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ある方のブログに、
情けは人のためならず
と言うことわざを、「他人に情をかけると、その人が(甘えて?)ダメになってしまう」という意味だと思っていたが、実際は「他人に情けをかけておくと、それは巡り巡って自分の所に帰って来るのだ」と知った、という話がありました。
実は、あっしもこの言葉の意味を混同しておりましたが、誰かの葬儀の灰寄せ(死者供養の会食)の席で、坊さんがそのような話をしまして、その時になって初めて正しい意味を知りました。
私事で恐縮ですが、あっしが以前におった職場において、いけすかねー陰険極まりない、パワハラ・クソ上司がおりまして、あっしはやたらと目の敵(かたき)にされておりました。
一方のあっしは、自分の部下に対しては、自分で言うのもなんですがあくまで公平に、そして部下の気持ちを考えていたつもりでして、そーいうところを彼らが評価してくれたのか、いざという時にはあっしを下から支えてくれて、この時は本当に感謝したものです。
※ 権力を持った途端に威張り散らすという人間はどこにでもいるもの。
そして、その権力はその「地位」に付随したものということに気づかない。
ましてや、そこに私情を絡めて偉そうに振舞うというのは人間として最低だと思ってました。
して、あっしは、
上司には恵まれなかったが、部下には恵まれた
と思いましたねえ。
まあ、しかし、どなたでも苦しい時、困った時などに手を差し伸べてもらった、助けてもらったという経験があると思います。
して、その手を差し伸べる方、助ける方の気持ちはどうか、というと、
それは例えばの話、
こーいった運動を評価しないとは言いませんが、しかし、こーいう上からの(?)「やりなさい」的な規範に沿ってのものではないように思います。
むしろ、「自分がやりたいから、やる」という主体的なものではないか、と。
社会生物学、心理学では「利他行動」なんて言います。
どーして?
と言われても・・・、「ただ、やりたいからやる」としか言いようがない。
それで、相手が喜んでくれる、感謝してくれると自分も嬉しかったりする。
でも、最初からそれを求めていた、というわけでもない。
何というか、それこそ「もう、居ても立ってもいられなくて、ただ衝動的にやってしまう」ということが多いようです。
「折々の言葉」の鷲田清一センセは、そういう気持ちを大事にすべきだ、なーんて言ってましたねえ。
で、その当人がすっかりそんなことを忘れていた頃になって、その時、助けられた方が、
あの時のことは本当に感謝してます
なーんて言ってくれたりもする。
あるいは、今度は自分が苦しい時、困っている時、「あの時のお返しです」なーんて手を差し伸べてくれたりもする。
まあ、手を差し伸べる、助ける、援助するって時は、いろんな意味で余裕がある時でしょう。
人間、誰しも、余裕のある時とない時がある。
ならば、その時々で「余裕のある人」が「余裕のない人」を助ければいい。
これこそが、
困った時はお互い様
でしょう。
こういう人間関係を保っていれば、いざという時には困らない。
思うに、これって我々人間の「知恵」でしょう。
学校の授業なんかで教わるものではなく、我々が身近な社会の中で学んでゆくべきもの、だと思います。
そんな綺麗ごと(?)で、この生き馬の目を抜くような世知辛い世の中を生きてゆけるか?
なーんておっしゃる方がいるかもしれませんが、マクロにして長期的な視点に立つなら、やたらと喧嘩早いよりも、友好的な戦略の方が有効だと、「ゲーム理論」という応用数学・戦略的意思決定論は説きます。
商売の世界にあっては、「損して得取れ」なんて言葉がありますが、短期的に見れば損をするように思われても、長い目で見ればちゃーんと儲けが出る方法というものがあるようです。
それは例えば「信用」というものでしょう。
かつての高級料亭・吉兆(船場)や雪印など、それこそ短期的な、せこい利益にこだわった結果、ついには廃業や経営が傾くところまで追い込まれましたねえ。
一方に、たとえその時は損をしても「信用」という看板を汚さないならば、お客はちゃんと付いてきてくれるもの。
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「情け」という言葉には、実はいろんな意味があります。
その一つに、「男女の恋愛、情事、色ごと」なーんて意味もあるらしい。
ジョージ秋山が、小学館の漫画雑誌『ビックコミック・オリジナル』ん連載している『浮浪雲(はぐれぐも)』という作品の中で、
奥さんが自分の枕を持って、別室で寝ている旦那の元に行く時に、
「今夜こそ、お情けを頂戴しなきゃ」
なーんていうものがありましたねえ。
あっしは、思わず、「そーんなふうに言うんだ」と感心(?)してました。
して、この場合の「情けは人のためならず」とは・・・。
自分の為かい!?
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エッセイ
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ひょんなことからイギリスはリチャード・アダムスという方の『ウォータシップダウンのうさぎたち』という児童文学を知りました。
TVアニメ化されNHK・BSでも放映されていたようですが、あっしはアメリカのローレンス・ブロックの『八百万の死にざま』という探偵小説の中ににありました。
主人公は野うさぎでして、彼らは食べ物が豊富な理想郷とも言うべき場所にやって来ます。
そこでは人間達が彼らの食べる餌をふんだんに置いていってくれるから、少なくとも食べることの心配は全くない。
しかし、人間は時々そこで罠を仕掛け彼らを捕まえて食べてしまう。
つまりそこは・・・。
半飼育状態の養兎場(!?)だった。
興味深いのは、そこにいるうさぎたちは、そのことを知っております。
知ってはいますが、仲間内にあっては暗黙のうちにそのことに気がつかないふりをしているのだとか。
つまり、
利益 > 不利益
という図式からして、ここにいるうさぎたちはそのような運命を甘受しているともいえる。
つまるところ、自分達の誰かが犠牲(生贄)になるわけですが、しかし誰しもが少なくとも、それは自分ではないと思っている?
あるいは、確率的な問題として自分がそのような犠牲になる可能性は少ないと考えている?
食うに困らないという利益のためならば、多少の不利益(リスク)も覚悟しないとダメ?
いやー、なかなか深いですねえ。
自分だったらどしましょう?
例えばの話。
原発ですよ。いざ、事故でも起きればとんでもない大災害を引き起こします。
今でもまだまだその影響は残っております。
その一方で、どんどん他の原発が稼働していっておりますねえ。
そこに生活する方にとっては死活問題だそうです。
もっとも、今回の事故が起こった地域の方々にとってしても死活問題であったとされますから、どこでも同じなんでしょう。
然るに「今度は大丈夫」なんだそうです。
もっとも、今回の事故は「想定外」だったようですが・・・。
もし、次に事故が起こったら、やっぱり「想定外」と言うんでしょうねえ。
得られる利益 > 多少の(?)不利益(リスク)
でも、今回の事故、その多少のリスクを越えるだけの利益があったんでしょうか?
もう一つ例を。
モータリーぜーション。つまり「車社会」であります。
今やありとあらゆる領域において車のない生活など考えられないでしょう。
でも、その歴史ってたかだか百年くらいなんですけどねえ。
言うなれば、車があることを前提とした社会システムが作られているわけです。
然るに、そこには「多少の(?)リスク」が伴います。
とある統計資料によれば、人の一生において交通事故に遭う確率は53%。つまり約二人に一人は事故に遭う。逆に二人に一人は一生、事故と無縁ということになります。
かく言うあっしは事故に遭っておりますから、単純に言えば運が悪い人間の部類に入るんでしょう。
しかし、あっしの場合、それほど大した事故ではなかったのですが、中にはそれで一生を終えてしまう方だっているんでしょうねえ。
※ 確率的に言うのなら、あっしが再び事故に遭い、それこそそれで一生を終えてしまうことだってありうるわけです。
でも、まあ・・・。
あえて、そーいったリスクを考えないのなら車は便利なものですよ。
先にも書きましたように、今や車なしの社会なんて考えられないわけですよ。
だから、毎日のように出る交通事故者のことなんか、あえて気にしてられません。
まあ、運が悪かたんだね
・・・・・・・・と。
して、我々の多くは例えば神社なんかに行って、
交通安全祈願なんかをやるわけですよ。
と言うことは、先の確率から言うのなら「自分だけは事故に遭わない47%の人間になりたい」という願いなわけですねえ。
いや、それがエゴイスティックなもの、とか言っているんじゃありません。
だって、みながみなそう思っているんですからお互いさまででしょう。
そして、幸運にも事故に遭わなかった方は、あたかも事故に遭った方などいないように、車社会の恩恵を味わうわけですねえ。
少なくとも、自分は不幸な人間ではない、と。
でも、その幸福って・・・。
不幸な方がいるからこそ得られた幸福と言えなくもない。
あ・・・、そんなこと考えちゃダメ!
原発が支える、夢ある未来
さあ、この車で。彼女とドライブ
いっそ、あえて気がつかないでいることの幸せ。
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全国、いろんなところに行っておりますが、途中下車したり、あるいはただそこに行きたかっただけ終着駅などを降りて、時間の許す限り駅の周辺をブラブラと歩くのが好きです。
何度となく書いておりますが、地方の大きな都市に降りると、どこも都会風ですが、少し裏の小路などに入ると、いきなりその地方独特の風景が広がっていたりもします。
あるいは、まずもって観光客が訪れることもないようなド田舎の駅を降りて、そのあたりをブラブラしていると、いきなりタイムスリップしたような郷愁的風景に出くわすことも少なくありません。
新潟は、もう廃線になってしまいましたが蒲原鉄道に行った時、片田舎の無人駅に降りましたら、その一帯はたまたま朝市が行われており、むろん、例えば北陸は輪島の朝市のような有名なものではなく、それこそ地元の方しか知らないような小さなものでしたが、もんぺ姿のおばーちゃんが魚の一夜干しなんかを並べて売っておりました。
蒲原鉄道
片や近代化され、機械化されたコンビニに人々が集まる中、現代にあっても古くからあるこのような朝市が存続していること自体、
いっそ世界遺産登録にすべきでは
なーんて思いましたねえ。
現代はモータリゼーションが進み、多くの方が自動車で移動し、かつ生活も自動車なくしては考えらえないような生活を送っておりまして、これはむしろ地方の方が一般的でしょう。
※ 高齢化ということもありますし、住宅地の小さな商店街がなくなり、郊外のショッピングセンターに自動車で買い物に行くことが多い。
して、あっしも思ったのですが、こーいう、うなれば「点と点を結ぶ」生活行動というのは、そのプロセスなどどーでもいいものとして考える傾向にあります。
早い話が、目的地まで早く到着すればいいわけですよ。
鉄道で言えばリニア新幹線でして、これはもうっ車窓風景を眺めながらのんびり駅弁を食う、なーんてことを不可能にするような。
思うに座席でスマホの画面なんか見ながら、ゲームでもやりながら、ひたすら到着するのを待つ、というような・・・。
一方に、あっしのような乗り鉄は、あくまでそのプロセス、つまり車窓風景を見るのが楽しみで、いっそ目的地に到着することなんて二の次・・・、いや、いっそ永遠に着かなくてもいい、なーんて思ってます。
到着したらそれで終わりですから。
車窓から見えるのは、なにも美しい風景に限りません。むしろ、そんなものは僅かで、
どーってこともない人々の何げない生活風景
こそがほとんどでしょう。
その地域の学校や病院の看板、二階の窓から干されている布団、そして古びた農家と、その庭にある真新しい三輪車、自転車をこぐ高校生、住む人もいないような廃屋・・・。
それらのすべてに、関わった人々の人生がある
古びたアパートの窓から、そして高層マンションのベランダなどにも干された布団。
それこそ、その窓一つ一つにいろんな方々の生活があり、人生がある。
あっしの好きなフランス映画に『パリの空の下セーヌは流れる』というものがあるんですが、
そこに登場するのはパリに暮らす名もなき庶民達なんですねえ。
パリのその空の下で彼らが、日々の生活、人生の中で泣き笑い、そして生きてゆく。
どーってこともないストーリーが続くんですが、そのどれもがみないとおしく見える。
それぞれが、他人からすれば取るに足りないような些細なものかもしれないけれど、当人にすれはそれこそが自分たちのかけがいのない人生ドラマであるわけですよ。
なんというか・・、それを見ている我々は、いっそ天にいる神様のごとく、時にはハラハラドキドキしながら、時には「何やってんだ、おまい。それじゃ、だめだろう」なーんて声をかけたくもなってしまうも、それもできずに、ただ黙って見守るしかない。
ああ、こーやって、我々の人生も
時の流れの中に刻まれてゆくのだなー
なーんて思って見てました。
もし、仮にりに自分がそこにいたら、どーしたか?
なーんてことも考えたりもする。
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さて、あっしは今回、伊豆の下田の街を散策しましたが、この小さな漁港の街には、やはりそれなりの味わいがあります。小さな漁船が係留された岸壁、地元の方だけが利用するような古い食堂、あるいはそこにある様々な住宅・・・。
近くには観光ホテルもあり、例えば自家用車や観光バス、あるいは観光列車でやって来た方々は、そこに吸い込まれてゆくはずで、その途中の、例えば下田の、ごくありふれたような街なんぞに関心を示さないはずです。
何度も書きますように、あっしは全国を旅しておりますが、そのいずれの地においても、それぞれに独特の風情があるもので、それに浸ることこそを旅の味わいとしております。
そして、そーいう風情というのは、例えば観光ガイドブックとか、あるいはいわゆる「観光ツアー」では、まずもって味わえないものなんですねえ。
例えばの話、この伊豆であったら、旅行会社がセッティングした、それこそ観光ガイドブックに載っているいるような景色を見るべくの場所にしか行かないわけです。
それこそ、「点から点への移動」で終わる。
それで、そのツアーの客は帰ってから「伊豆に旅行してきた」なーんて言うわけですよ。
そして、その感想を聞かれて、これまたありきたりの答えを言うわけですねえ。
それじゃつまらねえー!
と、あっし個人は思っております。
(※ それで十分楽しい、というのならそれはそれで構いません。あっし自身の価値観をごり押しするつもりはありません)
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して、話はここから本題(?)なのですが、
そーいや、あっし自身の今住んでいる場所にあっても、考えてみれば必要としている場所にしか行かない、ましてその大半が車で移動しているなー、と思い至りまして、秋風に誘われてぶらりと散歩に出てみましたら・・・・・・・。
あっしは、これまで何度かいろんな地にも住んだことがありますが、今は生まれた実家のある、ごく近くに居を構えておりまして、ゆえにその地域はガキの頃からよく知っていると思い込んでおりましたが・・・、
ちょっと、いつもとは違う、それでも車でなら通ったことのある道の裏道、それも人しか通れないような小路や小道を、適当に歩いておったんですが・・・・・、
こんな所があったのか?
という、もう驚天動地的な発見に、思わず感動してしまいました、はい。
あっしの住んでいる街中を、小さな川が流れているんですが、そしてそんな川のことなんぞは、今日の今日まで、さして気にも留めなかったんですが、なんとこの川沿いにはうっそうとした木の生い茂る遊歩道(?)があったんですねえ。
いやー、〜十年この近くに住んでいて
全く知らなかった、気がつかなかった!
あっしの住む地域は古くから住宅地ですが、言うまでもなく古い家と、新しい家が混在し、その新旧のコントラストがチグハグしているような所なんですが、それでも、この川沿いは、昔からの古ーい家屋が続き、もう独特の味わいがありまして、それこそ、こーいった風情を売り物にしているような日本各地の観光地にも引けを取らない・・・、といったら大げさかもしれませんが、あっし自身もちょっと驚きましたねえ。
※ たとえて言えば、盛岡や松江、金沢といった風情です。さすがに京都、とまではゆきませんが・・・。
でも、思うに、こーいったことは、あっしの住んでいる場所に限らず、あっしの住んでいる所と似たような地域ならどこにでもあるのではないか、と思います。
全国を旅する鉄ちゃんは、こーいう風景を探しているんですが、意外にも、あっしの住んでいる身近な場所にも、実はそーいう場所があったというのは、もはや驚きでした。
「住めば都」と言いまして、それがどんな場所であれ、味わいのある生活風景があると思います。
もし、その地に居を構え、そこをそれこそ「終の棲家」とするのであれば、その住んでいる周辺をくまなく歩いてみることをお勧めします。
案外、あっしとおなじような意外な発見があり、そしてその街がもっと、もっと好きになると思います。
そして、出来ればその地に古くから伝わる文化を掘り起こしてみるのもいいかもしれない。
例えば、その地にあるお寺や神社の歴史を調べたり・・・。
まずもって、お寺や神社がある街というのは必ず歴史があるはずです。
葬儀だの、ご利益、パワースポットなんてことではなく、それが作られたことの意味を考えてみると面白いかもしれないです。
※ よくある稲荷神社なんて、これ農業の神様ですからねえ。
こーして、あっしはまたぶらりと、どこかへ行きたくなりました。むろん、鉄道を使います。そのプロセスも大切にします。
それこそ、日本のどこかに、いやどこにでも、新しい、それこそ新鮮な発見と驚きが待っているはずです。
きれーなおねーさんは・・・・・・・。
ねずみ男さん、待ってたのよー!
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待ってはいないと思います。
たぶん・・・。
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TBS系で放映されていた「ホムカミ 〜ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り〜」のネパール人が主人公の動画がよかったですねえ。
この方、優秀な方で奨学金をもらって日本の大学に留学、さらには東京大学の大学院にまで進み、故郷の村に学校を建てるべく日本でNPOを立ち上げたとか。
ネパールと言って思い付くのは、ヒマラヤ山脈ぐらいですが。
その、まさに山岳地帯に建てられた掘立小屋のような所で学んでいる子どもたちの顔がいい!
年齢に関係なく初期教育を受けている。
十分な教育も受けられない彼らの多くは、長じて海外に出稼ぎに行くも、過酷で危険な労働条件の元で働かざるを得ない。
そんな彼らに、ちゃんとした教育をと。
人は石垣、人は城。国だって同じ
国家作りにあっては、まず教育。
先見の明のある為政者は、未来のために教育に先行投資してきた。これは、かつての日本もまた同じであったはずです。
ここにいる子ども達も、みな学ぶことの大切さを子ども心にも理解しているようで、何よりもその目が輝いているようにも見えます。
学ぶことによって世界が変わる
女に教育なんて必要ない
なーんて言っていた、その村の、とある父親も、その娘が、なんとその学校にやって来て「自分もここで勉強したい」と懇願したことを知り、態度を変える。
その時の、少女の嬉しそうな顔。
将来は先生(教師)になりたい、とか。
その真摯な姿に、あっしはもうダメでしたねえ。
今の日本の子どもなんて、当たり前のように教育(義務教育)が受けられますが、でもこれって日本が近代化していった時の産物なんですよねえ。
誰でも教育を受けさせなければいけない、なんて国が決めても、当初はそれこそ、そんなものはいらないなんて言っていた親もいたと言います。
貧しい農家なんかにあっては、こどもだって立派な働き手だった?
それからもう百年以上が過ぎてますが、もはや教育を受けられる権利が当たり前になり過ぎてしまって、ありがたみがないというか・・・。
パソコンやスマホなどの電子機器に始まり、快適な学習環境に、望めばさらに高度な専門教育だって受けられます。
まして、その学習に対する態度だって、このネパールの貧しい村の子ども達のものとはずいぶん違うような。
今も、こんな言葉があるかどうか知りませんが「ハングリー精神」の違いでしょう。
彼らも、今はこんなに貧しくても、教育を受けてもっともっと世界を広く知ることができるようになり、専門教育も受けられるようになれば・・・。
世界が変わる、世界が広がる!
未来は君達が変えてゆく!
一方、日本の使わなくなったランドセルをアフガニスタンの貧しい村に贈る、なんて運動もあるようですが、
やはり、動画で見たんですが、子供たちの嬉しそうな顔がすっごくよかった!
とある、女の子は、ランドセルをもらったその日、大事に抱えて眠ったとか。
そんな彼女は頑張って医師になるべく勉強している、なんて後日譚を知るに、こちらまで嬉しくなります。
こういう地味な、それも民間の援助で心から喜んでくれる人々がいるってこと。
多くの、名もなき人々の善意が新しい未来を作る人々の支えになる。
それで、「ニッポンのみなさん、ありがとう!」なんて言われるとねえ。
いやー、照れるなー・・・
って、おめーは何もしてねーだろ!
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おーし、あっしも!
ネパールやアフガニスタンに行って、不肖、このねずみ男が講師となって・・・。
− 人生、いかに生きるか ・ 講師 ねずみ男師 −
長いものには巻かれろ 触らぬ神に祟りなし
渡る世間は鬼ばかり 人を見たら悪人と思え
女心と秋の空 ちょっと待て その一言で慰謝料に
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えっ、来なくていい、って・・・!?
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本日、北陸新幹線が開通であります。
巷やマスメディアはこぞってこのニュースに沸いております。
なんて話から、いきなり、何度か書いておりますが、中学の国語の教科書に、
新刊を読むより古典を読め!
なんてことを言っていた方の評論がありまして、あっしは強い印象を受けたのであります。
例えばの話、村上春樹なんかの新しい本が出ますと、マスメディアはこぞって一大キャンペーンを張るわけですねえ。本屋なんかでも店頭に大量陳列しております。
で、普段、本なんか読まないような方がこれを買って、
だって、ベストセラー作家の本でしょ
なーんて、たわけたことをのたまうのであります。
言うなれば、そのノーベル文学賞候補にも挙がったような作家の本を読む・・・、というよりは手にすること自体にその欲求というか、目的がシフトしてしまっているような気もします。
昔、あっしは仕事の絡みで、とある有名作家のサイン会に立ちあったことがあるんですが、その著書にサインをもらって嬉しそうなおばちゃんに、
この人、有名らしいけど、どういう方?
・・・・・・・・・・・おい!
まして、いくらベストセラー作家とは言え、その新作がいずれも優れた作品、ということはないと思います。
その作品の評価は、あえて言えば長い時間をかけて次第にかたまってゆくのではないか、と。
世にあっては不朽の名作とされる作品、芸術においても、当初はボロクソなんてものも少なくない。
場合によっては作者が亡くなってから評価が出る、なんてものもあります。
マネ 「オランピア」
若き娼婦をモデルとしたとされる、この作品も当初は「品がない!」とボロクソだったとか。
新しい美の形が、最初から評価されるというわけではない?
話を戻しましょう。
先にご紹介した俳優の六角精児はあっしと同じ乗り鉄だそうですが、
時間をお金で買うのが新幹線の旅
じっくり時間をかけて過程を味わうローカル線の旅
なんてことを言っておりまして、あっしもこれに深く共感するものであります。
よく、青春18きっぷなどを使って、全てを普通(鈍行)列車で旅することこそが旅の醍醐味、なんてことを言う方もおりますが、
今や、新幹線網が大きく拡大し、そのあおりを受けて、かつての主要幹線はその大半が第三セクターなどのローカル地方鉄道となっており、例えば東京から金沢まで長野経由でJRを使って、青春18きっぷを使って行くなどというのは不可能なのであります。(※ 名古屋、米原経由なら可能)
むしろ、そこは割り切って、移動に効率的な新幹線を上手く使って、目的とするローカル線の旅を満喫する、というのが、六角さんや、あっしのスタンスであります。
して、その場合においても、内容が全く違うのであります。
あっしなんぞも、新幹線に乗った場合、車窓なんかほとんど気にもとめません。
とにかく目的地まで快適な旅を約束してくれればいい、と思っております。
一方に、ローカル線にあってはのーんびり、ゆったりと走る列車の車窓から、思う存分の景色を堪能しております。
名松線(紀勢本線・松坂−伊勢奥津)
この、紀州は熊野の裾野まで至る盲腸線(行き止まり)の周辺には、取り立てて名勝、観光地があるわけではありませんが、むしろそこに素朴な日本の正しい(?)ローカル線風景が広がっておりまして、あっしは好きですねえ。
むろん、興味のない方、関心のない方にとっては退屈極まりない田舎路線でしょうが。
まして、よっぽどの必要でもない限り、多くの方には一生縁のない路線でしょう。
普通と特急では、そもそもその目的が異なると思います。
しかし、多くの方々はただ「速い方がよい」とする傾向にあるのではないか、と思います。
無論、それを優先する場合もあるでしょう。
しかし、ただ単に「速い方がいい」という価値観はどうでしょうか?
熟した果実は、早く落ちる?
早く大人になりたかった少年たちが起こした交通事故?
北陸新幹線開通で言えば、あっしは今回開通した、長野から金沢まで、旧来の路線を乗ったことがあります。全て普通(鈍行)でした。
乗客もほとんどいない、のどかなローカル線の旅で、北陸時に入ると日本海や、遠く見える黒部山系が美しかったことを覚えております。
芭蕉も通ったとされる、奇勝・親不知子知らず付近の車窓は見事なものでした。
知る人ぞ知る、トンネルの中の駅・筒石
ここで、途中下車するのは乗り鉄ぐらいでしょうねえ。
よく言われるように、
何かを得れば、何かを失う
ように思います。
利便性、快適さを得たことによって失ったこと。
我々は次第にそれを忘れて言ってしまうのではないのか?
そして、ついにはその失ったことを求めることが逆に贅沢なことになっていたりもします。
今日、あっしが北陸路で体験したようなことを求めるには、それこそ高い金をかけて新幹線を使ってゆくしかないわけですよ。(※ 途中JRバスを使えば[ 横川 − 軽井沢 ]、東京から乗り継いで行くこともな可能です)
かつては「普通」であったことが今では「贅沢」?
あるいは考え方を変えるなら、何気なく自分が「普通」というものこそは、実は「贅沢」なことということだってあるかもしれないです。
特急に乗ったら、まず見えないような車窓風景が見える。車内には方言が飛び交い、旅人はそこに旅愁を感じますねえ。
時にはもんぺ姿のおばあさんが籠を担いで乗りこんできたり、現代風の女子校生に見えても、方言丸出しの彼女らの会話には、その地域に住む人々の生活の匂いがあると思います。
島原鉄道
就職決まったか?
農協だー
国木田独歩の短編に「忘れえぬ人々」なんてものがあるんですが、
その中には、取るに足りないというか、ごくありきたりの平凡な日常世界に生きる人々がポツン、ぽつんと登場します。
瀬戸内海で漁をする人とか
それこそ、彼が旅をしたからこそ実際に見ることの出来た、それこそごく普通の日常世界の、それでいて自分の知らなかった生活世界に生きる人びとがいる。
マスメディアに派手に登場するような方ではない。
ごく普通に、平凡に生きる日本人。
くそ忙しい都市生活空間にあったならば、まずもって思いもよらないような、ゆったりと流れる時間があり、生活世界がある。
もしかしたら、そのような、それこそ普通の、平凡な生活こそ尊いものであったのではないかとすら思います。
みな、忙しそうにどこへ向かうのか?
何が大事なことで、何がそうでないことを知ることができるようになった時には、
私の人生が終わりかけている
なんていう詩がありましたねえ。
※ 「自分にとって、誰が大切な友人か、そうでないかを知るようになった時には」なんてことも書いてありましたねえ。
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思うに、あっし自身も、少し前までは、
失ったものが多すぎる!
失敗や恥ばっかりの人生
なんて思うことがしばしばでしたが、でも考えてみればその代わりに、いっそその代償として得たものも少なくなかったのかな、と思うようになりました。これは逆の発想ですねえ。
皮肉な運命としか言えないようなものもありましたが、それもまた人生に芳醇な味わいを加える一要素だったのか、と。
NHK「マッサン」で一躍脚光を浴びたニッカ・ウィスキーですが、
ウィスキー党のあっし自身は、悪いんですが、ニッカはどうもねえ・・・。
個人的には、サントリーの角が好きです。
あえて言えば、ニッカは玄人好みでしょう。(クセが強い?)
あっしは、どっちかつーと淡白系ですから。
ねずみ男さん。尿に淡白出てます。再検査です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
健康って普通ってことだろ。普通はいいよな!普通でいたい!!
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