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538年 百済の聖明王が仏像、経論、僧を献じる。 <帝・元>
572年 (誕生) 聖徳太子(厩戸皇子)を穴穂部間人皇女が厩戸前にて出産
583年(12歳) 日系百済人の日羅が来朝し「敬礼救世観音 伝燈東方粟散王」と太子を礼賛
584年(13歳) 蘇我馬子が百済伝来の弥勒像を引き取り、石川精舎に仏殿を設け礼拝する。
585年(14歳) 馬子が大野丘の北に仏塔を建立。疫病が大流行し、物部守屋が
原因を仏教崇拝だと主張して、仏塔・仏像を焼き払い破壊する
用明天皇(太子の父)が即位する
586年(15歳) 穴穂部間人皇女(太子の母)が立后する
587年(16歳) 病に臥した用明天皇が三宝に帰依する。
太子は天皇の病気平癒を祈願・孝養をつくすが、四月に崩御
馬子が物部守屋を討伐する。太子も従軍。
588年(17歳) 百済へ修学のために善信尼らを派遣
法隆寺建立に着手
589年(18歳) 隋 中国を統一
590年(19歳) 百済より帰還した善信尼らが桜井寺(向原寺・豊浦寺)に住む
592年(21歳) 法興寺の金堂と廻廊が建つ
推古天皇が即位する
593年(22歳) 馬子が法興寺の刹柱を建て、塔心礎に百済から奉献された仏舎利をおく
太子が摂政となる
四天王寺を建立
594年(23歳) 推古天皇が三宝興隆の詔を発する
595年(24歳) 高句麗の僧・慧慈が来朝する。その後、太子の師となる
百済の僧・慧聰が来朝する
596年(25歳) 太子が葛城臣・慧聰たちと伊予温泉に浴し石碑を建立
法興寺完成。慧慈・慧聰が住み馬子の長男・善徳が寺司となる
598年(27歳) 馬子に甲斐の国から漆黒の驪馬が献上される
601年(30歳) 斑鳩に太子が宮を興す
603年(32歳) 冠位十二階を制定
604年(33歳) 憲法十七条を制定
605年(34歳) 推古天皇が銅・繍丈六仏像を仏造工・鞍作止利に任命
太子は斑鳩に移り住む
606年(35歳) 天皇に請われ勝鬘経を講じ、法華経も岡本宮で講ずる
607年(36歳) 隋に小野妹子を派遣する
法隆寺を建立する
611年(40歳) 「勝鬘経義疏」が完成する
613年(42歳) 「維摩経義疏」が完成する
614年(43歳) 馬子が病に臥したため男女千人が出家し病気平癒を祈る
615年(44歳) 太子の師・慧慈が帰国する
「法華義疏」が完成する
620年(49歳) 「天皇記」や「国記」などを太子と馬子で撰する
621年(50歳) 太子と妃膳夫人が斑鳩宮にて薨去。同月、磯長陵に葬る([帝設]は622年)
643年 蘇我入鹿が斑鳩宮を襲う。山背大兄王とその一族は共に自決し、上宮王家は滅亡
引用・参照URL
・http://www.intership.ne.jp/~aoyama/shotokutaisi-nenpyo-daihohrin.htm
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