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篤姫 寺田屋騒動 約1ヶ月ほど前になるが 「大河ドラマ 篤姫」 の第36回放送分で 薩摩藩士の同士討ち( 寺田屋騒動 )があった跡を追っかけてみた。 寺田屋 最近 寺田屋については 正式に今の建物は立て直された物で 刀傷や竜馬が撃ったと言われる弾痕に? ロマンは消えたが・・。 寺田屋騒動慰霊碑 薩摩藩の常宿である 寺田屋で攘夷派の有馬新七 (的場浩司さん) 以下6人がその場で切られ即死 合計9人が眠る大黒寺を訪れた。 旧薩摩藩邸 大黒寺は寺田屋から北に約1キロ 旧薩摩藩邸からは約200m 観光地ではない下町にあり 寺の裏にある墓場には9つ墓が並ぶ。 年数が経って風化したからだろう 墓石の上の部分は新しい物に。 その前には 西郷隆盛の筆による墓碑が一緒に並んで建っていた。 放送では有馬新七は 武闘派のイメージで描かれていたが調べると 江戸で3年 国学の教育を受けたインテリ侍だと言う事もわかったよ。 大黒寺 この頃の武士は藩主の命令が絶対だったが 国学の影響で新七は 久光公の命に背き 同郷の士と壮絶な斬り合いの末 命を落とす。 素手で相手を壁に押さえつけ 「おいごと突き刺せ!」 と絶叫して 同志の突き刺す太刀で クシ刺しとなり見事な最期を遂げたね。 大黒寺の前に松林院と言うお寺があり ここは寺田屋の菩提寺。 寺田家の墓と共に当時の寺田家の主 お登勢はが静かに眠る。 龍馬はお登勢を姉のように慕っており お龍は彼女の養女である。 松林院 明治維新は 身分の低い下級武士達の活躍があって迎えられたが
現代も保身的な政治家に代わり 革新的な人が現れて欲しいよね。 |
京都ゆかりの人物
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皇女和宮と京都 先週大河ドラマ 「篤姫」 で初登場した皇女和宮(堀北真希ちゃん) 数多くの本が出てるが 京都で生まれた孝明天皇の異母妹である。 京都には彼女の残した痕跡がいくつかあるので 追っかけてみた。 京都御苑内 京都御苑内 京都御所と迎賓館の間の松林 学習院 発祥の地の隣 「皇女和宮誕生の地」 と書かれた標しと 「橋本家跡」 の木標が立つ。 皇女和宮誕生の地 ここから北西に数百m 今出川御門から入った所 「桂宮邸跡」 の木標。 桂宮家の塀だけが残っているが 和宮の生家でここから江戸に向かった。 桂宮邸跡 二条城の本丸として移築され 重要文化財に指定され見る事ができる。 歴代 住職を皇女が務めることから 「百々御所」 とも呼ばれているよ。 宝鏡寺 桂御殿普請中は宝鏡寺で桂宮と暮らし よく上臈とお経を唱えたといい 人形・着物など和宮の多くの遺品があり 年に2度ほど見る事ができる。 今は若い桜の木が植えられ 秋には金・銀木犀の香りが爽やかだよ。 嵯峨 鹿王院のすぐ西隣にも 曇華院という 皇女の門跡寺院があり 和宮が子供の頃遊んでいた お多福・小姓の二体の人形があるらしい。 曇華院(どんげいん) 京の七口のひとつ 粟田口にある粟田神社は 旅人が旅の安全を祈って このお社に参拝するうち 何時しか旅立ち守護の神として崇敬を集めた。 本殿からの眺めもすばらしく 平安神宮の大鳥居と京都市美術館が見える。 粟田神社 ドラマの中ではこれから天璋院との確執 家茂との4年の短い結婚生活
その後の数奇な運命が待ち受けているが いよいよ佳境に入ってきたね。 |
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篤姫 村岡局 相変わらず猛暑が続く京都だが 7月は何と31日連続で 真夏日だったらしく 観測史上3番目に暑かったらしいね。 8月3日放送の篤姫 「さらば幾島」 に於いて村岡局の事が 最後に紹介されたが 彼女の足跡を写真で追っかけてみた。 嵐山亀山公園 村岡局 銅像 大覚寺 大沢の池 津崎 矩子石碑 いつも通る場所にあるんで この機会に紹介しておこう。 村岡局は幕末の女性勤王家で 本名 津崎 矩子(つざき のりこ) 父は大覚寺門跡家臣 津崎左京で 幕末の公卿 近衛 忠煕に使え 僧月照 西郷隆盛らと親しく 公家と志士の連絡等尊攘運動に尽力。 安政の大獄で捕われ 江戸へ送られたて 厳しい尋問にさらされた。 直指庵 村岡局の墓 70才を過ぎての拷問 さぞや辛かっただろうと思われるが さすが 「維新の女傑」と言われるだけあって 星さんの演技も見事だったね。 維新後は賞典禄20石を賜り 明治6年 88歳の生涯をここで閉じる。 現在大覚寺に位牌が そして直指庵にはお墓があるが その他にも
幕末の陰の立役者である彼女を称え 嵯峨野には銅像や石碑が建つ。 |




