--25 仏教と日本文化

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3.韓国のご飯の食べ方

 日本では食事のときは茶碗は左手でももつことになっている。韓国では食事のときに茶碗を手にもってはいけないと教えられた。どうも納得のいかないマナーである。これもいってみてわかった。いやわかったつもりになった。

 たとえば、「石焼きビビンバ」である。これは手でもつことはできない。重いうえに熱い。持ったら大やけどすることは間違いない。韓国の食事にはステンレス製の食器が使われることが多い。銀製の食器が貴族の間で使われたことの名残であろうか。箸もステンレス製で重い。中国の箸は、象牙の名残であろうか、合成樹脂で作られていて軽い。

 金属製の食器に熱いものが入れられると熱くてもてなくなる。茶碗をもたないというのは金属製関係があるのだろうか、そんな理解をしていた。それにしても、ご飯を食べるときはどうも不便だ。犬食いになってしまう。「石焼きビビンバ」ならばスプーンがついてくるが・・・、と思ってから周りを見てみると、ご飯はどうやらスプーンで食べるものらしい。箸は、皿に盛られているおかずを取るときにのみ使うもののようだ。

 先日、韓国映画を見ていたら、面白いせりふに出会った。牧師見習いの青年が、「神さま」をどう説明したらよいかを悩んでいるときに同じく見習い牧師の友人が語ったせりふである。「神さまはスプーンと同じだよ。なくてもご飯は食べられるだろう。箸や手を使えば食べられるだろう。だけどスプーンがあったほうがよいに決まっている。」 なるほど、そうなんだ。
  
 石焼ビビンバについては後日談がある。石焼ビビンバに使う、石の容器は日本で考案されたものであるという。日本で考案され、利用されるようになってから、韓国に持ち込まれたということを聞いた。


4.中国の箸の置き方

 中国料理では、丸いテーブルを数人が囲む。このときの箸の置き方が日本と異なる、と聞いた。日本では、手前に箸置きの上に左右に置く。ところが中国料理の場合には、箸の先をテーブルの中心に向けて縦に置く。箸の先を他人の方に向けるのは心理的抵抗がある。それで、日本で中華料理を食べるときは左右におくことになる。

 ところが、中国で中国料理を食べて驚いた。テーブルには中心から外に向けて僅かの傾斜があるのである。しかも箸が丸い。こうなったらマナー以前の問題である。箸は縦に置くしかない。手前に左右に置いたら、転がり落ちてしまう。納得である。


 他国の文化を理解するというのは大変なことである。さやかな体験をいくつか披露したい。

1.スープの飲み方

 スープは音を立てて飲んではいけない。これは私たち団塊の世代が西洋料理に関して最初に学んだマナーであろう。長じてからは、スープを「飲む」は、実は"drink" ではなく"eat"だとも聞いた。しかし、私たちにとって、「飲む」は「すする」である。体についた習慣は感嘆には治らない。

 ところがスープ用のスプーンの形が丸いことに気がついた。いまさらいうまでもないことだが洋食はナイフやフォーク、スプーンなどがたくさん用意されている。スープ用のスプーンは丸いのである。丸いスプーなら横に口を当てれば口の中に流し込むことは簡単にできる。流し込めば音を出さなくてもよい。大発見のつもりでいた。

 ところが、あるとき、この流し込みがうまく行かないことがあった。気がついたら音を立てて吸っていた。その日のスープは熱かったのである。猫舌なので流し込むわけには行かない。防衛本能が働いたよう箸起きである。同じホテルの同じような食事であったが、スープの温度が違ったのである。

 その後、新聞でおもしろい記事を見つけた。熱いスープを出すことは失礼にあたるとのことであった。熱いスープだとすすらなくてはならなくなるのだ。日本では客に出す飲み物は熱くなくてはならない。熱いお茶や味噌汁は音を出してすすらなければやけどをするハメになる。

 音を立てて啜るか、流し込むかは、スプーンの形でではなく、提供される飲み物の温度と深く関わる問題だったのである。


2.デザートの甘さ

 ディナーの後にデザートが出てくる。ケーキ類が多く出されるが、この甘さには閉口している。最近はこちらが予算をケチったせいか、果物が使われることが多い。最近は変わったのかも知れない。

 この健康志向の時代なのに、シェフは何を考えているのか。そのときは、出されるたびにそんなことを考えていた。しかし、事は簡単ではなかった。デザートの甘さには深いわけがあったのだ。ナポレオンがヨーロッパの覇権を握ろうとして大陸で戦争をはじめたとき、イギリスは開港して経済封鎖に踏み切った。

 経済封鎖には砂糖の禁輸も含まれていた。当時砂糖はサトウキビのみから生産され、その生産と交易はイギリスに握られていた。幸い、その頃砂糖はヨーロッパ大陸でも生産可能な甜菜(てんさい 砂糖大根)から生産する技術のめどもついていた。やがて、フランスも砂糖の入手が可能になった。

 しかしながら、砂糖の不足した時代の心理的なショックがよほど大きかったらしく、その後のケーキ類が異常に甘くされることになった、というのである。町のケーキ屋さんのケーキが甘さを控えめにするようになった後も、ホテルのケーキの甘さが代わらなかったのは、甘さがフランス料理の伝統と深く結びついていたのかも知れない。

00-05 「仏教書」散策


 やはり「目からうろこ」はテーマからはずすことにした。ところで「散策」というのはどのような意味か。このブログの柱の一つがトルファン、敦煌、西安への旅行の紀行文であり、仏教の史跡を散策するという意味があることは否定しない。旅行は、他にも、韓国、台湾、ミャンマーも行っている。

 奈良・京都のお寺を回るのも、散策であろう。京都・奈良は毎年数回訪れている。飛鳥や斑鳩は何度言ってもよい。「現場100回」という言葉があるそうだが、これは歴史の勉強にとっても言えることある。法隆寺の境内から生駒山地の峰を望むことができないことは驚きであった。

 また、博物館で行われる仏教関係の特別展を見て回るのも、散策ということになるだろう。上野の国立博物館は、機会あるごとに訪れている。奈良斑鳩の中宮寺の弥勒菩薩像や京都山科の醍醐寺の弥勒菩薩像など、思わぬ出会いもある。偶然行った旅先で、思わぬ特別展に出会うこともある。昨秋、金沢の兼六園に行ったときは、石川県立博物館で、『韓国文化への誘い −全羅北道の歴史と文化−』を催していた。

 しかし、散策の中心は、本にある。そのとき、そのときの疑問を解決するため購入しているうちに、仏教関係の本は思わぬ多くなってしまった。千冊を超えるのではないかと思う。最初に購入した仏教の本が何であったのか。書名も著者名も忘れてしまったが、新書版の本であった。「無記」の説明に何か釈然としないものを感じた記憶がある。この「無記」の問題は、最近になって、上山春平さんの文章で溜飲の下がる思いをしたばかりである。

 仏教の本は、古くなることがない。新しい本も増えてゆくが、古くから書棚にある本を何度も読み返すことの方が多い。前述した、上山春平さんの本も、20年以上も前に購入した本である。角川書店の「仏教の思想」全12巻のシリーズでの第三巻である。


 密教とは「秘密仏教」のことであるという。この「秘密」の意味についてこんな説明を読んだことがある。密教の側は何も「秘密」にしてはいない、密教に接する人間の側が偏見や先入観に囚われて物事をあるがままに見ることができないだけである、というのである。

 「目からうろこが落ちる」というのは、今日の理解では、「あることをきっかけにして急に物事の真相や本質がわかるようになること」をいうとされる。このブログのテーマにくっつけた「目からうろこの」意味はこのような理解で使用した。密教の意味に即して言えば、偏見や先入観が「うろこ」であり、そのうろこが落ちたとき、仏教の真実も顕わになる、ということになるだろう。私もこのように理解していた。

 ところが、聖書での用い方は少し異なるようである。再度引用してみる。

「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

 目からうろこのようなものが落ちた結果は、「元どおり見えるようになった」だけである。今日の理解とは少し異なるように思われる。仏教の歴史に関するテーマに聖書に由来する表現を使うというのは、ミスマッチかもしれない。しかし、仏教の歴史も多くのミスマッチを繰り返している。しばらく、このままにしておくこととする。


 先日、偶然に「目からうろこが落ちる」の出典を知ることになった。聖書である。パウロがキリスト教の信者になるきっかけがこの事件であった。聖書の該当箇所は以下に引用する。


使徒言行録 第9章1節―19節a

9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、
9:2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
9:3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
9:8 サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
9:9 サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
9:10 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
9:11 すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
9:12 アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
9:14 ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」
9:15 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。
9:16 わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」
9:17 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
9:18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、
9:19 食事をして元気を取り戻した。

参照・引用
http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/s0101.htm

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