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山梨県バレーボール 6人制バレーボールの普及
【『山梨県バレーボール協会史』(昭和編) 平成3年発行 山梨県バレーボール協会】
オリンピック東京大会の正式種目にバレーボールの採用が決定し、国内に6人判バレーボールが急にクローズアップされた。これより先き、昭和30年アジア大会で6大人制が実施され、日本チームも参加している。しかし、当時は限られた日本代表の選手が実施したに過ぎなかった。これまで日本国内では9人制だけが実施されており、6人制の採用は日本バレーボール界に大変革の大波となって押しよせた感がある。
山梨県バレーボール 6人制バレーボールの採用
【『山梨県バレーボール協会史』(昭和編) 平成3年発行 山梨県バレーボール協会】
オリンピックを前にして日本バレーボール協会は6人制の国内普及と選手の育成強化か必然的に起り「国内大会に9人制は存続するが、6人制を重視し実施する。」こととし、昭和33年(1958)11月の全目本総合選手権大会(東京)では、6人制も実施した。以後9・6人制の両方を行って来ている。なお、全日本実業団選手権大会は昭和34年(1959)から、全日本大学選手権大会(昭37)、全日本都市対抗選抜優勝大会(昭37)、全日本教員選手権大会(昭38)、全日本高校選手権大会(昭38)など、国内の主要大会は6人制で実施するようになった。
本県でも、時流に沿って当然6人制バレーボールの実施に踏み込んで行った。昭和33年の総合選手権大会には、6人制を勉強する意味で協会役員がチームを編成して参加した。勿諭惨敗ではあったが6人制県内普及の原点として大きく役立ったものである。その後、国内の主要大会に6人制が採用されるに及び当然県内大会にも波及し、県内各チームもその多くから6人制に移行していった。
県協会では、6人制実施にともない日本バレーボール協会から指導者を招聘して技術講習会や研修会を度々開催してその向上に努めた。しかし戸惑いも多くあった。ローテーションによるアウトオブポジションの監視に審判員手製の回転板の登場など笑えぬエピソードもあった。
昭和38年0963)6月甲府市で開催した関東高校大会では6人制・9人制を併せて実施した。関東高校初の6人制大会であるが、以後は6人制のみで行っている。こうして高校チームは6人制に切り換えられ、9人制は影をひそめたのである。
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