--12 大乗の戒律

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12-01:仏教の食肉禁止


 肉食の禁止は、小乗仏教の戒律にはなく、大乗仏教の戒律にのみある。この間の事情は必ずしも明らかではないが、以下に関係する二つの文章を引用する。


 梁の武帝(在位 502〜549)は、儒学、文学の面においても勝れた学才を示していたばかりでなく、仏教を篤く信仰していた。天蓋三年(504)四月八日、武帝は群臣士庶二万人を率いて、道教を捨てて仏教に帰依することを宣言した。ついで天蓋十年(511)には自ら、断酒肉文(在俗の仏弟子として国内の僧尼に酒肉を絶つべきことを呼びかけた文章)を公表し、仏教徒としての戒律生活に入った。『断酒肉文』は、南本『涅槃経』巻四「四相品」の「それ肉を食するは、大悲の種を断ず」という教説によるものである。

 これ以来、武帝はますます仏教に凝り、天蓋十六年三月には犠牲廃止の勅令を出し、伝統を重んずる漢族の激しい非難にもかかわらず、宗廟の供物に初めて蔬果(野菜と果実)を用いた。

参照・引用
・鎌田茂雄 『新中国仏教史』 大東出版社 p87


 たしかに日本人の食文化史には、外国にない特徴があります。それは、おそらく仏教の影響でしょうが、肉食禁止令が何回も出されていることです。675年、721年の記録があります。

 仏教はインドで生まれ、シルクロードを通って中国に入り、更に朝鮮半島を経由して日本に渡ってきました。最も肉食禁止の思想が根付いたのは、極東の地日本ででした。中国では、仏僧以外には、肉食禁止は定着しませんでした。

 朝鮮半島の歴史はまことに興味深いものです。仏教の伝来した四世紀から五世紀にかけては肉食は自由でした。国の行政職に動物の名前が使われている位です。六世紀から肉食禁止が始まりました。高句麗、百済は早くから、そして最後に新羅が殺生禁止を唱えました。統一新羅の時代には殺生厳禁、魚を食べることすら禁止しました。

 しかし、1231年から約130年間は蒙古の支配を受けるに至ります。その間、遊牧民族である蒙古の食文化は殺生厳禁を粉砕してしまいます。また、古くからの朝鮮半島の人々にも、食文化が貧しいために蒙古に敗北したという反省も起こったようです。

 蒙古は、朝鮮半島を支配しておいて、次は日本を二度も攻撃しました。鎌倉時代の元寇です。幸か不幸か、日本は「神風」が吹くことにより、蒙古を撃退してしまいました。そのため、肉食禁止の思想は修正されることなく、次第に国民に浸透していきます。朝鮮半島との食文化における彼我(ひが)の差は、このような歴史的背景の違いによります。

 わが国でも、奈良時代にはかなり、動物性の食品は摂られています。しかし、平安時代の末期には、かなり乏しくなります。鎌倉時代から、牛乳という用語が一部の文献から姿を消し、江戸の八代将軍吉宗のときに復活したと述べている学者もいます。

 もちろん、大衆の間でもひそかに肉食は続けられていました。鳥は禁止されていなかったので、ウサギも一羽二羽と数え、みなし鳥としてひそかに食していました。しかし、国民全体の栄養状態に影響するほどの量はなく、わが国の慢性的な低栄養の大きな要因となりました。

引用・参照
http://kumamoto.lin.go.jp/shokuniku/eiyochisiki/bukkyo/index.html


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