものがあります。
幼い子供の頃は、せいぜいが自分の家の中や近所の公園ぐらいだったのに、高等教育を受けるようになったら、
僕は無限の彼方を怖々見つめる
そりゃ、世界は無限の彼方に広がるでしょう。
あるいは、よく、子どもの認識は突拍子もなく無邪気で面白い、なーんて、言う方もおりますが、あるいは逆に、その邪心のない直感的な認識に、いっそ天才を感じることもあります。
例えば、永六輔の『大往生』という本の中にあったものですが、
おじいちゃんは大きくなったら
何になるの?
なーんて言われて、嬉しそうに孫の自慢話をしている方がいたんだとか。
なるほど、子どもはよく、大人から「大きくなったら何になりたい?」なーんて聞かれてますからねえ。
子ども心に、じゃあ、自分のおじいちゃんにも聞いてみようと思ったのでしょう。
おじいちゃんとすれば、そんなふーに聞かれること自体が意外にして、なおかつ、可愛くてならなかったようです。
(まあ、大人はこんなこと聞かないですからねえ・・・。普通は)
ちなみに、永六輔は、
おじいちゃんは仏様になるんだ
と、孫に言えばいい、なんてこの方に助言して、あからさまに嫌な顔されたそうですけど・・・。
御先祖様になる、じゃ嫌でしょうかねえ
しかし、学ぶってこたー、こーやって少しづつ、自分の周囲の世界の見え方が変わって行くってことですよ。
あっし自身、今は法律と仏教の勉強をしておりますが(※ いずれも勝手気ままな独学です。少し前まではキリスト教に突っ込んでました)、
法律も学んでいると、今まで気が付かなかった世の中の仕組みが見えてきます
これまでのあっしの人生は何だったのだろう?
なーんて思うことすらあります。
今、巷でもめている改憲論、っそして憲法も、まだ十分に学びきってはおりませんが、その成立をめぐって、あるいはその内容がいかに決定したかなんてことは、深いですねえ・・・。
「権利の上に眠るものは、保護に値せず」
ってことは、つまり、
法をナメとると、痛い目に逢うよ
って、ことらしいです。
ちなみに、この「法」ですが、もっと身近な「ルール」や「規範」、「慣習」と言うものを当てはめてもいい。
なぜ、そういうものが作られたのか、なぜそういうものを守る必要があるのか?
そこまで突っ込んでゆくと、今まで見えなかったようなものが見えても来ます。
仏教にしても、偉そうなことを書いておりますが、実際はあっし自身が独学で学びつつあることを復習するために書いているようなものです。
※ そんな、どシロートの、いっそ仏陀をナメきったような勝手な独断的仏教論を読まされている(?)方々の迷惑も顧みないという部分は少し反省しておりますが・・・。
(うそだな!)
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知的好奇心というものは大事なものだと思います。
これって、動物には皆備わっているようですが、こと人間はその中でも特にこれが強いらしい。
先にも書きましたように、「学ぶことで世界は広がってゆくのがわかります」
あっしなんかでも、それまでどっちかつーと雲の上のごとき存在であったイエスや釈迦、さらには阿弥陀如来様や弥勒菩薩様が、何と言いますか、こう、身近な存在に感じられるようになってきました。
平気でタメ口もきいてます
ま、あっしが、そのレベルに近づきつつあるということだよ・・・、とは言いませんが。
(言いたい気持ちも、喉の所まで出かかってますが・・・)
やはり、そこは謙虚にですねえ。
人間国宝とされる刀匠の方が、
もう70を超えましたが、まだまだ修行が足りません
死ぬまで学ばなきゃいけません
もう、恐れ入谷の鬼子母神であります。
あっしなんか、まだまだ勉強が足りません。
学ぶべきこと、学びたいことが山ほどあります。
同時にまた、「学ぶ楽しさ」の機会を、それが得られなかった方々にもっともっと広げて欲しいと思います。
なんなら、あっしが講師をやってもいい!
担当は、鉄道知識一般と、かなりアブナイ宗教学、とか・・・。
反面教師としての人生論なんてのも。
( ※ つまり、「あんな大人、ねずみ男のようになってはいけない」というもの)
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