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■ 禅観経典の伝来
中国への仏教伝来から、『観無量寿経』(観経)などが訳される頃まで、多数の禅観経典が漢訳され、また多くの修禅者が西域やインドから中国にやって来て、さまざまな禅観を伝えている。・・・・・
中国仏教の最初期においては、支婁迦讖(しるかせん)が大乗経典を主に伝えたのに対し、安世高(あんせいこう)は主に部派の禅観思想を伝えている。だが、我々にとって特に興味深いのは『観無量寿経』が漢訳される少し前、五世紀初め頃、多くの禅観経典が伝えられていることである。主要なものとして以下のようなものが現存している。訳者別に並べてみる。
鳩摩羅什 訳 『禅秘要法経』三巻、『坐禅三昧経』三巻、『禅法要解』二巻、
『思惟略要法』一巻
仏陀跋陀羅訳 『達磨多羅禅経』二巻
曇摩蜜多 訳 『五門禅要法経』一巻
沮渠京声 訳 『治禅病秘要経』二巻
■ 観仏三昧
これらのうちには訳者の疑わしいものもあるが、ともあれ当時の禅観思想をうかがうに足る。観仏経典との関係で特に注目されるのは、南伝の観法ではみえなかった「観仏三昧」が、これらの禅観経典の過半で、すなわち『禅秘要法経』『坐禅三昧経』『思惟略要法』『五門禅要法経』で、観法の一つとして採用されていることである。しかも、『思惟略要法』に典型的に見えるものであるが、仏像−生身−法身−十方諸仏と展開していることである。これは『観無量寿経』の第八−九観の展開ときわめてよく似ている。
なお、観仏三昧が採用されているとされる、上記の四種の経典がいずれも鳩摩羅什の訳になるとされている点は興味深い。
もちろん、このことから、ただちに「観仏三昧」がこうした禅観思想の中から出てきたものと結論することはできず、むしろすでに形成されていた「観仏三昧」を禅観の体系の中に組み入れたと見る方が適当かもしれない。しかし、たとえそうであっても、このようにスムーズに「観仏三昧」を禅観の中に組み入れることができたのは、やはり基本的な構造が一致しているからであり、順次、仏の姿を観じていく「観仏三昧」がこうした禅観法の影響を大きく受けていることは誤りない。
■ 仏像の役割
なお付言するならば、これらの経典の観仏法では「仏像」が重要な役割を果たしている。これは観仏経典でも同様であるが、先の般舟三昧と大きく相違する点である。『般舟三昧経』でも成立の遅いと思われる箇所には仏像への論究があるが、「行品」までには仏像に関する記述はみえず、般舟三昧の成立に仏像は必ずしも必要なかったと思われる。これに対して観仏三昧はまず仏像の個々の部分を細かく観察し、それを心に定着させるところから出発するのであり、仏像の存在は不可欠の前提となっている。
(次に続く)
参照・引用文献
・末木文美士(すえきふみひこ)『浄土仏教の思想』二 観無量寿経・般舟三昧経 p137〜
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