|
神道などと畏まって言いますと、戦前までの国家的イデオロギーとしての国家神道をイメージすることもありますが、そして国造り神話や、天照大神の伊勢神宮などの神社が想起されますが、むしろ我々日本人の祖先にとっての神道、というか、宗教観(宗教的世界観)はごく素朴な、それこそ世界のどこにでもあった自然崇拝の信仰であったようです。
たまたま我々はそのような素朴な原始的信仰を「神道」というものの中に捉えているのでありますが、他の社会(文化)にあってはまた別の名前で捉えていたものだと思います。
人間は、自然を司り、豊穣をもたらしたりするであろう超越的存在を想定し、これを「神」としたわけでして、例えばそのような神を唯一とするか、多様なものとするかは解釈の違いでしょう。
そのいずれの神が正しいとか、偉いということもないはずなんですが・・・。
その「神」と呼ぶ超越的な存在に対し人間は様々な祈願をしてきました。
豊穣信仰に始まり、今日、われわれが神社仏閣で祈る内容とほとんど変わらないと思います。
フランスはラスコーの壁画 豊穣信仰のものともされます
そして、その超越的存在をシンボリックに具象化したものを、例えば太陽や山、川、海、月、樹木に見立てたこともあったようです。
今や、皇室、つまり天皇の始祖とされる天照大神にしても、元は太陽神で、豊穣信仰の対象であったようです。
さらには、その土地ごとに土着の神がおり、我々日本人はそれを「産土神(うぶすなかみ)」、さらには「鎮守の神」、「地主神」などと呼んでいたようです。
また、古代はその土地に定着することが多く、そこに生きる人々の祖先を神、つまりは祖先神とし、これを「氏神(うじがみ)」などと呼んでいたようです。
有名なものでは平安貴族であった藤原氏の氏神を祀る春日大社などがあります。
ちなみに、その氏神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)となっておりまして、これは『古事記』などにも登場する神話の神様でありますが、どーもこの辺りは強引なこじつけのようであります。
※ 有力部族が、既に有名であった産土神を氏神とすることもあったらしく、藤原氏の他にも物部氏や大伴氏といった部族がやはり記紀に登場する神をその氏神としております。
ついでに言えば天皇家もまた、本来は太陽信仰の伊勢神宮を、その祭神の天照大神を氏神としております。
元々は太陽信仰であった?
して、今でもその地域ごとに産土神、鎮守神を祀る神社はよく見られます。
伊勢神宮や、金毘羅社などを勧請(かんじょう − 神様を分霊させていただき、その地で祀る)したものもあるようですが、本来はその土地の守護神を祀っていたというべきでしょう。
村の鎮守の神様の 今日はめでたい祭りの日 ♪
この場合の祭りは春の豊穣祈願、秋の収穫感謝祭に代表されるものでしょう。
民俗学では、これを「ハレ」の時空間としております。(※ これに対し、辛い労働の時を「ケ」といいます)
※ 都市部の場合、夏祭りが主体となります。これは疫病神を追い出す、という意味もあったらしい。
えー、余談ですが、この祭りの時というのは若い男女の出逢いの場でして、
祭りの夜、着飾った若い男女のカップルが、一組、そして二組と暗闇へ消えてゆく。
やんだ、おら・・・。はんずかしい
なーに言ってるだー、このアマっこが
で、そこに、あっしのよーな、頼まれもしないのに勝手に風紀係が、
あんちゃん達、若いエネルギーを燃やすのもいいが
ちゃーんと計画性をもってね。はい、これ使って
登場することもあったとか。(『新・日本風土記』より)
うそ言えー!
さて、このようなその土地の神様を共通に崇める、祀る場合、祖先が一緒ということもありましたが、たとえそうではなくとも、その神(神社)の氏子(うじこ)と呼ばれておりました。
そして、祭りはこの氏子らによっておこなわれるのでありまして、例えば都市部の祭りなどにおいてはこの氏子以外は「ヨソ者」として参加が難しかった。
※ 今は、かなり緩やかになっているようです。
こうした祭りの場合、老若男女にそれぞれの役割が分担され、例えば神輿を担いだり、神楽(かぐら)を奉納するといったメインは例えば若衆(わかしゅう)、若者組、壮年組が担当し、食事手配は御勝手衆とよばれた女性が、さらには長老衆と呼ばれる男達がまとめ役としてあったようです。
何故にこんなことを書いたかと言いますと、このような社会では今も書きましたように、高齢となってもそれなりの役割や責任があり、それがまたその社会にとってなくてはならないもの、有益なるものでして、例えば高齢者が何もやることがないで手持無沙汰で家でTVばかり見ている、なーんてこたーなかったのであります。
安倍総理は、「一億総活躍」社会、なんてスローガンを掲げたようですが、かつては、んなことを言わなくたってそーいう社会システムになっていたわけですねえ。
たまたま、祭礼を例にとりましたが普段の仕事、労働でもこのような役割分担があったらしい。
然るに、技術革新、経済優先、効率化を極端に推し進めてきた現代社会に再びそんな昔の(?)システムを再構築しようたってねえ・・・。
それより、派遣・パート社員を正社員化してゆくような施策の方がよっぽどいいような。
ジジ、ババだって、死ぬまで働かせろ!
なんてねえ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
で、ジジ・ババになにをやらせるのか?
うーん、そうですねえ。
例えば、あっしがヨイヨイのクソじじいなどになった暁には、
おじょうちゃん、あっしの若い頃の話をねえ
まず拒絶してだな、その後にこう、じっくり騙くらかす
あんちゃん。女を口説く時にはなー、
有無を言わせずこう・・・。あっしが現役の頃は
なーんて、「恋愛道の第一人者・ねずみ男先生による男女の出逢い、恋愛講座」なーんてねえ。
もちろん、受講料は取ります、もらいます。
えっ、いっそ楽にしてやる、往生させてやる、天国を拝ませてやる、って・・・?
−−−−−−−−−−−−−−−
時期的には七五三の季節ですが、あのお宮参りというものもまた、本来はその産土神、鎮守神、その土地の神に新たなるメンバーとして参加することを伝えるものであったのであります。
それが今や、それこそ縁もゆかりもない、ただ単に有名神社に行けばいい、なーんて考えているようですが、それでは何の意味もないのであります。
例えば東京で言えば、氏子もいない明治神宮で何故?
※ 明治天皇は、ここ東京の守護神となられた、という説もあるそうなので、それならいいのか。
しかし、この産土神に代表される地の神、それは同時に祖先神でもありまして、あえて言えば、そこから生まれ、そこへ帰ってゆくのであります。
だから、なんと言うか、もう少し身近な神様であった方がいいように思います。
せめて、その地に定住するというのなら、その地に代々伝わる、鎮座おわします産土神に、勝手に自ら氏子志願をしていった方がいいと思います。
死ねばその神と一体化します。
ちなみに、日本で一番多い神社は稲荷社ですが・・・。
女性の場合、そこの氏子ともなりますに、死ねばその神様と融合し・・・、
玉藻の前
玉藻の前、九尾キツネなんかになって、世の男をたぶらしても困りますけどねえ。
時々、あっしなんかも・・・・。
|
無題
[ リスト | 詳細 ]
|
タブーにおいて、一番多いのが「見るな!」でしょう。
日本神話(「古事記」)においては、死んだ奥さんのイザナミのことが忘れられず、黄泉の国まで探しに行く旦那のイザナギの話が有名です。
さて、この旦那、手を引いた奥さんの「黄泉の国を出るまでは振り返らないでね。あたしを見ないで」と言われておったのに、つい・・・。
で、そこに見たのは、
驚き慌てるイザナギのおっさん
げげっ!出たな、妖怪大作戦!
怒るイザナミのねーさん
まだ化粧もしてないのに。見たわね!
それに・・・。誰が妖怪大作戦なの!?
イザナミのねーさん、どーやらすっぴんノーメイクであったらしい?
(※ ウソです。腐りかけていたというのが正解です)
教訓としては「過去は振り返るな」ということらしいです。
一方、現代にあっては。
あっしも、よく利用するんですが、ビジネスホテルなんかにはTVが備え付けられております。
で、利用方法を書いた説明書が置いてあったりもする。
お好きなチャンネルをお楽しみください
ただし、13チャンネルは見ないでください
あー?なんだそりゃ!?
ふつーは12までしか・・・。あれ、ほんとだ。このリモコンは13まである!
うーむ。何で見ちゃいけないんだ?
も、もしや・・・。
いけない番組、裏番組の有線放送なのかも。まして、見るなと言われると・・・・。
ムフフフフフ・・・・。見たくなるのが人間心理ってなー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
悪かった!
あっしが悪かった!!
さらには・・・。
まあ、見てもいけないとは言いませんが。
(※ 見せてお金取る場合もありますし・・・)
しかし、
はい、お客さん。見るだけですよ、見るだけ。触っちゃいけません。
えっ?
盛り場のアブナイお店!?
いえいえ、ギリシア神話の世界です。
美の女神アフロディテ−と獣神バーン
なー、いいだろ?
ちょっと。何すんのよ!この変態!
そーだ。このエロ親父。女神様に触れるんじゃねー!(エロス − キューピッド)
ちなみに、このアフロディテ−という女神様、ローマでは「ヴィーナス」という名前になります。
然るにこの女神様、
恋愛にタブーなんかないのよ!
なーんて言っていたらしいです。
ヴィーナスとヘパイストスと、逃げる間男アレス(※ 丸窓の中に見える)
で、疑心暗鬼になっていた旦那のヘパイストス(鍛冶の神)に、
おまえ、浮気してんじゃねーだろーなー?
なーんて追及されてます。
然るに、そこはこのヴィーナス、ただ者じゃありません。
やーねえ。あたしを疑ってるの?
なーんて言われりゃ、この疑うことを知らないヘパイストスの旦那、それ以上のことは言えなくなってしまう。
あっしなんんぞは、ついこの旦那に同情してしまいます。
※ ヘパイストスは醜男として有名。一方のアレスは美男子であったらしい |
|
「何だよ、男ばっかり悪者にしやがって」・・・、ということで、今度は、
彼女の部屋にあったらどん引きするもの
であります。
して、例えば世間でも評判の美人の姉を持った弟が知るその部屋の実態は・・・。
ムンクの叫びのような、阿鼻叫喚の地獄絵図!?
ちゅーか、
だらしねーんだよ!
誰の姉であったかは御想像にお任せします。
脱いだパンストぐらい片付けろ!
・・・・ということで、彼女の部屋でどん引きしたというのは「部屋が汚い!」というものが断トツでしたねえ。
男である自分の部屋とさして変わらんじゃないか、と?
ちなみに、あっしの場合、その部屋に行ったわけではありませんが、デートの最中にいきなり、
UFOって本当に存在するのよ。宇宙人もいるのよ
信じたれや、にーちゃん!
で、2,3歩引きましたねえ。
SFは嫌いじゃありませんが、あくまでファンタジーの世界でとどめておくべきではないかと。
イカだか、タコだかわかんねーよなー
宇宙人なんか信じられるかい!
次に、さすがのあっしも驚いたのは・・・。
首輪が・・・?犬を飼ってるわけでもないようだし
うーん。
何となく不気味です。
かなり、アブナイ世界です
女王様とお呼び!
そのまま監禁されてしまうなんてことは・・・?
部屋の中でトカゲを飼ってた、なーんて女性もいたそうですが。
まあ、飼ってる方に言わせますと「カワイイ」のだそうですが・・・。
タランチュラ!?
「風の谷のナウシカ」のモデルにもなったとされる、平安期の『堤中納言物語・虫愛(め)ずる姫君』じゃないですが、そういう虫が好きという女性とも、どっちかつーとあまり親しくなりたくはありませんねえ。
可愛いのよ。あなたも手に載せてみて
なーんてねえ。
近づけるんじゃねーよ!
価値観の相違で、ソッコーで別れさせてもらいます。
以下、やや妄想がかってゆきますが・・・。
部屋に入ったら、大きなちゃぶ台なんかがあって、そこに8歳くらいの子供を先頭に小さな子供が4,5人いて食事してまして、
ママー。これが今度の新しいお父さん?
なーんてねえ。
ちょっと待ったー。何も聞いてねーぞ!
あるいは、アイドルのポスターが貼ってあるのならまだしも、どーんと書け軸なんかがあって、
武士道とは死ぬことと見つけたり − 葉隠れ
って・・・。何だよ、これ?
あれ・・・。あの、この方々は?御親戚か何か?
あの、んと・・・。みなさん、何でか怒ってらっしゃる、とか・・・?
われが、うちのお嬢さんの男かい?
覚悟はできとるんじゃろうのー
何かあったらエンコ詰めさすで、こら!
※ 「エンコを詰める」 − 指を詰める。つまり、小指を落とす、ってことらしいです。
何と言いますか、知らないうちにアブナイ世界に足を踏み入れてしまったような気も・・・。
さらに、もっとアブナイのが、お人形さんなんかがねえ。
いや、クマのプーさんとか、キティちゃんならいいんですよ。 あのさー・・・。これって、もしかして
あー、これ?最近は全然使っていないから
もちろん、五寸釘を刺す場所は・・・
見なかったこと、聞かなかったことにします。
出来れば今後もずーっと使って欲しくないです。
まだ、自分の写真をビリビリに破かれる方がいいです。(※ それもいやだけど・・・)
|
|
BOOK3第5章です。
相変わらず都内に潜伏している青豆さんであります。
何と言うか、まるでオウムの菊地容疑者のようですねえ。
後援部隊タマルさんらの秘密補給を別とすれば、社会との一切の接触を断ち、まるで独房に入れられた囚人のような生活のようです。
人によっては、このような環境には耐えらえず精神の異常を訴える方もいるやもしれない。
あるいは、晩年の芭蕉のごとく、つい寂しくなって、
秋深し 隣は何をする人ぞ?
「群衆の中の孤独」、「都会の中の孤独」とはよく言ったもので、アパートやマンションの隣に住んでいる住人がどんな方なのか、何をしているか全く分からない、なんてこともある。
いやー、懐かしい!
またしても余談ですが、
昔、あっしのいた職場で、お遊びで男女それぞれにこの登場人物が割り振られたことがありますが、
あっしは、なんと・・・四谷さん!?
その理由というのが、「なに考えてるかわからない変人」、「むっつりすけべ」、「別に、いなくてはいけない人でもない」だったような・・・。
せめておまい、五代君のライバル、三鷹さんに・・・
すいません。脱線してます。
しかし、青豆さんは違います。
そもそも、両親が証人会なんてカルト教団の熱心な信者で、その信仰を強制されていたがゆえに、小学校では完璧に浮きまくり、同級生や教師すらからも思い切りシカトされていましたからねえ。
そりゃあ辛かっただろうと思います。
でも、青豆さんは負けなかった。
涙を見せたら、学校を休んだら負けだと思っていた。
わかります。
そのためには自分が強くならなくてはいけない。強固な意思を持たなくてはいけない。
心の外側に思いっきり頑丈な殻を、いっそ鎧を付けていた。
そんな彼女の心にそっと触れてくれたのが天吾君だった。
イソップ童話の「北風と太陽」の話そのまま
青豆さんは、そっと、天吾君だけ一瞬、その頑丈な鎧を脱いでくれた。心を開いた。
ただ、彼の手を握っただけなんですが、ここには、その時の彼女に出来る最大の感謝と愛情表現であったはずです。
幼い頃に、そんな辛い体験を経てきた青豆さんですから、今こうして、一人で潜伏している生活ぐらいどうってこともない。
クラッシク好きな老婦人が用意してくれた音楽テープや、タマルさんが読めと勧めてくれたプルーストの「失われた時を求めて」なんかを読んでりゃ、時の立つのも忘れる?
青豆さんは、さきがけのリーダーの言ったような結末を受け入れようとし、天吾君のために死ぬ覚悟をしていたはず。
が、しかし・・・。
何かが彼女を押しとどめた。
誰かが(天吾君?)、彼女の名前を呼んでいた?
希望こそが青豆さんを引きとめた?
− 希望という名の あなたをたずねて
そうよ あなたに逢うため 私の旅は 今始まる −
鉄ちゃんが涙する、修学旅行電車・きぼう号
※ 昭和60年代、東京圏と名古屋・大阪圏の中高生の修学旅行専用電車として作られた旧国鉄159系電車。今や、もう伝説の車両ですねえ。
すいません、すいません。また、脱線してます。(※ これだから、鉄っちゃんは困ります)
さてさて、そんなふうにして都会の片隅に、目立たぬように、はしゃがぬように・・・。
似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめ続ける・・・ 白浪誤認(!)男の ねずみ男たー あっしのことよ!
知らざあ言って聞かせやしょう
テメーは、弁天小僧菊之助かー!?
脱線どころか、もう、むちゃくちゃでござりますがな・・・。
して、息をひそめて潜伏しているマンションの部屋のベルを鳴らす音がする。
わたくしNHKの受信料をいただきに参りました
出たな、NHKの集金人!
例えばの話、
とある方が都会の喧騒が嫌になって道も通じていないような山奥に別荘を建て、そこに住んでいたとしましょう。
電話はもちろん、TVも、パソコンも、そういった世間と繋がるような一切の接触手段を断ったとしましょう。
が・・・。
さすがに、セールスや、エホバの証人、町内自治会の役員なんかは来ないでしょうが、NHKの集金人だけは来る・・・、かもしれない?
して、天吾君のお父さんもそうでしたが、この方々は相当にしつこいです。
蛇のように執拗です。
おまけに、
受信料を払わないのは窃盗と同じ
なーんて脅迫してますねえ。
そして、実際に読んでいただくとわかりますが、青豆さんも感じたように、そこには何か邪悪なもの、病的なものが込められております。
何と言うか・・・。
例えば、
信仰しないと・・・。地獄に落とされますよ
それでもいいんですか?後悔しませんか?
なーんて、聖書を持った方に睨まれるようなものですねえ。
※ 余談ですが、聖書と言ってもエホバの証人のいう聖書は「新世界訳聖書」と言いまして、一般のキリスト教のものとは違います。
ついでながら、「旧約聖書」こそは古代ユダヤのヘブライ語で書かれておりましたが「新約聖書」は古代ギリシア語で書かれていた。
今日、我々が目にするのは、これがラテン語に訳され、さらには英語に、そして日本語に、という経過をたどっており、当然そこには翻訳者の誤訳や、意図的な書き換えすらもあったとされます。
ゆえに、一口に聖書と言っても、たとえばそれがイエスの言ったこと(思想)をどれだけ忠実に伝えているかを、そこから知るのはかなり怪しい、というべきでしょう。
日本仏教もそうですが、そもそもその経典はみな釈迦の死後、弟子などに書かれたもので、彼ら自身の解釈もあったろうし、さらにはそれを伝えた(写経)した者の書き換えもあった?
とどのつまり、その自称後継者(!)なる方々の、自分自身の解釈によるものではないか、と。
新約聖書の、マルコとマタイの違いなんかがまさにそれでしょう。
ゆえに、聖書なんてものをまともに読むのはアホウだと思います
言い換えますと、これは出来るだけ原典に忠実に読み解く努力をしなくてはいけない。
して、キリスト教(神学)とは別に、(近代)聖書学という学問分野があり、言うなれば考古学的な視点から研究がなされております。
興味のある方には田川建三なんていう聖書学者の本をお勧めします。
この本を読みますと、
まちがいなく、キリスト教に対する考え方が根底か らひっくり返ります。
同時に、イエスが我々と同じ一人の人間として見え てきます。彼をごく身近に感じます。
と、このように、今回はもうメチャクチャ脱線してますが、話を戻しますとこのNHKの集金人、何とも不気味です。
天吾君の留守宅にも同じようにNHKの集金人がやってきたようですが、気のせいか、同じ人物のような気もします。
もっと言えば・・・。
天吾君のお父さんの幽体離脱したもの?
なんせ、ふかえりも、青豆さんもドアを開けませんから相手が見えない。
然るに、相手が見えないだけに、余計に怖い!
イギリスのW.W.ジェイコブズの怪奇小説「猿の手」を彷彿させます。
三つの願いが叶えられるという猿のミイラ化した手をもらった夫妻とその息子。
まず息子が、金が欲しいと願うと、彼自身の死の代償に(!?)それが得られる。
嘆き悲しんだ母親が、半狂乱になって息子を生き返らせて欲しいと願う。
と、その夜、家をノックする音が・・・。
しかし、父親は、そんなことは許されぬとして「今のは取り消してくれ!」と言うと、ノックの音は止む。
ドアをノックしたのは・・・。
墓から抜け出してきた息子!?
そもそも恐怖とは
「得体の知れぬこと」に対してだとされます
して、この執拗なNHKの集金人は一体誰であったのか?
いいですよ。隠れていらっしゃい。しかしどれほどこっそり息をひそめていても、そのうちに誰かがあなたを見つけ出します
へーへっへっへ。ついに見つけたぜー!
わるい子にはお仕置きだ!
えーん、こわいよー!
さすがの青豆さんにも泣きが入ります。
天吾君、早く私を見つけ出して!
|
|
− ゆく河の流れは絶えずして しかも元の水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし − (鴨長明「方丈記」)
仏教思想、無常感を漂わせるこの言葉は、加速度的に変化してゆく現代社会にあっても、いやむしろ重く響いてくるような気がします。
社会学というのは、その時代、社会における何気ない些細な事象にスポットを当て、そこから一種の文明論的な問題を呈示して見せることがあります。
加護亜衣(元モーニング娘)の同棲相手の男の恐喝事件、そして彼女自身の自殺未遂事件と、芸能ニュース欄を埋めております。
して、今や、一世を風靡したそのモーニング娘も、次々に登場してくるAKB48に代表されるような女性アイドルグループに過去の栄光の中に追いやられてしまっているように思います。
最近は、おとなり韓国を始め、アジア諸国からも続々登場で、もはやどれがどれだかわかりません。
して、こういった若く綺麗な、というよりも可愛い女の子達のイメージこそは、
次々に消費されて、消えてゆく「イメージ」という商品
であると思います。
これは、19世紀末から20世紀にかけて生じた映像メディア、映画に始まりTVにいたる中にあって生じてきた文化現象でもあります。
M・モンロー
かつては、ごく限られた「銀幕のスター」と呼ばれる映画俳優などがそうでしたが、今やAKB48のコンセプトにありますように、ごく普通の、どこにでもいるような身近な存在的なアイドル、となっている・・・、とは言われますが、実はこれも巧妙に作り出されたイメージというべきでしょう。
確かに、最近は芸能人がいっそホンネ(?)で語り合うようなバラエティー番組も多く、そこに親近感を覚え、ごく身近な人たち、という感覚をいだきますが、そうは言ったって、じゃあTV局に逢いに行って、簡単に逢えるか、というとそうはゆかない。
実はそれもまた、巧妙に企画され演出されたイメージ、フィクションでしかない。
さて、社会学における巨匠の一人にフランスはJ・ボードリヤールという方がおります。
これがまたクソ難しい本でして、あっしは半日かかって5ページしか読めなかった、という・・・。
(※ やたらと比喩が多くて、何言ってるかさっぱりわからなかった!)
要は、今日にあっては、
「モノ」だけではなく「イメージ(記号)」が消費の対象となっている
ということらしい。
言うまでもなく「イメージ」というのは実体を持たない、あくまで我々自身の脳に生起させる想念、いっそ妄想(!?)であります。
それ自体を食えるわけでも、触れるわけでも、いっそ隣に座ってもらって語り合えるものではない。
して、今や我々は金を払って、そのイメージを消費している。
あるいは、モノに付加価値としてのイメージが加わり、むしろそのイメージの方の原価が高くなっている?
ちなみに、そのイメージ自体を構築するのにも確かに費用はかかりますが、一旦構築してしまえば、んなものの減価償却はあっという間に終わります。
後は、どんどん利潤が増えてゆく。たまりまへんなー、と
ファッションにおけるブランドがその典型でしょう。
実質的な素材原価、人件費といった製作原価よりも、ブランドイメージ(※ 企業利益に繋がる)の方が遥かに大きい(?)。
我々は、単に衣服を購入するのではなく、そのブランドイメージを購入するわけでして、同時にそれを身につけることで、自身がまたその宣伝媒体化、つまり動くマネキン、ディスプレイ化しているのであります。
その服、素敵じゃない。どこで買ったの?
今日、衣服は肌の保護や防寒といった目的としての意味は遥かに小さいでしょう。
むしろ、それは「見せる」、つまりファッションという装飾的な要素が強い。
しかし、このイメージたるもの不変ではありません。
言うまでもなく、流行のように移ろいゆく。
その実用的な価値、機能よりもイメージが重視されている以上、
去年の服では恋はできない
なーんて広告コピーに、何となく頷いてしまったりもしている。
「去年の服」・・・、というよりも、いっそ「過去の服」(?)となったイメージは忘れ去られ、ついには捨てられてゆく。価値そのものがなくなってしまう。
「消費する」とはそもそもそういうことで、何らかの価値を生み出すわけでも、何かを作り出すわけでもありませんからねえ。
「若さ」、「可愛さ」、「新鮮さ」というものも、一時的な現象であって、継続維持できるものではない。
生における一瞬の輝き、のようなものでしょう。
何度も書いておりますが、それは自然が創出した意味ある現象であります。
(※ 女性で言えば、肉体的に最も生殖に適した年代)
しかし、それ自体を「商品」とし、バーチャル・リアリティー(仮想現実)的なイメージとして消費させる。
ファンになった、あんちゃん達は、あたかもアニメ・キャラの可愛い女の子
と、仮想、いっそ妄想的世界においては仲良くなれますが、それ以上のことはできない。
して、O・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像」のごとく、イメージ世界としての相手はいつまでも歳を取らず、若々しいままなのに、一方の自分は老いさらばえてゆく・・・・。
しかし、実はこの「老いさらばえてゆく」(死ぬ)ということの方が、自然であり、仏教はその、当たり前の現実を指し示すのであります。
毎年、可憐に花を咲かせる桜ですが、どれ一つとして去年のものではありません。
新しい命がそこに宿ったものです。
散ってこその桜。
しかし、我々のイメージにおいては、いつまでも同じ桜なんですねえ。
鴨長明の見た川の流れも、今現在の我々が見ている川の流れも同じ。
しかし、イメージは同じでも、その全てはみな変化しているわけです。
次々に登場してくるアイドルの女性も、そのイメージは永遠に続くかも知れない。
ただし、彼女らを現実存在に引き戻そうとすると、例えば加護のようなことになる?
考えてみれば、彼女はもう、ごく普通の生活に戻る、もっと言えば人生を送ることは難しいように思います。
まるで川から掬いあげられ水槽に入れられた水のごとく。
人為的な助けが無ければ、そこの水はどんどん腐ってゆきます。
いつまでも透明で美しいまま、というのは錯覚です。
祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり
老いさらばえてゆくことこそが自然なら、あっしは虚飾のイメージ(妄想)よりも、その自然の方を選びますねえ。
|



