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			<title>仏教の歴史散策</title>
			<description>　インド、シルクロード、中国に日本の仏教のルーツをたずね、日本の仏教について思索の旅をしてみます。= タイトル =</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>仏教の歴史散策</title>
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			<description>　インド、シルクロード、中国に日本の仏教のルーツをたずね、日本の仏教について思索の旅をしてみます。= タイトル =</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409</link>
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		<item>
			<title>『蜘蛛の糸』異説</title>
			<description>■　はじめに&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『蜘蛛の糸』は芥川龍之介（1892 - 1927年）の短編小説です。世話になっているお寺の広間の壁にはこの物語の紙芝居の絵が飾ってありました。そのあらすじは祖母から聞かされて知っていました。しかし、長じてから原文を読んでみるといくつかの疑問が出てきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　あらすじ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　釈迦はある時、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄を覗き見た。幾多の罪人どもが苦しみもがいていたが、その中にカンダタ（&amp;#29325;陀多）という男の姿を見つけた。カンダタは生前に様々な悪事を働いた泥棒であったが、一度だけ善行を成したことがあった。小さな蜘蛛を踏み殺そうとしたが思いとどまり、命を助けてやったのだ。それを思い出した釈迦は、地獄の底のカンダタを極楽へ導こうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　極楽から下がる蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸をつたって登れば、地獄から脱出できるだろう。あわよくば極楽に行けるかもしれない」と考える。そこで蜘蛛の糸につかまって、地獄から何万里も離れた極楽目指して上へ上へと昇り始めた。ところが糸をつたって昇る途中、ふと下を見下ろすと、数限りない地獄の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは糸は重さに耐え切れず、切れてしまうだろう。それを恐れたカンダタは「この蜘蛛の糸は俺のものだ。お前達は一体誰に聞いて上ってきた。下りろ、下りろ」と喚いた。すると次の瞬間、蜘蛛の糸がカンダタのぶら下がっている所から切れ、カンダタは再び地獄に堕ちてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その一部始終を見ていた釈迦は、カンダタの自分だけ地獄から抜け出そうとする無慈悲な心と、相応の罰として地獄に逆落としになってしまった姿が浅ましく思われたのか、悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　極楽と釈迦&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　極楽浄土の教主は阿弥陀如来であって釈迦如来ではありません。また、極楽浄土は西方十万億の仏土をすぎた彼方にあります。蓮池のそこから地獄が見えるような位置関係にはありません。従って、お釈迦様が極楽浄土の蓮の池から地獄をのぞき見ると言うことはあり得ないことです。この間違いは、当時の知識人の仏教理解の水準を反映しているものだと思われます。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　釈迦のきまぐれか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　カンダタが自分だけ助かろうとするのは当然予測できることでした。様々な悪事を働いた泥棒だったのですから。それを予測できなかったためにカンダタにさらに罪を重ねさせ、地獄への逆落としというつらさ極まる思いをさせてしまったことになります。これではカンダタは釈迦の気まぐれの道具にされてしまったようで気の毒でなりません。そのように思っていたところ、小松左京が同様のことを述べていることに気がついたので紹介します。&lt;br /&gt;
   彼はまず、「カンダタが糸を放せと言ったのは当然」と評してこの作品を批判した上で、別世界の話として、同名の短編小説で、この作品のパロディを書いています。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
■　小松左京のパロディ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そこでは、地獄に堕ちたカンダタは蜘蛛の糸を降ろされ、それを伝って上がり、ふと下を見ると、他の者も上がってくるのを見る。しかし、彼は彼らを追い落とすより、慌てて伝い上がることを優先、しっかり極楽に上がる。ただし釈迦はこれに驚いて、他の亡者の登上を阻止しようとして失敗、代わりに地獄に堕ち、亡者たちは極楽へ。&lt;br /&gt;
   しばらくたった後、カンダタが地獄を覗くと、釈迦が血の池で苦しんでいる。彼は以前のことを思い出し、蜘蛛の糸を降ろす。釈迦がそれに気がついて昇り始めるが、ふと下を見ると、何と地獄の鬼や閻魔まで昇ってくる。「お前たちそれは駄目だ」というと、蜘蛛の糸は切れ、釈迦は地獄へ真っ逆さま。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　最後に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　小松左京の小説はかなり辛辣です。芥川龍之介の小説を見事にたたきのめしています。しかし、ことはこれで終わりません。仏教の浅薄な理解がこのような小説を生み出し、また流通させているのです。浅薄な理解をどう超えるか、それが私たちに課せられた課題だと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後に私もパロディを一句　　芥川　ならば底には　地獄なし</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62109816.html</link>
			<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 05:17:52 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>『釈迦牟尼は美男におはす』</title>
			<description>■　夏木立かな&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　与謝野晶子（1878～1942）に、「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」という短歌があります。鎌倉大仏は青銅で鋳造された大仏です。露座で長い間あったためにところどころに緑青ができ、全体として青みを帯びた明るいグレーの色に見えます。初夏は大仏がもっとも美しく見える時期だと思います。真っ青な空が背景となり、後ろの小山も周りも美しい新緑に覆われます。「夏木立」という表現は初夏の大仏の美しさを見事一言で表していると思われます。大仏を「美男」と表現するのも情熱的な作品を数多く残した女流歌人ならではの表現です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　釈迦牟尼？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　しかし、「美男におわす」と詠まれた大仏は実は阿弥陀如来です。釈迦如来像ではありません。像容（仏像の種類）がなんであるかは、印相（いんぞう 手の組み方）を見ます。鎌倉大仏の印相は阿弥陀の定印（じょういん）と言われるものです。阿弥陀の定印は両手を重ねて親指と人差し指（または中指、薬指）で輪を作ります。釈迦如来の定印は左手の上に右手を重ね、両手の親指の先を合わせて他の指は伸ばします。法界定印（ほっかいじょういん）といい、座禅の時結ぶ印相です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　多仏と一仏&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大乗仏教は多仏の世界です。釈迦如来のほかに、大日如来や阿弥陀如来、薬師如来、弥勒如来などがあります。東南アジアの上座仏教では仏は釈迦如来のみの一仏です。明治の知識人にとって仏教は上座仏教的に理解されていた可能性があります。多仏よりも一仏の方がより合理的に見えた可能性があります。&lt;br /&gt;
　与謝野晶子のご主人は与謝野鉄幹です。鉄幹はお寺に生まれ、他のお寺に養子に行っています。一時期は仏教を熱心に勉強したとも伝えられています。晶子は商家の育ちで仏教とは縁のない生活であったようです。鉄幹の仏教の知識は晶子に伝えられることはなかったのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　しかし、名句&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　鎌倉大仏を阿弥陀仏だと晶子が知っていたらこの句が生まれたでしょうか。釈迦牟尼の言葉をどのように置き換えたらいいのでしょうか。置き換えはうまくゆきません。阿弥陀様、弥陀如来と言った言葉では音の響きの上で鎌倉大仏の颯爽たる雰囲気が出てきません。また、釈迦には青年時代の王子の颯爽としたイメージがあります。おそらく、晶子が阿弥陀像と知っていたらこの名句は出てこなかったと思います。&lt;br /&gt;
　仏教文学の研究家で歌人の山上々泉が昌子に問い合わせたところ昌子はその誤りを認めながら、実感を重んじる建前と既成の作品のゆえに訂正することはしない旨を申し送ったという逸話があります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62109813.html</link>
			<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 05:16:32 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>仏教は「道」を説く「実践哲学」</title>
			<description>■　はじめに&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　かつて伝統的には猜教とは縁起説である瓩箸いν鬚基本的には認められていたように思われる。しかし近年、猜教とは縁起説である瓩箸いΩ解に対して、否定的な見解が示されるようになりました。この否定的見解を代表するのが中村元博士の説である。博士は「仏教には特定の教義が無い」と言われている。&lt;br /&gt;
　中村博士は説は最古層の仏典を重視するという考え方に基づいているようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　最古層の経典と教義&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最古層の経典と言われる『スッタニパータ』、その中でも古いと言われる第４章、第５章には、縁起説は出てこない。また、四諦についても定式化されて表現されてはいない。さらに、ブッダは次のように説いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
839 師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』とも説かない。（スッタニパータ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　教義によって・・清らかなになることができるとは説かない、教義がなくても・・清らかなになることができるとはとは説かない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　「道」の重視&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは、どうしたら悟りを開くことができるのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
790 （真の）バラモンは、（正しい道の）ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚されることなく、自我を捨て、この世において（禍福の因を）つくることがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「正しい道」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　「道」とは&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　仏教に教義がないとすれば、仏教とは何なのであろうか。博士はこれを「実践哲学」であるという。つまり、中村博士にとって、仏教とは「教義」ではなく宗教的理想に向かう実践のみにかかわる「実践哲学」であるということになろう。ゴータマ・ブッダは、西洋におけるような意味で何らかの「哲学体系」を述べているのではない。そうではなくてただ「道」を説いているのである、とも言っている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　体系化の意味&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　博士によれば、仏教には本来「教義」も「哲学体系」もなく、それはただ「道」を説く「実践哲学」にほかならなかったが、後には、釈尊の意図に反して（？）「体系」が立てられ、「教義」が形成されるようになったというのである。&lt;br /&gt;
　この体系化をどのように評価するのか。私には「正しい道」の意義が埋没したように思われる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62089427.html</link>
			<pubDate>Fri, 27 Sep 2013 06:50:40 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>アウンサンスーチー氏の龍谷大での講演要旨より</title>
			<description>　2013年4月、ミャンマーのアウンサンスーチー氏が来日した。京都大学での講演は、女性の社会参画、男女平等がテーマであった。龍谷大学では、「一仏教徒として」の話がされた。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。ここで和解と平和が実現できれば、それは世界の和解と平和も実現が期待できる。以下に全文を引用する。なお、項目は私がつけました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　一仏教徒として&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　私は良い仏教徒でありたいと思っているが、仏教の専門家ではない。今日は仏教の教えに沿って生活をしている一仏教徒として、お話をしたい。できるだけ短く10分間ぐらいで話をしたいと思う。皆さんから質問を受けたり、外で待っている学生たちにごあいさつを したりする時間を残しておきたいからだ。このことこそが仏教の実践だ。他人を慈しみ、大切にすることが仏教の教えなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この教えは、今変わりつつある私たちの国でできる唯一最大のことだと思う。暴力や怒り、復讐（ふくしゅう）、権力を求めることではなく、私たちが望むのは、他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に広げることだ。ビルマは長年、真の平和から遠ざかっていた。 私たちが独立した1948年以降、怒りや争いが途絶えたことはなく、常にどこかに武器があった。今も武器を持っている人、暴力で解決を望む人がいる。これ が私たちの国の状況だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　お互いを大切にすることから&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それを変えたいと思うならば、また本当の意味で仏教の平和と愛を国全体に広めたいと思うならば、お互いを大切にすることから始めなければいけない。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。こうした人々に対し平等に敬意を表し、同じように愛し慈しみ合うことが必要だ。相手が仏教徒であろうとなかろうと、どんな宗教であるのかは関係ない。宗教で人々を隔ててしまうことは、真の仏教の道ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　仏教と民主主義&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　仏教は決して民主化の概念と相反するものではない。仏教は私たち一人一人に価値を置いている。個人の人権に価値を持っているのが仏教だ。真に民主化された社会は、人権を尊重する社会でもある。先ほどこの会場に到着した際、非常に多くの人たち、特に若い男性 たちが親しみを持って私を迎えてくれた。&lt;br /&gt;
　しかし、人々がいつも慈しんでくれることを当たり前と考えてはいけない。慈しみや優しさは要求したり、 お金で買ったり、あるいは強制させたりすることではない。それは自発的に与えられるものでなければならない。与えられたいのならば、与えることが必要だ。&lt;br /&gt;
　新しい民主的な社会を作りたいと思うのであれば、いま申し上げたような仏教の価値観が大切になってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日新聞 2013年04月16日より　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62088493.html</link>
			<pubDate>Thu, 26 Sep 2013 17:36:25 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>永劫回帰はアンチテーゼ</title>
			<description>■普仏戦争の勝利&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　フランス革命はヘーゲル（1770～1831）が19歳のときである。ヘーゲルはフランス革命に感激した。ゲーテ（1749～1832）やナポレオン（1769～1821）やベートーベン（1770～1827）らは同時代に活躍を目の当たりにしして、ヘーゲルはキリスト教理性主義で世界史を説明可能であり、歴史を進歩するものと考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「理性が世界を支配する。したがって世界の歴史は理性的に進行する。世界史とは精神が無自覚に存在している自己自身の知識を獲得しようとして自己を加工してゆく、その精神の表現であるということができる。」(『歴史哲学』)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　実際当時のドイツ程「文化」という言葉がもてはやされた時代はない。普仏戦争が大勝利に終り(1871年)、皇帝ヴィルヘルム一世による新しいドイツ帝国が出来上ると、いわゆる「泡沫会社乱立時代」という未曽有の好景気のわくの中で、人々は誰も彼も一片の文化を手に入れようと努力したのである。いたる所で、いわゆるドイツ教養市民が好む文化的催し物が盛んになり、人々は退屈な日常をまぎらわした。このような状態は、表向きは上品な文化性をもっているが、実は真の文化の正反対の「野蛮」といわれるものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■ヘーゲルの歴史観&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヘーゲルは、『精神現象学』（1807年）において、直接的な意識から始まり、即自から対自、存在から絶対的知識へ発展し、現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になるまでの過程を明らかにした。&lt;br /&gt;
　彼によれば、「精神」は単なる人間の主観ではなく、世界史の過程を通して絶対的精神へと自己展開してゆくものである。人類の歴史は、絶対精神が弁証法的に発展し、奴隷的な状態を脱し、自由を獲得する過程でもあり、理性が自然を克服し、原始的な宗教から啓示宗教が支配する社会を経て自由な国家が成立することによって歴史は終わるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヘーゲルは、根源的一者の自己展開というドイツ中世のネオプラトニズム的な神秘主義を下敷きに、弁証法という論理学、認識論という当時の近代的な哲学概念を用いて、近代的で理性的な主体である個人を前提に、民族を統合した自由な国家の成立の必然性を説くという進歩的主義な歴史哲学を主張したのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■ニーチェ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ヘーゲルへの根本的な批判をしたのは、ショーペンハウアー、ニーチェ、キルケゴールである。彼らは非理性的、主観的であり、学問への体系の関心は希薄であるが、自己の人生を第一義とする真摯な哲学者たちである。また、人生は理性では割り切れず、むしろ不条理で苦悩であると考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『反時代考察』（理想社ニーチェ全集第四巻小倉志祥訳）と題される四つの論文、＜『ダーヴィッド・シュトラウス、告発者と著述家』（1873.8）、『生に対する歴史の利害について』（1874.2）、『教育者としてのショーペンハウアー』（1874.8）、『バイロイトにおけるリィヒャルト・ワーグナー』（1876.7)＞のうち前三篇は、ヘーゲル批判の書である。『反時代考察』という題名には、1871年にはプロイセン・フランス戦争に勝ち酔える当時のドイツの時代精神に反対してという意味が込められている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■永劫回帰&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　永劫回帰はキリスト教的な来世の否定であり、哲学史的な意味合いにおいては、弁証法の否定と解釈できる。ニーチェは永劫回帰を説き、弁証法を否定することによって、近代化そのもの、社会はよりよくなってゆくものだという西洋的な進歩史観そのものを覆そうとしたのである。弁証法は、近代哲学の完成者といわれるヘーゲルの基本概念である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「歴史の進歩」という概念そのものが西洋的、キリスト教的である。キリスト教的な予定調和な運命論的歴史観に対してヘーゲルは、歴史はカオスであり、法則を見出すことは不可能であると批判していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　20世紀の私たちはヘーゲルの楽天的な歴史観よりも、ニーチェが『権力意志』で述べたニヒリズムの到来が的中したことを知っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
参照&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.geocities.jp/jbgsg639/newpage15.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.geocities.jp/jbgsg639/newpage15.html&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62086174.html</link>
			<pubDate>Wed, 25 Sep 2013 02:35:48 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>トランスパーソナル心理学</title>
			<description>■トランスパーソナル心理学＝第4の勢力&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　トランスパーソナル心理学は、一九六〇年代末、アメリカ西海岸に生まれた、心理学の新しい潮流で、第四の勢力といわれています。第一は実験・行動主義心理学、第二はフロイド派精神分析、第三は人間性心理学ですが、第三の勢力＝人間性心理学の創始者であるエイブラハム・マズロー（一九〇八－一九七〇）が、晩年、賛同者をつのってさらに新たに創始し、「第四の勢力」と呼んだものです。大まかな言い方をすれば、第一は観察と行動修正、第二は自己治癒、第三は自己実現、第四は自己超越のレベルに焦点を当てています。トランスパーソナルの人間は（自己超越）という段階まで成長しうる存在だという捉え方は、心理学と東洋宗教の出会いから生まれているといっていいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■欲求の階層論&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人間性心理学・トランスパーソナル心理学の創始者マズローが唱えた「欲求の階層構造論」は、トランスパーソナルの流れの中で広く共有されているものですが、マズローは、まず人間は、食物や水や空気などが必要であり、フロイドのいうような性的な欲求もある。最も基本的で低次の欲求として、「生理的欲求」があるといいます。・・・（中略）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　次に、「安定・安全への欲求」が出てくるわけです。　・・・（中略）　次には、人から、特に親に愛されること、家族に属していて、自分の居場所があることへの欲求が出てくる。「愛と所属の欲求」といいます。さらに、「承認欲求」が出てきます。親や家族から愛され、家庭に所属していても、その上に自分に自信を持ちたい、人からも認められたいという欲求です。さらに、他の人間と取り替えのきかない自分独自の可能性を精一杯伸ばしていくことを人間は求めるものだと、「自己実現欲求」という概念を考えたわけです。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■自己超越欲求&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　自己実現まで到達してもさらに、有限の自己を超えて、永遠なものに向かいたいという「自己超越欲求」が出てくるのだと捉えました。つまり、人間の欲求は、ある種の階層構造をなしていて、特定の欲求には限度があって、それを適度に満たしていくと、より高次の欲求が出てくる。最終的には自己超越欲求まで出てくる、というのです。』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　岡野守也の著書「唯識のすすめ」（1998年、日本放送出版協会）から抜粋</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62084380.html</link>
			<pubDate>Tue, 24 Sep 2013 06:34:30 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>欧米心理学と仏教</title>
			<description>■1950年代後半の仏教、特に禅と精神分析の対話の第一の盛り上がり　　　 　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　仏教と精神分析の直接の対話は、一九五〇年代後半において最初の盛り上がりを見せた。これは、禅思想を英語で紹介し続けてきた鈴木大拙の存在と働きなしには考えられない。それゆえ、精神分析の対話の相手は、仏教でも特に禅となる。この時期に三つの重要な出来事が起こっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一つは、1957年にエーリッヒ・フロムが、メキシコはクェルナヴァーカに鈴木大拙とリチャード・デ・マルティーノを招いてシンポジウム「禅と精神分析」を行い、その翌年にはこれが日米で書物として刊行されたことである。&lt;br /&gt;
　第二の重要な出来事は、1958年に久松真一がアメリカでの講演の帰途、ユングを訪問して会談を持ったことである。&lt;br /&gt;
　第三の重要な出来事は、京都大学教育学部の教授で、自ら禅を実践していた佐藤幸治が、東西の&lt;br /&gt;
心理学の交流を目指した『プシコロギア』という英文雑誌を、1957年に創刊したことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■人間性心理学からトランスパーソナル心理学へ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1960年代後半から70年代前半にかけてのベトナム戦争、対抗文化運動を通じて、アメリカにおいて既成の価値観が問い直された。それは心理学の世界においては、ロジャーズやマズローに代表される人間性心理学、あるいは人間潜在能力運動として展開し、アメリカの市民生活にもかなりのインパクトを与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それは、従来アメリカで支配的だった行動主義と精神分析では覆い隠されてきた人間の主体性（主観性）、自由、成長、選択、本来の健康を心理学の理論と実践のテーマとして取り戻す運動であった。当然のことながら、東洋思想に対しても開かれていた。その心理学にとっては、東洋思想は克服すべき伝統的宗教ではなく、自分たちのアプローチの真実性を印象づけてくれる共鳴板であったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1970年代末から1980年代前半にかけて、内外から人間性心理学に対する批判が起こるとともに、人間性心理学は多様な展開を遂げるようになり、その新しい展開の一つとしてトランスパーソナル心理学が起こってきた。それは、言うならば、西洋心理学と東洋的霊性を創造的に融合し、あるいは心理学に霊性を回復させる運動である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　これには、東洋の霊性（禅、チベット密教、テーラヴァーダ仏教の瞑想、特にヴィパッサナー、ヨーガ、太極拳、気功など）の指導者がアメリカに渡ってアメリカ人を指導したこと、アメリカ人が逆に東洋に来てそれらの修行をして、帰国後アメリカの風土と文脈にマッチした仕方でそれらを展開させたこと、といった宗教者側の事情が背景にある。しかし、霊性運動のアメリカ深層心理学と仏教的な特徴は、それが心理学と密接に連動していることである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■深層心理学と仏教の対話の第二の盛り上がり&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　1990年代になって、1950年代後半に蒔かれた種がようやく実を結びつつある。それは心理療法を受けるクライエントの臨床像の変化とそれに対応する治療目標と心理学理論の変化を背景にしている。&lt;br /&gt;
　今日の患者の主要な問題は、特殊な精神障害であるよりも、むしろ現在のような社会に住んでいる人間なら、程度の差はあれ誰でも抱えているという意味でありふれているが、人間の本質に関わる深刻な問題である。すなわち、空虚感、無意味感、生き甲斐の喪失、倦怠感、自意識過剰、他者からの評価への心配などである。そして、治療目標は社会適応や自我の強化よりも、むしろ意味の探求、自我へのとらわれからの自由、他者や自然との絆の回復などに変化しつつある。心理学の理論もそれに対応するものになろうとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ただし、その一方で特に90年代後半になると、人々の世俗的な自己利益の追求や、遺伝子の発見とその操作に見られるような決定論的な考え方の浸透、医療の合理化、宗教的右翼の巻き返しなどを背景にして、バックラッシュが起こり、一人の患者にじっくりと時間をかけるタイプのセラピーは次第に時代遅れのものとされつつある。ユング心理学やトランスパーソナル心理学はもちろんのこと、フロイト派の精神分析でさえそうなのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　仏教に対する心理療法家の関心の高まりは、心理学と精神医学において心理療法的なエートスが失われつつあることに関する危機意識を背景としているのかもしれない。いずれにせよ、90年代に入ってから、深層心理学と仏教の対話は第二の盛り上がりを見せている。その現れはもちろん出版に見られ、重要な書物が続々と出版されている。著者は、大ざっぱにいって研究者と臨床家に分かれる。&lt;br /&gt;
　臨床家はたいてい同時に仏教の瞑想をも長年実践している。今日ではもっともポピュラーな本(Epstein 1995)の著者である精神分析家のエプスタインは、ヴィパッサナを主として実践してきている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www5d.biglobe.ne.jp/~shojimur/depthpsychologybuddhism.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www5d.biglobe.ne.jp/~shojimur/depthpsychologybuddhism.html&lt;/a&gt;より、抜粋引用</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62082427.html</link>
			<pubDate>Mon, 23 Sep 2013 07:13:49 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>エピクロスの快楽主義</title>
			<description>　エピクロス (BC341-BC270) は、ストア派の創始者ゼノンとほぼ同じ時期に生まれ、アテナイを拠点に活動した。彼の創始した学説は、ストア派の説と並んでヘレニズム時代の思想を代表するものとなった。いずれも、世界帝国の中で相対的に地盤沈下した個人の生き方に焦点を当て、人間にとってよき生き方とは何か、個人の幸福とは何かについて考察した。ストア派が禁欲に重点を置いたのに対して、エピクロスの徒は快楽こそが幸福の源泉と考えたのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エピクロス主義はヘレニズム時代からローマ帝国の時代にかけて500年ばかりの命脈を保ったのであるが、その勢いはストア派には及ばなかった。こんなこともあって、エピクロスの快楽主義の思想は、その真意が正確に伝わらず、時にゆがんで受け取られ、攻撃の対象ともなった。こうした言いがかりは、エピクロスの快楽主義を極端にゆがんだ形で捉えているものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エピクロスが実際に唱えた快楽の思想とは、心の平静を成就しようとするものであった。彼はそれをアタラクシアと呼んだ。アタラクシアとは、文字通りにいえば無感覚という意味の言葉である。それは感覚のもたらすものに惑わされず、何事に接しても心の平静を保つという境地を表わした言葉なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ルクレティウスは自分の詩の中でエピクロスの思想を展開している。それを読むことを通じて、我々はエピクロスのいう快楽の意味を理解することができる。その快楽とは、アタラクシアのもたらす無我の境地だったのである。エピクロスの思想の骨格は一種の唯物論であり、そこにはデモクリトスの影が大きく作用していることが認められる&lt;br /&gt;
のである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　快楽の追求に関してエピクロス自身がいったという言葉を、ディオゲネス・ラエルティオスが引用している。「我々は快楽を、至福な生の始めであり、また終わりでもあるといっている。というのは、我々は快楽を、我々が生まれるとともに持っている第一の善と認めているからであり、そしてこの快楽を出発点として、すべての選択と忌避を行なっているし，また快楽に立ち戻りながら、この感情を基準にして、すべての善を判定しているからである。」(岩波文庫)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エピクロスにとって、快楽には能動的と受動的、あるいは動的と静的との２種類のものがある。動的な快楽とは、満たされていない状態を満たそうとすることから生まれる満足であり、がつがつ飲食したり、性交の快楽にふけることからもたらされる。熾烈な権力闘争から生まれる快楽もこの種のものである。それに対して静的な快楽とは、たとえば飢えが満たされたときにもたらされる平静な状態のようなものである。それは満たされぬものを満たそうとする希求ではなく、自分自身のうちに満たされていることといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　こうした考えから、エピクロスにとって快楽とは、快楽の存在よりもむしろ苦痛や不足がないという充足感のようなものに近いのである。充足感の中でも胃や性器のような肉体にかかわるものより、心の平静が重視される。エピクロスが「アタラクシア」という言葉でさしたのは、この心の平静なのである。エピクロスは性交を避けるべきだといった。それは人間の肉体や心の状態を撹乱し、激しい情念を燃やし続けさせることによって、心の平静とは最も遠い状態に人間を置くからであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　エピクロスは徹底した唯物論者であったから、魂の不死も信じなかった。肉体が滅びれば、魂も同時に滅びてしまう。だからといって死ぬことを恐れる必要はない。死は正しく理解すれば決して恐ろしいことではない。それが恐ろしく思えるのは、死んだ後も魂は残って、あるいは地獄に落ち、生前の業に応じてさまざまな試練を課されるといった、誤った想念にとらわれているからだ。死についてエピクロスのいった言葉は、人間の長い歴史の中でも、もっとも崇高な言葉の中に数え入れられるべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://philosophy.hix05.com/Hellenism/hellenism04epicuros.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://philosophy.hix05.com/Hellenism/hellenism04epicuros.html&lt;/a&gt;より、抜粋</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62079582.html</link>
			<pubDate>Sat, 21 Sep 2013 15:20:36 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>ショーペンハウアーとブッダ　２</title>
			<description>　ショーペンハウアーが世界の根本的な実在だと考える意志は、世界の最初から続く目的も意味もない盲目的な実在である。個人は表象の一つだが、意志のみが本質で表象はすべて幻想である。意志には目的がないので、生は無意味な苦しみの連続である。神に救いを求めるのは、その苦しみを一時的に忘れるための自己欺瞞であり、宗教は自分の生に根拠がないという不安を忘れるための儀式に過ぎない。救いはキリスト教のような偽善的な価値を信じることではなく、仏教のように現世が苦であることを悟り、禁欲と苦行を通じて心の平安を得ることだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　ショーペンハウアーの意思の哲学を理解するためには、カントとの関係、あるいは同時代のヘーゲルとの関係を哲学史に調べても分かってはこない。理解の鍵はショーペンハウアーが目撃した近代社会の行動原理に着眼する必要がある。その時代は産業革命の間ただ中で、私利私欲にまみれた商業主義が跋扈していた時代である。その商業主義の跋扈を哲学的に「意志」と呼んでいたと考えることができないだろうか。悲惨な近代社会のその根本原因として盲目的な意志の動きが見つかったというわけである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「レ・ミゼラブル」はちょうどこの時代のフランスを描いている。1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯を描く。作品中ではナポレオン1世没落直後の1815年からルイ18世・シャルル10世の復古王政時代、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年までの18年間を描いている。当時のフランスを取り巻く社会情勢や民衆の生活も、物語の背景として詳しく記載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ジャンバルジャンは偉大なる聖人として生涯を終える。その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である。ショーペンハウアーは、しかし、「神の愛」を見限ってインドの古代哲学に救いの道を求めていた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62071153.html</link>
			<pubDate>Mon, 16 Sep 2013 16:21:04 +0900</pubDate>
			<category>歴史</category>
		</item>
		<item>
			<title>ショーペンハウアーとブッダ　１</title>
			<description>　ショーペンハウアー(1788-1860年)は、ドイツの哲学者、主著は『意志と表象としての世界』(1819年)である。ナポレオン戦争や48年革命の時代のドイツ諸都市を舞台に独創的哲学は形成された。ショーペンハウアーが生きた時代は、「哲学の荒れ狂った時代」言い換えればドイツ哲学の全盛期であった。カント、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェなどといった天才が出現した時代である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イエナ大学にいたときに、東洋学者マイヤーとの交友をとおして、インドの仏教哲学やウパニシャッド哲学と出会った。『意志と表象としての世界』にはこうした研究が反映されている。この著書において、彼の無神論的なペシミズムの哲学にもとづく倫理学と形而上学が展開された。『意志と表象としての世界』は当初ほとんど反響はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ショーペンハウアーは、『意志と表象としての世界』の中で、「『世界はわたしの表象である。』 ― これは、生きて認識をいとなむものすべてに関して当てはまるひとつの真理である」と述べている。さらに、表象は、物自体としての意志が現象したものである、とも述べている。ここに出てくる「物自体」というのは、そもそもがカントの用語である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ショーペンハウアーによれば、生の悲劇は意志の本質に由来する。意志は、個人をその目標の実現にむけてかりたてるが、そのどれひとつとして、盲目的な生命衝動である意志の無限な活動を永続的に満足させることはできない。こうして、人生は苦悩の世界とならざるをえない。この苦悩の世界を脱却するただひとつの道は意志の否定であり、一種の諦観の態度である。&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/umayado0409/62068521.html</link>
			<pubDate>Sun, 15 Sep 2013 05:54:22 +0900</pubDate>
			<category>哲学</category>
		</item>
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