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今回の国後島での案件につき、あの場での不適切性や元島民の皆さまへの配慮を欠いていたことについて、重ねて謝罪申し上げます。
ただ、本件での各言動においては、これまでの議員辞職勧告決議などの先例と比べてもそれ相当の刑事事件や違法行為があった訳ではありません。
○無かった訳でもあるまい?また、自分の「はかり」がその程度の目盛りと言うことで、だれが測っても、問題ない目盛りということじゃない。
またいわゆる、戦争関連の発言に対して平和主義を掲げる憲法への違反行為であるというのも無理があります。具体的行動ではなく懇親会での会話をもって直ちに憲法9条や99条違反だというのは飛躍しすぎており、憲法違反であるとも到底言えないものです。
○無理がないだろうか?「永久にこれを放棄する」はずのものを、ことばだけだ。と、逆に肯定することは、放棄しないことでは無いのか?
行動してない?会話だけ? 酒に溺れて、「記憶が無い」ことは、「無罪」判決にはならない。証人も居、証言もあり、証拠の数々もある。これらが、具体的行動出なくして、何を言うのだ?まさか、その場で「鉄砲もって突撃しなけりゃ」具体的な行動とされないわけではあるまい。決して、飛躍とはならない。 私の当日の言動が不適切であり配慮を欠くものであることは間違いありませんが、刑事事件における有罪判決相当でもない本件のような言動にて議員辞職勧告決議がなされたことは憲政史上、一度もありません。またけん責決議についても、過去のいかなる不適切な言動についても行われたことがないものです。本件に対して何かしらの対応がなされるというのは、院において長年積み重ねてきた基準や先例から明らかに逸脱するものです。
○不適切、配慮を欠く。ことが自覚できるのならば、それが、大きかれ、小さかれ、「有罪」であり、決して「無罪」ではない。そこにあるのは、罪の重さ、判決としての罰の重さだけで、「罪」の本質は変わりはしない。
辞職勧告が決議されたことがない。ただ、前例として無いに過ぎない。あなたが前例として、後代の人々に語られ告げられるに過ぎない。ここでの前例は、それが否定される理由とはなり得ないし、過去のいかなる不適切な言動にもまさっていると言わざるを得ない。 ただ単に「不適切なことば」「不適切な行動」に終わらず、それに不埒としか言いようのない醜態をさらした事実を加算されるものとすれば、その「許されざる」ことは、明白と言わざるを得ない。 加えて昨今でも、同僚議員各位における違法行為の疑いのある具体的行動についての報道、不適切で品位を損ねる院外での言動なども見受けられますが、これら他には何らの決議や聴取などのご対応もない中、要件を満たさぬ本件に対してのみ院として何かしら対応をなされるというのは公平性を欠くものと考えます。
○ここで言うことは、小児のごとく、「僕だけじゃない。アベちゃんだって、中川のお兄ちゃんだって、やってるじゃない!」という、幼稚極まり無い、詭弁にもならない「言い逃れ」に過ぎない。少なくとも「弁明文書」として公に発表される文書にてこのような幼稚な「弁明ならぬいいわけ」をもって、国の立法機関の一員をなす資格は皆無と言わざるを得ないだろう。
決議案採決やその他何らかの対応をなされるというのであればそれはいかなる基準や要件に基づくものでしょうか。国権の最高機関である国会自体がいわゆる「空気感」をもって、これまでの基準や先例を逸脱した曖昧さで有権者の付託を受けた議員の身分などに関する何かしらの処分や決議がなされるのであれば、それこそ憲法上の疑義が生じる事態や、この令和の時代に多数者がルール・前例無しに人民裁判的な決定を行う言論府となることが危惧される事態でもあります。国会は裁判所ではありませんし、ましてや人民法廷でもないはずです。これまでの基準や先例相当に照らせば、本件における議員の出処進退はその議員自身が判断すべきことであり、報道も多数なされている中、最終的には選挙での有権者のご判断によるべきものかと存じます。上記の理由から、本件について院より何かしらの処分や決議を頂くことについては適当ではないと考える次第です。
○いかなる基準や要件・・・という成文化されたものが提示されないことが、その基準を必要としてないわけではない。本来はそれを成文化する必要が無い最低限の基準であり、それを、あえて議論の対象とする必要が無い、当然備うるべき要件である。
言い換えるならば、ここで弁明のために用いられることば一つ一つの軽さを感じ得ない。すべて、それを語る以前に語るべき土台のない、空虚なものとしか聞こえてこない。 何かを語り、それの重みを増すための人間として最低限の人間性・資質・言動 それらが必要であろう。それを持ち合わせない者に、本人がいみじくも語る「国権の最高機関である国会」の一員たる資格があるものか、否か?他人に意見されるまでもなく、だれの意見を聞くまでもなく、明白なことであろう。 あの場での不適切性や配慮の無さについて会見などで謝罪と撤回を行い、所属政党よりの処分をお受けしました。また、これまでの本件における報道などでの一定の社会的制裁についても甘受すべきものと考えております。最後に改めて、心から謝罪申し上げますとともに、書面での返信となりますことと議運の先生方を始め多くの皆さまにご迷惑をおかけしておりますことを重ねておわび申し上げます。 ○覆水盆に返らず、こぼしたミルクは戻らない。昔の人々のことわざに聞くまでもなく、「語られたことば」の重み、「行った行動」の結果、すべて、一度謝罪したから、撤回ということば発したから、許され、元に返って、無かったことになるわけでは無っことは、当然のことわかるだろう。
社会的制裁を受けた。ということで、何を許されるというのか?社会的制裁と言うとき、その限度を制裁を受ける本人が決めることができるのか? 社会的制裁を甘受するというならば、それは、表舞台にいる資格がない、議員を辞職せよ。ということでなくして何を意味するのであろうか。 書面でしか言えないようなことを、なぜ、言動として行ったのか。酒の力を借りてまで、醜態をさらしたことの人間としての責任はどうとるのであろうか? 令和元年6月3日 衆議院議員 丸山穂高 2019/06/05 22:59
取り締まられ役平社員 take chan 反論文 |
改憲?護憲?
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まずは、ひとこと だけ 言おう。
「ばか・・・・」
そして、もうひとこと。
「日本人として、恥ずかしい」
昔から「英雄 色を 好む」とか 言いますが・・・・
だけど、彼の場合は
「色ぼけ」と言います。
最高学府「東京大学」
そこで、しっかり、「いろは」を習い、
政治屋稼業で、
「は」の字、忘れて、「いろ」ばかり・・・
ついでを言えば、
いろはの「い」の字は、
「いくさ」の「い」の字・・と、習ったかな?
面白いの見つけたので、貼っておきます。
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「戦争」という言葉の耐えられない軽さ 丸山議員 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。元島民の大塚小弥太団長89歳きっぱり拒絶。しかし戦争を知っている先輩に丸山は詰め寄る。
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<シェア歓迎> 共同通信佐々木さんの記事。ご一読を。元日本維新の丸山穂高議員の件、「呆れてものも言えない」ではなく「言わねばならない」何度でも。 これから戦争体験者はどんどん減っていく。言葉はどんどん軽くなっていく。学び続けるしかないです。 丸山穂高議員は、もうすぐ2年前になる 共謀罪を巡る2017年5月19日の衆院法務委員会で、 「委員長、もういいでしょう。30時間以上議論してきた、これ以上は意味がない」、といきなり採決を切り出した議員でもありますね。 〜〜 一部抜粋 きっぱりとした拒絶 やりとりを読み、丸山議員の使う「戦争」という言葉があまりにも軽いことに驚かされた。丸山議員は35歳、これに対して団長は89歳だから、74年前の敗戦時は14歳か15歳ということになる。生身であの戦争を経験し、あの戦争によって故郷を奪われた人だ。政治家のこの軽薄さに直面しても、態度は揺らがない。 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。きっぱりと拒絶した。自らの生まれ育った土地を取り戻すためであっても、武力は絶対に行使してはならないと骨身にしみていたのだろう。 北方領土へのビザなし交流訪問団に同行した丸山穂高衆院議員(35)が、元島民の大塚小弥太団長(89)に「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」と迫ったと報じられた。実際のやりとりは次のようだった。 丸山氏「団長は戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか、反対ですか」 団長「戦争で?」 丸山氏「ロシアが混乱しているときに取り返すのはオッケーですか」 団長「いや、戦争なんて言葉は使いたくないです。使いたくない」 丸山氏「でも取り返せないですよね」 団長「いや、戦争はすべきではない」 丸山氏「戦争しないとどうしようもなくないですか」 団長「いや、戦争は必要ないです」 ▽きっぱりとした拒絶 やりとりを読み、丸山議員の使う「戦争」という言葉があまりにも軽いことに驚かされた。丸山議員は35歳、これに対して団長は89歳だから、74年前の敗戦時は14歳か15歳ということになる。生身であの戦争を経験し、あの戦争によって故郷を奪われた人だ。政治家のこの軽薄さに直面しても、態度は揺らがない。 「戦争なんて言葉は使いたくない」「すべきでない」「必要ないです」。きっぱりと拒絶した。自らの生まれ育った土地を取り戻すためであっても、武力は絶対に行使してはならないと骨身にしみていたのだろう。 戦争になれば多くの人が傷つき、大量の血が流れ、おびただしい命が失われる。その一人はわたし自身かもしれない。わたしの大切な人かもしれない。わたしが兵士であれば、誰かの命を奪わなければならない。相手にも大切な人がいるだろう。 安易に戦争を持ち出す丸山議員は、政治家にとって必須な、戦争の現実といったものに対する具体的な知識がないのではないか。あるいは、人としての思いやりや想像力といったものを決定的に欠いているのではないか。憲法に対する無理解より、そちらの方が気になった。 大塚団長と丸山議員の中間ぐらいの世代に当たるわたしも、戦争の直接経験はない。昨年、知人に勧められ、山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読んだ。後に作家になる人の筆力は、読者を戦時下にタイムスリップさせるのに十分だった。その優れた記録は内省的でもあって、悲惨だが希望を失わない庶民の日常や心のありようを、読んでいる間だけでも、追体験させてくれた。 敗戦の年、1945年の1月1日から同12月31日までの日記をそのまま採録している。山田は当時23歳。医学生だったので徴兵を免れ、軍医になるべく東京で学んでいる。 ▽隅田川も燃えていた 1月1日「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」と書きだす。戦争はきれいごとではない。敗北に向かう過程では、命や物資だけでなく、労働力も、清潔な環境も失われていく。例えば1月17日。 「肥運搬人来らず、家多く糞壺より溢る。わが宅にても溢れて汲出口より塀に至るまで、尿と糞ながれて湿潤す。もちろん汚し(略)穴を掘らんか、三坪の庭、その庭せまきまですでに防空壕を掘りてあるを如何せん」 3月10日の東京大空襲の記録を引く。ただし、彼自身は壊滅的な打撃を受けた下町でなく、目黒に住んでいた。「東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり」 翌日、下谷で焼け出された「加藤さん」の話を聞く。 ―炎に照らされて、発狂したような声をあげて日本刀をふりまわして、空のB29を斬ろうとしていた青年があるという。消防隊の人々は、炎の方へホースをむけたまま、全員生不動のように燃えていたという。(略)疎開の空地には、何万人という避難民がのたうち回って、火の海の熱気に泣き叫んでいた。水はどこにもなかった。運び出してきた荷物に火がついて、そばの人に移った。人々はその人をつかまえて、炎の中につきとばした 略)黒焦げになった屍体が、いたるところに夏の日のトカゲみたいに転がっていた。真っ黒に焼けた母親のからだの下で、赤ん坊も真っ黒に焼けていた。加藤さんたちは、なんどもそれらの屍体につまづいたり、踏んだり、転んだりした。火の潮に追われて、人々は隅田川に飛び込んだ。しかし隅田川も燃えていた。吹きつける火の雨に船は焼け、水は煮えていた。無数の人々がそこでも死んだ。屍体は今なおマグロのように無数に浮かんでいるという― ▽虚脱せる魂抱く 敗戦を経てその年の終わり、12月31日の日記に山田はこう記す。「日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず」。あまりも大きな価値の逆転が、青年の胸を虚無で満たしている。 地上戦となった沖縄、原爆が投下された広島・長崎、南方戦線の激戦と飢餓、満州の建国と敗走…。それぞれに記録や映像が残され、文学や絵で描かれ、博物資料も多数存在する。もちろんそこには、加害の歴史も厳然として存在する。 戦争を生きるとはどういうことか。丸山議員に問われるまでもなく、わたしたちもまた、こうした表現・資料に触れて過去を深く知り、それでも戦争を選ぶのかという問いを自らに突きつけなければならない。戦争ができる国への回帰が進む今こそ。(47NEWS編集部・共同通信編集委員佐々木央)
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