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1.はじめに

 今世紀初頭、英国のスタイン、フランスのペリオ、ドイツのグリュンヴェーデル、わが国の大谷探検隊を始めとする各国の探検隊は競って中央アジアへ足を踏み入れ、シルクロードに点在する遺跡を発掘し、様々な言語で書かれた膨大な量の出土文献を持ち帰った。またこれらの探検隊とは別に、英国のバウアー大尉、英国のインド学者ヘルンレ、ロシアのカシュガル駐在総領事ペトロフスキーといった人々も、インドあるいは中央アジア赴任中に土地の人たちが持ち込んだ出土文献を直接あるいは間接に買い集めた。そしてそれらの文献は、その後の仏教研究に大きな影響を与えることになった。発見された資料のほとんどは断簡にすぎなかったが、既に失われたと思われていた数々の重要文献の原典がその姿を現したからである。

 ところで、このような中央アジアにおける発見がその後も続いたわけではない。1931年に現在のインド・パキスタン間の国境紛争地帯に位置するギルギットの仏塔跡から発見された約3000葉の樺皮写本(紙写本を一部含む)、いわゆる「ギルギット写本(Gilgit Manuscripts)」を最後に、探検ブームが去り、あるいは世界情勢の変化等により、その後例外的に少数の写本発見の報はあったが、大規模な発見は今後もはや望むべくもないものと思われていた。

 しかし,この数年の間に状況は劇的に変化した。旧ソビエトのアフガニスタン介入と、それに続いて現在に至るアフガン内戦は、現地の荒廃と引き換えに、世界の古写本マーケットに膨大なアフガニスタンおよびパキスタン出土文献の流入という皮肉な結果をもたらしたのである。マーケットに現れた写本類の大部分は最終的に欧米の研究機関あるいはコレクターに引き取られて行った、あるいは現在行きつつある。


2.ノルウェーのスコイエン・コレクション

 さてそのような状況の中、今から数年前,正確な場所は伝えられていないが、アフガニスタンのバーミヤン渓谷北部の洞窟の中で、原理主義勢力に追われたアフガン難民によって大量の仏教写本が発見された。それは入り口がひとつ、内部が数本に分かれた自然の洞窟で、一本の奥まったところに仏像が安置され、周囲に写本が散乱していたらしい。

 写本は分割されてパキスタンからドバイに持ち出され、さらにロンドンの複数の仲介業者を経て、最終的にそのほとんどはノルウェーの蒐集家マーティン・スコイエン(Martin Schyen)氏に引き取られた。貝葉(ターラ椰子の葉)、樺皮(白樺の樹皮)、動物の皮が用紙として用いられた写本類は、使用された文字から判断して、紀元2世紀から8世紀に遡り、大部分は破損した断簡であったが、サンスクリット(梵語)あるいはガンダーラ語の仏典が書写され、その総量は微小破片も含めて1万点以上にのぼった。

引用・参照文献
・松田和信(佛教大学教授)『バーミヤン渓谷から現れた仏教写本の諸相』より


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