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33-06 パーリ語聖典


 経は釈迦や、弟子たちの言行録を集めたもの。釈迦の入滅後、教えを正しく伝えるために、弟子たちは経典編集の集会(結集(けつじゅう))を開き、経典整理を開始した。

 ところが、仏滅後100〜200年ころには教団は多くの部派に分裂し、それぞれの部派が各自の三蔵を伝持するようになった。それらはインドの各地の言語によっていたと思われる。完全な形で現存するのは、スリランカに伝えられた上座部系のパーリ語経典のみで、現在、スリランカ、タイ、ミャンマーなど東南アジアの仏教国で広く用いられている。その内容は次の通りである。

 律蔵 経分別(戒律の本文解説)、犍度(けんど、教団の制度規定)、付録。
 経蔵 長部、中部、相応部、増支部、小部の5部。
   前4部は漢訳『阿含経 (あごんきよう)』に相当する。
 論蔵 法集論、分別論、界説論、人施設論、論事論、双対論、発趣論の7部。

 これらは前二〜前一世紀ころまでに徐々に形成されたもので、前一世紀ころにスリランカに伝えられたといわれ、以後、多くの蔵外の注釈書、綱要書、史書等が作られた。十九世紀末ロンドンにパーリ聖典協会(Pali Text Society)が設立されて原典の校訂出版等がなされ、日本では若干の蔵外文献も含めて『南伝大蔵経 』65巻に完訳されている。

 注意が必要なのは、パーリ語経典が必ずしも古い形を残しているとは限らない点である。漢訳の『阿含経』には上座部に伝わったより古い形態のものがあったり、あきらかにサンスクリット語からの漢訳と考えられるものがある。その意味で、パーリ語経典が原初の形態を伝えていると考えることは、間違いではないが正確な表現ではない。

 パーリ語の聖典は、スリランカではシンハラ文字、ビルマではビルマ文字、タイではタイ文字、ラオスではラオス文字と、それぞれの国の文字で表記されている。パーリ語には固有の文字は存在しない。 十九世紀以後はヨーロッパ人の学者たちによってローマ字で表記されるようになった。

 パーリ語に独自の文字が無いことは経典の筆記の始まりの時期について参考になるのではないか。上座部の教えは、口伝でスリランカや東南アジアの諸国へ伝えられた。口伝で伝えられた教えがその後その地の文字で書き表されるようになった。インド本国においても、このとき、上座部の経典は筆写されていず、口伝で伝えられていた。

参照・引用
 http://panna.zive.net/bukkyo/wikipedia.html#no4


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