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(断食をするときには)
(マタイによる福音書6章16節〜18節) 今まで、マタイによる福音書を1章から見てきましたが、イエス様は父なる神に覚えられる行為として、人に対して施すこと、神に対して祈ること、自分自身を見つめる断食に関することをお教えになりましたが、それはすべて、6章1節の言葉に集約されます。
(マタイによる福音書6章1節)
『見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。』 イエス様は30歳までは大工としてお働きになり、30歳から33歳の間に福音をノベ伝えました。そのイエス様が福音をノベ伝える前にしたことは、40日40夜、断食して、悪魔の誘惑と戦うことでした。
レビ記には、1年に一度断食しなさいと言う規定があります。
しかし、イエス様が偽善者と呼ばれるパリサイ人たちは、週に2回も断食して、人に対して自分がいかに敬虔であるか、誇りにしていました。
パリサイ人たちはイエス様に『なぜあなたの弟子たちは断食しないのか』と聞かれ、こう答えました。
(マタイによる福音書9章14節)
その頃、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『わたしたちとパリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜあなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った。イエスは言われた。『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食をすることになる。』
使徒行伝でも、パウロとバルナバがアンティオキア教会から宣教のために送り出された時、断食したとあります。
(使徒行伝13章2節〜3節)
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事にあたらせるために』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
断食は、病気の人や高齢の人は除外されていました。断食は人に見せるものではありません。いつもどおりに生活しながら断食をすることが、神様に覚えられる断食の仕方なのです。定期的に、儀礼的にするのではなく、本当に祈りが必要な時にすることが大切なのです。断食を通して、誘惑にうち勝って、自分と神様との対話の時を持つことが大切なのです。
エステル記にも、断食について書かれた個所があります。モルデカイは、民族存亡の危機に際して断食して祈りました。その祈りによって、モルデカイの姪でありペルシャの王妃であったエステルに三日間、神の言葉が臨みました。ゆえに、エステルは王に対する態度を教えられ、ユダヤ民族を救うことが出来たのでした。
断食することによって、自分が取り去られ、主なる神にすべてをお任せしますという思いになります。そして、主の心が示される時が来ます。
神様は、今日も、わたしたちの隠れた『施し』『祈り』『断食』を求めておられます。
わたしたちは、それに応える者になろうではありませんか。 H22.3.14(日)AM3:00 |
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