こんな人です

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方言をこよなく 愛する。

私は大昔 東北人だったので
とっさにふと 東北弁がでる。

けれど 普段は 沖縄方言であり
ウガンのときは どこにいっても 沖縄方言である。

怒られて 口をとがらせて
「ふんだ〜ばばあ うるせーよー」などと ふてくされる状態を

沖縄では
ひんくれる といい

仙台では
むつける という。

グレルともちがうし ひねくれる ともちがう。
可愛げのある プンプン感である。

私は子供のころ すぐ むつける子だった。
自分が悪くて 怒られても
上目遣いに にらみつけ 口を尖らしていたものだ。

近所に 白髪のやせた 200歳はとうに過ぎてるような ばあさんがいた。
腰が まがっていて 杖をついていた。
学校かえり
その ばあさんに
なにか 叱られた。たしか友達と歌いながら歩いていて
うるさいとか さっさと帰れとか 程度のことだったと思う。
ばあさんは 子供らの身を案じて 声かけてくれたものだと推測する。

しかし 叱られた本人には よかれとおもっていう ばあさんの気持ちは届かない。

私達は 大声で
「ばばあ しね〜」だのと言って 笑ったのである。
これも まあ
よくある話で。

翌日 私は 自分の祖母に呼ばれ
ひどく 叱られた。
その 200歳のような ばあさんが 亡くなったのである。

偶然とはいえ
私は 罪悪感に ひどくとらわれ
長らくのあいだ
「むつけた」状態で すごした。

だれに対して ふてくされたのでもなく
自分の犯した 罪の意識に どうしようもない行き場のなさと
整理できない事実を 前にして

だれとも 口をきかず 口をとがらせて 空をにらんでいたのである。

子供のころの 歯がゆい 記憶であるが
今も あまり代わり映えしない 精神年齢だと思う。

柔らかく美しいもの

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昨年の11月に また心臓発作をおこしてから
しばし
考え込むことが 増えた。

内地にでてきてから 身体のエネルギーが うそのように
無くなっていく。

充電する場所も 力を与えられるものも 
安心して 横たわる場所も みつけていないまま
あっという間に 6年もすぎた。

心臓発作で もうまずいかもしれないな。と思った時
すこしほっとしたのだったが

それをみた まりんちゃんが 声をかけることもできないほど
恐怖におののいてるのをみて
苦しんでる場合じゃないとおもった。

せめて
救急車を呼ぼうとする気持ちの余裕が まりんちゃんに発生するまで
辛い思いはさせられないとおもった。

しかし
確実に 弱ってきていて
島をはなれて こんなにも枯れ風に吹かれると
沈殿していくか
分裂していくか

そんな不安感に 襲われることになる。

せめて
まだエネルギーがあるうちに
まりんちゃんが いつ一人になっても 学校くらいはいけるように準備を

考え込むことが ふえ

それが まりんちゃんにとって 負担になるという
悪循環な 晩秋の時をすごしたのだった。

12月にはいって
腰にコルセットをして 杖をついて
忙しくしていた。

そのほうが 楽なのだ。
ゆっくり のんびり 考えることが どんなに辛いことなのか。

年末に 横浜のあざみのという 町の一角で
へたりこんでしまった。

その6日前は
東京の大田区の小さな町で
スーパーで買物をする おばあさんの荷物をかごにいれてあげた瞬間
荷物の中にあったはさみで
手をぶっすりさしてしまい 

血を床にたらしながら 大丈夫です。といって
駆け込んだのが 新田神社さんで
はじめて行った新田神社さんのベンチを しばらく借りることにした。

最寄駅まで まりんちゃんが 絆創膏とタオルをもって迎えに来て
そのタオルで 傷をおさえながら
まりんちゃんが
「あと 何年かしたら まりんが働けるから」という。

駅の前のポストにもたれて 
「ごめん」というのが 精一杯だった。

その後
6日目に あざみので うずくまり
31日の
おおみそか 今年も紅白観れないなと おもった。

それでも
力つきることがなくて
少しでも 一人でいることが 怖くなった。

ただ 甘えたいだけなのかもしれない。
甘えたくなるのは ホントに疲れたんだと思う。

年があけ
現実を 直視できずにいるのだが
直視したところで 何も解決しないと知ってるので 
おおいに 現実逃避することにした。

しかし 4日の夕方
新宿の 無印良品に たちより
ちょっと ソファに 座ったとたん
どうにもならない 体の重みがやってきて
店員さんに タクシー呼ばれそうになる失態をしてしまう。

初売りで にぎわう店内で
初売りに なんら縁のない私は
どうせなら
新宿御苑の 芝生で うつぶせに倒れたいといって
まりんちゃんを 困らせたのである。




年末 もうどうにも疲れはてたころ
私は とても 美しいものに出会った。

汚れのない 清んだものは 真の強さを秘めていて
強く優しいものは 他人にたいして 柔らかいのである。

混沌とした 汚物のような闇の中で
それは
私に 衝撃的な なにかを与え

その光は 年をこしても 失われることのないものであった。
疲れているから
美しいものに 惹かれるのか
そうでもないようだ。

疲れていて 気持ちの保養なのかと おもってもみたが
そうでもなくて
美しいものは いつも人をひきつけてやまない。

けして
私のものにはならない その美しいものは
手にとどかないからこそ
大切にしたいとおもい

いつまでも 濁りのないままで いてほしいと願う。

正月もすぎた 満月の夜
白い月をみながら

蜘蛛の糸は どんなときも 垂らされておるのだなぁと
一人
ポケットに手を入れ歩きながら おもう。

もう いつまでも 現実逃避してはいられないと 白い月に感謝した。

ホームレスとは

6月とはいえ 梅雨の仙台は 肌寒く
歩くことが 代謝を高め 寒さから身をまもった。

思い起こせば
小学校前の冬
大雪の中、叔父の店で買物したお客さんに
配達していった帰り道
靴が雪のなかにはまって はだしで歩いた時も
歩くって 暖かい。と喜んだことを記憶する。
その後 凍傷になって 今も跡が残っている。

仙台の繁華街から少しはずれた場所に
コンサートホールがあって その隣は公園になっている。
私は 昼間ここにいた。

ホームレスを乗り切るには
昼夜逆転の生活が丁度よかった。
大人の男性のホームレスの方のように
ダンボールやビニールシートで 縄張りを確保する術がない。

まして 夜は気温が下がり
夜露にぬれると 極度に人の精神と身体能力はダウンする。

昼間に 公園で 日に当たりながら寝るのである。
だれも ホームレスだと思わない。
ベンチでくつろぐ人なのだ。

そして 夜は ひたすら徘徊する。
友達の所や 知り合いのところ。
お金を貰ったことは無かったが
だれかしら ご飯食べさせてくれたような気がする。

そんな日々が3ヶ月近くあった。
実質 夜を公園で過ごしたときもあったが
浮浪者がいて 怖かったのを覚えている。
まぁ、私も浮浪者であったけど。

夏がすぎて
ある日の朝
公園にもどって 水で顔をあらっていたら
見慣れた ホームレスのおじさんが
水筒をしゃかしゃか 振っていた。

何やってるのか じっと見ていたら
おじさんが寄ってきて
無表情のまま
水筒の中身を 見せてくれた。

 瞬間 私の脳に雷が落ちた。

水筒には 米が入っていた。
水を日光にあて 暖かくしてから米をいれて
ふっていたのだ。

子どもが捨てたであろう水筒は
おじさんの炊飯器だった。

少しの間
私は何も言葉にできずにいた。
友達からかりた 白い麻の服を汚さないようにしよう。
などと考え 無理に 思考をそらしていた。

そして おじさんは
少し柔らかくなった米を
水筒のまま 私に差し出し

「おねえちゃん、うっつぅあ かいらいん。」といったのだ。

おねえちゃん、うちに かえりなさい。
その仙台ならではの 方言は 
おじさんも 仙台暮らしが長いけど
もとは もっと北のほうからきたんだよ。
そう 聞き取れるものだった。

公園で過ごすようになって
一番 辛い日の思い出である。
優しい人に あってはいけない。

その後、おじさんに 会うことはなかった。
うちにも帰らなかったし
その後 どう過ごしていたのか 記憶になくて
少ししてから 友人の家に住まわせてもらい
アパートをルームシェアした。

私は 公園に居た時
怖さも寂しさもなく
自由になった責任感だけを感じていた。
何か困るような気持ちもなかった。
何ももっていないのだから 失うものもない。

家を出たころには 私の髪の毛は 真っ白になっていた。
染めたように 白かったのが カッコイイとみんな言った。
失ったものは 黒い髪ぐらいで
今もなお 探し中である。

家をでたときから 私はようやく 自分の体という家を得て
ホームレスではなくなっていた。

邪魔者として 育ててもらっていた18年間
その期間が 私の ホームレスだった。



 

ホームレス

ホームレス中学生がヒットして 映画になった。
テレビで小池くんが 草食べてるシーンをみると
ニヤッとしてしまう。そんなに甘くない。

私も ホームレスで 公園生活経験者である。

高校生活は がむしゃらだった。
私を育てた ばあさんは お金にこまっていた。
貯蓄は ほとんど失い それはすべて私のせいになった。

毎日のように 働くことを強制され
学校から帰宅したら すぐトラックにのって行商にいった。
夜戻ったら バイト代をとりあげられ
部屋の電気をつけて 勉強していると いつもどなられた。
女に学問などいらない。というのが ばあさんの口癖である。

朝 5時にでて 学校まで山道をあるいた。
本来は バスで40分通う道であるが バスの定期代などなかったので
それでも 時々友達が出してくれたし
大雪の日は バスの運転手さんに
「次はらいます」と大嘘をついた。

授業中 ハガキかきの内職をし
昼飯は 友達にもらう。少しづつもらうために 各クラスまわって友達にせびった。
恥ずかしいなど いっていられない

制服や体育着は 友達のお下がりだったし
ノートなど買ったことがない。
職員室から 裏のつかえる捨てる紙をもらうのである。

高校3年になったとき
ばあさんが 産みの母親のところにいけ といった。
どこにいっても 別にいいのだが
育てられたこともない母親であっても 
そちらに引き取られても迷惑なことぐらい わかるものだ。
案の定 なんどか母親がばあさんに 呼ばれたようだが
当時 男と盛り上がっていた産みの母は 引き取った妹さえ 放置していた。

ばあさんは なにかと 箒でなぐるようになった。
ぼけたのではなく
ストレスであり、鬱憤とやるせなさである。
箒で 殴られたままでいたが
あるときから 殴られたら その箒で 殴り返すようになった。

自己防衛

もう 悲しいや 寂しいや 辛いや 痛いなど 感じないような
常に硬い表情であった。
時間があれば
バイト先の おじさんやお金のある大学生に抱かれて
こずかいを こころばかりもらうのが 精一杯だった。

そう書くと ずいぶん すさんでいるように思えるが
すきでもない相手に 抱かれている時だけが
人に 本当の自分を見せられる時間だった。
人を好きにならないのは
だれにも好きになってもらえないと信じていたから。

そうしているうちに
私はめきめきと 成績があがり
比較的 レベルの高い学校であったにもかかわらず
上位に君臨した。

私にとって 勉強は
誰にも関与されない 唯一の趣味であり 営業成績のようなものだった。
高校に 産みの父が呼ばれた。
赤いシャツに 縞のダブルのスーツ。
どうみても そちらの世界の方と すぐ分かる顔の傷。

学校側は このまま併設大学にも残って欲しいと話すつもりだったが
父親の様相をみて 他の大学に推薦だします。
という説明にかわっていた。
私は この学校が好きだったし 唯一の誇りであった。
しかし、学校に迷惑かけたくない気持ちで
他に移ることにした。

それからである。
ほぼ 交流のなかった 父親とその関係者によって
私の尾行がはじまった。
高校生活のうちは 父親の愛情と勘違いしていた。
監視ではなく 守ってくれているとおもったのだ。

高校を卒業して 大学の入学金をはらえず
バイトにあけくれていたころ
バイトの男性の先輩の家が荒らされた。

そして 当時の彼氏が 港で浮かんだ。

そんなこと やめてくれ と父親に談判した。
そこで彼はいったのだ。
「蛇の道は蛇」

尾行されていたことも ばあさんは知っていた。
金かえせ としかいわなかった。
お前がいるから 金がないんだ。育てた金返せ。
居れば みんな(親戚)が迷惑するんだ。
金がかかる。あんだ(お前)のせいで 大変なんだ。

6月の雨の日
私は 朝はやく 家をでた。
人からかりた ねずみ色のトレーナーを着て
ポケットには 50円しかはいっていなかった。
18歳だった。

今年の抱負

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2007年は イースト菌の1次醗酵のような年でした。
猫みたいに 丸まって 暮らしました。
反社会的に なりつつあって ますます「変なおばちゃん」街道を 突き進んでいます。

2008年は 少し 外の空気も吸える度量が欲しいです。
道を歩いて 近所の猫に 「ぎゃお〜」と脅しかけてみたり
カラスと顔なじみになって「がー」っていったら「かーぁ」なんて返事がくるような
そんな余裕も欲しいです。

彼氏が欲しいとか
痩せたいとか
嫁に行きたいとか
ゴムじゃないスカートがはきたいとか

そんな遠い夢は もはや 抱きません。

現実的に
今年の抱負は

自分の歩むべき道を進むこと

それだけです。


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