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平成の無責任男(?)と言われる高田純次の言葉に、
この歳になって気を付けていることは三つ
説教しない、自慢話しない、昔話しない、ですねえ
・・・と、残るのは助平話しかないじゃないですか
いやー、ごりっぱ!
まずもって、「世界の偉人の言葉」なーんてものには載らないとは思いますが、捨てがたい味を出しております。
最後のオチも見事なもんです。あっしも見習っております。
(※ いや、あの・・・、助平話を見習う、ということでは・・・・)
して、『日本宗教史』(末木文美士 ・岩波書店)なんて本を読んでおりましたら、
過去の歴史は作られる、脚色される
なんてことが書いてありまして思わず唸ってしまいました。
そういや、「歴史は(戦争の)勝者によって書かれる」ということが言われますが、確かに近代以前の歴史書と言うもの、言うなればその勝利した者、そして国家に都合よく書かれたものであったというべきなのか?
ここでフランスの哲学者R・バルトの言葉を借りれば、
史的事実と、書かれた内容は微妙に異なる
と言うべきでしょうか?
史的事実と言うのは、実際に起こったことでありそれをどうこうすることはできないでしょう。しかし、そのような事実をどう解釈し意味づけるかは後世の人間の為すことでしょう。
時として、歴史の中に埋もれていた事実や人間にスポットを浴びせクローズアップさせることも可能ですが、しかし、それはそうすること、つまりそれを著述する人間の、ある意味では意図的な関与、いっそ創作ということすらありうるのではないのか?
実際、その当時とすれば、それ自体に大きな意味を見いだせなかったとしても、大きな歴史の流れの中で捉えるなら、きわめて重要なものということもあるでしょう。
その一方で、例えば当時としては考えも及ばないようなあくまで現代の価値観をして、その時代におけるものを解釈してしまうという危険性もあるのではないのか?
その典型的な例として、あの幕末の志士・坂本竜馬の存在があるように思います。
意外なことに、実は司馬遼太郎がこの本を書く前にはそれほどポピュラーな存在ではなかったようです。無論、竜馬はそれ相応のことをやっていたようですが、言うなれば作家である司馬が作り出した竜馬のイメージこそが、その本人を越えて(!?)独り歩きし始めてしまった?
言い換えるなら、作家が作り出した、あくまで理想的なイメージとしてのものを、実際の竜馬に投影している?
(※ 熱烈な竜馬ファンに怒られそうですが・・・)
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よく、「古き良き時代」なんて言いますねえ。
あっしの印象に残っているのは、ジャン・ルノワールの映画『大いなる幻影』の作品評でした。
舞台は第一次世界大戦次のドイツ軍捕虜収容所
日本の武士道にも匹敵するような、いわゆる騎士道(精神)がまだ残っていた時代、と書かれていました。戦争とは言え、そして一方は捕虜とはいえ、その扱いはきわめて人道的で深い敬意に満ちたもの?
これを評して、つまり後の第二次世界大戦以降における、もう「問答無用!」的な戦争体験と比較して、「当時の戦争は、まだ気持ち的にはのどかなもの」であった、としていたのであります。
然るに、その当時の、実際にそこにいた人々からすれば「のどかな戦争」なんて言ったら怒られるでしょうし、そもそもそれはあくまで歴史を遡って、現代の感性をして、ちょうどマジックミラー越しにその戦争を見るようなものでしょう。
個人の問題として考えてみましても、そもそも我々人間の記憶と言うものは相当に適当なもの(?)であるらしく、無意識のうちに改変したり、いっそ捏造してしまうことすらあるらしい。
自分の記憶をあまり信用しない方がいい?
幼児虐待体験が、トラウマとなりその方の後の人生に大きな障害となって残る、とは言いますが、しかし、実際にはそーいうものが作られていた、というケースもあるのだそうです。
その多くは、誰か別の人間の体験を自分のことと勘違いして記憶していたりするらしい。
して、こーいう我々の脳機能における不可解な現象を知るに、あっしなんぞはこと自身の記憶に自信が持てなくなるのであります。
ねずみ男。お前がやったんだろ!
正直にゲロして早く楽になったれや
証拠は上がってるんだ。
犯人はお前しかいないんだよ。さあ・・・。かつ丼を注文してやるからさー。
そーなのか?あっしがやったのか・・・?
全くその時の記憶がないんだが。そー言われるとなーんとなくそんな気が・・・・・・・・・・・・・・。あー、もう、わかんねーよ!
いっそ楽になっちまうか!
時として、こーやって冤罪が作られてゆくのだ、とか。
ねー、あなた。電車の中で痴漢にあったんだって?
んー、っていうか・・・。しょぼくれたねずみ男みたいな男がねえ、
あたしの足を踏んだから思わず「この人、痴漢です!」って言っちゃた のよ。駅員に連行されていっちゃったけど・・・
ちょっと可哀そうだったかしら
平凡にして怠惰な、何げない日常生活空間に突如として起こるF・カフカ的不条理世界。
気分はもう、まさにムンクの『叫び』状態です。
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ノスタルジックな世界に漂う、というか、過去の郷愁に浸るというか、例えば映画化もされた、
この作品もまた微妙なものだと思っております。
舞台設定の懐かしさが先行しておりますが、しかし人間そのものの感情の機微が当時と今で変わっているとは思えません。
あの時代、みな、やさしかった
わかるか?ねずみ男。あの当時はなー、人間がもっと輝いていたん
だよ。それに引き換え・・・。あ、お銚子もう一本追加ね
なーんて言う方もおりますが、しかし、どーなんでしょう。
ことさら過去を美しく脚色しているのではないか、と。
それは、例えば「子供の頃は楽しかった」、「小学生の頃はおもしろかったなー」なんてことを言う方々も同じであります。
困るのは、それを皆が皆共有しているものだとする錯覚(!)でしょう。
小学校時代、仲の良かった友人に何十年かぶりにバッタリ逢って「あの頃は楽しかったなー」と言ったら相手は、「実は・・・」と、自分が一方的に好意を抱いていたことを知らされショックを受けた方がおりました。
あっし個人としましては、元々集団行動が苦手であったあっしは、正直に言ってその当時にあまり楽しい思い出はないのでありますが、「小学生の頃は楽しかったよな」なーんて同意を求められると、思わず顔が引きつると思いますねえ。
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さて、これが文化や国の歴史ともなりますと、相当に厄介な問題となってまいります。
例えば日本における死生観ですが、今は当たり前のように亡くなれば坊さんにお経を読んでもらい、墓を作ったりもしますが、そしてあたかもそれが日本古来の風習であり、伝統と考える方も多いと思いますが、しかしこのような風習が一般化したのは江戸時代初期の頃からで、それこそずーっと昔からあった、そうだった、ということではないのであります。
伝統文化は創造されるもの?
こと、先祖供養こそは日本の伝統的文化なんてーことを声高に主張し、その供養のためと称して莫大なお布施を要求するような宗教団体もありますが、確かに日本文化に祖先信仰と言うものがないとは言いませんが、かなり歪めた形になっているように思います。
まして、そのような供養をちゃんとやらないと先祖が祟る、というのは平安時代の怨霊信仰を強引に持ってきたものであって、本来の、日本人の民間信仰としての死生観には見いだせないものです。
さらに国家の歴史ともなりますと、さすがに今は客観的な史実検証の下、ある程度は事実に即した歴史が書かれてきてはおりますが、いかんせんその事実を記述するにあたっては、どうしてもその書き手の主観や価値観が入るもの。
まして、誰しも自分なら自分の過去のことを貶めて言いたくはないものですが、そうかと言って過大評価するのもどうかと思います。
日本史上における、例えば『古事記』的な神話世界に代表されるような、いっそ虚構が真実だとして大手を振っていた時代もあったことを考えると、過去の、そして歴史解釈と言うのは相当に慎重でないとけないと思います。
お隣、韓国や中国との歴史的認識のズレも、そこには政治的な思惑が双方に強く働いているように思います。
政治的思惑が絡めば、これはもう泥沼です。
双方が自分にとって都合のいいような主張を行う。
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老人ホームに入居している上品なおばあさん。
訪れたボランティアの方に、今はもう亡くなっていないという、やさしかった夫との楽しい結婚生活の話を嬉しそうに語る。
が・・・。
実はこの女性、生涯独身で結婚したことはない。
施設職員の担当者が言うには、もともと読書好きのこのおばあさん、幾つもの小説を読んで、そこから自分の人生を空想の中に作りだしたらしい。(※ 認知症もあったのか?)
でも、このケースは本人が今、それで幸せならば、それはそれでいいのではないか、と。
これでも、あっしの若い頃はモテモテでなー
女性には不自由しなかったよ、うん
なんだよ。ちょっと、お尻を触ったぐらいで・・・
あっしに触られたら幸せだと思わなきゃ
介護施設で多いとされる、ボケ老人男性のセクハラ。
然るに、こーんなことを言うクソじじいは、いっそ早くお迎えが来るようにしてやった方がいいと思います。
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ショート・コメント
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なーんか固っ苦しい話ばかり書いてきましたので、今回は少し力を抜いて、いっそ脱力系でゆきたいと思います。
信州信濃の新蕎麦よりも あたしゃあんたの傍がいい
都都逸(どどいつ)ですよ。
料亭なーんて言うと堅苦しいですが、これが京都あたりだとお茶屋さんで、さらには蕎麦屋の二階なんてなりますと、もう少し気楽なイメージが漂います。
※ かつてのお蕎麦屋さんの二階は男女の愛引きの場所だった、なんて話もあります。
いよいよもって寒くなって来た晩秋の頃、熱燗に冷ややっこ、板わさなんかのつまみでこう一杯。
蕎麦は最後の締めで食べます。
で、こう、落語でよく言う「小股のこれあがった」艶っぽい年増のおねーさんに三味線なんかを弾いてもらって・・・。
こーんな都都逸をねえ・・・・・・。
うーむ、信州信濃と言えば・・・
長野の善光寺、国宝松本城、来年の大河ドラマに決まった真田幸村・・・、いやいや温泉に登山にスキー、そして高原、軽井沢。
して、軽井沢と言えば、あっしのよーな鉄ちゃんだと、信越線は碓氷峠のEF63型電気機関車の重連運行。
たまんねーなー、おい!
あら、ねずさん、うれしいねえ
あたしの正直な気持ちなんだから・・・
(言うまでもなくズレてます。あるいはギャップ、溝があります)
ここには、かつてアプト式なんて、今は静岡県は大井川鉄道にしか見られない特異な線路があってなー。 (※ きわめて勾配のきつい路線に使われます。スイスの高原鉄道にも見られます)
真ん中の部分が歯のようになっていて、これを噛んで進みます
しっかし、この信越線だが、かつては新潟、そして信州・長野と首都圏を結ぶ幹線鉄道であったものがだよ。あの、今は北陸新幹線と呼ぶ路線が出来たおかげで、
悲しいものだよズボンのおなら 右と左に泣き別れ
じゃないが、それこそかつてのドイツ、今の朝鮮・韓国のごとくに分断されて、
信越線 ① 高崎 − 横川
信越線 ② 直江津 − 新潟
(信越線 ③ 篠ノ井 − 長野)
つまり、在来線である信越線を使って東京方面から長野経由で新潟までは行けないのであります。
理由その1 先の軽井沢と横川の間の線路は廃止となりました。
理由その2 軽井沢 − 妙高高原 しなの鉄道 (篠ノ井 − 長野 は信越線。ややこいしい)
妙高高原 − 直江津 えちごトキめき鉄道 の第三セクター化してます
それもこれも利便性、効率性追求の新幹線のおかげでして。
そりゃあー目的地に早く快適に、という理由もよーくわかるんですが・・・。
わかるんだが、鉄ちゃんとしてはだな・・・
いまひとつ、こー、納得できない、というか
あ、おねーさん。熱燗ともろきゅう追加ね
線路は続くよどこまでも
で、あっしは鉄ちゃんの中でも、極少ない線路フェチ(!?)でしてねえ。
もう、こーんな線路があれば、他には何もいらないという・・・。
いっそ、自宅の前に線路を敷きたい!
線路を敷くにあたっては、今のコンクリート状のものではなく、ぜひとも昔ながらの木製の枕木(まくらぎ)をねえ。
ちょっと、ねずさんたら何を一人でぶつぶつ言ってるのよ
あら、なんだかもう眠そうねえ。目が閉じそう。えっ?枕!?
枕出せとはつれない言葉 そばにある膝知りながら
思わず笑った通販商品 2980円!
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場所は変わって、
ねずみ男のおじいちゃん。何か言い残したいことある?
最後にしてもらいたいことある?
あんたの、ひ、ひ、膝枕を・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
えー、あの世に旅立ってゆく者が不安がらないようにするのが、今から拙僧のする枕経(まくらぎょう)と言うのだが・・・
あの・・・、して、この仏様の枕は・・・・・・・
うちのおじいちゃん、鉄道が大好きで
特に線路とこの枕木に目がなかったようで
故人の希望なんです
( ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。おい!)
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朝日新聞に連載されている元大阪大学総長の、哲学者・鷲田清一センセのショートコラム「折々のことば」は人気だそうです。
ちなみに、あっしはこのセンセの、
を読んで、かなり影響を受けております。
この鷲田センセ、京大の哲学専攻にしてかつて大学院の論文テーマに「ファッション」を選び、担当教授に「世も末だ!」というよーなことを言われた、とか・・・。
然るに、このファッション論、現象哲学というテーマにして相当に深いものでして、あっしなんぞが尊敬する先生の一人なのであります。
そのセンセにならって・・・。
ただし、あっしのは「たわ言」ですから、適当に読んでください。
ことわざに「可愛さ余って憎さ百倍」というものがあります。
して、これはなかなか興味深い人間心理の機微を表していると思っております。
フツーに考えりゃ、もともとはそれなりに愛情を注いでいた、いとしいと思っていたはずなのに、なんで?
でしょう。
いとしい、いとしい、ねずみ男の君
しのぶれど 色に出にけりわが恋は
ものや思ふと 人の問うまで
− 平兼盛 『百人一首』 −
ねえ、あなた、ちょっと最近はボーっとしていることが多いわよ
化粧も少し濃くなったような・・・。
もしかしたら・・・。恋してるんじゃないの?
ねえ、ねえ。誰?営業三課の〜さん、とか?後、独身で言えば・・・
ま、こーいう時が花であります。
恋し始めた時は甘く切なくもの悲しい。
もしも、この恋が叶うならば・・・。
この広い野原いっぱい 咲く花を
1つ残らず あなたにあげる ♪
いいえ、あたしを・・・、世界をあげる!
然るに、その相手である野郎の方は・・・・・・。
あに、あに?お前をくれる、だー・・・・・!?
悪いけど、あっしは鉄道命でクリスチャン
女には興味ねーんだよなー
サタンよ退け!
ここでもう一つの言葉を。
「据え膳食わぬは男の恥」とは、そもそも最近の肉食系女子じゃありませんが、女性の方から男性に言いよって来るという、いっそバレンタインデー的シチェーションを無視するような男は野暮にして、ロクなもんじゃない、と。
それこそ「女に恥をかかせるな」なんて言いますねえ。
そこは、きっちり慈悲と寛容とボランティア精神(?)をもってして・・・。
まあ、デートぐらいなら、とか。
それを、あろうことか「サタンよ退け!」じゃ、あーた。鬼ですよ、鬼!
いや、地獄の鬼すらも涙するような暴言ですよ。赤鬼さんですよ。
さあ、この拒絶された女性の方です。
その、愛情というエネルギーの方向性はどーなるのか?
エネルギーは消滅することなく不変だと、アインシュタインが・・・
(※ んなこと、言ってたか?)
いや、不変ではなく・・・。
変電施設
その大きさだけ逆転し・・・
場合によっては加圧、倍加され
おのれ、あのクソねずみ男!
女の純な心に傷を・・・!
十字架刑じゃ
えーい、苦しめ!
いっそ、死んでたもれ!
これも十字架刑?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あっしが何をしたというんだ?
旧約聖書『ヨブ記』のヨブのような気分でしょうねえ。
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先月に報じられた小さな記事でしたが、安保法案騒動でかすんでしまっていたような気がします。
南米ペルーはインカ帝国の遺跡ともされる、空中都市マチュ・ピチュ。
「天国に一番近い都市」とも言われているんだとか
20世紀に入ってから発見されたといういわくつきの遺跡で、まだ詳しいことはよくわかっていないようです。
して、この遺跡を管轄するマチュ・ピチュ村、世界中の都市から「友好都市」の提携を申し込まれてきたそうですが、これらを一切拒否。
そして、逆に日本の福島県の山間の小さな村にラブコールを送って来たというからニュースになった。
大玉村
彫刻家にして詩人でもあった高村光太郎の『智恵子抄』に出てくる安達太良(あたたら)山のふもとの人口一万人にも満たない小さな村だそうです。
東京には空がないと智恵子は言う ・・・
安達太良山の上にある空が、
智恵子の本当の空だという
高村の奥さんであった智恵子さん、統合失調症となり次第に心を病んでいったようですが、彼女のこの言葉、あるいは精神を病んだ人だからこそ出てきた光り輝いているような言葉ですよねえ。
一口に「空」たって、あーた。
都会のビルの谷間からちょっぴり見えるような空は、なんというか「本当の空」ではないような。
彼女は、この大玉村の隣の二本松市の出身で、この山の見える風景は彼女の故郷のものであった。石川啄木もまた、「ふるさとの山はありがたきかな」と書いておりますように、言うなれば彼女の人生における「原風景」であったと思われます。
その原風景が、ビルの隙間から見えるようなチンケな空だとねえ・・・。
その後の人生を暗示しているような・・・・・・・・・。
都会の小さな空
最終的には、明りとりの小さな窓の独房で見る小さな青い空・・・。
朝食後、長い廊下に響き渡る静かな靴音。
「ねずみ男。お迎えだ」
うっそ!まだ、洗礼も受けてないのに。て、天国に行けるのか!?
なんてー話ではなく・・・。
して、なぜに世界中から要望を蹴って、望んでもいなかったこの日本の小さな村にラブコールを送ったのかといいますと、今でこそ有名になって世界中から観光客が大挙して訪れるようになったとされるこのマチュ・ピチュ村、もともとは何もなかったこの村に水力発電設備を作りホテルを建て、最後はこの村の村長まで務めたという、大玉村出身の移民の方がいたそうです。
言うなればこの村の恩人であったようです。
思うに、海外に移り住み、こうやって現地の社会に馴染み、その社会のために尽くし多大な人望を集めた日本人がよくテレビで紹介されていますが、この方もその一人なのでしょう。
アジアの貧しい村に農業支援に行ってそのまま住みついてしまった方など、もはや英雄を通り越して神様のよーな扱いを受けている方すらいました。
日本人は真面目で、勤勉で、差別しない
「真面目で勤勉」というのは、言うなれば国民性でしょう。
ヘイヘホー 働き者だよー ♪
なんせ「おしん」の国ですから。
ま、中にはそーとも言えない方もおりますが・・・。
お前だ、お前!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「差別しない」というのは、例えば欧米人の場合、やはりアジア人を一段低く見る方が少なくないらしい。その点、日本人は「名誉白人」、世界でも名だたる先進国の人間なのに、自分たちを決して見くだしたりしない、なーんて現地の方の言葉があった。
あっしは思うんですよ。
こーいう「日本」、そして「日本人」の評価を大事にすべきではないか、と。
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中東の、内乱の国に国際的なボランティアの一員として行った日本人に、現地の人が、
日本は平和憲法を持っている
だから(他の国と違って)信用できる
なーんて言っていたという話がありました。
そーいや、「世界の保安官」を気取るアメリカなんかはねえ・・・。
軍事力で解決しようとする国
あくまで力でねじ伏せます
もっとも・・・。
それって、全て、
自衛権の行使だとか!?
ヴェトナム、アフガニスタン、イランと、自分から先制攻撃仕掛けておいて、それもこれも、
自国アメリカの防衛のためだそうです
フツーにっ考えりゃ、「なんじゃ、そりゃ?」ですが、そのアメリカの言う「自衛」とは、つまり「正当防衛」だそうです。
もっとも、「近代戦争」は全て「自己防衛」のために始まっているそうです。
ちなみに、この自称「世界の保安官」、20世紀にそれこそいろんな所にこの「正当防衛」を仕掛けてきたものの、さすがに最近はもう首が回らなくなってきた、金もかかって仕方がない、議会はうるさい、と。
そー言えばさー、俺んとこ、お前のとこの世話をずーっとしてきたよなー。
ここら辺で借りを返してくれよ、少しはお前んとこでも協力しろよ。「積極的平和主義」(?)だよ。
まあ、いざとなったら俺もやるが、「オトモダチ」なら、俺がやられたら加勢してくれよな。
して、その結果生まれたのが安倍首相の強行した今回の安保法であります。
しかし、この法、運用の仕方によっては、相手が自分には何もしていないのに、それこそ先に喧嘩を売るようなことにもなりかねない、とされます。
いや、いやそんなことはないと、いいますが・・・。
そもそも、相手がそれをどう思う、
それこそ、どう解釈するかな、のであります
主観の問題では済まないのであります
この法が決まったことを受けて、「これで日本の国は安全だ」などと、ノー天気なことをほざいていた方がおりましたが、むしろ危険性が高くなった、それこそ下手をすると、「誰でもかかってこいや!」なーんて、やたらと喧嘩っぱやいアメリカの巻き添えを食って泥沼にハマってゆきかねない?
というか、アメリカにいいように利用されて、用済み廃棄、とか・・・。
お人好し日本!?
さらには、
日本はまた戦争をやりだすのではないか?
という危惧を抱いているアジア諸国も少なくない、とか・・・。
だいじょうーぶ、だいじょーぶ
いざとなったら、「これ以上はできません」って、逃げればいいのよ
とは言っているようですが、
そもそも戦時状況で、アメリカが喧嘩してるのに、
「いち抜けたー!もう、やらない」なーんてことが
通るのか、可能なのか?
アメリカに「敵前逃亡は卑怯だ!軍法会議にかけて
銃殺刑だ!」なーんて非難されることはないのか?
だいたい、アメリカ軍が日本に駐留しているのだって、要はアメリカ本土防衛のためだろうが。
いざとなったら、自分の国こそが大事だから、さっさと撤収するんじゃないか、と。
(※ 実際、アメリカ世論には「何で、アメリカが日本を助けてやんなきゃいけねーの?自分のケツぐらい自分で拭きやがれ!」という主張も強いそうです)
後はよろしく。そこんところ、よろしく!
テメーは矢沢永吉か!?
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これ、何度も書いておりますが、
かつて、日本と中国が尖閣諸島でヒートアップした時、中国では反日デモが頻発しましたが、その時のスローガンとして挙げられていた、日本に対する蔑称「日本鬼子」を、
日本の一部のオタク野郎が面白がって(?)、こーんな萌えキャラにしてネットで発表したところ、
中国の(アニメ大好き!小さな頃から見てハマってます的な)多くの若者たちが、
負けた!
日本には敵わない!!
と、声をあげていたことに笑ったものです。
でも、これって・・・。
どちらかが、勝ったとか負けたとか、いうんじゃない、と思います。
何と言うか、お互いにいがみ合う、喧嘩するのがアホらしくなってしまった・・・!?
イソップ童話の『北風と太陽』の話を髣髴させてくれたように思いました。
よく、この中国や北朝鮮の脅威を言う方がおりますが、それはあくまでその「国家」に対してであって、そこに生きる、それこそ我々と同じように生活している方々ではないでしょう。
そりゃねえ・・・。
とんでもねー方々だっているでしょうが、それは日本だって同じ。
日の下(もと)、神国日本の人間が皆、清廉潔白にして
清く正しく美しい心を持っているとは思われない
いっそ、日本国憲法をナメくさって、「あんなもなー、どーにでもなるのよ」なーんて言っているオッサンは北の国の独裁者とさして変わらんじゃないか、と。
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どうか、友好都市になってください
ぜひとも、友好国になってください
と言われるような国ならいいんですけどねえ。
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さて、いいよ岳南(がくなん)鉄道に乗車します。
然るに、こんな私鉄、まずもって鉄ちゃん以外には知らない方の方が多いのではないかと思います。
東海道線吉原駅から岳南江尾(えのお)までの9.2キロ、乗車時間にして20分という短い路線です。
メインは、周辺にある製紙工場からの貨物輸送であったようですが、今は貨物も廃止されたった一両の小さな電車が、それこそトコトコと走るのどかな路線で・・・、
いっそ、もう鉄ちゃんだけの鉄道!?
といっても過言でないような・・・。
なんせ、あっしが乗車した時は、終点まで行ったのは、まずもってあっしと同じよーな鉄っちゃんらしき方が約6名であります。(※ 全員、また終点で折り返してました)
沿線にある幾つもの製紙工場からの荷物を、例えば東京は飯田橋駅の奥にあった貨物駅まで輸送しておりました。独特の青い貨車がトレードマークでした。
つまるところ、乗客輸送よりも貨物がメインだった路線で、これは例えば岡山県の水島臨海鉄道、三重県の三岐阜鉄道、茨城県の鹿島臨海鉄道と同じでしょう。
さて、終点の岳南江尾駅では、発射前に運転士さんに話しかけられるという光栄な経験をいたしました。聞けば、やはり土日祭日は、あっしのよーな鉄道ファンが多いそうです。
一生懸命に写真を撮っている方、一番前の席で車窓を楽しんでいる方と、これはもう、誰が見たって鉄ちゃんでしょう。
もっとも、あっしのよーにカメラを構えるわけでもなく、ただひたすら乗っている、というのは珍しいのかもしれない。
ちなみに、あっし個人としては、特に写真というモノにはこだわっておりません。
それよりも、禅でいう「一期一会」じゃないですが、その乗っている時間、そしてその鉄道に触れ合っている時間そのものを大切にしたい、というあっし自身のポリシーに基づいたものだからです。
一時は、やたらと写真を撮りまくっておりましたが、それだと、そのことだけに気持ちが行ってしまい、いっそ、その写真を撮ることが目的となってしまうんですねえ。
そーじゃねーよなー
と、いつしか思いまして。
乗っている時間、見ている時間はもう、いっそ全神経を集中させ、あっし自身の頭の記憶の中にとどめておこうとしております。
まさに純粋な「乗り鉄」と言えるかもしれない。
古びた待合室一つとっても、それこそ涙が出るような味わい深いものもあります。
まあ、そんな所で感激してウルウルしているよーなおっさんは気持ち悪がられるかもしれませんが・・・、何度も言うようですが人畜無害ですから・・・。
やさしい目で見てやってください
小心者で、特に犯罪を犯すというよーなこともありません。
世の中には、そーいう人も生息するのだと。差別しちゃーいけない、と。
そーいう人の人権も尊重しなきゃいけない。
鉄ちゃんだって、我々と同じ人間じゃないか、とねえ・・・・・・。
って・・・、なんでそんなに卑屈にならなきゃいけないんだ!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最後に余談です。
帰路、これまた複雑なルートで帰ったのでありますが、途中、運行本数の少ない路線で、たまたまこの日は運行されている臨時列車に乗るべく計画していたら、その乗り換え駅の手前で、乗っていたJRの車掌が、乗り換え案内においてこの臨時列車のことを無視(除外?)しやがりまして、
〜時〜分の発車です。それまで暫くお待ちください
なーんて言われて、メチャクチャ焦りました!
嘘だろ!確か、ネットや時刻表では、〜時〜分発の
臨時列車に接続しているはずなんだが・・・
もしかしたら、あっしが根本的に勘違いしたのか!?
偉そうに、鉄ちゃんを自称している割には、つまんな
い初歩的なミスを犯してしまったのか?
もはや、あっしは鉄ちゃんの資格をはく奪、永久追放
されてしまうのか。あっしの未来はもうないのか!?
なーんて泣きそうになってましたら・・・。
ちゃーんと、その臨時列車が停車しておりまして、それを見たときにはホッっと安堵すると同時に、
あのJRのクソ車掌!
嘘言いやがって!
臨時列車ぐらい覚えとけ
と、よっぽどJRに文句を言おうかとも思いましたが・・・。
そこは、温厚な鉄ちゃんですから。
ちなみに、これまた余談ですが、そしてどこの駅とは言いませんが、とある駅で購入したいわくつきの、「力いっぱいの気合を入れて開発しました」的駅弁ですが、値段ばかりは高いものの、その中身たるや・・・・、
喧嘩売ってんのか!
というくらい拙い駅弁でして、思わずネットにあった全国有名駅弁人気投票及びアンケートというものに、ボロクソ書いておきました。
奇をてらったり、その地方の名産品に拘るというのはいいんですが、名産品たって好き嫌いがありますし、それこそ製作サイドの自己満足に終わるような気がします。
長い目で見るなら、万人向けに丁寧に作られた駅弁は長い間支持を受けておりますし、また購入したくもなるというものです。
例えば九州は折尾駅の「かしわ飯」なんて、あっしははるばる九州まで行って買って食って感激したものですが、
折尾駅 「かしわ飯」
あっしが、食った、この某駅で販売されていた駅弁はひどかったですねえ。
二度とこの駅弁、いやこの駅弁メーカーのものは購入しないと誓いました。
鉄っちゃん、いや、客をナメとったら商売にならないはずです。
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