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2007年03月

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22-24 風水


■ 皇都と風水

 皇都のばあいは「四神相応の地」(『和漢三才図会』)がもっとも理想的とされる。四神とは四種の霊獣のことであるが、これを地形でいえば、東に河川(青龍)、南に沼沢(朱雀)、西に大道(白虎)、北に高山(玄武)があれば、皇都の繁栄が約束されるという。

 このような中国の風水思想が日本の造都事業に大きな影響を及ぼしたことはいうまでもない。たとえば708年に出された奈良遷都の詔に「平城の地、四禽は図に叶ひ、三山は鎮を作し、亀筮並びに従ふ。都邑を建つべし」とみえる。


■ 古墳にみる信仰形態の変化
 
 ところで、この時代のいわゆる古墳にみる死者の埋葬方法にも、信仰形態の一端が示されている。前期古墳(三世紀末〜四世紀)から中期古墳(四世紀末〜五世紀)にかけては封土の頂上あたりに竪穴式の石室が作られ、ここに死体を埋葬し、鏡・大刀・玉類などの祭具・呪具を副葬するのが普通であった。死霊をなだめるという前代の形が継承されているとともに、死者が封土の頂上あたりに埋葬されたことは、死霊が山に集まり住むという考え方の象徴であったとみることができよう。

 後期古墳(六世紀〜七世紀)になると、封土に横穴式の石室を作り、玄室に死体をおさめるようになる。副葬品としては、鉄製の武具や馬具、あるいは日用品などが多くなり、もはや、死霊を恐れなだめる形が後退し、人間の死後の生活が意識されている。つまり、古墳時代後期には、素朴ながらも来世の信仰が生まれてきたと考えられている。

引用・参照
・逵 日出典(つじ ひでのり)『神仏習合』 六興出版 昭和61年



■ 風水説(ふうすいせつ)

 山川や水流のようすを観察し、天地の二気が完全に調和している土地をえらんで、都城、家屋、寺観、墳墓などを造営しようとする、中国の陰陽家によってとなえ出された説。大きく陽基風水と陰宅風水の二つにわけることができるが、陽基とは現世における生活者の住居であり、陰宅とは死者の住居、すなわち、墳墓のことである。しかし、両者ともに根本的な原理は同一である。自然は人間の運命を支配すると古代人は考え、自然との調和を保ちながら、その恩恵を享受しようとしたから、歴史的には陽基風水が先に行われた。

 しかし、魏晋南北朝の時代になって、孝倫理が浸透することにより、物故した両親たちも現世のものと同様に、自然のよい影響を受けられるようにと考えられ、陰宅風水も行われるようになり、風水の黄金時代を迎えるにいたった。そして、この説は朝鮮半島や台湾に伝わり、日本にも影響を与えた。

※引用先が不明です。

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