「戦争」という言葉の耐えられない軽さ 丸山議員 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。元島民の大塚小弥太団長89歳きっぱり拒絶。しかし戦争を知っている先輩に丸山は詰め寄る。
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<シェア歓迎> 共同通信佐々木さんの記事。ご一読を。元日本維新の丸山穂高議員の件、「呆れてものも言えない」ではなく「言わねばならない」何度でも。 これから戦争体験者はどんどん減っていく。言葉はどんどん軽くなっていく。学び続けるしかないです。 丸山穂高議員は、もうすぐ2年前になる 共謀罪を巡る2017年5月19日の衆院法務委員会で、 「委員長、もういいでしょう。30時間以上議論してきた、これ以上は意味がない」、といきなり採決を切り出した議員でもありますね。 〜〜 一部抜粋 きっぱりとした拒絶 やりとりを読み、丸山議員の使う「戦争」という言葉があまりにも軽いことに驚かされた。丸山議員は35歳、これに対して団長は89歳だから、74年前の敗戦時は14歳か15歳ということになる。生身であの戦争を経験し、あの戦争によって故郷を奪われた人だ。政治家のこの軽薄さに直面しても、態度は揺らがない。 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。きっぱりと拒絶した。自らの生まれ育った土地を取り戻すためであっても、武力は絶対に行使してはならないと骨身にしみていたのだろう。 北方領土へのビザなし交流訪問団に同行した丸山穂高衆院議員(35)が、元島民の大塚小弥太団長(89)に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と迫ったと報じられた。実際のやりとりは次のようだった。 丸山氏「団長は戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか、反対ですか」 団長「戦争で?」 丸山氏「ロシアが混乱しているときに取り返すのはオッケーですか」 団長「いや、戦争なんて言葉は使いたくないです。使いたくない」 丸山氏「でも取り返せないですよね」 団長「いや、戦争はすべきではない」 丸山氏「戦争しないとどうしようもなくないですか」 団長「いや、戦争は必要ないです」 ▽きっぱりとした拒絶 やりとりを読み、丸山議員の使う「戦争」という言葉があまりにも軽いことに驚かされた。丸山議員は35歳、これに対して団長は89歳だから、74年前の敗戦時は14歳か15歳ということになる。生身であの戦争を経験し、あの戦争によって故郷を奪われた人だ。政治家のこの軽薄さに直面しても、態度は揺らがない。 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。きっぱりと拒絶した。自らの生まれ育った土地を取り戻すためであっても、武力は絶対に行使してはならないと骨身にしみていたのだろう。 戦争になれば多くの人が傷つき、大量の血が流れ、おびただしい命が失われる。その一人はわたし自身かもしれない。わたしの大切な人かもしれない。わたしが兵士であれば、誰かの命を奪わなければならない。相手にも大切な人がいるだろう。 安易に戦争を持ち出す丸山議員は、政治家にとって必須な、戦争の現実といったものに対する具体的な知識がないのではないか。あるいは、人としての思いやりや想像力といったものを決定的に欠いているのではないか。憲法に対する無理解より、そちらの方が気になった。 大塚団長と丸山議員の中間ぐらいの世代に当たるわたしも、戦争の直接経験はない。昨年、知人に勧められ、山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読んだ。後に作家になる人の筆力は、読者を戦時下にタイムスリップさせるのに十分だった。その優れた記録は内省的でもあって、悲惨だが希望を失わない庶民の日常や心のありようを、読んでいる間だけでも、追体験させてくれた。 敗戦の年、1945年の1月1日から同12月31日までの日記をそのまま採録している。山田は当時23歳。医学生だったので徴兵を免れ、軍医になるべく東京で学んでいる。 ▽隅田川も燃えていた 1月1日「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」と書きだす。戦争はきれいごとではない。敗北に向かう過程では、命や物資だけでなく、労働力も、清潔な環境も失われていく。例えば1月17日。 「肥運搬人来らず、家多く糞壺より溢る。わが宅にても溢れて汲出口より塀に至るまで、尿と糞ながれて湿潤す。もちろん汚し(略)穴を掘らんか、三坪の庭、その庭せまきまですでに防空壕を掘りてあるを如何せん」 3月10日の東京大空襲の記録を引く。ただし、彼自身は壊滅的な打撃を受けた下町でなく、目黒に住んでいた。「東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり」 翌日、下谷で焼け出された「加藤さん」の話を聞く。 ―炎に照らされて、発狂したような声をあげて日本刀をふりまわして、空のB29を斬ろうとしていた青年があるという。消防隊の人々は、炎の方へホースをむけたまま、全員生不動のように燃えていたという。(略)疎開の空地には、何万人という避難民がのたうち回って、火の海の熱気に泣き叫んでいた。水はどこにもなかった。運び出してきた荷物に火がついて、そばの人に移った。人々はその人をつかまえて、炎の中につきとばした 略)黒焦げになった屍体が、いたるところに夏の日のトカゲみたいに転がっていた。真っ黒に焼けた母親のからだの下で、赤ん坊も真っ黒に焼けていた。加藤さんたちは、なんどもそれらの屍体につまづいたり、踏んだり、転んだりした。火の潮に追われて、人々は隅田川に飛び込んだ。しかし隅田川も燃えていた。吹きつける火の雨に船は焼け、水は煮えていた。無数の人々がそこでも死んだ。屍体は今なおマグロのように無数に浮かんでいるという― ▽虚脱せる魂抱く 敗戦を経てその年の終わり、12月31日の日記に山田はこう記す。「日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず」。あまりも大きな価値の逆転が、青年の胸を虚無で満たしている。 地上戦となった沖縄、原爆が投下された広島・長崎、南方戦線の激戦と飢餓、満州の建国と敗走…。それぞれに記録や映像が残され、文学や絵で描かれ、博物資料も多数存在する。もちろんそこには、加害の歴史も厳然として存在する。 戦争を生きるとはどういうことか。丸山議員に問われるまでもなく、わたしたちもまた、こうした表現・資料に触れて過去を深く知り、それでも戦争を選ぶのかという問いを自らに突きつけなければならない。戦争ができる国への回帰が進む今こそ。(47NEWS編集部・共同通信編集委員佐々木央)
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