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日本医師会の第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集 中高生の部優秀賞の山口県大窪さんの作品を読みました。
高校生の彼女が、大好きな祖父の最期を自宅で看取ったこと、本当に辛かったと思います。しかし、その経験は、後年になっても彼女の大切な記憶として残るはずです。 幸せな家族の中におじいちゃんがいたこと。それこそが、祖父にとって一番幸福なことであったと信じたい。 少女の素直な作文に目頭から熱いものが流れてきた。 ******** 第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集(日本医師会) <中高生の部> 優秀賞 「最期の迎えかた」 大窪さん(山口県) 「人は死ぬとき、何を思って死んでいくのだろう。自分の生きた人生が最高なものであったと思い、安らかに眠りにつくことが出来ても、私たちはそれを恐れ、目を叛(そむ)けている。 先日、祖父が亡くなった。こんなに身近に死を感じたのは初めてだった。祖父の死を通して、人間の死について考えさせられた。と、同時に祖父の死が近づくにつれて死というものが理解できない私がいた。
入退院を繰り返していたものの、元気な素振(そぶ)りだった。家では頑固だったが、人柄はとても優しく、誰からも好かれ頼られる人だった。私はそんな祖父が大好きだ。病気の祖父を見舞う度に、祖父の人生が最高な人生だったと思って旅立ってほしいという思いが大きくなっていった。だからといって、一度きりの人生をやり直すことは誰にも出来ないし、私が残りの人生を良いものにしようと、祖父の人生を揺るがすようなことが出来るわけでもない。「最高な人生だった」と思ってもらえるためには、私の力だけでは不十分であり、たくさんの人の協力が必要だった。
入院中、祖父はとても自宅に帰りたがった。自分の病状が悪くても、週末が来るたびに外泊許可を取った。もちろん帰ることが出来ないこともあった。正直なところ、こんなに頻繁に外泊をしても良いものかと思っていた。病人はずっと病院で治療を受けているべきだという固定概念があったからだ。祖父が治療を受けていた病院は自宅から車で三、四十分の場所にある肺癌(がん)専門の病院だった。毎回の送迎も大変だったが、何より車に三十分以上も乗っているのは辛(つら)い様子だった。そこで母は自宅にいたいという祖父のために在宅治療の手配をした。
病状は日が経(た)つにつれて、少しずつ悪化してきている。それでも自宅で過ごせるようになった祖父の顔は、決して顔色が良いとは言えなかったが、明るさがあるように思えた。祖父は、住み慣れた自宅で祖母と暮らすことが嬉(うれ)しいのだと改めて痛感した。
亡くなるおよそ一週間前、食べることが出来ないくらい病状が悪化した。目の前に弟の六歳の誕生日を控えていた。いつも誕生日にこだわる祖父にとっては重大なことである。急いで早めの誕生パーティーを開いた。
祖父が亡くなる前日、弟の誕生日だった。祖父にとって大切な日だ。登校前に祖父に会いに行った。祖父が心配で離れたくなかったが、登校した。高校生になって一度も休まず皆勤を目指していることを知っている祖父が悲しむだろうと思い、涙ながらも授業を受けた。
祖父が亡くなる日である。その日も朝から祖父に会いに行った。前日のこともあり登校前から涙が止まらなくなった。祖父の体調も優れなかった。昨日までは皆勤を大切にしていたが、この日だけは絶対に祖父のそばにいないといけない気がした。家族に相談し欠席した。後に校長先生が勉学よりも、もっと大切なことがあり、あなたにしかできない役目を果たし学ぶことが出来たのだよと話してくださった。
私は今まで在宅治療がどういうものか知らなかった。というよりも祖父の死と向き合うのが怖くて、どうしても目を向けることが出来なかったのである。しかし訪問看護師さんが、その日は、私を中心として訪問看護の仕事をさせてくださった。酸素量を測ることから始まり、身体を拭いたり、着替えを手伝ったり、お下のお世話まで。苦しそうな時は手を握った。祖父はずっと私の方を向いていた。亡くなる直前までずっと。
その日の夕方、口元をカクッカクッと二回動かして目を閉じた。祖父のお気に入りの服を祖母と選び、エンゼルケアをした。
祖父は亡くなる前に、病状が悪化し口数が少なくなっていたが、自分の思い出を語ってくれた。その中には、あの時はこうしたらよかったというような後悔は一つもなかった。祖父の人生は後悔のないものだったのだと思えた。肺癌で苦しんだのは、若い時から吸っているたばこが原因だろう。そのことを後悔している様子もない。幸せそうだった。きっと祖父は人生に満足している。学校を休んでそばに寄り添えたのは祖父が願って、そうさせたのだろう。祖父の人生のたくさんの出来事の中で、私の存在は祖父にどれだけ喜びや幸せを与えることが出来ただろう。
祖父が大好きな自宅で家族に見守られ最期を迎えることが出来たのは、祖母や母から始まり、訪問看護師さん、祖父のことを想(おも)う全ての方々のおかげである。祖父の周りに沢山(たくさん)の人がいたからこそ、こうやって祖父は最後まで幸せでいることが出来たのだ。
これは後になって聞いたことである。祖父は自宅で最期を迎えることを望んでいたそうだ。> 」
(出所)日本医師会
第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集<中高生の部> 優秀賞 「最期の迎えかた」 |
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こんにちは
大窪知花の母です。
娘の作文を読んでいただきありがとうございました。
父を最期まで笑顔で送ってあげることが出来たのは、
私たち家族の一生の宝物です。
命の大切さを父が自分の身体で教えてくれました。
自宅で看取ることは考えてもいませんでしたが、
素人の集まりが、最後は医療スタッフのように
看護できたのも、訪問看護師さんや末期がんの在宅医療を専門にされている先生のおかげだと思います。
人が死ぬこと、当たり前のことだけれど、最後まで自宅で過ごせることの幸せを父は感じてくれたことと思います。最後の日、意識が薄れゆく中、みんなで声をかけ、お礼の言葉や、思い出話をしたこと、きっとみんな忘れません。
[ ちえちえ ]
2016/1/4(月) 午後 3:58
ちえちえさま
お母様からのコメントありがとうございます。
私も数年前に父を亡くしており、思いを同じくしながら体験記を読まさせて頂きました。
体験記ありがたく転載させていただいたお礼と、今回のコメントについてありがたく御礼します。
[ たんたん ]
2016/1/5(火) 午後 8:42