改憲?護憲?

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 「アキレス」の少し先に「亀」がいる。
もちろんアキレスの方が早い。一緒にスタートすれば、当然、亀はおいて行かれるだろう。
では、少しでも先にいる場合は?
 亀がいた「1」の場所、そこにアキレスが付いたとき、亀はその先「2」にいる。
同じく、「2」に付いたとき、その先の「3」にいるよね?
 では、アキレスは、永遠に亀の前には出られない。と言うことだよね?
 と言う話。

 絶対におかしい。 のは、誰でもわかる。
では、なぜそれが違うのか?説明できる方は、そうはいないはず。

 某国がせめてくる。国を守れ。戦争ができるのが普通の国。戦争に出かける。
国のために死ぬのは、名誉なこと。・・・・いろいろと有るよね。

 死にたい人なんていない。殺すことが好きな人なんていない。戦争をしたい人なんていない。
もちろん、それで死ぬ恐れにない者、それで儲ける奴ら以外はね。
 それをおかしい とは、誰でもわかる。では、それの波に乗らないで、冷静に語れる人々が、どれだけいるのだろう。
いや、いるはずだ。今のうちなら、まだ、充分にいるだろうし、いてほしい。
ただ、「某国の驚異」を盾に、その方向にどんどん流れる「波」に、すでに多くの人々が流されている。

 決して亀はアキレスには勝てない。
決して、正しい戦争など有り得ない。
 わかりきっている事だろう。論破も、説明もいらない。
坊や Ah…おやすみなさい

草も木も緑も街も村も消えてゆく

坊や大きくならないで

そっとおやすみ 静かに

赤い煙りがのぼる

昨日も今日も 明日も続くの

Ah… 坊やおやすみ

坊や Ah…おやすみなさい

お父さんはもう 戻っては来ないの

坊や大きくならないで

そっとおやすみ 静かに

お前が大きくなると

煙りのむこうに 消えてゆくの

Ah… 坊やおやすみ

Ah… 坊やおやすみ

Ah… 坊やおやすみ

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坊や 静かにおやすみ
私の坊や
来る日も 来る日も
いくさが続く
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
お前が 大きくなると
いくさに行くの
いつかは きっと
血に染まるだろう
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
青空 とびかう鳥よ
お前は自由
いつかは 坊や
平和が来るわ
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
眠りなさい 眠りなさい
 
 這えば立て、立てば歩め の 親心などと申します。
親として、その成長を望まぬ者などいるものか。
    だけど
 大事な、大事な むすこが、
成長すれば、大人と言われる時には、
その手に銃を持たされ、その手は、血でまみれる事となる。
それでも、生きてさえいれば、それで良いかもしれない。
しかし、むすこを避けては、玉は飛んでは来ない。
 むすこの居るところを避けては、爆弾は破裂はしない。

親としては、大人にならないで、殺されないで。死なないで。
 と言いたいだろう。それが可能ならば。
成長してほしい。大人にならないで。
 この矛盾を良く考えて、聞いてほしい。
  「戦争のできな国」のはずが、いつの間にやら「戦争のできる国」にされようとしている。
  いま、おかあさんの膝で眠っている「乳飲み子」も、年頃になるころ、
  兵隊に獲られないと、誰が、保証できるのか?


グアムが攻撃されたら日本迎撃!?

グアムって日本かよ!
アホ!米領さ
アメリカ領のために、迎撃する?!
憲法は、戦争放棄の精神である
アメリカの戦争に参戦するなど
安保体制だからというが
安保自体が、憲法違反じゃ

日本はアメリカの奴隷で居たいか?
(街の声


by民進党の後藤祐一氏への答弁で

小野寺五典防衛相は、
グアムが攻撃された場合、
日本が集団的自衛権を行使できる
 「存立危機事態」に当たれば
   迎撃できるとの認識を示しました。



🔥おのおのがた!ご油断召さるるな🔥
関東軍が口火を切った戦争への野望
ゾンビ復活=安倍本丸じゃ(街の声



北朝鮮グアム攻撃 「存立危機事態」なら迎撃可能
毎日新聞 2017年8月10日




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👆画像拝借”せきやんの憂欝ブログ”さま   広島爆心地 焼けた跡の影


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The daily olive news @olivenews 2時間2時間前
8月11日 『共謀罪廃止!安倍改憲を許さない!8・11街頭宣伝』

 

参加者41名、署名28筆でした。



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長良川龍一@〝こんな人たち〟の1人 @s_menjo 6時間6時間前
「共謀罪廃止!安倍改憲NO!8.11新宿街頭宣伝」。
〝喉元過ぎて〟無関心ではいけません。引き続き、地道に市民運動を!


転載元転載元: 模型飛機

8月5日の夕方に放映されたTBSの「報道特集」で、「仲代達矢さん、桂歌丸さんが語る『戦争と憲法』・平和憲法の原点に迫る」と題して、俳優の仲代達矢さん(84)と落語家の桂歌丸さん(80)がそれぞれの自身の戦争体験を語った。
 
 
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金平茂紀キャスターが巻頭言で「国会は国権の最高機関と憲法でうたわれています。憲法がないがしろにされていないでしょうか。今日の特集は、その憲法の重みを戦争との関わりから考えます。」と述べて特集がスタート。
 
 
最初に、番組は、仲代達也さんが若手俳優の養成のために主宰する「無名塾」(創立者は仲代の妻であった宮崎恭子さん)の稽古風景を紹介。
 
仲代さんは、19歳に役者の道を志してから以来、黒澤明監督の映画「影武者」や「乱」で主演を務めるなど、戦後の日本を代表する俳優の一人として活躍してきた。そんな仲代さんが、“役者人生の締めくくり”として選んだのがドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトの舞台劇、「肝っ玉おっ母と子供たち」だ。
 
ブレヒトが第二次世界大戦中に救いようのない戦争の愚かさを描いた反戦劇。この舞台を役者人生の締めくくりとして選んだ理由、それは、自らが体験した壮絶な戦争の記憶にあったからだという。
そういえば、仲代さんは2015年に文化勲章を受章した際の記者会見で「大反戦劇を作って死んでいきたい」と語ったことがある。
 
仲代さんは昭和7年生まれ。戦時中、世田谷区に住んでいた。この時代、「当たり前のように兵隊になって、国のために死ぬこと」を夢見る軍国少年だったと話す。
東京への空襲が激しくなっていた昭和20年3月に小学校を卒業。
中学入学後、通学の際に見た東京の街の光景はすざましかった。空襲の後の新宿あたりを歩いたら黒焦げになった死体が何百と路上に横たわっていた。それを通り越して中学へ行っていた。
 
そして、自らも空襲に遭う。その場所は、今では、オフィス街やファッション街として人気がある青山通りだった。
昭和20年5月25日の夜、渋谷から友達に会いに向かう途中に空襲警報が鳴り、焼夷弾がバラバラと落ちてきた。
そのときだった。
 
「これはいかん」──と思って逃げ回ってるときに、仲代さんは、まだ小学生にもなっていないような女の子が1人で逃げているのを見つけた。まったく知らない子だったが、その子の手を握って逃げ回った。
すると、握っている手が急に軽くなった。ふと見たら、焼夷弾が彼女に直撃して、体は吹き飛ばされてしまっていたのだった。仲代さんは、その子の腕だけを持っていた。
 
「バーッと自分でもやられたかなと思ったんですけどかろうじて私に当たらないで、その女の子に当たって、その手を握ってたんですね、手だけ恐怖のあまりに、その手を捨てて逃げてしまったんですけど、その捨てたことが、私はいまだ後悔しております。」
 
その空襲は「山の手大空襲」と呼ばれるもので、5月24日から26日にかけて渋谷、表参道、赤坂などが狙われたものだ。3月10日、上野、浅草などの下町が焼け野原となった東京大空襲では、300機以上のB29が、1600t以上の焼夷弾を投下し、一夜にして12万人を超える死傷者を出した。
 
その2カ月後、“最後の総仕上げ”と言われた山の手大空襲では、その倍以上の1000機を超えるB29が襲来し、6000t以上の焼夷弾が投下され、およそ2万2000人が死傷、東京の都心部が焦土と化した。
表参道には、焼夷弾により台座は欠け、黒ずんだ灯籠が今も残る。
 
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山の手大空襲の当時の写真を見ながら、仲代さんは、稽古場の若い塾生たちに「君たち、(戦争は)こうなんだよ!」──と語りかけた。
これまでは、仲代さんは、役者を夢見る塾生の前では、あまり戦争のことを語らずにきたという。
 
「だから当然、僕らの世代でもう生き延びているやつは少ないですけど、みんなこういう経験してるわけです。──何が戦争だ!──と、思いますね。」
 
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仲代さんは、ふり絞るように語った。
 
「だから次世代の若者に、戦争というのはこういうものだぞと、まあ、国を守るためにって言われると、そうかなと思ってみんな権力者の後についていっちゃうのかもしれませんけど、そこは、戦争体験したことのない人たちに最後に『戦争反対』ってことを唱えて死んでいきたいですね。」
 
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役者という職業柄、あまり触れてこなかった「憲法9条」についても、テレビカメラの前で初めてこう語った。
「あれが憲法改正される、それから9条に対して、自衛隊がどうのこうのという問題は、実に恐ろしいことだと思いますね。だから憲法改正は具体的に言って反対です」

一呼吸ついて、最後にこうきっぱりと言った。
「それを改正しないで、日本人が平和憲法を保っていくのは、 日本人の叡智だと思いますね。」
 
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膳場アナが番組の最後に言っていたが、仲代さんは、「女の子の手を引いて逃げたときの、その手の感触が今も残っている」という。そして、それに加えて、「自分がもし一緒に逃げなかったら、あの女の子は命を落とさなかったんではないか」という自責の念も今なお強くもっているのだというのだ。その仲代さんが導き出した平和憲法を保っていくことが「日本人の叡知」だという答えに、奥行きの深さを感じる。

 
 
もう1人、戦争を身をもって体験した人が落語家の桂歌丸さんだ。
去年、体力の限界を理由に放送開始から50年続けてきた人気番組「笑点」を勇退した。
今年に入ってからも、肺炎などによる症状で入退院を繰り返しており、今では一日中、酸素吸入器がないと生活が難しいと言う。
「増えるのは薬と病院の診察券で、減ってくるのは頭の毛と寿命だけだからね」と笑いをとりながら、戦争について聞かれると「やるもんじゃないですよね。おっかないですよ。いまだに、だって戦争のつめ跡っていうのは今も言うとおり、残ってるじゃないですか。」と険しい目つきで語る。

歌丸さんは、中学3年で落語の世界に入り、65年間にわたって芸を磨き続けてきた。
地元・横浜で久々に高座に上がった先月9日、会場では、この日一番の笑いが湧き起こる。
その芸の“原点”にあるのは、「戦争の体験」だったという。

落語の本題に入る前の、いわゆる“枕”では戦時中の生活に触れた。
「私は生まれも育ちも真金町でございますんで、まあ、昔の真金町と言いますと…、いいとこでした。」(笑)
歌丸さんが生まれ育ったのは、横浜市南区にある真金町で、当時は赤線地帯と呼ばれる遊廓街だった。遊郭の女将だった祖母に厳しくも優しく育てられたおばあちゃん子だったと言う。

小学2年のときに祖母と離れ、千葉へ疎開。疎開先ではいじめられ、早く横浜に帰りたいと願っていた。
しかし、山の手大空襲から数日後の5月29日、横浜の街も空襲によって火の海と化した。

横浜大空襲──。わずか1時間の間で数十万個に及ぶ焼夷弾が投下され、8000人以上もの犠牲者が出たと言われる。歌丸さんは、疎開先の千葉からその空襲を見ていた。
「昼間でしたからね、横浜の空襲は。そこを上りますと、東京湾を隔てて向こう側に横浜があるわけです。黒煙が上がってるのが見えるわけですよ。横浜が焼けてる、大丈夫かな、大丈夫かなって、そのことばっかりでしたね。」

横浜の祖母は、幸い無事だった。しかし、早く帰りたいと願っていた横浜の街は帰ってみると一変し、まったく何もなくなっていた。自宅は焼け、遮る建物がなくなった真金町からは横浜の街を四方八方見渡せたと言う。
後日、祖母から聞いた空襲の話は、惨いものだった。久保山の土手に防空ごうが掘ってあって、雨のように降りしきる焼夷弾を避けるため、多くの人がそこへ殺到していた。入ろうと思ったがいっぱいだったため、あきらめた歌丸さんの祖母は山を下り、橋の近くに避難したという。

焼け死んだって、しょうがないと思っていたが、奇跡的にその一角だけが焼け残った。
ところが防空壕の中にいたたくさんの人たちは、煙にやられてほとんどが死んでしまったという。

ゼロからのスタートとなった戦後。
歌丸さんは「笑いがなかった時代だったからこそ落語の道を選んだ」と言う。
だが、入門後、落語が戦時中、戦争遂行の道具にされたことを知った。
「あの落語やっちゃいけない、この落語やっちゃいけない、全部お上から止められたわけです。おもしろくないよ、そんなものは。」

昭和16年に出版された落語集には「となり組」「弾丸切手」「出征祝」などの落語の演目らしからぬタイトルが並んだ。戦意高揚のためにつくられた「国策落語」と呼ばれるものだ。
 
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「国策落語みたいな、これは国にとっていいことだ、みたいな。今から考えると、どうですか、そういうのって。つまんないですよね、落語っていうのは芯から、腹から笑うから落語ですよ。ただ上辺だけの、ああこれが落語かってだけのものですから。ありゃあ、つまんないでしょう。ましてやそういう時代ですから…。」

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落語家として言葉を生業にしてきた歌丸さん。今の政治家の言葉に、強い危機感を抱いている。

なお、当ブログで取り上げたが、2年前に、歌丸さんは、飛行場で、飛行機から降りてきたある政治家に、「あまり政治家の悪口を言うなよ」とプレッシャーをかけるようなことを言われ、屈せず、「悪口言われるような政治家になるな」と言い返したという話がある。

増えていく戦争を知らない世代の政治家たち。歌丸さんは語る。
「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなって言いたくなる。あるいは戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろと。戦争というものは、いいものなのか悪いものなのか。この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです。それをただ上辺だけでしゃべってるからおかしくなっちゃうんです。」
 
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戦争を知る最後の世代として、歌丸さんはこう話す。
「(憲法)「9条」の中にもありますけども、絶対に戦争だけはやってもらいたくないです。戦争は国会の中だけでやってりゃいいですよ。」
 
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仲代さんと歌丸さん。同じ時代を生きてきたの体験に基づく言葉は重く深い。
国民の税金で食っていながら、軽々しく「憲法を変えろ」「教育勅語を復活させろ「日本も核武装しろ」などと平気で言う、国会の“お偉いセンセイ”方たちとはまったく違う。

番組では、憲法の成立過程についても取材し、戦後間もなく総理大臣に就任した幣原喜重郎と、GHQの最高司令官、マッカーサーとのやりとりの記録も紹介された。幣原の側近だった大平駒槌の会議録メモである。
 
幣原は、「戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外にない」「世界からの信用をなくした日本にとって“戦争を放棄する”ということをはっきりと世界に声明することだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りではないか」と、“戦争放棄”の構想をマッカーサーに告げ、マッカーサーもその提案を聞いて涙を浮かべて喜んだという。

当時の日本が「絶対軍国主義には戻らないんだと、平和国家を目指すんだ」という国際社会に対しての重要なメッセージが憲法9条だったということだ。
 

憲法について「押し付け憲法」「みっともない憲法」だと批判し、「改正」を声高にさけぶ人々がいる。
 
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しかし、1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)ポツダム宣言受諾による太平洋戦争の終結に至るまでの約15年間の戦争によって亡くなったアジア諸国で2000万人以上、日本人だけでも310万人以上にものぼる犠牲者、そのかけがえのない肉親や恋人、友人たちを失った悲しみのうえに、日本国憲法は生まれたのである。
戦後、焼け野原となった日本が再出発する原点だったはずだ。
 
歴史の誤りを直視し、二度と戦争の悲劇を繰り返さない──いまも生かすべき大切な教訓が憲法の中には刻まれているのである。
 


今年も昨日6日に広島で、明後日の9日に長崎で、72回目の原爆の日を迎える。
 
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広島原爆の日を報じる「読売」「毎日」「東京」
 
 
遺族たちの深い悲しみと苦しみは、蝉しぐれがどんなに降ろうとも消し去られることはない。
そして「地獄の苦しみを二度と誰にもあわせない」「二度とヒロシマ・ナガサキを繰り返させない」──その強い思い。
 
仲代さん、歌丸さんの「戦争はやっちゃダメだ」との思いも共通している。
 
日本の政府と政治家たちは、こうした、東京大空襲をはじめ全国の空襲被害者の思い、原爆の被害者の思い、戦争の犠牲になられたすべての民の思いをしっかりと受け止めるべきである。
 
 
 

転載元転載元: TABIBITO

http://useful-info.com/ex-us-marine-article9

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写真(アレン・ネルソン氏) 出典:NNNドキュメント「9条を抱きしめて〜元米海兵隊員が語る戦争と平和〜」

 久しぶりに、目が覚めるような番組に出会えました。日本テレビは御用メディアでしかないと思っていましたが、深夜時間帯とはいえ良質な番組を放送していたのには驚きました。日本テレビ社内にも良識派が少しは存在するということでしょうか・・・?

 私は日本人を長年やってきたので日本国憲法第9条の重要性・存在価値を人並みに理解しているつもりでした。違憲の安保法制(=戦争法)をゴリ押ししようとしている安倍政権の理不尽さには腹が立ちますし、大きな反対運動が起こるのも当たり前だと思っていました。しかし、冒頭写真のアレン・ネルソン氏ほど憲法9条の有難味を認識できていませんでした。

日本国憲法第9条:
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 アメリカ人のネルソン氏は元海兵隊員であり、ベトナム戦争に従事した経験を持ちます。彼はベトナムで数えきれない程の人間を殺し、アメリカに帰国した後は精神を病んで地獄の苦しみを味わい、ホームレスとなり絶望感に打ちのめされます。自分の行った犯罪行為は隠しておきたいと思うのが普通ですが、彼は自分の体験を正直に話す講演活動を開始します。極めてまれなケースですし、心から敬意を表したいと思います。事実を後世の人間に伝えることは、過ちを繰り返さないためにも欠かせません。

 既にお亡くなりになったネルソン氏の活動・主張を紹介するYouTubeリンクを以下に貼りましたのでご覧ください。戦争が原因で地獄の苦しみを味わったネルソン氏だからこそ、憲法9条の大切さを心の底から理解できる、ということが伝わってきます。

NNNドキュメント「9条を抱きしめて〜元米海兵隊員が語る戦争と平和〜」(42分7秒)

https://youtu.be/GId88oUqLEY

 紹介した番組の中からネルソン氏他の言葉をいくつか紹介します。

引用始め

*******************************

ネルソン氏:
「アメリカや日本など、多くの政府は、兵士が平和を守っていると主張します。しかし訓練では、平和のことなど一切教わりません。日々、殺し方を仕込まれるだけです。」

「人を殺すということは、自分自信の精神や魂の、最も大切な部分をなくすことです。私にはもう、この大切な部分はありません。 人を殺さなければどんなに良かったでしょう。」

「平和な世界を築くのは、私たち一人一人の力です。次の世代を生きる子どもたちのために、暴力や力に頼らない道が必ずあることを伝えたい。」

「我々にとって戦争は、スポーツハンティングのようなものだった。ひとたび戦闘が始まれば、兵士たちは感情のコントロールを失う。村で激しい戦闘が始まれば、どれがベトコンで、どれが女性や子どもかなどと見分けている余裕はなく、動くもの、抵抗するものすべて撃ち殺した。しかし、相手はグークスなのだ。女や子どもだろうが、老人だろうが、みんな魂を持たないグークスなのだ。放っておけば、私たちを殺しに襲ってくる、野蛮な小動物の群れなのだ。だから、何度でも殺せた。」

「13ヶ月間、ベトナムのジャングルで過ごしました。私は多くのベトナム兵を殺害し、多くの人が死ぬのを見ました。ジャングルで最初に学んだことは、本当の戦争は映画とは全く別のものだということです。格好の良い英雄(主人公)など、存在のしようがありません。」

「俺は幻でも見ていたのか。いや、幻でも夢でもない。俺は確かにこの手で、柔らかい赤ん坊を抱いた。母さん、俺もあんなふうにして生まれてきたんだな。母さんもあの壕の中の女性のように、苦しんで俺に命を与えてくれたんだ。変わらない、何も変わらない。ベトナム人もアメリカ人も、同じ人間なんだ。魂を持たないグークスなんかじゃない。彼らにだって名前があり、家族があり、かけがえのない人生がある。そんな人たちを、俺はたくさん殺したんだ。俺は、俺はいったい、どうしたらいいんだ」

「ベトナムで学んだことは、戦争と暴力は、決して平和も幸福ももたらさない、ということです。18才で戦争に行くため家を出た時とは、私はまるで別人になっていました。ベトナムでの暴力と殺人が、私を永遠に変えてしまったのです。」

「俺は、俺は人を殺した。それも数え切れないほどのたくさんの人を。子どもたちに嘘はつけない。正直に本当のことを。いや、だめだ、もしここで殺したと言ったら、子どもたちにとって、俺はもはやミスター・ネルソンではなくなる。ただの残虐な殺人者となり、子どもたちは俺を恐れ、軽蔑するにちがいない。しかし、本当にそれでいいのか。俺は学校で、本当の戦争のことを誰からも教わらなかった。戦争で活躍した英雄の話は聞かされても、戦争の悲惨な現実は教えてもらわなかった。だから俺もヒーローになれると信じて、ベトナムへ行った。だからこそ、子どもたちには真実を知らせるべきじゃないのか?」

「アメリカ人は、ベトナム戦争が大きな過ちだったと思っています。しかし、悲しいことに、戦争そのものが間違いとは思っていません。私はここを訪れる人が、戦争自体間違いであることに気づいてほしい。戦争は決して平和をもたらさない。すべての戦争が悪いことなのです。ベトナム戦争だけのことではありません。」

「平和憲法は日本人が考え出したものではないとかアメリカ人に与えられたものだと言う人がいます。しかし、誰にもらったかは問題ではありません。平和憲法は私たちが進むべき未来を示しています。たとえ宇宙人がくれたものだとしても、これは全人類にとって大切なものです。問題は今、当初の平和の理念が置き去りにされようとしていることなのです」

「日本人は間接的に戦争に関与してきました。しかし、9条のおかげで直接的に戦争には関わっていません。言い換えると、第二次世界大戦後、日本は新たな戦没者慰霊碑を建ててはいない。そこが私には素晴らしいと思えるのです」

佐野住職:
「彼(ネルソン氏)は、たくさんの人を殺したこと、自分も死ぬほど苦しんだこと、そういう彼にして初めて、本当のこの九条の重みというものを知ってるんではないかなと。むしろ私たちは、それを知らないんだ、日本の私たちは、私も含めて。それぐらい深い、彼の願いが、この九条というものを、非常に希望をもったという、九条によって平和になるという希望、というよりも、九条そのものが存在することに希望を持てたんですね。」

「九条というものも、そういう正義から生まれてきたというよりも、たくさんの悲しみを通して生まれてきたもので、そこにもう二度と、こんなことは繰り返したくない、こんなことはもう二度と嫌だということで、そこに願い、それが誓いとなって、九条というものはそういう内容を持っていると思うんですね。平和への道は無いんだと、平和こそが道なんだと、常々おっしゃっていた。やはり真理を突いていますね。」

ネルソン氏:
「1996年に来日した時、ある人が日本国憲法の冊子をくれました。第九条を読んだ時、自分の目を疑いました。あまりに力強く、あまりに素晴らしかったからです。日本国憲法第九条は、いかなる核兵器よりも強力であり、いかなる国のいかなる軍隊よりも強力なのです。日本各地で多くの学校を訪れますが、子どもたちの顔に、とても素晴らしく美しくかけがえのないものが私には見えます。子どもたちの表情から、戦争を知らないことがわかるのです。それこそが第九条の持つ力です。日本のみなさんは、憲法に九条があることの幸せに、気づくべきだと思います。」

「ほとんどの国の子どもたちが戦争を知っています。アメリカの私の子どもたちは、戦争を知っています。イギリス、イタリア、フランス、オーストラリア、中国、韓国の子どもたち、みんな戦争を知っています。しかし、ここ日本では戦争を知りません。憲法第9条が戦争の悲惨さ、恐怖や苦しみから、みなさんを救ってきたからです」

「ご存知のように、多くの政治家が、憲法から第九条を消し去ろうと躍起になっています。断じてそれを許してはなりません。」

「今までみなさんと、みなさんの子供達は、憲法九条によって守られてきました。今度はみなさんが、第9条を守るために立ち上がり声をあげなくてはなりません。第9条は日本人にのみ大切なのではありません。地球に住むすべての人間にとって大切なものなのです。アメリカにも九条があって欲しい。地球上のすべての国に、九条があって欲しい。世界平和はアメリカから始まるのではありません。国連から始まるのでもありません。ヨーロッパから始まるのでもありません。世界平和はここから、この部屋から、わたしたち一人一人から始まるのです。」

*******************************

引用終わり

 苦労知らず・世間知らずの2世3世4世5世の自民党政治家、生活のために軍需関連の職業に従事している人、政治・社会問題に無関心な人も含め、すべての日本人に上記ビデオを見て欲しいと思います。人間の悲しい歴史から生み出された崇高な哲学・理念は人類の宝であり、今に生きる我々は、後世に引き継ぐ義務があるということに気付くはずです。

以上

転載元転載元: ニュース、からみ隊


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