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■ はじめに

  中原や辺境地域の回復と開発にくらべて、江南地域の農業の発展は、きわだっていた。この時代、人口の増加・土地の開墾・水利の開発・農業生産技術の改良など、すべての分野において、江南地域は長足の進歩をとげた。

 江南地域の経済が発展したことにより、全国の経済の重心は、南方へと移りはじめた。こうした画期的な変化が生じ、以後もその傾向が変わることなく続いたことは、中国の歴史上の一大転機といえる。


■ 灌漑設備の建設

  江南地域の農業の発展は、潅概設備の建設によってもたらされた。この地は湖や河が縦横に走り、土地が肥沃であったため、堤防を築いて排水工事をおこなうだけで、無数の良田を開発することができた。呉は建国すると、すぐさま水利を整え、江南に縦横に走る水路の制御にとりかかり、堤防を築いて水をたくわえた。また水門をつくって、水位の上げ下げを人為的に調整できるようにした。さらに江南にある多くの湖沼の周囲に堤防を築き、排水と貯水の便をよくし、水田開発を可能にした。東晋と南朝は、こうした呉の時代の潅概設備を基礎として、それをいっそう拡張し、整理した。このため農業はさらに発展し、江南の経済は繁栄した。


■ 南に移住する人ロとその増加

 後漢の末期、関中地域の人口は240万人から50万人にまで減少したが、南方の人口は増加した。揚州は320万人から433万人に、荊州は359万人から620万人に増えました。西晋の永嘉の乱(311)以後、南方に移住した人口は、南朝の宋のはじめまでで90万人に達した。

 後漢末から隋唐時代までの約370年間、西晋の一時的な統一をのぞけば、南北の分裂や、北方は戦乱に明け暮れていたが、南方の政権は比較的安定していた。そのため、この地の権力者が経済の発展に力を注いだ。南北の政治的状況のちがいのため、北方の民衆はたえず南に移住しつづけた。

引用・参照
・『中国文明史5 魏晋南北朝』


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