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■ インダス文明

 紀元前2500年頃に、インダス河流域に都市文明が興った。この文明はインダス文明である。紀元前2000年頃から次第に衰退し始め、紀元前1800年頃に滅亡してしまった。

 土地の隆起によってインダス河の流路が変わるとともに、サラスヴァティー河(現在のガッガル・ハークラー河)の流れが寸断され、流域にあった耕地が荒れ、水上交通網も寸断されてしまったのが原因と考えられる。

■ アーリヤ人の侵入

 紀元前1500頃になって、中央アジアで遊牧生活を送っていたインド・ヨーロッパ語族のアーリア人がインドに侵入する。その侵入はこれまで二輪の戦車と鉄製の武器で武装して先住民を征服した、と説明された。しかし、鉄が普及したのは紀元前8世紀頃になってからである。侵入は100年以上の長期間にわたって断続的に行われたとみるべきである。

 断続的な侵入の過程でアーリア民族相互の主導権をめぐる戦いが行われ、その戦いに先住民も巻き込まれた。『リグ・ヴェーダ』にある十王戦争の記述がそうである。十王戦争によって最初に主導権を握ったのがクル族のクル国である。アーリア人はこのクル国を中心に緩い連合を組み、ヴェーダの神々を共通に祀ることによって一体性を保っていた。

 ヴェーダの時代は紀元前5世紀頃まで続く。アーリア人の宗教・文化はインドに大きな影響をもたらしたと思われる。とくに紀元前10世紀以降は後期ヴェーダ時代と言われ、ヴェーダの文献の数は増え、ヴェーダ文化はガンジス河の中・下流域にまで広がる。しかし、インドの土着文化に取って代わることはなかった。ヴェーダの神々の中に土着の要素をもつ神々も登場してくる。
 
■ ヒンドゥー教

 ヒンドゥー教は、バラモン教を土台に、さらにインドの民族宗教を取り込んで再構成されたものである。紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られた。その結果 バラモン教は民間の宗教を受け入れてヒンドゥー教へと変化して行く。その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきた。インダス文明で行われていた沐浴やヨガの伝統もヒンドゥー教に取り入れられ現代に伝えられている。

 仏教は中国では土着の老荘思想、道教、先祖崇拝などと融合してゆく。また、日本においては神道や山岳信仰と融合してゆく。インドの仏教も滅びたというよりも、民族宗教として成立したヒンドゥー教に融合したと表現するのが正しいのではないか。

 

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