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山梨県バレーボール 本県初の関東高校大会
【『山梨県バレーボール協会史』(昭和編) 平成3年発行 山梨県バレーボール協会】
関東地区1都7県の代表チームによる関東高等学校バレーボール選手権大会は、第1回大会を昭和22年(1947)6月東京都で男女共に開催した。第4同大会(昭25)からは男女別に関東各部県を巡回して開催されるようになった。「関東を制するものは日本を制す]
とはこの頃の言葉であろうか、真にその通り初期の関東高校大会は質的に充実しており、その実績を挙げたものである)大正時代(昭和まで)関東地区のチームである男子の指南端(神)・藤沢高(神)横須賀高(神)・中大杉並高(東)、女子の中村高(東)・久万高(埼)等は、全国高校大会や国体で優勝又は準優勝の栄冠に輝いている。
本県では、昭和27年(1952)県営総合運動場(現縁ケ丘スポーツ公園)の建設が始められた。今まで施設の関係から関東各都県持ち回りで開催されていた高等学校の種目別大会も実施出来ない状態であったが、ようやく開催も可能になった。
総合運動場建設の中で一番先きに整地が終ったテニスコートを会場に、昭和30年(1955)5月第9回関東高等学校バレーボール女子選手権大会が開催された。これが本県で開催した初の関東高校大会である。当時女子選手は白半袖のユニホームにブルーマ姿であった。
本県初の大会で参加50チームという規模であり、大会経費の捻出、宿舎の確保、審判員の育成、補助員の訓練、練習会場等々協会役目は準備から運営へと大変な苦労があったと思われる。その後本県でも各都県同様、4年ごとに男・女交互に開催するように成った。
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