--33 -経典の成立

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 小乗仏教が書写すなわち文字で書き記されるようになったのは紀元前後からである。釈迦の死後何世紀も経てからである。仏教は釈迦の教えである。釈迦の教えは口頭でなされた。釈迦の教えは、「釈迦がこのように語った」として、いわば直接話法の形で伝えられた。これが口伝である。

 書写にいたる準備期間といものがあった。釈迦の教えが他の言葉に翻訳されるようになった。釈迦はその教えを出身地の言葉であるマガダ語で説いたと思われる。しかし、仏教が他地域に広まり、さらに、西の文化とも接触するようになって、仏教はさまざまな言葉で語られるようになった。

 仏教は言語には寛容であった。マウリア朝のアショーカ王(在位前268年頃〜232年頃)の時代になって、マウリア朝の版図は現在のアフガニスタンまで及び、マウリア朝は多言語、他民族の国家となった。また、アフガニスタンにはアレキサンダーの支配が及んだところであり、ギリシヤ文化が残されていた。

 この時代仏教はアショーカ王によっていわば国教とされた。仏教は西の文化と接触し、急速に国際化する。仏教は、さまざまな民族、言語と出会い、さらには西方の文化・宗教とも接することになる。

 釈迦の説法の特徴は「対機説法(たいきせっぽう)」である。相手に合わせて教え方を変える。相手が理解できる言語で説法する。言い換えれば、他の言葉に翻訳することへの抵抗はもともとなかったのではないか。

 さらに、仏教の真理に対する考え方がある。釈迦がこの世に出ても出なくても存在する真理を釈迦が伝えたのである。その真理は時代と民族を超えているという認識がある。また、仏教はその発生の経緯からみてもその土地の文化や習俗と無縁である。こうしたことが言語へのこだわりをもたない、普遍的な宗教の性格を持つことを可能にした。

 マウリア朝の時代に特定の言語との結びつきから自由になって、仏教はさまざまな言語で書写される前提ができた。仏教の書写が始まった紀元前後にはクシャン朝(一世紀から三世紀頃)が成立している。書写がどのような経緯で始まったかは明らかでない。

 クシャン朝で繁栄した仏教を求めてきた人たちが口伝の教えを書写して自国に持ち帰ったのが経典の書写の始まりではないだろうか。求法のために中国からインドへ行った法顕などが行ったのと同様なことが起こったと考えることはできないだろうか。

 書写は思わぬ影響をもたらした。その頃、始まったといわれる大乗経典も書写され始めたのである。仏教はいったん書写されると書写された仏典が一人歩きするようになる。仏教は、口伝から書写された仏典に比重が移る。大乗仏教はちょうどこのタイミングを計るかのように書写され始めた。

 書写によっても大乗仏教は小乗仏教にとって替わるほどの勢いをもつことはできなかった。しかし、書写されたからこそ、中国にも伝えられ、またインドにおいても論師の龍樹の目に留まり、大乗仏教の基礎が作られた。
 


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