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私の小さい頃も『いじめ』はあった。それを『いじめ』と表現するかどうかわからないけど・・
いわゆる『仲間はずれ』だ。
小学校の頃もあった。グル−プの中でリ−ダ−的な子の一存で。かわりばんこに・・・
私のグル−プはクラスの中でリ−ダ−的なグル−プだった。その中で仲間はずれが行われる。
でも他のグル−プが私を拾ってくれる。そしてリ−ダ−グル−プと元通りになるとまた離してくれる。
(今、思えばその受け止めてくれた子達は本当暖かい子たちだったな・・・・)
中学生の頃もあった。
当時、私はかなりのわがままぶりだった。(今も?)
自分の意見は絶対!って思ってた。思ったことをずばずばと口にだしていた。
中学生になるとクラスとは別に部活動というものがあり学年の仲間という大きい組織も加わってくる。
部活動の中でもリ−ダ−ができる。
部活動の中のリ−ダ−も小学生の頃の子のように自分の気持ちで誰かを仲間はずれにする。
でも、私は仲間はずれにする理由がわからない時はその子と一緒にいた。
友達は『一緒にいるとu-fufuちゃんまで一緒に無視されちゃうよ!』って言ってた。
私は『一人じゃないし、何も悪いことしてないから大丈夫だよ!』って返した。
リ−ダ−に『あの子○○してムカつくよね!無視することになったから』と言われたこともあった。
私は『私はムカつかないよ!』といって普通に話していた。
リ−ダ−は部活動のみんなで歩いている時私たちに対し
『集団行動を乱してるから誤ってほしい』と言い、私たちは謝る理由がわからなかったけど誤り、
元通りみんな仲良くなった。
クラスと部活動は大分リンクしている。
先に話したように私はずばずば人を傷つけるような発言をしていた。
そうしたらやはり仲間はずれにあった。クラスでも部活動でも・・・今までの行いが行いだけに大きな仲間はずれだった。いっつも騒いでいた私がシュンとしているのだ。誰もが気づいただろう。
親には言えなかった。そして学校にも行き部活動にも行き続けた。なんだろう。逃げよう!とは思わなかった。でも、クラスでも部活動でも必ず誰かこんな私を受け止めくれる人がいた。
そして仲間はずれにあったのにそのうちまた仲良く元にもどる。この仲間に固執してたのだろうか・・
人はそう変われない。そう、学習しないのだ。
部活動のリ−ダ−にみんな不満を持っていた。彼女は学年のリ−ダ−的でもあった。私以上に横柄で気分で人を仲間はずれにするから。
最終的に彼女が仲間はずれになった。何をきっかけだったか誰が筆頭になったかもわからない。
誰かが言い、みんなが賛同したのだ。賛同というより各自がおのおの避けるようになったのだ。
リ−ダ−は学校に来なくなってしまい、お母さんが『仲良くしてあげて!』と言って来た。
私たちは今まで彼女がここにいるほぼ全員をリ−ダ−となり無視をしてきた。みんな、つらい思いをしてきた。彼女も同じ思いをし、反省するべきだ!と訴えた。
彼女も学校に来るようになりシュンとしてる彼女をみて、切なくなり誰彼ともなく声をかけうようになった。一時的に彼女も大人しくなった。
私は彼女とは別の高校に行ったが、卒業後彼女がまたリ−ダ−になっていた。
人はそう変われないのだ。そしてきっと彼女にはリ−ダ−になるカリスマ的魅力もあるのだ。
私たちの時代もいじめはあった。でも、クラス全体とかではなく、グル−プでという規模。
他のグル−プが受け止めてくれた。
仲間はずれにされることにより人に傷つき、受け止めてくれる人に感謝の気持ちを生まれる。
仲間はずれなんかしないのが一番。
逃げ場のない小さな社会。逃げ場のない心。
自然が少なくなったり、情報がありすぎたり、そんなことからどんどん人の中のキャパが小さくなってるのかな・・
仲間はずれにしない強い心、それに打ち勝つ強い心。これを育てるのは大変だ。
もし、母になることができたら私は子どもをいっぱい抱きしめようと思う。
私のように抱きしめられすぎて心の逃げ場をなくさない程度に・・ほどよく抱きしめてあげよう。
私が仲間はずれにされたのは自業自得だと思っている。
でもこの仲間はずれは私にとってトラウマになっている。
高校に入って私は人と距離を置くようになった。信用しなければ傷つかないですむ。
高校の友達は小学校や中学校の私も知っているから・・・
一番青春と言われ親友が生まれるという高校時代に私は距離を置いていた。
短大になって、周囲は私のことを誰も知らない人ばかり。生まれ変わるチャンスだった。
私はいい子になった。人の悪口を絶対に言わないと決め。我慢しようと思った。
友達が沢山できた。
でも人はそう変われない。心の傷も残っている。
数年たって、友達との地盤もできてきて私もドンドンだしてきている。
友達は私のことをわがままという。どうやら、自分では変っていたつもりだけどそう変っていないらしい。もう、みんな大人だしイヤなら離れていけばいいのだ。
どこにも組織に属していないのだから。
そして、私は友達になにか求めている。求めすぎている。
高校時代、人と距離を置いていただろうか・・・
ただ、単に私が感受性が強すぎるからだろうか・・・
37歳にして私はまだ自分がわかっていないし、自分を受け止めることができてない。
でも深く考え過ぎずちょっとずつ、自分を許したり認めたりしていけたらと思う。
こんな時は熱いお風呂に入ってボ−っとする。それが今の小さな私の逃げ場です。^^
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不快だなんて思いませんよ。私は被害者となった時『自分が悪い』と思うことで自分をなぐさめてました。自分が加害者となった時、彼女を止める方法はそれしかなかったと思ってました。彼女は高校生になっても仲間はずれをしていたようですが。他の方法を見つけ出せなかったかと思ってます。いじめがなくなればいいと思ってます。仕方ないとも思ってません。逃げたいと思わないのが一番ですから。 今、加害者にはならないと誓い、目撃してしまったら手を差し伸べる勇気をもちたいと思ってます。
2006/10/22(日) 午後 5:28 [ うふふ ]
ある本、か何かで、性格はなかなか変えられないかもしれないけど、考え方をちょっと変えるだけで変われるものだと読んだことがあります。それは実行してみてなるほどなぁと思いました。私もずっと人との距離をとってきたほうだけど、親しくなりたいなって思った人とはなりたいもんね、だからブログでリハビリ中?(笑)
2006/10/24(火) 午前 5:35 [ - ]
私は環境の変った短大で多分調度いい距離をとりながら親しくなれたんだだと思う。でもそれぞれ環境は変り私の持ってない大切な家族を作っている現実に・・・まだ対応できないのかも。自分から踏み出す一歩を私もみいんなのブログを読みながらリハビリです。
2006/10/24(火) 午後 7:26 [ うふふ ]