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三越で見つけた亀山の五色蝋燭。

京都の紙筒容器の老舗「鈴木松風堂」と亀山蝋燭が共同開発した「亀山五色蝋燭」は、紙パッケージの「菊唐草模様」が素敵です。

イメージ 1


仏壇に蝋燭を灯してみると、カラフルな芯糸が着火部分の下の蝋燭本体との間に見ることか出来ます。

義理の父が亡くなってから今夏、丸三年(四周忌)を迎えます。合掌
日本医師会の第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集 中高生の部優秀賞の山口県大窪さんの作品を読みました。

高校生の彼女が、大好きな祖父の最期を自宅で看取ったこと、本当に辛かったと思います。しかし、その経験は、後年になっても彼女の大切な記憶として残るはずです。

幸せな家族の中におじいちゃんがいたこと。それこそが、祖父にとって一番幸福なことであったと信じたい。

少女の素直な作文に目頭から熱いものが流れてきた。

********

第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集(日本医師会)
<中高生の部> 優秀賞
「最期の迎えかた」 大窪さん(山口県)

「人は死ぬとき、何を思って死んでいくのだろう。自分の生きた人生が最高なものであったと思い、安らかに眠りにつくことが出来ても、私たちはそれを恐れ、目を叛(そむ)けている。
 先日、祖父が亡くなった。こんなに身近に死を感じたのは初めてだった。祖父の死を通して、人間の死について考えさせられた。と、同時に祖父の死が近づくにつれて死というものが理解できない私がいた。
 入退院を繰り返していたものの、元気な素振(そぶ)りだった。家では頑固だったが、人柄はとても優しく、誰からも好かれ頼られる人だった。私はそんな祖父が大好きだ。病気の祖父を見舞う度に、祖父の人生が最高な人生だったと思って旅立ってほしいという思いが大きくなっていった。だからといって、一度きりの人生をやり直すことは誰にも出来ないし、私が残りの人生を良いものにしようと、祖父の人生を揺るがすようなことが出来るわけでもない。「最高な人生だった」と思ってもらえるためには、私の力だけでは不十分であり、たくさんの人の協力が必要だった。
 入院中、祖父はとても自宅に帰りたがった。自分の病状が悪くても、週末が来るたびに外泊許可を取った。もちろん帰ることが出来ないこともあった。正直なところ、こんなに頻繁に外泊をしても良いものかと思っていた。病人はずっと病院で治療を受けているべきだという固定概念があったからだ。祖父が治療を受けていた病院は自宅から車で三、四十分の場所にある肺癌(がん)専門の病院だった。毎回の送迎も大変だったが、何より車に三十分以上も乗っているのは辛(つら)い様子だった。そこで母は自宅にいたいという祖父のために在宅治療の手配をした。
 病状は日が経(た)つにつれて、少しずつ悪化してきている。それでも自宅で過ごせるようになった祖父の顔は、決して顔色が良いとは言えなかったが、明るさがあるように思えた。祖父は、住み慣れた自宅で祖母と暮らすことが嬉(うれ)しいのだと改めて痛感した。
 亡くなるおよそ一週間前、食べることが出来ないくらい病状が悪化した。目の前に弟の六歳の誕生日を控えていた。いつも誕生日にこだわる祖父にとっては重大なことである。急いで早めの誕生パーティーを開いた。
 祖父が亡くなる前日、弟の誕生日だった。祖父にとって大切な日だ。登校前に祖父に会いに行った。祖父が心配で離れたくなかったが、登校した。高校生になって一度も休まず皆勤を目指していることを知っている祖父が悲しむだろうと思い、涙ながらも授業を受けた。
 祖父が亡くなる日である。その日も朝から祖父に会いに行った。前日のこともあり登校前から涙が止まらなくなった。祖父の体調も優れなかった。昨日までは皆勤を大切にしていたが、この日だけは絶対に祖父のそばにいないといけない気がした。家族に相談し欠席した。後に校長先生が勉学よりも、もっと大切なことがあり、あなたにしかできない役目を果たし学ぶことが出来たのだよと話してくださった。
 私は今まで在宅治療がどういうものか知らなかった。というよりも祖父の死と向き合うのが怖くて、どうしても目を向けることが出来なかったのである。しかし訪問看護師さんが、その日は、私を中心として訪問看護の仕事をさせてくださった。酸素量を測ることから始まり、身体を拭いたり、着替えを手伝ったり、お下のお世話まで。苦しそうな時は手を握った。祖父はずっと私の方を向いていた。亡くなる直前までずっと。
 その日の夕方、口元をカクッカクッと二回動かして目を閉じた。祖父のお気に入りの服を祖母と選び、エンゼルケアをした。
 祖父は亡くなる前に、病状が悪化し口数が少なくなっていたが、自分の思い出を語ってくれた。その中には、あの時はこうしたらよかったというような後悔は一つもなかった。祖父の人生は後悔のないものだったのだと思えた。肺癌で苦しんだのは、若い時から吸っているたばこが原因だろう。そのことを後悔している様子もない。幸せそうだった。きっと祖父は人生に満足している。学校を休んでそばに寄り添えたのは祖父が願って、そうさせたのだろう。祖父の人生のたくさんの出来事の中で、私の存在は祖父にどれだけ喜びや幸せを与えることが出来ただろう。
 祖父が大好きな自宅で家族に見守られ最期を迎えることが出来たのは、祖母や母から始まり、訪問看護師さん、祖父のことを想(おも)う全ての方々のおかげである。祖父の周りに沢山(たくさん)の人がいたからこそ、こうやって祖父は最後まで幸せでいることが出来たのだ。
 これは後になって聞いたことである。祖父は自宅で最期を迎えることを望んでいたそうだ。> 」

(出所)日本医師会
第33回「心に残る医療」体験記コンクール入賞作品集<中高生の部> 優秀賞 「最期の迎えかた」
 静岡地方裁判所委員会議事概要(H26.3.19)、横浜地方裁判所委員会(第21回)議事概要(H24.11.21) において、議案として「交通事件」等について説明・意見交換がされている。裁判所としても「脳脊髄液減少症」の診断基準改定が及ぼす影響や同症に対する知見を深めるためのノウハウの伝達・共有について考え動き出してきたように見える。

 また、「むち打ち症の場合であれば,治療においてレントゲンは撮っているがMRIは撮っていない。MRIを撮っていなければ後遺障害が認められないのが現状である。」という意見交換での弁護士の私見は、交通事故被害者にとって何が裁判上重要な認定資料であるかを示している。
 なお、原文については、末文のリンク先の裁判所Website内の議事録を参考にされたい。
脳脊髄液減少症については、[http://www.id.yamagata-u.ac.jp/NeuroSurge/nosekizui/index.html 脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する調査研究(山形大学医学部)]が参考となります。

1)静岡地裁委員会(発言 ○:委員△:説明者))抜粋
△ 最後に交通事件訴訟の最近の問題について説明する。医学の進歩に伴って複雑な症状を呈する後遺症について研究が進み,診断基準の当てはめにおいて専門家でも意見の分かれるもの,診断基準自体が確立していないものなど,後遺障害の認定・評価が難しい事案が増加している。脳脊髄液減少症,高次脳機能障害,複合性局所疼痛症候群などである。これらは,

1.画像所見から必ずしも病変が明らかでない,

2.特徴的な症状が事故直後から発生しないこともある,

3.事故態様の程度と必ずしも比例しない重い症状が出る可能性がある点が特徴的である。

 このうち脳脊髄液減少症は,脳脊髄液が脊髄から漏出して脳が沈下することによって生ずるとされる諸症状であり,起立時に頭痛,吐き気,めまい,耳鳴り等が生ずるとされ,事故から長期間経過した後に診断されることが多く,その存在自体が争われることが大半である。複数の診断基準が公表されていて,診断基準が確立されていないことが争いの原因となっている。裁判例では国際頭痛分類基準等において判断しているものが多かったが,従前の診断基準よりも広く発症を認める基準を用いるべきであるとの医師のグループからの主張がある。

 その医師を受診している被害者が原告となった事件で争点となることが多い。
脳脊髄液減少症は,起立性頭痛の存在やブラッドパッチ治療が効果を示すことが基準として挙げられていたが,診断基準改定によって除外された。除外された基準は裁判例でも判断要素として取り上げられることが多かったため,診断基準改定が裁判所の判断にどのように影響するか注目しなければならない。

 自転車を加害者とする交通事故は社会的な関心が高まっているテーマである。
民事訴訟事件における課題は,自動車の交通事故では確立している損害賠償基準が自
転車事故については存在しないことである。損害賠償基準が確立していないため,事件が増加していった場合の対応,事件動向について注目していかなければならない。

*交通事件に関する民事訴訟(抜粋)
△ これからの説明は飽くまでも私の考えに基づくものであり,弁護士会全体の意見ではないことを注意していただきたい。
 「交通事故証明は過失を証明するものではないと記載してあるが,実際には甲「第一当事者」として記載された者の方が過失が重いということになっていて,その点に争いがあるのであれば弁護士に相談するべきである。そうすれば証拠の保存というアドバイスができる。むち打ち症の場合であれば,治療においてレントゲンは撮っているがMRIは撮っていない。MRIを撮っていなければ後遺障害が認められないのが現状である。最初にMRIを撮っておかないと首や腰の状態がわからないので,まずMRIを撮るようにアドバイスをすることができる。画像資料がどうなっていたかが裁判上重要な認定資料となっている。」

2)横浜地裁委員会(発言: ■委員長 ○委員 □オブザーバー)抜粋
○  専門性がすぐに習得できるものであれば,専門訴訟はどこでも行えると思うが,交通事故といっても医療がかかわってくるように,育成も含めて,やはりそれなりに年期が必要ということになると,なかなかやはり難しいんだろうかと感じる。

■ 確かに、交通事故による症状として新たに脳脊髄液減少症という問題がでてきた。

○ 脳脊髄液減少症は,労働事件でも同じような問題が起きていて,どこかに転落された方が傷害を負ったときに,なかなか治らない,それをどう判断していくかというのは,ノウハウの伝達という意味でいくと,東京地裁とか大阪地裁,横浜地裁もそうだが,大きなところは,そういうノウハウを蓄積した裁判官が,それなりのノウハウを外に発表している。

 例えば,東京地裁の保全部は,東京地裁保全研究会との名で,民事保全の実務という本などを公刊して,それが地方で余り件数を処理していない人たちに情報として提供され,それをみんなが読むというようにノウハウを広めている。

(出所)
・静岡地方裁判所委員会議事概要
http://www.courts.go.jp/shizuoka/vcms_lf/chisai-iinkai26.pdf
出席した委員
青島伸雄,池田宏行,大石晴久,五條堀孝,小長谷洋,中山祥乃,林道晴,村山浩昭,安岡元彦,渡邉良子(五十音順,敬称略)

委員会

静岡地方裁判所・家庭裁判所には,次の委員会が設置されています。
静岡地方裁判所委員会

    委員会の設置
    地方裁判所の運営に広く国民の意見を反映させるため,全国の地方裁判所に「地方裁判所委員会」を設置することとなり,静岡地方裁判所においても,平成15年8月1日に「静岡地方裁判所委員会」を設置しました。

    この委員会は,委員の方々に,率直に意見を述べていただき,委員の方々から出された多様な意見を裁判所の運営に生かしていくことを目的としています。

    委員の構成
    裁判官,検察官及び弁護士だけでなく,多様な経歴をお持ちの学識経験者の方々に委員になっていただいています。
(URL)
http://www.courts.go.jp/shizuoka/about/iinkai/index.html


・横浜地方裁判所委員会(第21回)議事概要
http://www.courts.go.jp/yokohama/vcms_lf/20121121-1.pdf
出席者
(委員)朝山芳史,内田邦彦,海野信也,倉吉敬,相馬宏治,竹内真一,竹澤秀樹,中嶌弘孝,深見敏正,福田護,二見尚子,堀嗣亜貴,山岸紀美江,渡邉正義(五十音順,敬称略)
(事務担当者)横浜地方裁判所民事首席書記官,同刑事首席書記官,同総務課長,同総務課課長補佐,同課庶務第一係長

横浜地方裁判所委員会の設置について

平成15年8月1日,横浜地方裁判所に「横浜地方裁判所委員会」が設置されました。
1. 設置の趣旨

 現在,我が国では,あらゆる分野において,既存の制度の見直しが図られていますが,紛争を公正なルールで法的に解決することを使命とする司法制度についても,その機能を充実,強化し,より一層国民が利用しやすい制度を確立することが求められており,さまざまな見直しがされているところです。

 その取組の一環として,平成13年6月に司法制度改革審議会から出された「裁判所の運営について,広く国民の意見等を反映することが可能となるような仕組みを導入すべきである」との意見書の趣旨に則り,最高裁判所では,地方裁判所の運営に広く国民の意見を反映させるため,「地方裁判所委員会規則」を制定しました。当裁判所においては,同規則を受けて,8月1日,横浜地方裁判所委員会を設置しました。
2. 地方裁判所委員会の役割

 本委員会は,地方裁判所の運営について広く国民の意見を反映させるために設置されたもので,地方裁判所の諮問に応ずるとともに,地方裁判所に対して意見を述べることができます。意見を述べる対象は,当該委員会を置く地方裁判所の運営一般(その管轄区域内の簡易裁判所の運営も含みます。)に及ぶものですが,もとより個々の具体的な事件の処理については除外されます。
(出所)
http://www.courts.go.jp/yokohama/about/iinkai/setti/index.html
脳脊髄液減少症のため、自殺まで起こる、交通事故被害者たち・学童たちの、症状痛・精神痛・金銭痛等より、救済していきたい。
 
私自身も、交通事故後に、症状痛・精神痛・金銭痛等により、死んだ方がましだと思いました。
 
しかし、正しいのだから、同じ死ぬのなら、正しい事のために死のう、と決意しました。
 
「正しきものは強くあれ」が、脳裏に浮かびました。
 
私は、医師・法律家でもない。しかし、この病の当事者である、当事者の立場で出来る事を今後も続けます。
 
 
 
約1年前に初めてパソコンのインターネットを、まだまったく使いきれません。
 
ポッン・ポッンとしか使えません、症状の強い時は何も出来ません。
 
返信も出来ない時も多々有ります、ごめんなさい。
 
みなさんに、甘えるばかりです。
 
正論を、時には我田引水の変わった変なことも有るでしょうがお許しご指導御願い致します。
 
よろしく御願いします。
 
 

転載元転載元: 脳脊髄液減少症

 尊敬すべき人・医師である、JA厚生連・佐久総合病院 地域医療部 国際保健医療科・地域ケア科、内科医である色平哲郎氏(東京大学大学院医学研究科非常勤講師)の新聞掲載記事を転載します。

**以下、転載***
生きてることに感謝 障がいを背負って

日本農業新聞15年12月24日

生きてることに感謝 障がいを背負って

コラム JA長野厚生連佐久総合病院地域ケア科 医師 色平哲郎

誰でも、苦難に直面したり、愛する人を亡くしたりすると心が折れそうになる。
精神というものは強そうで弱く、弱そうで強い。

北海道の浦河町に「べてるの家」という精神障がいを抱えた人たちの活動拠点がある。
100人以上の当事者が地域で一緒に暮らし、働きながらケアもする画期的な施設である。
名前は、ドイツの障がい者やホームレスの人たちが活動する共同体「ベーテル」に由来するともいわれている。

「べてるの家」の始まりは1978年。
精神疾患から回復したメンバーが、浦河教会の教会堂を拠点に活動を開始した。
当初は、浦河日赤病院を83年に退院した早坂潔さんら数人の回復者が、教会の片隅で名物「日高昆布」の袋詰め作業を請け負った。

「地域のために日高昆布を全国に売ろう」と起業した彼らは、「生きづらさ」を抱えながら一緒に暮らし、地域のために働く。
こうして、新しい形態の共同体が誕生した。
 
ベテルの家には独特の「語録」が根付いている。
そのいくつかを紹介すると、

▽手を動かすより口を動かせ

▽三度の飯よりミーティング

▽リハビリテーションからコミュニケーション

これらから、いかに仲間同士の会話がケアにとって大切か伝わってくる。
こんな言葉もある。

▽安心してサボれる職場づくり

▽弱さの情報公開

▽利益のないところを大切に

▽幻聴から「幻聴さん」へ

▽そのまんまがいいみたい

こうした言葉を聞くと、誰もがなんだかほっとするのではなかろうか。
心に重い荷物を背負って生きるのはつらいことだろう。
しかし、ありのままを受け入れて暮らしている。

以前、べてるの家を家族で訪ねたら、後日、早坂さんからはがきをいただいた。

「・・・人生いろいろあるけど、今、生きている事が、かんしゃです」

=====」


(出所)[http://irohira.web.fc2.com/e45_Kansha.htm 生きてることに感謝 障がいを背負って]

(関連URL)
[http://irohira.web.fc2.com/ 信州の農村医療の現場から 色平哲郎]

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