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 ブッダの時代のインドでは高い農業生産力に支えられた豊かな生活があった。豊かな時代にあって人々は氏族や家族の共同体の軛から解放され自由な個人となった。ブッダが出るまでにインドには千年近いヴェーダの時代があった。その間にダイナミックな社会変動があった。社会体制で言えば、初期は部族が単位になっていた。部族は氏族から構成され、氏族は家族共同体で構成されていた。農業生産の生産力もまだ低く人々はこの共同体から離脱して生きてゆくことはできなかった。

 ヴェーダ前期の『リグ・ヴェーダ』の時代、死後の世界の観念はあった。また悪者が死後ゆく深い穴も考えられていた。しかし、まだ罪の意識はなく悪事をなした場合には穢れが付着すると考えられていた。この場合穢れは個人に付着するものでは一定の関係にある何人かに、また家族、氏族に及ぶと考えられた。いわば連帯責任であった。しかしその連帯責任もヴェーダの祭式で祓うことができた。死後の世界まで持って行くことはなかった。また死後の世界にはすでに亡くなった家族が住んでおり、そこへ行くことになんの恐れもなかった。

 ところが鉄器の普及などにより生産力が高まって、余剰生産物が蓄積されるようになると所有の観念とともに個我意識が成立してくる。 個我意識の成立とともに個人の行為という観念も成立してくる。罪の意識も成立してくる。その人の行為故に財も蓄積できる、しかしその人の行為故にその人が不幸になる。もはや彼を保護する共同体も崩壊しつつある。現世のこの豊かな生活を死後も続けたい、とも思うようになる。

 ヴェーダ後期の時代に入って最初にこのような願望を持つようになったのは、王制国家に発達した王であった。初めは、ヴェーダの祭式がこれに答えた。しかし、都市が成立し商工業が発達し人と物の交流が盛んになると、ヴェーダの権威が廃れてゆく。祭式からその人の「行為」に関心が移る。ブッダはその人の行為に着眼した。

 654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は
 業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。(スッタニパータ)

 しかし、この行為の意味が重要である。善悪だけで考えれば袋小路に陥る。悪業を重ねて地獄に落ちるのは避けたい、善業を積んで天に生まれてもそれで終わりではない。ブッダがいわば発見したのが「善悪を超える行為」である。それが、八正道である。八正道の中でも「止(正定)」と「観(正念)」が重要である。

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