右近の日記

名古屋をどり主宰・日本舞踊西川流家元のブログです

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 9月7日、名古屋をどりの終演を持って,西川流家元は私より、息子の西川千雅に継承されました。写真は最後の日の口上です。

 この日を持って31年間に渡る、私の家元としての任務が終了いたしました。この日まで無事に家元を継続できましたのも、御贔屓の皆様のおかげ、そして、現在のみでなく,過去の門弟の皆さんの協力のおかげです,心よより感謝いたしております。

 45年前、生まれて来た息子の顔を見て、家内の八重子がホットした顔を見せたことが昨日の様に思い出されます。
 私としてはまだ、父親もおりましたので、自分が家元になることすら深く考えておりませんでしたので、息子の千雅に将来の舞踊家への期待もありませんでした。
 その私が家元となり、31年経って息子に継承されたのです。
 家内は息子が生まれた時からこの日を待っていたのでしょう。何かと言うと息子に踊りを継続するように言い続けていた様子です。

 息子がニューヨークのビジュアルアート・オブ・スクールへ留学する時も、反対しない私に少なからず不満を持っていたようです。
 私は自分の将来のことは、自分で選ぶことに賛成でしたので、ニューヨークに行くことも反対しませんでした。
 その息子が卒業して帰って来た三ヶ月後に、私が心臓の病気で倒れ、息子が代役を務めることになった時も、息子と家内は一晩中将来について話し合っていたようです。
 そんな私が病から立ち直り、まだ遠分は家元を続けるであろう時に家内が倒れました。
 ふと、「私と家内が生きているうちに息子へのバトンタッチ」と考えだしたのも、そのような家庭の事情が大きく作用されてた思います。

 それにしても息子が踊りに興味が無ければ継続できません。

 私の考えは、家元業と言うものは「免状」を出す訳ですから、その責任はいつまでも全うしなければならない職業だと考えていました。たとえ,それが自分の家系でなくても、責任は継続すべきだと思っておりましたので、息子の家元継承はつつがなく決行できるようにとも思っていました。

 息子が、全国の門弟から祝福を受けている姿を見て一番喜んでいるのは家内だと思います。

 私は(家元)から(総師)という名前に変わりました。
 この言葉は私が作り出した造語です。家元は流派の総ての責任者、総師は師匠を志す者の総まとめ役という考えです。

 私の好きな言葉に「老兵はしなず、ただ,消え行くのみ」マッカーサー元帥の軍役をおりた時の言葉です。  私の家元としての役割を無事に送らせて下さいました皆様に感謝し、今後の西川流をふくめた芸能へのご支援を、せつにお願い申し上げます。ありがとうございました。

                 西川流  総師 西川 右近

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