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古臭い伝統を
底辺にすえ、その上に自由を まとっている。 表面てきには、自由で新しい。 そのため、二重誤解されること が多々である。 誤解など、され放題で、よい。 気にしちゃいられない笑 伝統継承者として ふつふつと 迷い続けて15年は経つ。 現状をみていると 拝みや、判断なんて なくなった方が、いいと思うこともある。 それは、拝所で見かける 中持やサンジンソウなど 悩む人から仕事をもらう いわゆるプロの先達達の 所作一つ一つが、原因である。 こんな事なら、なくなってしまえ と、拝所からでて 車のエンジンをかけたと同時に ハンドルに顔をうずめて下唇をかむ。 伝統とは、 知らず知らずに身体に染み込んでいて 特に意識せずとも、 自分の中で、栄養になって いるものである。 お地蔵さんがいれば、 軽く頭をさげ、微笑む。 夏になったら、浴衣がきたくなり 野の草がいけてあれば、 ふと、触れたくなる。 そういう心持ちが 伝統を繋いてきたもので、 わざわざ、補助金獲得のために 演出するものでもない。 古ければよい ていうのも、違う。 文化遺産、無形文化財などになり 喜ばしくないことになってる 場面もみる。 例えば、斎場御嶽や玉陵なとは もう、先祖や神や古に心寄せるばではなくなった。 そんな事していたら、 観光客から邪魔者扱いされる。 和裁職人が少なくなって 着物の仕立てが 中国産になってきた。 先日見たものは 中国製は、まだ雑仕立てさはあるが、正確に縫えていた。 日本製は、酷くいい加減で、 見た瞬間、一同、驚愕した。 日本製だから大丈夫で 海外製はだめ なども、偏見である。 新しいものが 日本の経済を支えると 鼻息のあらい方々には 申しわけないが 残し伝えるものの中には 繋いてきた なんらかの事情がある。 淘汰されるものも あってもしかたがないが 伝統だから ではなくて、 人に寄り添う手法が 自分に合うから うがんさーなんだと思う。 |
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2015年06月10日
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