日々是好日

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虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きん

                     性霊集  空海


カナー訳:むなしい世の中がなくなり
     苦しむ人がいなくなり
     救いの必要がなくなれば
     私の願いもなくなるだろう


この世に生きる限り 
悩みがなくなることは ないでしょう。
誰一人 苦を感じない そのときまで
悩みがなくなることは ないのです。

悩むからこそ 幸にむかうことができます。

誰一人 辛を感じない そのときまで
私達のやることは あります。

そのために 生まれてきたのですから。

同時

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同時といふは 不違なり。
自にも 不違なり。
陀にも 不違なり。     修証義より


カナー訳:同時 というのは 一体し、一致することである。
     自分と他人の区別もなく、自分自身も 失わない。
     他人にも 背むくことがないことである。

「同時」であることは
溶け合って 1つになることではない。
1つと1つが つまり 自分と他人が
同じ考えで 同じ方向を向き 手を結ぶことである。

溶け合って 1つになるには
お互いが 漢化され 同化し合って 元の形体をくずすことである。
例えば
彼にあわすために 好きでもない行動にでる。
彼も 不自然さに気がつきながらも 不本意な彼女を受け止める。
元の形と違っていることは 「同時」ではない。

お互いの個性を認め合いながら、それを維持したままで
お互いのことを 支えあう。
いいところも悪いところも ひっくるめて
理解する。

パンをたべようと ご飯をたべようと
腹が満ちれば 幸せなのだ。

考えの違う人を 理解して、支えていくのは難しいだろうか。
考えがちがうからこそ
新たな発想が生まれるのだし、世界も視野も広がるのである。

「同時」であればこそ
人と結びあうことで
自分を広げられる チャンスも与えられる。

     

やって

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やってみせ、
言ってきかせて、
させてみて、
ほめてやらねば 人は動かじ。    山本五十六の言葉


山本五十六は 有名な軍人さんです。
長岡出身です。長岡藩は立派な人を沢山産出しています。

上杉鷹山の「してみせて 言って聞かせて させてみる」というのもあります。
・・パクリじゃないか・・
と内心思ってるけど、まぁ気にしないってことで。

人を育てるとは 難しいことで
毎日顔を合わせている わが子さえ
育てるのに 難しいのだそうです。

社会においては 考え方も環境も違う個人個人が
成長しあう とは 難しいですね。

言う・させる・ほめる は自然にできることです。
ところが
やってみせる
事ができる場合が 少ないように思います。

私も 常にエラそーで 威張り散らしている
いや〜なおばちゃんですが
そのくせ、何もできない甘ちゃんであります。

口では言うくせに まったく自分はやれない。
人が頑張って出来たことを 感心してほめますが
自分は まったく出来ない。
ほぼ、「何もできないのが個性」になっています。

ちなみに 唯一得意とする やってみせる技は
「開き直り」です。すごいだろー。
怠慢というか 体満というか 大漫というか・・

やってみせ

「やって」が先で、「みせ」ることも必要。
やってもやっても 覚える側が 見て学ぶ姿勢がなければ 成立しません。

学ぼう、上達しよう、向上しよう。
教える側も 覚える側も お互いが両者にエンジンかかっていないとね。

「やってみせ」られるような
生き方は出来ませんが、
「こんな風になりませんように」と願いをこめて
母の背中を見せる毎日でございます。

迷子のお知らせ

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子曰(のた)く、
吾十有五にして学を志し、
三十にして立ち、
四十にして迷わず、
五十にして天命を知り、
六十にして耳順(みみしたが)い、
七十にして心の欲する所に従えども、
矩(のり)を踰(こ)えず         孔子


カナー訳: 15歳で学問を志し、
      30歳で独立し、
      40歳で迷うことがなく、
      50歳で天から与えられた天命を悟り、
      60歳で素直に人に従えるようになり、
      70歳で自由になっても道を踏み外すことがなくなった。

15歳「志学」30歳「而立」40歳「不惑」50歳「知命」60歳「耳順」70歳「不踰矩」
・・・・漢字多いなぁ・・

40歳になったら迷うことがない 40にもなったら迷わないでいける
と孔子は 言ってるのだろうか。
そうかなぁ。
いくら君子である孔子でも 40歳で迷わない志で あっただろうか。

40歳になっても わが道に迷い 立ち止まり 振り返り 回り道する。
進むべき道が これでいいのかそれすらも不安。
例えば 20代だったら
迷わず 突っ切るパワーがあったかもしれないけど
40歳になって 己の無能さや未熟さを 十分知ったからゆえ
なお 迷う。

40になって迷わなかった のではなく
「40になったら 迷わないように 心がけよう 」という
決意表明では なかろうか。

同じように 50になったら自分のやるべき事
なんの為にこの世に生まれて この身をどう生かすべきか
辛いことも 徳にならないことも
天から与えられた命を社会に生かすには どうあるべきか
そう 決意していきたい。

15歳で 学問する って初段階から くじけてしまってる私ですが
そのまま くじけてて
30歳で独立する ほど人間が出来ていない。
独立とは
誰にも 依存することなく 自分自身の力と知恵で 社会で生き抜くこと。

30歳を1年以上?すぎてるのに
常に 誰かのおかげで 生きながらえている。
何一つ 喚問をクリアできないまま
「40にして迷わず」の難関。

迷わずに進むべき道であっても
道草して 途中寝転んだり 路地曲がってみたり
だらだら キョロキョロ プラプラ しながら 進むのも
楽しいはずよ〜






      

木綿のハンカチーフ

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世を渉ること浅ければ 点染もまた浅し
事を歴ること深ければ 機械もまた深し
ゆえに君子は その練達ならんよりは 朴魯なるにしかず
その曲謹ならんよりは 疎狂なるにしかず
                           
                 菜根譚より


カナー訳:世を渡る体験が少なければ 世の中の悪事に染まることも少ない
     
     経験を重ね、だんだんと 世の中のからくりに慣れ操るようになる
 
     そのため君子は 世渡り上手に洗練されるよりは

     少し 間抜けで 素朴な方が良い

     垢抜けなくとも 志を捨ててはならない


いつしか 社会の理不尽になれ
媚へつらいを 身につけて 人に意見せず 人に合わせたふりをして
事なかれ主義になってしまう。
白でも黒でも どっちでもよくて
皆がいいなら灰色でも いいんじゃないか と意思をもたない。

気になるのは 何が正しいか ではなく
人の目と 自分の評価。

そうはいっても 世渡り上手でなければ
協調性に欠けるとみなされ 排除されてしまう。

しっかりして 抜け目ないよう 生きていくには
本心に反するか もしくは 自分もコソずるくなるのが いいのだろうか。

そうであれば
少しドン臭くても 要領の悪い奴と呼ばれても
変わってるね と笑われたって
構わない。

周りが どう評価しようとも 自分自身に変わりはないのだから。

純粋で 素直な 正義感を 失わなければ
『我』の道を 直進していけるだろう。


     

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