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メキシコの文化と自然に魅せられて

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メキシコのコミック俳優作家チェスピリット Chespirito ことロベルト・ゴメス・ボラーニョス Rpberto Gomez Bolanos、85歳が亡くなった。ロベルトはメキシコのチャップリンとも言われている俳優だ。

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彼はメキシコシティ生まれだが、2009年前立腺の手術を受けてから、数回入退院を繰り返し、数ヶ月前からは肺機能低下により、カンクン市の自宅で寝たきりで治療を受けていた所だった。

これを受けて、各テレビ放送局は回顧番組を儲け、追悼を行っていた。
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チェスピリットという名前は映画監督のアウグスティン・デルガードが彼が執筆が好きな事から付けた名前で、偉大な作家 ”シェークスピア”をラテン語で表現したものだという。

彼はエンジニアだったが、いつしか持っていた芸術面への興味が増し、1968年、自ら企画、主演したテレビ番組、ロス・スーペルヘニオ・デラ・メーサ・クワドラーダ Los Supergenio de la mesa(四角いテーブルの超人たち)で、その才覚を表し始めた。

2003年、”ポエマス・イ・ウン・ポコ・マス Poemas y un poco mas”(詩々ともっと少し)という著書の発行した。

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俳優ロベルトは、1970年代に始まったテレビコミック番組チャプリン・コロラード(色の付いたバッタ)、エル・ドクトール・チャパティン(医者のチャパティン)、エル・チャンフレ(チャンフレさん)、エル・チャーボ・デル・オチョ(8丁目?(アパート)の少年)などの企画をし、脚本を書き、自ら主演していたが、どのコミックドラマも黄金視聴率を占める事になった。


上)中央左がチャーボ役のロベルト、中央右はチリンドリーナ)
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エル・チャーボ・デル・オチョに至っては、1992年の最後の録画から22年経った現在、未だに再放送が行われている位で、当時の人気を容易に想像できる。

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左)トラック上中央にいるチャーボに群がる人たち(南アメリカで)

番組が国内で絶賛されたため、1973年からラテンアメリカ諸国へも渡ることになった。

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1978年 ”エル・チャンフレ”のショーは史上最大の入場者数を記録。1977年 チリのフットボール競技場
アルゼンチンでは14公演でもまだ足りないくらいの満員御礼
1983年 ニューヨークでラテン人公演を行った。

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右)彼の生み出した有名なキャラクターの一つチャップリン・コロラード

左)コロンビアに設置された巨大なチャーボ像、左下は蝋人形

*エル・チャーボ・デル・オチョ番組終了の後、チリンドリーナ役の女優マリア・アントニエタは独自のチリンドリーナ・サーカスを始めて、番組での人気を利用。キコ役の俳優カルロス・ビジャグランも役名を利用してショーを行うなど、著作権の問題にまで発展する事もあった。

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チェスピリットは何故こんなにも長い間人々に受けたのだろうか?

エル・チャーボ・デル・オチョの内容で見れば、冗談の中に必ず1点、道徳とでも言うのか、人間として守らなくてはいけない、大事にしなくてはいけない事、それは、友情であったり、連帯であったり、尊重、希望を持つ事であったりするのだが、”教え”があるのである。

大人の俳優たちが子供のいでたち、子供の声で話していて、当然子供向けに作られているのだが、ただの”あっはっはっ”で終わらない。そこに、番組継続を乞う子供たちの背後にいる親たちの希望、期待があった。それだけでなく、大人、親たちも子供の目から見た不条理や大人の慣習をジョークで表現したものを楽しんでいたと言える。


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チェスピリットの番組以来、未だにその価値を越すものは出てきていないと言ってもいいだろう。

だからこそラテンアメリカ国の重要人物、世界の俳優、著名人からの哀悼が続き、止まない。

11月30日、日曜日午後、10万人収容のアステカスタジアムで追悼式が行われた。


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彼の生み出したキャラクターに仮装して出席する人たちも多かった。

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デスカンセ・エン・パス Descanse en paz(安らかな永眠をお祈り致します)


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