勝手に言ってろ!的妄想論

興味があったら読んで下さい。毒にも薬にもなりません。

文学・歴史

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 あっしの中学の同級生に、やたら早熟な奴がいまして昼休みにマルクスの『資本論』なんか読んでました。




 あっしと言えば、「週刊少年マガジン」か「鉄道ジャーナル」なんてー雑誌でした。



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 で、こいつ京都大学の哲学科に行っちまいました!


 確か、現象学なんてーわけのわかんねーものを学んでいたとか。




 あっしと言えば、ひたすら「鉄学(鉄道学)」の研鑽に励んでましたが。





 そんな、全く方向性の異なったあっしが、恥ずかしながら哲学を、せめて一般教養レベルに学んでみたいと一念奮起し、今はもうありませんが朝日新聞の通信講座『哲学入門』なんてものを受講しまして、その監修が中央大学教授だった木村元センセで、テキストとして読まされた、



 
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 この本が、わけわかんねーなりに、なんか面白くて何度となく読み返しております。




 ちなみに、このタイトルに「反哲学」というのは、本田センセに言わせますと、古代ギリシアに始まる西洋哲学体系を根底から覆そうという(?)、相当にラディカルな、気合の入ったものでして、読むうちに血沸き肉躍り、





 
 鬼畜西洋哲学!東洋をナメんな!
 釈迦も、老荘も、ねずみ男いるぞ!



 
 ・・・というよーなものでもないんですが、要は既存の西洋思想を乗り越えようとするスタンスはやっぱり面白いと思いました。



 

 で、哲学と言えば、古代ギリシア哲学と言えば、誰しもが思い浮かべるようなソクラテスやプラトンではなく、その前に活躍した、その基礎を作ったとされる「フォアゾクラティカー」(ソクラテス以前の、まだ哲学というものが誕生する前の思想家をこう呼ぶ)の話が、これがまた面白いと思いました。




 
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                           ヘラクレイトス


 



 
 何が面白いかって言いますに、今からざっと2500年前、日本なら縄文時代の頃、彼らは既に科学哲学のよーなことを考えていたらしいのであります。




 ちなみに、インドでも中国でも、似たようなことは考えられており、それは何も古代ギリシアに限られたものではなかった。






 と、難しいことはどーでもいいこととし、その基本思想はこの世界(宇宙)認識論だと思われます。



 いや、その「世界(宇宙)認識論」からして難解そうではないかと思われますが、あっしに理解できる程度の一般教養レベルの内容なので御安心を。



 ※ なにも、京都大学の哲学科の講義ってこたーないです。



 
 タレス、アナクシマンドロス、ピタゴラス、デモクリトス、ヘラクレイトスといろんな方がおりますが、そしていろんな興味深い独自の思想を展開しておりますが、そもそも彼らの探究していたのは、




 
 この世界はどーなっているのか?



 ということであります。


 
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古代エジプトの世界(宇宙観)






 既に神話的な世界観があり、それは古代ギリシアにもありましたが、彼らは少なくとも当時の最高の知識人であり、高度な天文学や数学をもっておりましたから、もっとずっと科学的な捉え方をしております。



 
 それは「フュシス」という概念でして、通常に翻訳すると「自然」という言葉になるんですが、これがなかなか厄介な代物でして、



 例えば、今日われわれが一般的に用いている「自然」という意味は、実は森鴎外が英語の「nature(ネーチャー)」にこの字をあてたとされますが、その時に、本来この「自然」という、例えば仏教などで用いていた「自然(じねん)」という意味が変質してしまった、とされます。





 ちなみに、木田センセに言わせますと、この本来の日本語における「じねん」、古代ギリシアの「フィシス」に近い概念であったらしい。





 ちょっとややこしいのですが、もともと「フィシス」なるものは、プラトン以降、例えばの話、などががそれをいじくって何物かに造形するための素材、単なる物質的なものとされてしまったのですが、それ以前はもっと違った、あえて言えば生命力を持った、活き活きしたものであったらしい。



 
 しかし、それが「単なる物質的なもの」となると、いっそ、それは「神や人間の手の入っていない原始状態、万物」を意味するものとなり、これが先の英語の「nature」となった。





 して、これが現代でも普通に用いている「自然環境」、「自然科学」、「自然界」という、我々人間とは別の領域を意味する概念となっております。




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                    例えばそれは旅行などで体験する世界







 
 然るに、古代ギリシア人の考えていたのは、そーいう物質的なレベルに限られたモノ世界ではなかったようです。



 

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 例えば、春になれば何もないと思われていた荒れ地に様々な芽がでます。


 
 クリスチャンなら、偉大なる神の仕事と思うかもしれない。





 
 しかし、今日の我々なら、そこには物理的、化学的なシステムが相互に影響を及ぼし合い構築される法則(自然法則)があることを知っているはずです。




 彼らは、その当時の知識をもとに、その豊かな想像力を働かせ、そのような偉大な摂理、法則を捉えようとしていたらしいのであります。





 して、もし、そこに「神」のような普遍的な造形者の存在を想定しなければどうなるか?


 いや、いっそ、そういう神を想定した方がずっと楽でわかりやすいとも言えます。






 春になって芽吹きが始まり、秋になって収穫を迎える。




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                          神の恵み?

 
 



 つまり、そーいった、当時とすれば人智を遙かに超えた自然法則、自然摂理はみな神が為す行為としてしまえば、それでもう何も考える必要はない。



 いっそ、めでたし、めでたしであります。






 しかし、そーではなかったら?


 というか、たまたまそういう法則や摂理を、我々人間は「神の為したこと」としているだけではないのか?





 とするなら、その法則、摂理とはどーいうものなのか?

 どのよーにして、どんなふーに働いているのか?





 夏休みの自由研究としては内容が重すぎます。



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 現代の我々なら、こーいった知識はありますが、当時はもっと、いっそ直感的とでもいう捉え方をしていたようです。



 

 ちなみに、我々人間もまた、基本的にはこの生態系システムなるものに入っております。


 ※ かつての土葬だとわかりやすいんですが、今はほとんどが火葬ですからねえ。



 
 
 こーなると、自然は単なる「物質的世界」であることにとどまらず、少なくとも神の意思なくしてはずっとそのままの状態にとどまる、ということもなく、





 
 自然そのものの中にある摂理、法則で
 変化している



 ということになる。



 と、これは「無神論」ではないのか、神を冒涜する悪魔の企みか?






 と、ここで「神」なるものの捉え方が問題となります。




 例えばキリスト教の神という捉え方は、その存在はこの世界以外の、言い換えるならこの世界を超越したところ(天?)におわす、というものであります。




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広大な宇宙のかなた、ではなく異次元にいる神?







 それはもう、我々のいる三次元世界を超えた、いっそ異次元世界か?



 して、これが、後のプラトンのイデアに繋がるものでしょう。

 普遍的抽象概念、いっそ形而上の存在です。





 一方、自然摂理、法則それ自体を「神」、「神の働き」とすることも可能でしょう。



 つまり、神が「自然」に関与し、どうこうするというのではなく、「自然そのものの働き」を、「神」という言葉、概念でシンボリックに捉えるわけです。



 
 それは、多くの原初的宗教に見られるもので、日本における民間信仰の神、つまりは田の神、農耕の神といった八百万の神、あるいは天照大神とされる太陽神という捉え方に通じます。



 

 もっとも・・・。



 別に、あえて「神」という存在を想定しなくてもいい。

 古代ギリシアの哲学者も、そこに特に神なるものを呈示してはおりません。




 そして、古代中国における老荘思想もまた、このような世界観を打ち立てております。






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 万物はそれ自体の働きで、「自(おの)ずと」様々な形(モノ)となるも、同じくその働きで、再び元の状態に戻る。これが繰り返される。



 その働きはまさに「意思なき自然運動」とでも言うべきか。






 まるで生体系システムを示すような概念ですが、やはりそこには「神」という存在の想定はありません。


 


 ちなみに、そーはいっても、その自然摂理、法則なるもの、これではあまりに漠然としている。
 それが神の意思でないなら、それはどーいうものとして捉えるべきか?





 ヘラクレイトスは、これを「ロゴス」というもので概念化しました。


 「ロゴス」という言葉は、今では「論理」、「理性」というようないろんな意味がありますが、当時のそれは「世界原理」というような意味であったようです。



 ※ この「ロゴス」を「神」としたのが、例えばキリスト教

 




 さて、このような「自然」というものの捉え方でゆくなら、それは人間世界の外にあるようなものではなく、あるいは「保護」したりするようなものではなく、いっそ、その「破壊」は我々自身にも何らかの影響を与えかねないものでしょう。



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 「外部化してしまった自然」という捉え方は、実は先にも書きましたように鴎外の翻訳した「自然」という言葉によって、その後の日本に定着しております。



 というか、明治期以降、西洋文化(その哲学に始まる思想)を導入した結果として、我々の社会にも少なからぬ影響を与えていると思います。



 

 しかし、それ以前の日本はそうではなかった。


 むしろ、かの古代ギリシア人の言う自然世界観に近かった。






 つまり、



 
 鬼畜米英の思想汚染!




 
 

 なのでありまして、これはもう救いようがない状態に陥っております。


 とは言いましても、あるいはそれは皮相的、表層的なものにとどまり、むしろ我々日本人の心の奥底には、例えば、あのお天道様(太陽)を素朴にありがたがる木本の世界観がありまして、これをもう少し復活させるべきではないか、と。




 して、実のところ、木田センセに言わせますと、例えばニーチェ以降、ハイデガーなんておっさん(哲学者です)も含め、西洋社会においても、「どーもプラトン以降の世界観はおかしいんじゃないかな?」という兆しも出てきているのだとか。



 ※ これが冒頭に書きましたように『反哲学』というタイトルに通じております。



 ざまーみやがれ!


 でしょうなー。
 明治日本の産業革命遺産として、九州は長崎の軍艦島そして福岡は八幡製鉄、そして三井三池炭鉱跡ユネスコ認定の世界遺産とすべきであるという、ユネスコ諮問機関勧告が出たとか。





 ※ 他にも、幾つもの県にまたがり、それらを含めて全部でということらしい。





 おめでとうございます!



 軍艦島というのは、正式には端島と言い、明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えるも70年代半ばには廃坑と共にその役目を終えた島であります。







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 かつて、あっしはその最盛期の頃の紹介記事を読んだことがありましたが、狭い島の中に当時とすれば画期的ともいえる高層アパート群が立ち並び、小中学校を始め、病院、映画館、寺まであったとされ、その人口密度は東京以上であったとか。







 「要塞都市」と言うものがありますが、これなどはさしずめ「炭鉱都市」ではなかったかと思います。




 然るに、その機能を終えた今は、ただ廃墟となっておりますが、以前からこれを歴史的な産業遺産として残したいという声が高かったといいます。







 明治近代化の立役者は何と言っても石炭産業でした。

 九州、山口、茨城、そして北海道の炭鉱からは多くの石炭が掘り出されておりました。






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石炭で動き、かつその搬送に大きな役割を果たした蒸気機関車







 
 あっしとしては、それ以上に嬉しかったのは、あの三池炭鉱跡もまた、(※ かつての炭鉱町、筑豊を含めた北九州一帯もか?)その遺産とされたことであります。




 筑豊と言えば、往年の鉄ちゃんにとっては聖地のような場所でして、ここには九州でもこの地域でしか走っていない蒸気機関車(SL)や貨車がありました。




 また、北九州の八幡製鉄所や、三池炭鉱には専用鉄道が走り、そのほとんど目にすることのできない鉄道は、今でもその全貌を知ることのできない、もう未知の魅惑の世界なのであります。





 ※ 専用鉄道というのは、企業が鉱山や工場における物資運搬用に作ったもので、とーぜんですが、旅客は扱わず、これに乗るなどということは、まず不可能に近いのであります。



 おまけに、その情報・資料も乏しく、そのほとんどが公にされないものですから、鉄ちゃんにとりましては、もう、蛇の生殺し状態の・・・、「もう、いっそ、殺して!」というくらいに切なくして、








 あなたのこと知りたい!
 全部知りたい!


 


 なー、意地悪しないで教えてくれよ。もう、切なくて、夜も眠れないくらい  なんだよ。









 
 だめ!教えてあげない!








 というものなのであります。




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                         三池炭鉱専用鉄道








 その気持ちは、思い起こせばまだ思春期の頃、異性のことが知りたい、知りたくてたまらない・・・、という、あの甘くも切ない気持に似ておりますかねえ。








 ちなみに、こちらの方は。









 
 嫌と言うほど思い知らされました





 芥川龍之介の歴史短編小説に、『芋粥(いもがゆ)』というものがあるんですが、平安だか室町の頃の、朝廷の気の小さな下っ端役人の、いっそ生涯をかけての望みとは、なんと宴席などで出される「山芋いりの粥」であった、とか。






 これを思い切り食えたら・・・





 と、これを聞き知った者が、その領地の荘園に彼を招き、彼のために大量の芋粥の宴を開いてくれるのでありますが・・・。




 その、あまりにも大量の芋粥を前にして、むしろ彼は委縮し、夢にまで見たその憧れのものに対し、それまでの熱望をあっけなく失ってしまうのであります。






 して、このよーな他人のために良かれと思ってやったことが、その実、この貧しい下っ端役人の、言うなれば生き甲斐(?)を奪ってしまった、あるいは、




 

 いっそ、叶わぬ夢は夢のままに、大事に取っておいた方が幸せ?





 なーんて、人生における機微なるものを感じさせる小説なのであります。



 

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                             AKB48








 あれも、これも、この子も、あの子も
 みーんなお前のものじゃない!

 永遠に手に入れることはできない





 だから、アイドルなんです。



 カール・ブッセの「山の彼方にある幸せ」みたいなものです。









 えー・・・、あ、いや、そんな話ではなく。





 何度も書いておりますが、以前あっしは、北九州は門司、若松、そして筑豊、大牟田市は三井三池炭鉱史跡めぐりをしたことがあります。






 それは、例えばJTB『魅惑の北九州三日間の旅・豪華観光列車で温泉めぐり』なーんて、






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                      中島徹 『玄人のひとりごと』








 
 ものではなく(※ あっしの勝手なたわ言ですから、気にしないでください)、それこそ、鉄ッちゃん好みの、鈍行乗り継ぎ、昼飯は立ち食いそばがくえるかどうかの強行軍でした。





 シロート(すまいせん、すいません・・・)はすぐ福岡(博多)に走りますが、あっしは門司港、そして若松と・・・。





 この若松こそは、今でこそ北九州市のベッドタウン化しているようですが、かつてはここに石炭搬出のための巨大な貨物操車場があり、ここの駅長の一言で市長を動かせた、なんて話もあったとか。




 今はもはや当時の面影もなく、その跡地の記念碑を見ながら、思わずあっしは、芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」を思い出したものです。





 
 ここは、知る人ぞ知る、あの『無法松の一生』の舞台の一つになった場所で、あっしは三船敏郎主演の映画を見ましたが、無教養で乱暴者ながら、しかし誠実で純粋で不器用な男を三船が演じ、泣けましたねえ。





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ぼん、見ちょれ!これが小倉の祇園太鼓

 

 




 最近、こーいう男は少なくなったよーな。






 筑豊のボタヤマ(※ 掘り出した石炭をよりわけたあとのクズを捨てているうちに山となったもの)らしきものを車窓に眺め、また、往時、多くのSLが走っていたであろう鉄路に目を細め、着いた所は大牟田市は三井三池炭鉱跡でありました。







 
 「月が出た出た 月が出た ♪」の三池炭鉱ですよ。


 社会科の教科書にあった、三井三池闘争の舞台となった所ですよ。





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 今は、小さな史跡公園となっている、その三池炭鉱宮原抗の煙突を、はるばる見にきたなんてーのは、その時はあっしぐらいのものでして、



 この煙突も、今は遺産登録勧告を受けて、喜んで泣いているのではないかと。







 実は、ここを訪れたあっしもまた、その煙突に触れながら感極まってウルウルしてしておりまして、これを誰かが見ていたら、






 
 アブナイ人、変な人



 だったでしょうねえ。



 何度も言ってますが、基本的に人畜無害です。


 




 この、「炭坑節」に歌われた煙突は、実は近くにある田川市の炭鉱のものであったとか、もっと言えば、実はこの煙突のモデルは東京の工場にあったものだとか、いろんな人知れぬエピソードもあったりもします。





 さらに言えば、同じく無形文化遺産として残してもらいたいと思っておりますのが、まさにこの「炭坑節」なのであります。




 今では夏の盆踊りの定番曲にもなっておりますが、古くは炭鉱の、そして若松などの石炭の積み出しを行う労働者の、労働歌であったとか。




 
 歌詞もまた、名も知らぬ人がいく様にもこれを作り、その地その地の内容が、これまた往時の生活や世相、さらには飾りのない男女の恋を語り、多くの方々に口承されてきたものでして、これは貴重な遺産だとすら思うのであります。






 その一つに、



 



 香春(かわら)岳から見下ろせば 伊田の竪坑(たてこう)が真正面


 12時下がりのサマちゃんが ケージにもたれて思案顔 ♪






 
 香春岳とは筑豊にある山で、伊田と言うのは地名にして、かつては炭鉱都市でした。


 竪坑というのは、石炭を掘り出すために垂直に掘られた穴で、当時は三交代の24時間体制で掘られていたようです。ケージというのは、石炭の巻き上げ機だと思います。


 


 サマちゃん、というのは「旦那、恋人、愛人」というもので、炭坑節にはよく登場する言葉です。




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                     右側に見えるのが竪坑であります







 この、竪坑もぜひ遺産として整備し、残してもらいたいと思っています。




 
 
 覗いてはいけない異界、魔界シリーズの続編です。
 
 
 
 
 この世にあってはいっそ知らない方がいいこともある
 
 
 
 
 
 「あなたの過去など知りたくないの」なんて歌もありましたが、つい好奇心に駆られその方の過去を知ろうとするに、
 
 
 
 
 
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                            うぞ!!
 
 
 
 
 
 
 開けてはいけない玉手箱に、パンドラの箱
 
 
 奥様が魔女だったり、玉藻前(九尾狐が絶世の美女に化けたもの)なんてことだってあるかもしれない。
 
 
 そもそも、歳を取らない・・・、言い換えるなら一向にその容色の衰えがないというのは、エステや超高級化粧品なんかを使っているというわけではなくいっそ隠れて人魚の肉を食っているやも知れず、あるいは処女の生き血を浴槽に貯め、それに浸かって若返りを図ったとされるハンガリーのエリザベート・バートリのごとく・・・。(この方「血の伯爵夫人」という名を持っております)
 
 
 
 
 
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 夜な夜な生き血を吸っているということは・・・・。
 
 
 すいません、すいません。さすがに、んなことあるわけもないですよねえ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 で、そんな秘密を垣間見てしまった結果、
 
 
 
 
 
 どうも長いことお世話になりました 
 あたしは月に帰ります
 
 
 いっそ、取り殺してくれようか、とも思いましたが、
 あなたとの間に出来た子供が不憫で・・・
 
 
 
 
 かぐや姫?雪女?いっそ宇宙人!?
 
 
 
 
 
 さてさて、何の話であったか忘れましたが、あっしがまだガキの頃にメチャクチャびびった話があります。
 
 妖怪、魑魅魍魎に魅入られたのか、とある方(夫婦?)の家がこれらに取り憑かれるのでありますが、修験者であったか徳の高い坊主であったかに結界を張ってもらい、とにかく夜が明けるまで障子を開けてはいけないと言われるのであります。
 
 
 
 然るに夜になり、彼らが「遊ぼ!」とやって来るも、そこに結界があることを知り、怒り狂った妖怪、魑魅魍魎が雷鳴をとどろかせ、強風を吹くかせ、脅かすもじっと我慢していると、次第に暗闇が白々と明るくなり、鶏の鳴き声がするのであります。
 
 
 
 「ああ、やっと朝になった」と、喜び勇んで障子を開けるに・・・、
 
 
 
 
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 なんと、そこは漆黒の闇!?
 
 
 
 
 
 つまり、あたかも夜が明けたかのように見せられたのでありまして、つい、自ら結界を破り外に出てしまったという・・・。
 
 
 
 
 
 
 そんなの有りかよ!
 
 
 
 
 
 
 
 いたいけなガキ(当時のあっしです)を思いっきりびびらしてどーすんだよ!
 
 
 
 
 −−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 話は変わりまして、付喪神(つくもがみ)なるものを御存じか否か?
 
 
 「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑(たぶら)かす これを付喪神と号す」
 
                                                  (『付喪神絵巻』)
 
 
 
 
 つまり、長い間の使用の後の器物、つまり物には精霊が宿り、変化(へんげ)した妖怪なのであります。
 
 我々なども、長いこと使ったりしている道具などには自然と愛着がわき、壊れたり摩耗したりしてもなお、つい捨てるに捨てられずに取っておく、なーんてこともありますねえ。
 
 
 
 ま、中にはまだ使えるものをポイポイ捨ててしまうような、いっそ節約の二文字が欠けているような輩もおりますが。
 
 
 
 
 して、例えばの話、市松人形では古すぎますから、
 
 
 
 
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                      美少女フィギュア(エヴァンゲリオン)
 
 
 
 
 などを机の上に長いこと飾って置いたとしましょう。
 
 
 然るに、こーいったフィギュアも流行がありますし、どんどん新バージョンのものなどが出てきますに、古いものは次第に本棚の上に、そのうちに、段ボール箱の中に、そしてついにはゴミなんかで出してまったりもする。
 
 
 
 それからしばらくして、あーたが寝ていると枕元でコソコソと音がする。
 夢うつつのままの目に入ってきたのは、かの古びたフィギュア?
 
 
 はて、捨てたはずなのに何でこれがここにある?
 
 いっそ、これは夢の中のことなのか?
 
 
 
 
 と、そのフィギュアがあーたに話しかけるのであります。
 
 
 
 
 あなた、最初のうちはあたしのことこの上もなく大事にしてくれたわよねえ・・・
 
 
 それがだんだんと情が薄れ、顧みることも無くなって、最後は何の未練も無くゴミ扱い
 楽しむだけ楽しんで、いっそあたしをもてあそんで、最後はボロ雑巾のように捨てるたのよね。つまり、あたしに飽きたわけ?
 
 
 
 
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 ねずみ男さん・・・
 あなたって、そんな男だったのね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 
 
 
 
 
 わ、悪かった。あっしが全て悪かった!
 頼むから迷わず成仏してくれ!!
 
 
 
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                             人形供養
 
 
 
 
 
 
 ・・・って、あっしじゃねーだろ!
 
 
 
 
 巷で妖怪ウォッチなんてーものが流行しているようですが、
 
 
 
 
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 あえて、半妖(※ 半分は人間、半分は妖怪)と陰で噂されているあっしに言わせますと、例えばW・ディズニーの動物の可愛いキャラクター化の結果として、ガキが自然界にいる実際の動物もそのようなものと誤解し、それこそ動物園の熊にお菓子を与えようとして手を噛みつかれる、なんてー結果を招くごとく(実話だそうです)、我々その祖先が恐らくは自然世界に対し漠然と抱いていたであろう畏怖の感情を失わせてしまっているような気がします。
 
 
 
 
 例えば60〜70年代に大ヒットした藤子不二雄のおばけのQ太郎というマンガは、それまで子どもにとってすれば怖い存在であったはずのお化けを友達のような存在にしてしまった。
 
 むろん、そういうキャラクター化がいけないということではないですが、いくら文明が進もうともそのような妖し(怪し)の世界は大事に残しておくべきのような気がします。
 
 
 
 
 異形の者、物の怪、魔者、化け物、妖怪、魑魅魍魎とは言いますが、あおれらはあくまで我々人間の持つ豊かな想像力が作りだした幻想、イメージでしょう。
 
 
 大事なことは、そのようなイメージをあえて作り出すことによって、自然なら自然に含まれる、恐らくは現代の我々にもまだ理解できないような摂理に対し、謙虚に、それこそ畏怖することによって、自分達の自惚れを戒めていたのではないかと。
 
 
 
 
 
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                          黄昏時(夕暮れ時)
 
 
 
 黄昏時逢魔が刻と言いますが、これは昼と夜の境界を意味するこの時間、闇の世界に属するものが蠢(うごめ)きだすとされます。
 
 
 
 
 暗くなったら、早くおうちに帰らないと人さらいに連れて行かれる
 
 
 
 
 
 なーんて大人が脅かすわけですよ。
 
 
 然るにこれ、闇の世界を恐れた我々人間の心の深層に刻み込まれている智恵でしょう。
 
 
 
 
 
 
 
 以下、百鬼夜行ミステリーゾーンへ突入です。
 その中でも、興味深い伝統的な妖怪をいくつか挙げてみましょう。
 
 
 
 
 
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                           歯黒べったり
 
 
 
 
 
 人気(ひとけ)のない社(やしろ − 神社などにある小さな祠・ほこら)の前で、婚礼衣装の女が何やら祈っている。
 
 そこへ、こう、あっしのよーな助平なおっさんがやってきて、
 
 
 
 
 
 おやー、お嬢ちゃん何してるの?
 
 
 
 
 
 なーんて話かけると、この女が振り向くにその顔は・・・、
 
 
 眼も鼻も無く、大きな、お歯黒(明治時代末期頃まで、既婚女性が歯を黒く染めた風習)の口を開けてげらげらと笑ったとか。
 
 
 のっぺらぼう!?
 
 
 然るに、大きな口をあけて笑うというのが何とも不気味です。
 助平な小心者のオヤジなんか腰を抜かすでしょう。
 
 
 
 続いては、
 
 
 
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                      もう、お腹がすいてお腹がすいて
 
 
 
 
 先妻の子供に満足な食事も与えず餓死させてしまった継母の後頭部にもう一つの口が!?
 そのタタリなのか?
 
 
 
 次はよくご存知の、
 
 
 
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                            ろくろ首
 
 
 
 別に首が伸びたからと言って、何か悪さをするということもなく、その多くはいとしい男の元に行き、物陰からじっと眺めているだけだとか・・・。 
 
 
 
 で、例えばの話、やっとの思いで口説き落とした女性なんかと、こういいムードになりまして、相手の眼の中に「OKよ!」なんてサインを確認いたしまして、
 
 
 
 
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 ムフフフフフ・・・。今夜は寝かせないぞ
 
 
 
 
 
 
 なーんて時にですねえ、ドアの隙間から顔をのぞかせて、
 
 
 
 
 いとしい、いとしいねずみ男様
 
 
 
 
 
 
 なーんてやられてもねえ。
 
 
 
 
 
てめーは、ストーカー、いや覗き魔か?
 
 
 
 
 
 あーら、これもいとしいねずみ男様に人目逢いたいという一心で
 
 ・・・・・・・。で、ちょっと、この女何よ!あたしのねずみ男様を奪ったわね
 
 
 
 
 げに恐ろしき女の執念。
 
 
 
 して、その執念と言えば忘れてはいけないのが、
 
 
 
 
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                              道成寺
 
 
 
 
 もはやこーなると「可愛さ余って憎さ百倍」でありまして、その相手に対する激しくもいとしい想いが、そのまま負(マイナス)に転換するのであります。
 
 
 
 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 
 で、ですねえ・・・。
 
 
 
 
 
 出たよ、出た出た月が出た・・・、いや
   いやそうじゃなくって・・・・・・・
 
 
 出たんだよ、異形の者が、妖怪が!
 
 
 
 
 
 
 なーんて言いますに、
 
 
 
 
 
 
 あんだよ。鏡でも見たのか、おまい?
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 
 
 こいつ、いつか殺す!
 
 
 
 
 
 
 さてさて、先の逢魔が刻でありますが、
 
 
 こーいう時間ともなりますと、
 
 
 
 
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 繁華街などにありましては、こーいった妖怪・・・、いや美しく着飾り、露出度ムンムンのおねー様達がどこからともなく涌いて(?)出てくるのであります。
 
 
 
 
 
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 そりゃまあ、薄暗い、いっそ淡い光の中で見ればこそ、どことなく美しい女性にも見えますが・・・、下手をすると天国どころか、地獄の底まで超特急ノンストップで連れて行かれるような気も・・・。
 
 
 
 
 
 して、小心者のあっしなんぞは、
 
 
 
 悪霊退散! 
 臨兵闘者皆陣列在前!
 
 
 
 
 
 などと、密教の呪文を唱えていたりもします。
 
 
 
 
 
 
 
失礼ね。あんたの方がいっそ化け物よ!
 
 
 
 
 
 
 まあねえ。
 
 へっ、何を今さら。
 
 語っても語っても語り尽くせず、読む都度に新しい発見がある。
 
 
 
 『創世記』におけるアダムとイブの話は奥が深いと思います。
 
 
 さて、第一章にあっては神は泥をこねて男女を形作ったとしておりますが、第二章ではイブはアダムの肋骨から作られたとある。この矛盾する話の辻褄合わせに、最初の女性、そしてアダムの最初の妻をリリトという存在を想定した外典(※ 正規の、つまり正典から外れたもの)もありまして、それはそれで面白いのでありますが、それは飛ばします。
 
 
 
 
 して、この女性であるイブは男性であるアダムから作られた、ということから、「これは男性優位の物語である」という指摘があります。
 
 
 この話を元に、キリスト教世界における男女の上下関係が確立されたとして、フェミニズム神学におきましては評判がよくない。そして、その最もラディカルな主張こそが、先妻リリトを再評価する立場としてあります。
 
 
 
 
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                  シュトック 「罪」 (蛇がまとわりついてます)
 
 
 
 
 
 腐れアダムに三下り半、つまり離縁状を叩きつけ、仲人(?)のヤハウェの神様にまで暴言を吐いたというからタダ者じゃーない。後に、サタンの妻の座に収まったという・・・。
 
 
 
 ※ 彼女は古代宗教の地母神の末裔とも考えられております
 
 
 
 
 さて、これは前にも書いたことでして、学者の方も言っているのでありますが・・・。
 
 
 この第二章に限って言うのなら、最初に作られたアダムという人間は両性具有(アンドロギュノス)のような存在というよりは、論理的に言えば男女に分化される前の、それこそ「男女以前」とも言うべき存在であった、と言うべきでしょう。
 
 
 
 
 
 
まず、アダムが誕生 (♂・♀区分なし)
 
 
 
次にイブが♀として誕生しますが、この時になって初めてアダムは♂になった
 
 
 
 
 
 と言うべきなのです。
 
 
 
 
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                        雌雄分化以前の原生虫
 
 
 
 
 
 
 これを言い変えますと「男であるアダムから女であるイブが作られたのではない」ということになる。
 
 ※ 今だって、形としては、むしろ女から(女だけではなく)男も生まれます
 
 
 
 
 
 さらに、フェミニストが喜びそうなことを言うのなら、作られたことの前後関係と価値評価とは別のことでしょう。(※ 先に作られたから偉い、ということはない。これは聖書学者・月本昭男の主張です。「創世記Ⅰ」日本基督教団)
 
 
 
 
 
 
 女性をボロクソに言っているよーなあっしですが、本当は女性の味方です
 そこら辺を十分に顧慮していただきたい、と・・・
 
 
 
 
 
 
 さて、エデンの園と呼ばれる楽園にて三食昼寝付きで気ままにやっていたアダムとイブに、神様はここにあるものは、吉野家の牛ねぎ玉丼だろうが、マックのモッツアレラ&バジルだろう、ケンタッキーのオリジナル・チキンセットだろうが、好きに食って構わんが、
 
 
 
 
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                       マック・エデンの園店 ご推奨?
 
 
 
 
 
 
 
 善悪の智恵の木の実を食ったらアカンよ
 食ったら死ぬでー!
 
 
 
 
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                            危険・有毒!
 
 
 
 
 
 
 
 さあ、ここにお約束のが登場です。
 
 物語は何でもそーですが、こーいう悪役(?)がいなくちゃおもしろくない。
 
 
 
 
 して、この蛇なる存在ですがミルトンの失楽園(※ クソつまらん渡辺淳一のものじゃありません)によりますと、そのエデンの園から墜落した、元はと言えば神の元に仕えていたサタン(ルシファー)こそが変身したものだとされております。
 
 
 
 ※ 蛇は古代、信仰の対象とされておりまして、先の地母神とも密接な関係があり、ここに登場した蛇も、実は異教の女神の化身ではなかったか、という説もあるようです。
 
 
 
 
 
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                    マソリーノ・ダ・パニカーレ 「アダムとイブ」
 
 
 
 
 
 
 ここにおける蛇は女性として描かれております。
 
 また、イブの持っている実はリンゴではなくイチジク(?)ではないか、とされます。北方系の絵だと、りンゴになっている?
 
 
 いっそ、メロンならどうか?いやいや、オレンジとか・・・。思い切って水蜜桃とか
 
 
 
 
 
 
 なーんて、つまらんことはどーでもいいこととして、さすがは悪魔であります。営業のコツ、勧誘の落とし所(?)を心得てます。
 
 
 
 
 
 いいですか、ここだけの話ですよ
 
 本当はねえ・・・。もう、おいしくってもう最高!
 で、こんな旨いもの食ったら、贅沢癖が付くからいけ ないって、神様がねえ
 
 
 なーに、死にゃーしませんよ。あれはただの脅かし
 食べたら、もう人生観が変わっちゃいますって
 何が善で、何が悪かがわかっちゃうんですからねえ
 
 
 
 
 
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                        明日からは人生バラ色ですよ!
 
 
 
 
 
 
 
 えー、そうなの?
 うーん。どうしよかーなー。でも・・・。食べちゃえ!
 
 
 
 やだ、これ、すっごくおいしい!!
 
 
 
 ねえ、アダムー!ちょっと、これ食べてみて!
 
 
 
 
 
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  お、おい・・・。
 
 それ、食っちゃいけないって言われていた禁断の実だろ!?
 
 
 
 
 でも・・・。ま、いっか
 禁断の実は蜜の味、ってなー。ムフフフフフ・・・・・・
 
 
 
 
 
 して、二人は死ぬということもなく・・・。
 
 「目が開かれ」自分達が裸であることを知った。
 
 
 
 
 さて、それまで二人は自分達が「」でいるということを知らなかった、というよりは、そもそも、その「裸」であることの意味を知らなかった、と言うべきでしょう。
 
 
 裸における羞恥心というものが、人間の成長段階のいつ頃から芽生えるかと言いますと、実はこれ、文化的要因が大きいのであります。
 
 
 
 
 
 人類創世の頃はもちろん裸でしたし、つい最近までほとんど裸で生活していた部族も少なくなかった。
 例えば、ゴーギャンの絵で有名になったタヒチですが、当初は女性達がほとんど裸でゴーギャンは目のやり場に困ったらしい。
 
 
 
 まして、キリスト教布教という名目で、そういった地を植民地化していった国の宣教師達が、「文明を知らない未開人だ!」などとして、衣服をまとうように強制したために、結果として彼らもまた裸でいることの羞恥心を作りだして(!)しまった、とされます。
 
 
 
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 ふ、不謹慎な!パンツを履きなさい、パンツを!
 女は胸を隠すか、乳バンドをつけなさい!!
 
 
 
 
 
 
 
 ったく、よけいなことをしやがって。
 
 
 要は、こーして、
 
 
 
 
 裸でいること = 恥ずかしいこと
 
 
 
 
 
 という文化が作られてしまった。
 
 
 
 
 ちなみに、この創世記が書かれた頃には既に衣服をまとう生活習慣が当然のこととなっておりまして、そーなると、衣服を付けない状態と言うのは、少なくとも公然的には、その社会的身分をはく奪された、それこそ恥ずべき全くの無防備な状態、というものだったのであります。
 
 
 
 戦に敗れた敵の兵士を裸にするというのは、きわめて屈辱的なものとされましたし、また、それぞれがまとう衣服には出自民族や社会的地位や身分といったシンボリックな要素がありましたから、そのようなものがない最低限の衣服ともなれば、それは奴隷のものだった?
 
 
 
 
 
 つまり、変な話ですが、このアダムとイブは、創世記が書かれた頃の衣服の価値規範を遡って、自分達が裸でいることを恥じている、という奇妙な構図となっているのであります。
 
 
 
 
 
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                         アマゾンの先住民族(裸族)
 
 
 
 
 彼らは、特に性器を隠したりはしませんが、その形状で男女の性差をシンボリックに表しているらしい腰紐が外れたりすると、非常に恥ずかしがる、というのが興味深かったですねえ。
 
 
 
 
 
 さてさて、皮肉なものですが、この裸族のようにそのことになんら羞恥心がなかったはずのアダムとイブが、知恵の実を食べたことでお互いに性器を隠し始めたことによって、今度は逆にそれらが隠す、秘すべきものというものになってしまった!
 
 
 
 
 
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 ここら辺の人間心理現象は特に面白い!
 
 
 
 
 
 さて、アダムとイブは、裸でいることを恥じて・・・、それはお互いに、というよりは、神に対して無防備な存在であることを知ってしまった、ということらしい。
 
 
 さて、ここにおける神の追及が見事であります。
 
 
 
 
 そもそもお前達が「裸」であると誰が教えたのか?
 
 
 
 
 
 これを、あっし的に言い変えますと「なぜ、裸でいることが恥ずかしいことだと思うようになったのだ?」
 
 
 
 
 
 先に上げました、タヒチにおいて、アホウな宣教師が、まさにこのようなことを現地の人々に説いて回ったのでしょう。
 
 
 
 
おまいら、裸でいることは恥ずべきこと
 
 
 
 
 
 あっしに言わせりゃ、まさにこのよーな宣教師こそ、蛇であり、悪魔でしょう。
 
 
 
 
 
 
 いっそ、なーんも考えず、あるがままに生活していりゃ、それほど深く思い悩むこともなく生きていられたのに、よけいな智恵を付けてしまった結果、そのために苦しむようになる。
 
 
 
 
 
 然るに、この創世記は反省の書ではなく、結果論の書でしょう。
 
 
 その、「余計な智恵」(?)を身につけてしまったがゆえに、言い換えるなら狡猾になってしまったがゆえに、
 
 
 
 
得たものもあれば、その代償として失ったものもある
 
 
 
 
 
 ということではないか、と思います。
 
 
 
 その智恵の果てに、今こうして我々が生きる文明社会があるわけですが、同時にその代償として失ってきたものもある。
 
 
 
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                       文明の代償としての環境汚染
 
 
 
 
 
 
 考えてみれば、こんな文明がなくたって人間は生きられるのであります。
 
 
 
 
 
 もっと、もっと、もっと豊かに!
 
 
 
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                          九電 川内原発
    
 
     「安全だとは言ってはおりません」という原子力規制委員会委員長のお墨付き?
 
 
 
 
 
 
 
 
 より豊かな社会のためには経済発展が最優先。
 
 
 
 原発事故の一つや二つ。想定内のリスクですよ
 
 
 
 
 
 
 、ってか?
 
 
 
 
 それも・・・。怖いな。
 
 
 
 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 
 さてさて、神様に問い詰められたアダムとイブですが、ここでアダムのへたれ度が明らかにされます。
 
 
 
 
 
 あの・・・、実は、その・・・
 
 
 イ、イブが美味しいから食べてみろって言うから
 
 
 
 
 
 
 伴侶として、まして男性優位的なスタンスからするならば、それこそイブの行動にも責任を持たなければならぬはずのアダムなんですが、イブをかばうどころか、責任逃れ、責任転嫁もいいとこ。
 
 
 
 
 思うに、
 
 
 
 追及すべきはこのアダムでしょう!
 
 
 
 
 
 
 
 刑法で言えば共同正犯で同罪ですが、アダムが主犯ということにもなる?
 
 
 もっとも実際は、のちのキリスト教男性神学者達によって、
 
 
 
 
 
 イブはアダムを堕落させたロクなもんじゃねえ
 
 
 
 
 
 ということになっております。
 
 
 それと言いますのも、
 
 
 
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 ねえ、アダム。美味しいのよー、食べてみてー
 
 
 
 
 やーねえ。あたしよ、あたし
 
 
 
 
 
 
 
 
 そ、そーだったの!?
 
 
 
 
 
 何を今さら・・・。カマトトぶって。
 

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