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横山大観の富士
が平塚市美術館で開催されていて また、招待券を頂戴したので 行くことにした。 平塚市美術館は 都心のそれとは違い ザワザワした美術館で 町の公民館が、燕尾服をキタヨウナ 不揃いのソーサー付きティカップで リプトンの紅茶を飲むような場所である。 大観は富士を沢山描いている が 展示会場に富士山がいなかった。 大観の富士山は 日本の象徴の富士山であり 私が毎日、おはようを言う富士山ではない。 あー富士山ってこんなイメージなんだな。 人は、富士山をこうあって欲しいと 思っているのだな。 と感じる富士山がせまぜましく 行列していた。 仕方が無いので 顔材を存分に使えて リッチだな。 とか 表装の模様の巧みさなどに 余心を寄せた。 富士山はあーゆー 余所行きな顔もするのだな。 ふふ 子供がわけもわからず 晴れ着を着せられて 写真を撮らされてる構図が浮かぶ。 ケッタイなものだ。 富士山は 大らかで、荒々しく、 受け止めるに弾力がある。 しかし、近くによれば、 すさんでいて、乱れていて、 削り取られているような 醜さに目を疑う。 ロビーに降りると 市民の撮った富士山の写真が 並んでいた。 そこには、本物の 富士山が 田畑を見つめ 子供らに はよ、帰れ と言って ムッツリ顔をきめていた。 富士山は、ここにいたのである。 |
絵読文観
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知り合いの教授から
著書をもらった。 うっかり、あら面白そうな題名ですね などとくちがすべったのだ。 このようにして 我が家には、不本意に本がたまっていく。 もらった図書の殆どを読んでいない。 失礼のように思えるだろうが 読んでいられないというのが本音である。 社会性のある作家は もらって下さい。とか こういう本を書いています。とか言って 挨拶や生存確認のように渡してくるのだが 時折、本をあげるよ。などと ほら、お礼をいいたまえ。のように渡してくる方もいる。 いりません。とお断りする場合もある。 読みたいと所望して いただく場合もある。 ねー売ってないんだけどさー もう廃盤なのー? と聞くような書物は 大抵良い本だが、一般受けしないため 市場から淘汰されている。 著者が自腹で買った数冊の 一冊をわけてもらうのだ。 無論、ただで。 お金ないからちょうだいねー と先に言うのだ。 まったく酷い話だが これまで、これで嫌がられたことはない。 いい本をいいと理解して活用する。 それがお礼である。 昨夜頂いた本は、短編エッセイで ペラペラめくったら 友人の名前がのってたり 事情の裏まで知ってることが書かれてたりで、それなりに楽しめた。 もう2度と読まないだろうから 何処かに寄贈する。 売れてる作家だから、大抵喜ばれる。 欲しい本は手に入らない。 書きたい本は出版できない。 まったく不条理である。 2週間後に原稿の締め切りがある。 大量に溜め込んでしまった。 書かなければいけなかったけれど どうも、心の余裕がなくて 6月のイベント用の工作を考えたりしてしまった。 明日こそは。。と思うけれど 明日は里に出掛けるし 筆は進まない。 こんな調子で書いたものは 人にあげないようにしようと思う。 |
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世田谷文学館で 開催中の 石井桃子展にいきました。
ほぼ
雨宿りのために行ったような ものですが。
石井桃子は だれもが通る道ですね。
いまやプーさんを知らない人は いないくらいです。
101歳で天寿されるまで
まったく休むことなく 刊行し続けられた バイタリティには おどろくものがあります。
石井桃子は ですね。
ちょっと読むと とても頭を使います。
っていう表現は ちょっと変ですね。
頭に響きすぎて 脳がこなしきれなくなるほど 締め付けられる迫力に襲われるってかんじです。
しかし
狙わずに こうも書けるってのは
天命としか いえません。
昭和高度成長期の 匂いも
トヨタ車の 丸い目玉の プワプワしたクラクションの甲高さも
パンタロンの 星模様も
立体感になって
押し迫り狂う せつなさが
石井桃子を 読みたいくせに 買うことができない理由だったりします。
この石井桃子展は4月11日までやってますが
正直なところ
「これに わざわざいくなら 図書館で 本よめば?」と思います。
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三月もとうに すぎたころ
ずっと 楽しみにしていた 小野竹喬展に いけました。
東京国立近代美術館は
皇居のほとりにあり
桜が咲き始め、モクレンが 満開でした。
ここにいくには それなりの 覚悟が必要で
なにしろ
展示物が多いので
「おなかいっぱい」になってしまうのです。
まして 隣接の 工芸展やら 常設展もあるのですが
見終わったためしがありません。
今回は
私が先に会場いりし
ほとほと 重量感に圧迫されつくしたころ
閉館2時間前に
まりんちゃんが 入館。
まりんちゃんは 観終わらず、目的の絵だけみて
あげく
作品の前で たったまま寝てしまうのでした。
まりんちゃんは 絵を観にいって 大変ハードだと 寝てしまいます。
ハードというのは
感受性の部分で
重すぎると 脳がしびれるのでしょうか
寝ます。
だいたい 良いものに出会った場合
立ちすくんで 寝ています。
私は
欲張って 常設展まで 見てしまい
頭が 多くを こなしきれなくなって
ぐったりしてしまい
「あーあーあー」という感想をはきました。
ソレを聞いて
まりんちゃんは
「だからよ」といいました。
小野竹喬は 走っていた人でした。
75年間の作品の 駆け抜け感が すごすぎる。
やっぱり
日本画の 画材は よいなあ。
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宮本三郎記念美術館にいきました。 |





