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■ 浄土教とは
浄土教は、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。「浄土」という語は中国での認識であるが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」がその原型であり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説かれている。しかし、中国・日本においては阿弥陀仏信仰の流行にともない、浄土といえば一般に阿弥陀仏の浄土をさす。唐代の善導が「念念に浄土教を聞かんことを思い」(法事讃 )という場合の「浄土教」がその意味である。浄土教は「浄土門」とも呼ばれる。浄土思想とも。
■ 浄土教経典の成立
浄土教が成立したのは、インドにおいて大乗仏教が興起した時代であり、およそ紀元100年頃に『無量寿経』と『阿弥陀経』が編纂された。阿弥陀仏や極楽浄土に関説する大乗経論は非常に多く、浄土往生の思想を強調した論書としては、龍樹(150〜250年頃)作と伝える『十住毘婆沙論』(婆沙論)(易行品)、世親(4〜5世紀)の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論、往生論)がある。
『観無量寿経』はインドで編纂されたと見ることが困難であり、おそらく4〜5世紀頃中央アジアで大綱が成立し、伝訳に際して中国的要素が加味されたと推定されるが、特に中国・日本の浄土教に大きな影響を与えた。
■ 中国における浄土教
中国では二世紀後半から浄土教関係の経典が伝えられ、五世紀の初めには廬山の慧遠(えおん)(334〜416年)が『般舟三昧経』にもとづいて白蓮社(びゃくれんしゃ)という念仏結社を作った。やがて浄土三部経を中心として曇鸞(どんらん)(476?〜542?)が『浄土論註』(往生論註)、道綽(どうしゃく)(562〜645年)が『安楽集』、善導(613〜681年)が『観無量寿経疏 』を著し、称名念仏を中心とする浄土教が確立された。のちに慧日(680〜748年)等が出て浄土教を禅などの諸宗と融合する傾向が助長された。
■ 日本における浄土教
日本では七世紀前半に浄土教(浄土思想)が伝えられたが、九世紀前半に円仁(794〜864年)が中国五台山の念仏三昧法を比叡山に伝えた。やがて良源(912〜985年)が極楽浄土九品往生義、源信(942〜1017年)が『往生要集』を著して、天台浄土教が盛行するにいたった。
平安時代の浄土思想は、主に京都の貴族の信仰であったが、空也(903〜972年)は庶民に対しても浄土教を広め、市の聖と呼ばれた。「一人の念仏が万人の念仏と融合する」という融通念仏(大念仏)を説いた良忍(1072〜1132年)は融通念仏宗の祖となった。天台以外でも三論宗の永観(えいかん)(1033〜1111年)や真言宗の覚鑁(かくばん、1095〜1143年)のような念仏者が輩出した。
平安末期から鎌倉時代に入ると、法然(1133年-1212年)が『選択本願念仏集 』(選択集)を著して浄土宗を開創し、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』を根本経典と制定した。これを「浄土三部経」と称する。弟子の親鸞(1173〜1262年)は『教行信証』等を著して浄土真宗の祖となり、一遍(1239〜1289年)は諸国を遊行して時宗を開いた。
親鸞の著書に「浄土真宗」とあるのは、宗派としての浄土真宗のことではなくて、法然の浄土教のことである。平安時代後期から鎌倉時代にかけての融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗は、その後それぞれ発達をとげ、日本仏教における一大系統を形成して現在に及んでいる。
■ 浄土三部経の伝来
我われが依り処としている魏訳の『無量寿経』は、翻訳年次が252年。『観無量寿経』は420年代から50年代。『阿弥陀経』は402年頃。つまり、翻訳した人も、場所も、時もバラバラである。
引用・参照
・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E6%95%99
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