山梨県バレーボール界を支えた上原先生生涯記録編集室

山梨県バレーボール協会を支え、関東小学生バレーボール連盟を発足させ、中学界に金字塔を打ち立てた先生

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記念誌「双江」発刊にあたって
            記念誌「双江」平成十一年発刊
発刊委員会代表  上原喜隆
【双江会】
昭和十四年四月七日に京城師範学校の普通科一年に入学、または昭和二十年八月十五日に本科二年に在学していた同期生の会である。(「双江」)
【上原先生】
 一九九九年初春の朝日に、南アルプスの新雪が輝き、孫娘との初詣での霜柱を踏む音が、静寂な鎮守の森の冷気の中にとけ込んで行く様な錯覚を感じてくる。心静かに社前に額ずき柏手を打つと、不思議に新しき年を迎えた心の新鮮さと、老骨ながらも全身に言い知れない新たな力の漲るのを覚えてくる。
 振り返って見ると、「人生五十年」の喩えはとうに過ぎ去り、竹馬の友とも櫛の歯の抜ける様に、すでに数名の者が幽明の境を異にした。この先いく度この社に額ずく機会があろうかと思うとともに、七十余年の人生がなつかしく、特
に、青春の血潮をたぎらせた「サボン」時代には、格別の郷愁を感じてくる。そのサボンに別離を告げてからすでに五十四年の歳月が流れ、時はまさに新しい二十一世紀へ入らんとしているが、大正、昭和とめまぐるしい世相の変化の中で、国敗れ、すべてを失い、着のみ、着のままで見知らぬ土地へ引き揚げ、再起へ全力を傾注し努力し今日を迎えた者、また折角の自由を勝ち取り、新生の国づくりに大きな希望を以て踏み出しながらも、不幸な南北の動乱の中で青年期を過ごさねばならなかった者等、それぞれに多少の違いはあっても、我々の人生は幾多の辛酸を味わい、苦汁の連続であったと思う。しかしながら、この様な中を生き抜いて現在あるその強さは「三つ子の魂、百まで」の諺どおり、最も多感なサボン時代に培われた京師スピリットがあったからではなかろうか。それだけにサボンヘの思い出も一層強いものを感じる。このたび、そのサボンに学び喜びも悲しみも共にした旧友が、昔を偲び色々な思いを託した会誌の発刊を企画したことは誠に喜ばしく、相互に級友の生きざまを知り、昔の絆を更に深める上においても意義あることと思う。
 また、この企画については,以前に安藤隆弘君の大変なご苦労により「師道巌」が作成され関係各位に配布された経緯もあったが、この刊行に最も意欲的な高橋活博君のものが横浜大会で提案された。両君をはじめ、栗崎・岡・青木・高津君らと各ブロック委員の積極的な編集、ご協力に対して、心から感謝中し上げるとともに、七十歳をこえ記憶力の減退が目立って来た私たちだけに、この刊行は私たち人生の最後の一大集成になることではなかろうかと思うと、この発刊の成功を心から願ってやまない。
京城師範学校の沿革
大正十年
四月十九日
 二月二十二日に官立京城師範学校開校準備に関する事務取扱を嘱託されていた、平壌中学校の赤木萬二郎校長が、この日、学校長に任ぜられる。斎藤朝鮮総督が初代学校長を厳選し、当時平壌で教育成果を上げていた広島高師出身の赤木校長を抜擢したのである。
五月  五日
 京城師範演習科生徒(三十一名)と臨時教員養成所生徒の授業を京城中学校内仮教室で開始する。以後この日を以て『開校記念日』とする。
五月 二四日
 京城師範普通科生徒(八十六名)の授業を旧崇政殿(当時 曹谿寺本堂)内の仮教室で開始する。
六月  五日
 本校及び付属単級小学校の授業開始式を兼ね入学式・宣書式を行う。この式において赤本学校長は「大愛至醇の校風樹立」につき熱烈に訓話されている。
九月 三〇日
 七月十四日起工した黄金町五丁目訓練院の新築校舎(寄宿舎三棟)に京城中学校仮校舎より移転する。
十一月 七日
 習科生徒教育演習を日出・鐘路・南大門・西大門・東大門・桜井∴二坂・元町・龍山の各小学校で開始する。
大正十一年
三月二十五日
 本校演習科、教員養成所の卒業者八十九名の卒業式を挙行し、斎藤総督も臨場して告辞される。
四月 一日
 京城師範学校の演習科生徒(百三十六名)及び普通科生徒(八十六名)の入学を許可する。
 四月 六日
新設の付属小学校開校式を南山町の元第二高等女学校仮校舎で行い児童(六学級二百十二名)の入学を許可する。
四月 八日
附属普通学校児童(百名)の入学式を行う。
五月五日
開校記念日に当たり、演習科・普通科生徒の宣誓式を行う。以下、入学式、卒業式等の年月日を割愛する。
大正十二年
六月一日
前年の八月一日に起工した新築本校本館(煉瓦造り二階建て)が落成し、移転式を行う。
十月一日
初めて「勧学の歌」(天そそり)を制定する。
大正十三年
九月一日
前年の十月十九日に起工した附属小学校本館建築が落成し、新校舎で授業を開始する。
十月 六日
五月十五日に起工した博物教室が落成する。
大正十四年 
四月一日
新たに女子演習科(六十九名)と男子講習科(百二十三名)が設置される。
昭和二年 
五月二十五日
本校校友会を「酢和会」と命名し、五月十五日に竣工した校友会館を「酢和会館」と改称する。
十月  五日
六月二十日に起工した生徒控所が落成し「演習堂」と命名する。
昭和四年 
四月一日
 「朝鮮の教育研究」を初めて月刊として刊行する。
十月二日
京城師範学校の校旗制定式を行う。
昭和五年
一月八日
赤氷菓二郎初代学校長が依願本官を免ぜられる。
一月三十日
一月十六日に学校長に任じられた渡遼信治新潟師範学校長が、この日着任される。渡遼学校長は温和な人柄だが、昭和三年に欧米の教育を視察され世界的視野に立って日本の教育を考えておられた。
三月
 手工教室の建築が竣工する。
昭和六年 
五月十日
創立十周年記念式・赤木前学校長記念碑除幕式を挙行。清渓川沿いに水泳プールの建設が竣工する。
六月 十五日
本校最初の企てとして演習科生を、素砂、政山、軍浦場、西井里の普通学校に委託して農村実習を開始。
十月二十八日
七月三十一日に起工の音楽教室、理科教室が落成する。
昭和八年
二月
農業教育の徹底を期するため、実習地を「嘉島面」に移転拡張する。農場総坪教一万五千二百七十六坪。
四月  十日
 演習科の修業年限が二年に延長となる。
九月二十四日
六月四日に起工した本館二階建て四教室増築と寄宿舎渡廊下が落成する。桐花寮は炊事棟一、宿金棟三で木造二階建て、舎監十名、寮生凡そ五百名。
十月三十一日
 手工教室を増築する。
昭和九年
六月
本校前道路拡張のため門衛詰所を移転改築し、表門通りの水柱聯を鉄柱聯に改造する。
十月二十六日
 官立京城女子師範学校が新設される。京城師範女子演習科は四月一日に新設校へ移管される。
昭和十一年 
五月二十七日
前年の八月十日に起工した附属普通学校の校舎が、本校地内に落成する。
昭和十二年
五月十七日
附属小学校運動場と本校校地五百五十坪を拡張する。
十月十九日
 六月一日に起工した本校校舎別館が落成する。
昭和十三年
四月一日
京城師範学校の附属小学校を附属第一小学校、附属普通学校を附属第二小学校と改称する。

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