こんな人です

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電話相談はやりません

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夜の10時すぎ、女性の方から お電話がありました。
どうやら、うちに いらしたお客様のようです。
その後、こんなことがあって、こうなってあーなって・・
と、ずっとお話されています。

うちにお見えになった方を 即 忘れます。
大抵、名前を言われても分かりません。
顔みても、分からない事が 多いです。

勿論、相談内容や判断内容は すぐ忘れます。
だから、電話で色々はなされても、わからないのです。

相談は、人のプライバシーです。
私のような者は 人様の秘密を温存していられるほど、賢者ではありません。
相談に見えた方には、私の記憶も消すことを お奨めします。
気持ちが 楽になるように、ウガンサーはいます。
恩を感じる必要もありません。
記憶にとどめてもらえるような事はしていないのですよ。

沢山の方のお話を うかがうので、
本当に すぐに頭から 抜けてしまいます。
ですから、会っても気がつかないで、挨拶もしないこともあるかと思います。
すみません。

なので、電話で事後報告されるのが、非常にキツイです。
そして、電話で相談が済むと思う方が多いのも現実です。

電話では、予約を取る以外 話をしないのが、ユタ買いのマナーです。
まず判断して、ウガンの時に、色々話をして 解決するのが ウガンサーです。

判断は、ウガンの準備の為にするものなので、
ウガンをしないで、相談だけの場合も なかなか大変なこともあります。
特に、私は、ウガンサーの中でも、
ハンダンサーやサンジンソーではなく、ナカモチなので
(いづれも、ウガンサーの中の特質。係り・分野のようなもの)
ウガンするのが、メイン仕事になります。

今日は、これまた遅い時間に、男性から電話があり、
電話で相談したいとのこと。
遠方の方や、身体の不自由な方は こちらから出向くことをお伝えすると
すぐ、近隣の方でした。
「面倒だから、電話で済ませたい」とおっしゃるので、
残念ですが、電話相談は出来かねることを お伝えしました。

電話では、足りないこともあるかもしれません。
何か、伝わらなかったことがあるかもしれません。
私は 口が上手じゃないので、失礼があるかもしれません。

そんな事を 気に病んでしまうので、電話相談は やらないのです。
不便でごめんなさい。

続・出産

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産婦人科に着いたのは 夜中の1時だった。
看護婦さんが あわただしい。
 
「ベットも満員。分娩室も満室」
やはり台風時は出産が多い。 気圧の変化の影響なのか。

破水していることを告げると 待合室から奥の部屋に通された。
大荷物を持って歩いてるのを見て、看護婦が悲鳴をあげる。
「破水してるんですよ!何やってるんですか!」
何やってるって言ったって、このまま入院しちゃうのに、この荷物をホテルに預けてこれないし・・・

病室のベットが埋まっているので
通された場所は 物置のような場所で、薬の箱や布団や使われていない机が無造作に置かれている。
畳の部屋に 布団が引かれた。
布団に横たわった瞬間、身体の緊張が解けて、ぐったりしていくのが分かる。

後は産むだけだ。

「今、分娩が続いてて、先生後で来ますからね」
そういって、看護婦はいなくなった。

そのまま、24時間。
私は忘れ去られた。破水してから30時間は経過している。
布団から起き上がれないほど、衰弱していたが、なんとか看護婦に声をかけに行く。
カルテも出されてなく、夜中に運ばれたことを どの看護婦も知らなかった。
夜勤の看護婦は翌日引継ぎを忘れて、帰宅していたようだ。

緊急で分娩室に入る。
もう話すこともできない。
陣痛もこない。
破水から時間がたちすぎている。
おそらく、子供もダメだろう。医者の声が遠くに聞こえる。
看護婦が「先生、脈が。血圧が40きりました」と騒ぐ。

その瞬間だった。

バチン と大きな音がして 停電した。
夜中3時ごろである。

停電した。台風が直撃したのだ。今産まなくちゃ。
それまで意識朦朧としていた私は、頭を上げて 医者にいった。

すぐ切ってください。

小さい電気の用意がされ、暗い手術室に発電機の音が響いた。
担当医からベテランの老院長に代わった。
院長は「久しぶりの帝王切開だが、昔なりの麻酔でいこう」と穏やかな余裕をみせる。

「痛い」
猛烈に痛い。
メスが腹を割いていくのがわかる。

「陣痛はもっと痛いんだ。このぐらい我慢しなさい。」
「痛いと感じていれば、死んでない証拠だ。」
「もっと、騒いで、赤ちゃんを励ましなさい。」

院長の声が はっきり聞こえる。
看護婦の一人が泣いている。

短い時間だった。紫色の物体が取り出され、堅く丸まった身体がびくっと動いた。
まだ生きてる。
それを確認して、私は眠りに入っていった。

出産

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15年前の話

診療所の医者が
「おろした方がいいですよ」と勧める。
ナイチャー夫婦に 離島の医療の現実は重い。

島には産婦人科もない。助産婦さんも高齢で亡くなってしまった。
近所のネーネーは妊娠中毒症で 母子共に助からなかった。
診療所に分娩設備は あることはあるのだが、もう何年もここで出産した人はいない。
出産時に何か異常があれば、
自衛隊のヘリコプターを要請して 那覇の病院に搬送される。
天候次第でヘリが飛ばなければ、お終いだ。

普通は 那覇の病院に検診に通い、妊娠中期になったら沖縄本島の親戚の家に身を寄せる。
そこで陣痛をまち、出産してからも 3ヶ月検診が終わるまで、留まるのが一般的だ。
島には 小児科もない。

内地に帰って助けてもらえる身内も いない。
本島に知り合いも いない。
若い夫婦が 二人で 助け合いながら なんとか乗り切れるものだろうか。

産後の肥立・新生児の世話。何も知らない夫婦に無理を感じたのだろう
医者は、離島の現状を話してから、「堕胎」を勧めてくれた。

それでも 産むことにする。 産んでから考えよう。と思うように努める。

毎月、飛行機で 那覇の産婦人科に診察に通う。
つわりの酷い妊婦が一人で、那覇に向かう。
暑い日差しで 焼けたアスファルトの匂い。
コンクリートの四角の家並みが 冷たさとよそよそしさを感じさせる。

臨月になると 飛行機に乗せてもらえない。
1日1便 フェリーがあるが、天候次第で 欠航も多い。

出産予定日の1ヶ月前、大荷物を持って、飛行機に乗った。
出産までの生活品、分娩時の用意、赤ちゃんの着替え・・・
両手いっぱいの荷物を持って、一人で飛行機に乗る。

出産は女の仕事だもの。産むのは私だもの。

主人に女もいたし、仕事にかこつけても、狭い島の中 ちゃんと聞こえてくる。
妊娠した私は 彼にとって嫌悪感の対象であった。
それでも、
本当の親の顔を知らない主人に 唯一血の繋がった家族を作ってあげたい
そう思ったのは、母性が産む余計なお節介でしかなかった。

子供を見れば変わるかもしれない。
産めばなんとか育つ。育てるしかないんだ。今はもう一人の身体じゃない。
そう覚悟してから お腹の子供と共同体の身体になった。

那覇の安ホテルの 生活がはじまる。
いつ陣痛が来るか分からないから、いつでもチェックアウトできるように準備してある。
素泊まりの安ホテルで お弁当を食べる毎日。

夏のトップシーズンで ホテルも予約が続けてとれない。
いつ陣痛がくるかわからないから、前もって予約は難しい。
当時はインターネットも携帯電話もない時代。
公衆電話で 電話帳をめくって 1件1件宿を捜す。
予約して フロントにいくと
「出産間近の妊婦さんの1人宿泊はお断り」が何回もあった。
仕方ない。

早く産まれる様に。毎日毎日、知らない那覇の街をうろうろ歩く。
夏の暑さに照り付けられながら
知らない道を さまようように歩く。

出産予定日が過ぎた3日目 台風が近づいてきた。
旧暦の15日。満月の大潮。台風が那覇に直撃するようだ。
大潮の満潮時に直撃したら、タクシーも拾えない。その前に産むしかない。

台風情報を聞きながら、強風のホテルで夜を迎えた。
あと5時間で満潮。台風圏内に入る。
私は 風呂場で お腹をぐーっと押し続ける。
もう、生まれていいんだよ。強い力でパンパンになったお腹を押す。
2時間後、破水した。

急いで荷物をまとめて、チェックアウトしてタクシーに乗る。
タクシーの運転手が「今日は出産ラッシュだよ。」と笑う。
台風の時、1日15日の大潮は出産が多い といわれている。
暴風雨の中、車の走っていない58号線をタクシーは走る。


・・・・続く・・・・・


*トウキョウサンショウウオの卵、ちょっと形になってきた

好きなこと

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この2年間 社会的に生きてないせいか
緊張感のない生活です。
緊張感のないのは 言い方をかえれば だらしないってことでしょうか(笑)
緊張感のない身体つきです。

ストレスはほどほどに あったほうがいいらしいです。
社会的じゃなくなってから 楽にいきて(気ままに・わがままに)ます。
楽なんで、こりゃいかんねぇとおもって ストレス探しにいったりしますが、
ストレスも楽しくなってしまうので、お気楽なもんです。

好きなことなんですか?って今日きかれたので
ん〜そうだなって 少し悩んでから
ニヤニヤすることですって答えました。

・・・・・キモイ?!・・・・確かに。

これといって 特技も学問もない育ちなんで、
好きなことは 下手の横好きです。
何やっても 楽しいので運動以外はなんでも好きです。

最近は、頭のいい人と話をするのがすきです。

ストレス解消は 針をもって何か縫ってつくること。

定期的にしかも豆な定期的に 旅行にいかないと狂います。
旅行って言っても たいしたことないんですけどね。
家にいる暇があったら どこかに出かけたい。
常に新しい、知らない場所に 心向いています。

好きな食べ物は すじこ
もう3年も食べてません。すじこ食べると他のものを食べなくなるので、
すじこを見ないように 努めています。

一番すきなのは
誰もいない 山で 一人でぼけーっとして そのまま眠ることです。
夜の闇の中で、闇に埋もれるのも すきです。

活字中毒です。
テレビを全くというほど 観ないので、本を読みます。
それでも この世にたくさん本があるので、読みきれず、
まだまだ 「本は読んでない」と思っています。

ハンバーグ

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5歳に間違いないと思う。
あの日の光景は みごとに焼きついていて、
ハンバーグの皿も、赤いワンピースのベルトも、パーキングエリアの電灯も 覚えている。
あの駅前の喫茶店の 一口もたべなかった チョコレートパフェも。

車を運転していたのは 私の父の弟(つまり叔父)で
車には、私の他に 父の姉夫婦と4歳の息子(つまりいとこ)と祖母が乗っていた。

仙台から高速道路を走る。
車にのって出かける意味も まったく分からなかったが、
出かける前から やけに周囲が優しかった。
普段、優しくされていないので、危機感をひしひしと感じた。
「なにか ある」子供の直感だ。

車の中で遠まわしに大人が話ししている。
子供には分からないだろうと 思ってるらしい。
残念ながら 子供の直感は 鋭くて、聞かなければいいことも ちゃんと察知してしまう。

どうやら 父に会いにいくようだ。

私は父と 殆ど会ったことがない。
父に一度 拉致されて(勝手に連れ出された)父の女の家に連れて行かれたことがある。
子供ながらに 見てしまった 光景は その女のつけまつげと一緒に 心に納めてある。

そんな父だったので、祖母も叔父も 私が父と会うことを良しとはしなかった。
それは 今でもかわらない。
父とは滅多に 会わないし、向こうも子供とは思っていない。 

車の中で、父の犯した出来事を 叔母が話す。
祖母が、「聞いてるから、いうな」と制す。
私に聞かせたくない話なのだろう。 
ならば、あえて 聞かないし、聞いても知らん振りするだけだ。

途中、サービスエリアで食事をした。
私は能面のように 無表情で、何もしゃべらないし、食べない。
叔父さんが 頼んでくれた ハンバーグが目の前に置かれる。

よその子の私が、ハンバーグなんか食べたらいけないのだ。
それなのに、今日はハンバーグが置かれている。
これを食べたら、泣いてしまうかもしれない。
でも、食べなかったら、叔父さんに悪い。

結局、何も食べなかった。
車酔いした振りをして、一言もしゃべらなかった。

車は走り、途中パーキングエリアで 少し休憩をした。
車の外に出て、芝生の上に横になった。
私が芝生で寝ている隙に この車が走り出し、いなくなってくれればいいのに。

そう思っていたら、トイレから帰って来た4歳のいとこが、
「カナーちゃんのお父さん、刑務所にいるんだってよー」
大きな声で私に向かって 走り寄った。
「うん、そうだね」といった。
あの時の いとこの半ズボンも、白いタイツも 忘れていない。

車の窓から 赤いレンガの建物をみた。
もう、何も知らないことを 貫くしかない。

私といとこは 駅前にある 喫茶店で待たされることになった。
チョコレートパフェが 溶けていく。
こんなもの 食べたことない。どこから食べるのかもしらない。

今だに 何故 刑務所に入ってたのか 聞かない。
私の前で、父も叔父も 「昔、ちょっといなかった時あったからな〜」と笑っている。
だから、私も気にせず 笑っている。
どんな罪を犯したのか、どれだけの期間 檻にいたのか 知らない。

今も、あのクリーム色のサニー(車)の中の 私のままで
何も聞かないし、知らないのが いいと分かっているから。 


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